『モンパルナスの灯』

この週末は、ブルーレイで『モンパルナスの灯』を見た。

モンパルナスの灯 Blu-ray

モンパルナスの灯 Blu-ray

監督・脚本はジャック・ベッケル
僕は学生の頃、ジャック・ベッケルの『穴』を友人と名画座で観た。
観終わった後、あまりの衝撃に二人して顔を見合わせ、しばらく口を利けなかった。
もちろん、良い意味である。
結婚してから、DVDで再見した時も、細君は「スゴイ映画だ」と言っていた。
ちなみに、僕が勤めている会社の社長は、大変な映画マニアだが、『穴』を絶賛している。
『穴』はジャック・ベッケルの遺作だが、その前に作られたのが『モンパルナスの灯』である。
主演は、フランスの大スター、ジェラール・フィリップとアヌーク・エーメ。
アヌーク・エーメは、『男と女』のヒロインである。
共演は、『バラキ』のリノ・ヴァンチュラ
リノ・ヴァンチュラは、『死刑台のエレバーター』や『冒険者たち』にも出ていたな。
『モンパルナスの灯』は、画家アメデオ・モディリアーニの伝記映画である。
しかしながら、芸術方面に疎い僕は、モディリアーニは名前を聞いたことがあるだけで、どんな生涯を送ったかは全く知らなかった。
本作は最初に、「史実に基づくが、事実そのものではない」という字幕が出る。
しかし、十分に衝撃的な内容であった。
そして、ジャック・ベッケルは、やはり才能のある監督だと思った。
モノクロ、ワイド。
不安気な音楽。
1910年代のパリ・モンパルナス。
「画家のモディリアーニは、生前は見向きもされなかった」という字幕。
悲壮な音楽が流れる。
モディリアーニジェラール・フィリップ)がカフェで絵を描いている。
客の似顔絵を描くも、買ってもらえない。
「カネだけやるから、絵は要らん」とまで言われる始末。
飲み代もツケ。
完全なアル中である。
恋人のベアトリス(リリー・パルマー)はキセルを吹かしている。
モディリアーニには破壊衝動があり、酔って彼女を殴る。
翌朝、今度は元カノであるロザリー(レア・パドヴァーニ)の店で朝から飲む。
要するに、他の店ではもう飲ませてくれないからだが、ロザリーの店も、当然のように追い出される。
アパートの部屋代も払っていない。
だが、隣の部屋に住む親切な画商で友人のズボロフスキー(ジェラール・セティ)が代わりに払ってくれたので、モディリアーニは追い出されずに済んだ。
街に出て、ベアトリスと会う。
モディリアーニは、昨晩彼女を殴ったことも覚えていない。
おまけに、道を歩いている若くて美人の他の娘のことが気になっている。
彼は、美術学校に通っている。
結構年配の学生もいる。
まあ、ジェラール・フィリップも当時30歳代真ん中だから、学生というのはかなり違和感があるが。
ハムレット』でケネス・ブラナーが学生だというのと同じような違和感が(ハムレットは30歳で、ウィッテンベルク大学の学生という設定だ)。
けれども、昔の東京芸大なんか、五浪、六浪がゴロゴロしていたらしいしな。
僕が中学生の頃、近所に多摩美多摩美術大学)を出た人が住んでいたが、その人も、三浪までして芸大(東京芸大)を目指していたが、受からないので諦めたらしい。
話しが逸れた。
モディリアーニが教室に入って行くと、一心不乱にデッサンをしていた学生達が皆、一斉に振り向く。
多分、色んな意味で有名人なんだろう。
僕も学生の頃、全然授業に出ないので、顔は知らなくても名前だけはクラス中で有名だったらしい。
で、モディリアーニが席に着いて、絵を描こうとすると、筆記具を忘れたことに気付いた。
また余談になるが、僕が昔、日大通信に通っていた時、試験の日に筆記具を忘れて、試験監督に借りている学生が同じ教室にいた。
それが、実は当時学内では有名だった某女子レスリング選手だったのだが。
鉛筆を持たないで試験会場に来るのかと驚いたものだ。
モディリアーニも、それと同じで、やはり大物なのだろう。
彼が困っていると、後ろの席から筆記具が回って来た。
貸してくれたのは、何と、先程街で見掛けたあの美しい娘だった。
