『ロミオとジュリエット』(1968)

この週末は、以前DVDで見た『ロミオとジュリエット』をブルーレイで再見した。

1968年のイギリス・イタリア映画。
監督は、『ハムレット(1990)』のフランコ・ゼフィレッリ
原作は、言うまでもなくウィリアム・シェイクスピア
音楽は、『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザー PARTII』『ナイル殺人事件』のニーノ・ロータ
主演は、レナード・ホワイティングと、『ナイル殺人事件』のオリヴィア・ハッセー
共演は、『2300年未来への旅』のマイケル・ヨーク
ナレーションは、『レベッカ』『ハムレット(1948)』『スパルタカス』『空軍大戦略』『マラソンマン』『遠すぎた橋』の名優ローレンス・オリヴィエ
シェイクスピアの代表作は『ハムレット』で間違いないだろうが、最も名前の通っている作品は『ロミオとジュリエット』ではないか。
仮に、シェイクスピアの名前を知らなくとも、『ロミオとジュリエット』を知らない人はいないだろう。
友人で、文学なんぞに全く興味のないのがいるが、彼は「シェイクスピアって『ロミオとジュリエット』の人?」と僕に尋ねて来たことがある。
僕と『ロミオとジュリエット』との出会いは、高校2年の時だった。
高校の文化祭で、あるクラスが『ロミオとジュリエット』を上演したのである。
噂によると、劇団に所属している女の子がいて、その子がジュリエットを演じるという。
それで、優勝候補と目されていた。
僕のクラスは『リア王』をやるので、当然ながら、ライバル視していた(ちなみに、僕は脚本・演出・主演)。
で、文化祭の当日、その芝居を観て、確かにジュリエット役の子は華があったが、思ったより声量がなかった。
それに、一番ガッカリしたのが、ロミオを演じたのが女の子だったことである。
それも、宝塚の男役みたいな見目麗しい子なら許せるのだが(昔、光源氏を女性が演じた『源氏物語』の映画があった)、どう見ても、無理矢理押し付けられたような…(以下、自主規制)。
おそらく、この年代の男子はシャイだから、誰も立候補しなかったのだろう。
結局、ジュリエット役の女の子は主演女優賞を獲ったが、そのクラスは総合で5位だったと記憶している(なお、『リア王』は準優勝で、僕は主演男優賞をもらった)。
それはさておき、『ロミオとジュリエット』は人気作だから、これまでに何度も映画化されている。
有名な所だけでも、ベネチア映画祭金熊賞を受賞した1954年のレナート・カステラーニ監督作品(1954年)や、最近では、レオナルド・ディカプリオがロミオを演じた1996年の現代版なんかもある(これはヒドイ出来だった)。
その中でも、一番知られているのが、このフランコ・ゼフィレッリ監督作品だろう。
何でも、歴代のシェイクスピア映画の中で、最高の観客動員数を記録したらしい(おそらく、今でも破られていないと思う)。
まあ、下世話な見方をすると、皆、オリヴィア・ハッセーのヌードが目当てだったような気もしなくはないが。
パラマウント映画。
テクニカラー、ワイド。
画質はイマイチ。
舞台はイタリアのヴェローナ
「二つの名家が遺恨を深め、ついに血で血を洗う争いに発展し、その家の子の二人も不幸な結末を招く」という旨のナレーション(ローレンス・オリヴィエ)。
賑やかな市もある広場に若者達がやって来る。
モンタギュー家とキャピュレット家のケンカが始まり、どちらからともなく剣を抜く。
大勢が入り乱れて乱闘になる。
そこへ領主がやって来る。
領主は怒り、「今度騒ぎを起こせば死罪だ!」と言い渡す。
モンタギュー家の一人息子ロミオ(レナード・ホワイティング)が帰宅する。
優男だ。
日本なら、ジャニーズか何かがやるんだろう。
ロミオの心は沈んでいる。
原因は恋(相手はジュリエットではない)なのだが、モンタギューとキャピュレットの争いにも心を痛めている。
一方、キャピュレット家の一人娘ジュリエット(オリヴィア・ハッセー)はもうすぐ14歳。
つまり、今なら中学生だ。
オリヴィア・ハッセーも撮影時は未だ16歳であった。
だから、ものすごく幼く見える。
エキゾチックな感じはするが。
今の日本なら、AKBか何かがやるのか。
おぞましい。
