『サタデー・ナイト・フィーバー』

この週末は、ブルーレイで『サタデー・ナイト・フィーバー』を見た。

1977年のアメリカ映画。
有名な作品だが、見たことはなかった。
監督はジョン・バダム
フランス映画の傑作『ニキータ』を冒涜したハリウッド版リメイク『アサシン』を撮った人だが、代表作はやはり『サタデー・ナイト・フィーバー』だろう。
主演は、言わずと知れたジョン・トラボルタ
彼の大出世作である。
ジョン・トラボルタと言えば、僕が小学生の頃、「タカラCANチューハイ」のCMに出ていた。

僕は、このCMの曲が気に入ったので、ヘタクソな踊りの真似と一緒に、いつも口ずさんでいた。
だが、『サタデー・ナイト・フィーバー』公開時は未だ幼稚園児だから、リアルタイムではちょっと記憶にない。
本編は、ニューヨークの街の空撮から始まる。
瀬戸大橋みたいなブルックリン橋。
向こうには、ツイン・タワーが未だある。
有名なテーマ曲「ステイン・アライヴ」をバックに街を歩くジョン・トラボルタ
洋楽には全く疎くて、ビージーズと言われても「聞いたことある」という程度の僕(ビジーフォーなら分かるが)でも、この曲は知っている。
いや、本作で使われている曲は、誰でもどこかで耳にしたことのあるものばかりだ。
トラボルタ演じる主人公のトニーは、軽快な足取りで街を闊歩しながら、ピザをかじり、シャツ屋に寄って5ドルのシャツの取り置きを頼み、可愛い娘には声を掛ける。
そんな彼は、ブルックリンのペンキ屋の店員である。
店長に、週末の軍資金として給料の前借りを頼むが、断られる。
帰宅すると、熱心に髪のセット。
まあ、若い時はみんなこんなんやね。
僕も中学生くらいの頃、やたら自分の髪型が気になったことがあった。
トニーの部屋には、ブルース・リーや『ロッキー』のポスターが貼ってある。
BGMは色々で、彼は曲に合わせてリズムを取る。
彼の兄さんは神父をしていて、両親の自慢であるが、家にはいない。
父親は失業中で、残された家族の仲は最悪である。
トニーは、仲間の車に乗ってディスコに向かう。
彼が、如何に日常生活にウンザリしていて、週末のディスコだけが生き甲斐であるかが、よく表現された序盤である。
「2001 ODYSSEY」という看板が出た建物。
2001年宇宙の旅』だな。
ベートーベンの『運命』のロック・バージョンをバックに、店に入る仲間達。
店内では、みんな踊っている。
僕は、恥ずかしながらディスコなんて生まれてこの方一度も行ったことがないが、かつては若者文化の象徴だったのだろう。
トニーのダンスは腰の振り方がスゴイ。
正直、ハンサムだとはつゆ思わないが、踊りはステキなんだろう。
僕は、運動系はからきし駄目なので、これがカッコイイかは判断出来ないが。
彼は、このディスコのヒーローで、女達も寄って来る。
でも、ダンスのうまい女しか相手にしない。
チャラく見えて、意外に硬派なのである。
彼は、ダンスのコンテストで優勝したことがあるようだ。
次の曲は、これもよく聞く「恋のナイト・フィーバー」。
朝まで踊って、疲れて部屋に戻る。
彼の部屋には、『セルピコ』のアル・パチーノのポスターも貼ってある。
日曜の朝は、明るくなっても、未だ呆けた顔で、なかなかベッドから出られない。
日曜日は、仲間達とバスケット・ボールをする。
みんなカネはない。
しかし翌日、バイト先で昇給を告げられる。
店長には一応、一目置かれているようだ。
わずか4ドル(週給?)の昇給だが、トニーにはとても嬉しい。
次のコンテスト目指して、ダンス・スタジオに練習しに行くと、先日のディスコで見掛けた踊りの上手な娘がいた。
声を掛けるけれども、相手にされない。
帰宅すると、兄さんが帰っていた。
家族は重い雰囲気である。
兄さんは「神父を辞める」という。
信仰を持てないのに、親の意向で神父になったからだ。
僕も実家がS学会の熱心な信者だったので、この辺の葛藤はよく分かる。
真面目な兄と自由奔放な弟を、うまく対比させている。
トニーは、またダンス・スタジオで例の娘に声を掛ける。
よく見ると、結構ババ臭い娘だ。
彼女はトニーと違い、上流階級のようである。
けれども、何とかナンパに成功する。
