『キャリー』(1976)

この週末は、ブルーレイで『キャリー』を見た。

1976年のアメリカ映画。
監督は、『悪魔のシスター』『スカーフェイス』『アンタッチャブル』のブライアン・デ・パルマ
原作は、『シャイニング』のスティーヴン・キング
音楽は、『赤い影』のピノ・ドナッジオ
主演はシシー・スペイセク
共演は、『ハスラー』のパイパー・ローリー、『サタデー・ナイト・フィーバー』『グリース』のジョン・トラボルタ、『カッコーの巣の上で』のシドニー・ラシック。
僕は昔、本作をテレビの洋画劇場か何かで見た記憶がある。
映画好きの我が社の社長が、本作のラスト・シーンについて何度も語っていたが、僕は覚えていなかった。
で、何となく内容的に、『炎の少女チャーリー』と混同してもいたのだが(なお、『炎の少女チャーリー』は未見)。
しかし、ホラー映画の代表作を5本挙げろと言われたら、間違いなく、『ローズマリーの赤ちゃん』『エクソシスト』『オーメン』『キャリー』『シャイニング』になるだろう。
今回、再見して、その思いを改めて確認した。
ユナイテッド・アーティスツ
カラー、ワイド。
舞台はハイスクール。
バレーボールをしている女子生徒達。
キャリー(シシー・スペイセク)は皆からボールの的にされる。
酷いイジメだ。
僕もスポーツ音痴で、特に球技が丸っきりダメだったから、これに似たような扱いを受けたこともあるが、実に理不尽で、憤りを感じる。
この最初のシーンのキャリーのオドオドした動きと、周りの態度だけで、彼女の置かれたスクール・カーストが分かってしまう。
続いて、女子更衣室。
全裸の女の子が結構いて、ヘアも無修正である。
これがもし本当の女子高生なら、児童ポルノで逮捕されてしまうところだが、本作に出演している女の子達は、ほとんどが20歳代のようだ。
良かった良かった。
シシー・スペイセクも、撮影時26歳だったらしい。
シャワーを浴びるキャリー。
何だか、官能映画のようなカメラ・ワークだが。
突然、キャリーの股間から血が。
恐怖におののく彼女。
クラスメイトに助けを求める。
周りのヒドイ連中どもは一斉にはやし立て、生理用品をキャリーに投げ付ける。
今なら、ユーチューブに動画でも投稿すれば、即刻炎上するレベルだ。
そこへ体育のコリンズ先生がやって来る。
先生はキャリーの味方だ。
まあ、これで先生までもイジメを黙認するようなら、全く救いがない。
しかし、本作の悲劇は、実はこの先生の強過ぎる正義感が遠因なのだが。
校長室では、コリンズ先生が校長にイジメの経緯を説明している。
キャリーの家庭環境にも問題があるようだ。
コリンズ先生は喫煙者だが、今のアメリカ映画なら、若い女の先生がタバコを吸っているシーンなど、考えられないだろう。
キャリーは呼ばれて、校長室に入る。
校長がキャリーの名前を「キャシー」と呼び間違える。
何度指摘しても治らない。
イライラするキャリー。
すると、校長の机の上の灰皿がひっくり返った。
今度は学校帰りに、自転車に乗ったクソガキからバカにされる。
キャリーがそいつをにらむと、チャリがひっくり返る。
彼女には何らかの力があるようだ。
キャリーの母マーガレット(パイパー・ローリー)は、怪しい宗教を説いて、クラスメイトの家を回っている。
どうやらキリスト教の一種らしいが、あちらの国でも、これは異端らしく、カネを払って追い返そうとする。
日本で言えば、エホバの証人みたいな感じなのだろうか。
キャリーは家に帰り、初潮が来たことを母に告げ、「どういて教えてくれなかったの?」と問う。
母は鬼の形相で「性は罪」と、娘を虐待する。
そして、怪しいキリスト像のある狭いお祈り部屋にキャリーを監禁する。
今度は、キャリーの部屋の鏡が割れる。
日にちが変わって、国語の授業。
先生が金髪モジャモジャのトミー(ウィリアム・カット)の詩を読み上げている。
トミーというのは、確かにハンサムだが、頭の悪そうなチャラ男で、明らかに、こんな詩を書きそうなヤツではない。
先生がキャリーにトミーの詩の感想を求めると、彼女は「ビューティフル」と答える。
明らかに「ビューティフル」ではない詩なので、先生は呆れるが、要するに、キャリーは秘かにコイツのことが好きなんだろう。
だが、トミーは「臭い」とつぶやく。
高校生くらいの嫌いな異性に対する言葉って、臭い、キモい、ダサいと、生理的嫌悪感を全面に押し出していて、実に残酷である。
で、今度は体育館。
「Carrie White eats shit!」というラクガキを用務員が一生懸命に消している。
コリンズ先生の体育の授業だが、誰も教師の言うことなど聞いていない。
それにしても、生徒が皆、PTAのオバチャンみたいである。
到底高校生には見えない。
