『バラキ』

この週末は、ブルーレイで『バラキ』を見た。

1972年のイタリア・アメリカ合作映画。
監督はテレンス・ヤング
原作は、『セルピコ』の著者でもあるピーター・マース
製作は、イタリアの大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティス(『道』『カビリアの夜』『天地創造』『セルピコ』『キングコング』など)。
主演はチャールズ・ブロンソン
『荒野の七人』でスターになるも、これは脇役だった。
僕が子供の頃、「アゴにゴミが付いているよ」と言われ、手で触ると「う〜ん、マンダム」というイタズラが流行っていたが、このコマーシャルで一世を風靡したのが彼だ。
マンダムのコマーシャルは1970年放映開始らしいから、正にその絶頂期に本作に主演したとも言える。
『バラキ』はヒットし、日本では1973年の洋画興行収入4位を記録した(ちなみに、1位は『ポセイドン・アドベンチャー』)。
彼の代表作であるのは間違いない。
共演は、フランスの大スター、リノ・ヴァンチュラ
本作は、現役のマフィア幹部で初めて組織の実態をアメリカ議会で証言したジョゼフ・バラキの実録ものである。
映画は、1962年、ジョージア州アトランタの連邦刑務所を舞台に始まる。
バラキ(チャールズ・ブロンソン)は、麻薬取引で、ドン・ビート(リノ・ヴァンチュラ)らと共に逮捕され、刑務所に入った。
ドンは、彼が警察と通じていたと疑い、刑務所内で命を奪うように手下に命じる。
しかし、バラキは誤って自分の命を狙っていたのとは違う囚人を殺してしまう。
ドン・ビートは、刑務所の中でも特別待遇で、テレビの付いた立派な部屋に収容されていた。
バラキは、ドンの指示で自分が殺されようとしていることが分かり、ショックを受ける。
バラキは、自分の身を守ってもらうために、鉄の掟を破って、組織の実態をFBIに告白する決意をした。
内容が内容だけに、バラキとドン・ビートが獄死した後に撮影が開始されたが、それでもニューヨークのマフィアに脅迫され、わずか18日で撮影場所をローマに移したという。
ここから、バラキの回想が始まる。
いきなり若返った。
彼はイタリア系。
若気の至りで刑務所にブチ込まれた時、マフィアのメンバーと知り合い、ファミリーの一員になる。
1929年のニューヨーク。
クラシック・カーのカー・チェイス
だが、ツイン・タワーが写ってしまっている。
バラキは、ファミリー同士の抗争で成果を上げ、出世して、もっと大きな組織に入る。
マフィアの儀式は、ちょっと黒ミサのようだ。
指に針で穴を開け、お互いの血を擦り合わせる。
これが「血の交換」ということか。
そして、「血の掟」を告げられる。
その中に、「組織の秘密を外部に漏らすな」というのも入っていた。
彼は今、この掟を破り、FBIに告白している訳だ。
バラキの回想シーンは、ひたすら暴力描写と死亡写真の連発である。
ゴッドファーザー』のような風格はなく、ただただ生々しい。
音楽もなく、ブロンソンのナレーションで淡々と進む。
最初のドンであるマランツィーノはバラキに目をかける。
なかなか博学なドンで、シーザーの言葉をラテン語でそらんじる。
ドンは、何と7ヵ国語を操るそうだ。
彼は立派な書斎にバラキを案内し、『ローマ戦史』の本を授ける。
一緒にいたもう一人の手下は、本になど全く興味がなく、「売ったらカネになるぞ」と言うが、バラキは「ボスの贈り物だ」。
組織のトップに立つような人間は、教養が要るということか。
時間が小刻みに進む。
非情な殺しが立て続けに行われる。
ドン・マランツィーノは、敵の組織が送り込んだニセ警官に殺られる。
その後、バラキは美しい奥さんをもらう。
結婚もファミリーの中で決めるのであった。
ファミリーなので、たくさんの登場人物がいるが、人間関係が複雑で分かりにくい。
正直なところ、一度見ただけではよく理解出来ないが、「バラキがちょっとずつのし上がって行くんだ」という程度の理解でも、筋は追える。
ドン・ビートは、邪魔者をどんどん消し、これまでのドンの掟を破り、ついに麻薬に手を出す。
ドンの留守中、ドンの女に手を出して、チンを切られた部下もいた。
それにしても、これだけ人を殺して、よく足がつかないものだ。
バラキは、これまでのレストランの経営に加えて、競走馬のビジネスも始めるが、「八百長は決してしない」という信念があった。
でも、ファミリーは明らかに以前とは違って、殺伐とした雰囲気になっていた。
「誰が味方か分からなくなった」とバラキはつぶやく。
時代は1957年まで飛ぶ。
ドンは「労働組合、警察、裁判所に顔がきく」と豪語している。
けれども、誰かが密告した。
ドンは、仕組まれた麻薬所持の容疑で逮捕。
バラキも、ついに逮捕されて、15年の刑を宣告される。
悪事はいつまでも続かない。
そうして、話は最初に戻り、バラキは組織の内幕を洗いざらい、TVカメラの前で話すのであった。