娘の名前はステファニー。
二人でカフェに行く。
彼女はレモン・ティー、トニーはコーヒーを頼む。
彼女によると、「コーヒーは下層階級の飲み物」らしい。
悪かったな、下層階級で。
僕も毎日、会社の近くの安いカフェでコーヒーを飲んでいる。
ここで、この二人の階級対立が徹底的に描かれる。
彼女はマンハッタンに勤めている。
マンハッタンには上流階級しかいない。
対するトニーは、下層階級の街・ブルックリンだ。
東京で言えば、山の手と下町みたいな感じなのだろう。
シェイクスピアの話になる。
トニーは「高校でシェイクスピアを習ったけど、『ロミオとジュリエット』は到底理解出来なかった」と話す。
アメリカの高校では、シェイクスピアを習うんだな(当然か)。
それはさておき、シェイクスピアも本来は大衆演劇なんだけどね。
二人は、デートの作法も一々違うし、教養のレベルも噛み合わない。
トニーは、ブルース・リーやスタローンやアル・パチーノは大好きでも、ローレンス・オリヴィエを知らない。
「カメラのコマーシャルに出ている」と言われて、やっと思い出す程度。
彼女は、「階級は違うけど、一緒に踊ってあげる」と言う。
ヒドイね。
完全に見下している。
何から何まで嫌味で、到底いい女には見えないのだが。
彼女は、働きながら夜間の短大に通っているらしい。
「短大」というのは、多分コミュニティ・カレッジのことだろう。
ここで、ちょっと僕の頭に「?」が。
「夜間の短大」って、本当の上流階級が行くところではないんじゃないか。
僕も夜学だったので、よく分かる。
実は、彼女は「成り上がりたい」願望が強いだけではないか。
一方のトニーは、大学なんぞには一切興味がない。
この作品は、ちょっと『ウエスト・サイド物語』っぽい雰囲気がある。
トニーの仲間がケンカで相手に襲われて入院したという知らせが入った。
要するに、仲間も相手もみんなチンピラだ。
一方、トニーの兄さんは家に帰って来ない。
自由を満喫しているようだ。
それでも、トニーはステファニーと一生懸命ダンスの練習に勤しむ。
バックに流れるのは、本当によく耳にする曲ばかり。
どれもファルセットを多用した中性的な歌だ。
この映画が、当時流行ったのがよく分かる。
土曜日、トニーは兄さんを連れて例のディスコへ行く。
ここでは、トニーの独り舞台だ。
兄さんは、弟のダンスに感心することしきり。
コンテストは来週だが、ステファニーは来ていない。
トニーは、それが気になって仕方がない。
前の彼女(彼女ではないが)が言い寄って来ても、ヨリは戻さない。
この後、仲間達が長い吊り橋の手すりの上で踊るシーンがある。
これが、後の重要な伏線になるが、これ以上は書かないでおく。
日にちが変わって、とうとう、トニーの兄さんは家を出ることにした。
この辺は、それぞれの青春を描いているという感じがする。
トニーはダンス・スタジオへ。
すると、ステファニーがいた。
トニーは、彼女を仲間達に紹介する。
ステファニーは、例の調子で嫌味な自慢話を繰り広げる。
仲間達は口あんぐり。
ミスチルの歌ではないが、友人の評価はイマイチ、と言うより、散々である。
仲間の一人が彼女を妊娠させてしまい、結婚するべきか悩んでいる。
正に、青春群像だ。
トニーは、ステファニーの引っ越しを手伝うために仕事を休みたかったが、店長とケンカになり、店を辞めてしまう。
トニーが車を運転してステファニーの引っ越し先に着くと、何とオッサンがそこにいた。
どうやら、ステファニーの彼氏のようだ。
奥さんと離婚調停中とかいうオッサンで、要するに「不倫」である。
トニーはステファニーを追及する。
彼女は「もう別れた」と言うが、トニーは納得しない。
二人は、これからどうなる?
そろそろ、起承転結でいうところの「転」なので、この辺でストーリーを書くのは止めておく。
なかなか良く出来た青春映画である。
ジョン・トラボルタなんて、僕は全然ハンサムだとも思わないけれど、本作では、とてもカッコ良く見える。
批評家受けするような映画ではないが、一般大衆に与えた影響力は絶大なものだったようだ。
1978年の『キネマ旬報』読者選出ベストテン7位(ちなみに、1位は『スター・ウォーズ』)。