コリンズ先生は、キャリーをイジメた罰として、彼女らに「プロムへの参加禁止。それがイヤなら毎日、体育の居残り授業」という課題をブチ上げる。
これはこれで、行き過ぎた軍隊教育だと、僕は思うのだが。
明らかにスクール・カースト上位そうなクリス(ナンシー・アレン)は、こんな居残り授業に耐えられない。
その旨をコリンズ先生に告げると、強烈なビンタを浴びせられる。
何という屈辱。
これも、今の日本なら直ちに停職モノだが。
いやあ、時代は変わったねえ。
昔の学校の管理教育というのは、本当にヒドかったんだな。
僕も、小・中・高を思い返してみると、今なら考えられないような教師による理不尽な扱いが多々あった。
最近だと、都立高校の6割で生徒に「地毛証明書」を提出させる、なんてのがあったが。
髪の毛の色なんか何だっていいだろ。
何という差別的な、と思うのだが。
本作を見ろ。
高校生のパーマだって自由じゃないか。
学校というのは、閉ざされた世界だから、それが異常だということに誰も気付かない。
まあ、いいや。
本作の舞台は70年代だから、今では見られない小道具も多数、登場する。
黒電話とか、足踏みミシンとか、図書館のカードとか。
今の若い人が見ても、何だか分からないだろう。
一方、キャリーは図書館で「テレキネシス」の本を読んでいた。
高校の図書館に、こんな超能力の本があるのだろうか。
それはさておき。
先のトミーの恋人スー(エイミー・アーヴィング)は、彼に「キャリーをプロムに誘って」と頼む。
これが何の意図なのか。
本作を見ている限り、はっきりとは分からない。
後の方を見ると、悪意はないようだが。
でも、自分の彼氏に、理由もなく、嫌いな女とパーティーへ行ってくれと頼むだろうか。
罪悪感を感じるほど、殊勝な女にも見えないが。
で、彼氏の方も、高校生活最後の一大イベントに、彼女がいるのに、わざわざ自分が「臭い」とまで思っている娘と出るだろうか。
よく分からん。
他方、クリスの彼氏はビリー(ジョン・トラボルタ)であった。
彼女を車に乗せて、ビールを飲むビリー。
高校生の飲酒運転である。
更に、タバコまで吸っている。
アメリカン・グラフィティ』とか『グリース』を見ても思うが、アメリカの高校生って、どうしてこうもユルイんだろうか。
日本の高校生も、こんなもんなのか。
僕が知らないだけか。
と思ったら、車の横に警察が。
大人しくなるビリー。
そりゃそうだわな。
部屋でクリスはビリーに「お願いがあるの」と言う。
「キャリーがキライなの。」
その結果、何が起きるかは、続きを見れば分かる。
余談だが、この時、部屋のテレビに映っているのは、ジェームズ・ガーナーの西部劇。
日にちが変わって、トミーが図書館でキャリーをプロムに誘う。
突然のことに困惑し、キャリーは逃げる。
で、コリンズ先生に相談する。
「私のことをからかっているんだわ。彼には相手が」と言うキャリーを、先生は励ます。
が、先生はよく分かっている。
トミーとスーを呼び出して、「どういうつもり?」と問い詰める。
トミーはキャリーの家へ行く。
そして、改めて彼女をプロムに誘う。
ちょうど母親は休んでいた。
性的なことを忌み嫌う母親にとって、男女交際などもってのほか。
キャリーは母親に気付かれるのを気にして、トミーを追い返そうとする。
だが、「イエスと言えば帰る」と、トミーがなかなか引き下がらないので、仕方なく、「行くわ」と言う。
う〜ん。
どうして、ここまでこのチャラ男がブサイク女に熱心になるのかが分からない。
これが、皆グルになっていたというのなら、全くスッキリするのだが。
その頃、ビリーとクリスはとんでもない陰謀を…。
さあ、これからどうなる?
本作の演出は、意外と古典的というか、凡庸な部分もある。
スローモーションを多用したり、キャリーとトミーが踊るシーンで延々と回るカメラとか。
本作に強烈なインパクトがあるのは、キャリーの怨念の強さ故だろう。
原作は読んでいないが、スティーヴン・キング自身にも、いじめられた経験があったのか。
でなければ、こういう話しは書けないだろう。
シシー・スペイセクは、正にキャリーに適役であった。
彼女でなければ、ここまで本作は話題にならなかったかも知れない。
2013年のリメイク版は見ていないが、キャリー役のクロエ・グレース・モレッツは、普通の可愛いお嬢さんに見える。
母親役のパイパー・ローリーも、強烈だった。
このオカンなら、娘がこんな風に育ってしまうのも無理はないという説得力がある。
なお、シシー・スペイセクパイパー・ローリーは、この年のアカデミー賞にノミネートされている。
脇役陣も見事だった。
本作は、青春映画でもある。
単なるホラー映画を超えて、映画史上に残る作品になったのも、その辺りだろう。
若干ネタバレだが、最後に出て来る墓には「Carrie White burns in Hell!」というラクガキが。