モディリアーニは、この娘に一目惚れしてしまい、こっそりと彼女をモデルにデッサンする。
すると、何と彼女の方も、モディリアーニをモデルに絵を描いていたのだった。
帰り道、二人は一緒に。
彼女の名前はジャンヌ(アヌーク・エーメ)といった。
父親はお堅い職業らしい。
寒いので、彼女はモディリアーニにマフラーを貸してくれた。
雨が降って来ると、相合傘。
モディリアーニは、ジャンヌを彼女の家の前まで送った。
ジャック・ベッケルの映像は、アップを多用して、パンフォーカスで、非常にリアリティがある。
ダンスホールでベアトリスと会ったモディリアーニは、首に巻いたマフラーに気付かれてしまう。
「新しい女ね。」
他の女のマフラーを巻いたまま恋人に会いに行く神経はどうかと思うが、ベアトリスは気にしない。
だから、付き合って来られたのだろう。
雨の夜、ジャンヌがモディリアーニのアパートの前で待っている。
モディリアーニは、彼女をモデルに絵を描く。
たまたま部屋を訪ねて来たズボロフスキーにも紹介し、「彼女と結婚したい」と言う。
どうやら、これまでにない本気の愛のようだ。
朝、ジャンヌは「両親の許しを得て、夜6時にまた来る」と言って、出て行く。
彼女の家では、娘が朝帰りしたと言って、父親が激怒。
許しを得るどころか、部屋に監禁してしまった。
モディリアーニは、ベアトリスに「彼女(ジャンヌ)は僕の全宇宙だ」と打ち明け、禁酒を誓う。
ベアトリスは、どうやら物書きらしい。
彼女はマンチェスターの出身で、「あなたのことをネタにして記事を書かせてもらったわ」と、モディリアーニに雑誌を見せる。
記事は英語で書かれていた。
天にも昇る気持ちだったモディリアーニは、約束の時間になってもジャンヌが戻って来ないので、一転、ショックで地獄へと叩き落される。
たちまち飲酒。
夜、ベロベロに酔っ払った状態で、ジャンヌの家へ。
「ジャンヌ、開けろ!」と大声で叫びながら、ドアをガンガンと叩く。
もちろん、警戒している両親は絶対に開けない。
彼の声がジャンヌに届いているかも分からない。
モディリアーニは、階段で転んで、そのまま意識を失ってしまう。
翌朝、ロザリーの店のベッドで、ズボロフスキーが呼んでくれた医者の診察を受ける。
医者は、南仏への転地療養を勧める。
さもないと、あと半年の命だと。
モディリアーニは、長年の不摂生で、極度に健康状態が悪化していたのだ。
南仏・ニースへ。
明らかに、パリとは景色が違う。
商売女をモデルにして絵を描くモディリアーニ
コワモテの女衒の男が乗り込んで来て、モデル料をふんだくろうとするが、キッパリと断る(まあ、カネがないからだろうが)。
モディリアーニの度胸を気に入った女衒の男と、仲良くなって一緒に飲んだり。
そこへ、何とジャンヌがやって来る。
駆け寄って、抱き合う二人。
「ズボロフスキーさんが駅まで送ってくれたのよ。」
モディリアーニは、パリに戻って、絵を売って生活する決心をする。
しかし…。
後半、話しは色々な方向に展開する。
実に切ない話しである。
ラスト・シーンは、余りに切なくて、涙なしでは見られない。
お涙頂戴の演出じゃないよ。
何と、味のある映画だろう。
本作は、芸術とカネの問題を扱っている。
芸術家というのは、商売人を嫌う。
夏目漱石だって、実業家を見下していた。
カネなんか軽蔑しているんだな。
でも、カネがないと生きられないという現実もある。
もっとも漱石は、金銭的にも、まあ成功したと言えるだろうが。
絵を売って商売する人達は、芸術を見る目がなくてはならない。
どれが優れた芸術かを判断して、結局はそれをカネに換えるのだが。
それを嫌悪する芸術家も多いだろう。
映画なんか、あらゆる芸術の中で最もカネが掛かる。
幾ら優れた作品でも、客が入らないとどうしようもない。
客が入ってもどうしようもない映画の方が圧倒的に多いが。
ジャック・ベッケルも、この映画を撮りながら、芸術とカネの二律背反について、色々と考えたことだろう。
文句なしにオススメの映画である。