『カラミティ・ジェーン』

この週末は、ブルーレイで『カラミティ・ジェーン』を見た。

1953年のアメリカ映画。
監督はディヴィッド・バトラー。
主演はドリス・デイ
ワーナー・ブラザーズ
テクニカラー、スタンダード・サイズ。
勇壮なテーマ音楽。
舞台は西部開拓時代のアメリカ。
草原を走る駅馬車
馬車に乗って歌っているのはカラミティ(疫病神)とあだ名される男勝りのお転婆娘ジェーン(ドリス・デイ)。
走る馬車は完全にスクリーン・プロセス。
彼女が住んでいるのはダコタ準州のデドウッドという小さな町。
彼女は、様々な物資を調達して、町へ帰って来た。
彼女の特技は射撃。
行き付けのゴールデン・ガーターという飲み屋へ。
銃を一発ぶっ放して酒を飲む。
インディアンを倒した話しを自慢気に語る。
下品な女である。
50年代のハリウッドは、未だインディアン蔑視が許されたのであろうか。
今では考えられない。
この町には女っ家がない。
いても、こんな男みたいな色気のない下品な女だけだ。
町の男達は、タバコのおまけに付いている女優の写真に夢中である。
ジェーンには、それが面白くない。
ゴールデン・ガーターのマスター(ヘンリー・ミラーという名前)は、店にシカゴの女優を呼んだ。
しかし、やって来たのは、フランシス・フライヤーという名前の男だった。
その頃、ジェーンが秘かに恋心を抱いているギルマーティン少尉がインディアンに捕まっていた。
それを聞いたジェーンは、直ちに馬に飛び乗って助けに行った。
銃をぶっ放しながら、ギルマーティンを助けるジェーン。
本作では、インディアンはどこまでも悪者である。
昨今の、過去を反省した振りをする偽善の白人とは、隔世の感がある。
自分の手柄を大げさに話すジェーンに対して、ワイルド・ビル・ヒコック(ハワード・キール)が皮肉を飛ばす。
ビルはジェーンと仲が良かったが、女らしさが全くない彼女のことを恋愛対象としては見ていなかった。
一方、ゴールデン・ガーターでは、フランシス・フライヤーが女装して舞台に登場する。
さすがに、「女優」というには無理がある。
すぐにバレて、客が怒り出し、一斉に出て行こうとする。
だが、町の娯楽場はここしかない。
潰れてしまっては困る。
ジェーンは、マスターの肩を持つ。
「人気女優アデレード・アダムズを私が連れて来るから、帰るな」と客に言う。
その時、アデレード・アダムズはシカゴにいた。
「来る訳ない」と言われると、いよいよジェーンは意地になった。
「何としても連れて来る!」
そんな彼女に、「アデレード・アダムズを連れて来ることが出来たら、インディアンの女の格好をしてやる」とビルは言い放つのであった。
何というインディアン蔑視、女性蔑視であろうか。
で、ジェーンは馬を飛ばしてシカゴへ。
カウボーイみたいな衣装のジェーンは、都会の人達から笑い者にされる。
まるで『真夜中のカーボーイ』みたいだ。
ジェーンは、アデレード・アダムズが公演している劇場へ行った。
アデレードは高慢ちきな女性だった。
楽屋で付き人のケティに当たり散らす。
こりゃ、到底田舎の酒場へなんか来そうにないな。
「古い衣装を捨てておいて」とケティに言い付け、自分はパリへ向かって旅立つのであった。
ケティには、いつかは自分も舞台に立ちたいという夢があった。
アデレードが置いて行った衣装を身に着け、鏡に向かって歌ってみる。
そこへジェーンが入って来た。
ケティは最初、ジェーンを男と間違えて、動揺するが、話している内に女だと分かった。
ジェーンは、衣装を着たケティを見て、てっきりアデレード本人だと思ってしまう。
ケティに、「デドウッドへ来て欲しい」と頼むジェーン。
ケティは、鉄道もない田舎の町だから、バレッこないと思って、引き受ける。
長い長い駅馬車の道のりを行くケティとジェーン。
ジェーンは道すがら、すれ違ったインディアンを「野蛮人」と呼ぶ。
今なら、絶対に公開出来ないだろう。
で、ようやく町へ。
町では、「アデレードが来たぞ!」と大騒ぎになる。
まあ、誰も現物を見たことがないから、気付きようがないわな。
ツイッターで一瞬にして拡散される現代と違って、ある意味、幸せな時代かも知れない。
田舎の男ばかりの町に美人が来たから大変。
ビルとギルマーティンは早速、ケティに媚を売る。
マスターも大絶賛。
カラミティの株も上がった。
ただ一人、フライヤーだけは、ケティがアデレードの付き人だということに気付いた(過去に会ったことがあるから)。
アデレード(=ケティ)の初舞台には、大勢の観客が集まった。
ビルは、ジェーンに約束した通り、インディアンの格好をして観に来ている。
それを散々笑い飛ばすジェーン。
ヒドイ話しだ。
舞台が始まったが、ケティは、フライヤーが自分の正体を知っていると思うと、うまく歌えない。
とうとう「私はアデレードじゃないの」と言ってしまう。
客が怒り出す。
ジェーンの勘違いだった。
しかしながら、ジェーンは「若い美人が町に来たからいいじゃないか」と一席ぶって、客を黙らせ、ケティに再び歌うチャンスを与える。
今度はうまく歌って、喝采を浴びるケティ。
で、後半は、ジェーンがケティから女らしい振る舞いを教わる。
じゃじゃ馬ならし』か。
そして、恋の四角関係が。
つまり、メロドラマだ。
ラストは、もちろんご都合である。
この時代は、これでコメディーとして通用したのかも知れないが、現代の感覚では、見ていられない。
とにかく、インディアンと女性の蔑視がヒドイ。