本作の現代版が何故つまらないかと言うと、マセガキの恋愛ゴッコにしかならないからである。
中学生が「好きよ、嫌いよ」と言っている話しを、名作として見ろというのが無理だろう。
で、キャピュレット家に求婚者のパリス伯爵(ロベルト・ビサッコ)がやって来る。
ジュリエットは、結婚の申し出に戸惑うが、特に疑問も持たずに承知する。
当時の女性は、14歳位で、親の決めた相手と結婚するのが普通だったということだな。
夜、仮面舞踏会に向かうロミオ達。
マキューシオ(ジョン・マケナリー)が「夢」について語っている。
本作は、オーディションで選ばれたという主役の二人は、はっきり言って下手だが、脇役が芸達者なので、何とか見られる。
キャピュレット家に着いたロミオは、仮面を着けて夜会に紛れ込む。
そこで、ジュリエットを見付けて、一目ぼれしてしまう。
キャピュレット家の若者が、モンタギュー家の人間が来ていると目を付ける。
更に、ロミオがジュリエットと踊り出したのを見て起こるが、ジュリエットの両親に「騒ぎにするな」とたしなめられる。
会場内で、例の甘美なテーマ曲を朗々と歌う若者レオナード。
仮面のロミオを目で追うジュリエット。
ロミオは物陰から彼女に近付き、手の甲にキス。
言葉を交わし、口付けする二人。
この時点では、お互いのことを何も知らない。
ロミオは、ジュリエットの乳母と話す。
それで、ジュリエットがキャピュレット家の人間だと知る。
一方、ジュリエットも乳母にロミオの名を聞きに行かせる。
ジュリエットは「憎い敵に恋をしてしまった」と。
夜会の終了後、去りかねたロミオは庭へ。
バルコニーにジュリエットの姿を認め、遠巻きから眺める。
ジュリエットは、例の誰でも知っているセリフ「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」を。
それを聞いたロミオは、ジュリエットに愛を誓う。
ジュリエットは、もしもロミオの愛が本物なら、「明日、結婚の使いを出す」と。
そんなことを言っている間に、もう明け方になっている。
有頂天で走り出すロミオ。
彼はそのまま、ロレンス神父(ミロ・オーシャ)の教会を訪ねる。
これまではロザラインという娘に夢中だったロミオに対し、神父は「彼女のことを想って寝ていないのか?」と尋ねる。
しかし、ロミオは「そんな名はもう忘れた」と言う。
ロミオも大概の軽薄野郎である。
彼は神父に、「キャピュレットの娘に恋をした。今日、結婚の儀を」と告げる。
神父は呆れる。
そりゃそうだろう。
それでも、「この結婚に私も力を貸そう。うまく行けば、両家の和解につながる」と、協力を約束する。
今なら、中学生位の男子と女子が、昨日知り合ったばかりで「結婚する」なんて言い出したら、笑い話しにしかならないが。
結婚に対する考え方が違い過ぎる。
その頃、キャピュレット家のティボルト(マイケル・ヨーク)がロミオに対し、手紙で決闘を申し込んでいた。
が、ロミオは黙殺している。
ロミオは広場にやって来て、マキューシオら友人と会う。
友人達は、ロミオの(ロザラインに対する)失恋を心配しつつ、からかう。
そこへ、ジュリエットの乳母がロミオを探しに来る。
周りの友人達は、キャピュレット家のオバサンが来たもんだから、散々バカにする。
このバカに仕方が、実に下品だ。
まあ、両家の対立は、感情の問題だから、どうしようもないのだろう。
で、乳母はロミオを建物の中へ呼び、「お嬢様の使いで来た。たぶらかす気なら許さない」と告げる。
ロミオは、「頼む。私は真剣だ。昼過ぎにロレンス神父の所へ来てくれ。そこで結婚する」と伝える。
乳母は「貴族のパリスがお嬢様を狙っています」と。
どうやら、彼女はロミオの味方になったようだ。
一方、ジュリエットは乳母の帰りを、今か今かと待っている。
乳母が戻って来るや、「あの人は何て言ったの?」
「急いでロレンス神父の所へ行って、あの方と式を。」
そうして、ロミオとジュリエットは、ロレンス神父の教会で結婚式を挙げる。
ここで「Intermission」。
当時は、2時間20分位の映画に休憩があったんだな。
で、後半は、悲劇に転がって行く訳だが。
今見ると、ツッコミどころはたくさんある。
一番悪いのは神父だろう。
まあ、友人の死に逆上して相手を殺してしまったロミオも大概だが。
今なら殺人罪だよ。
剣を抜いているから、傷害致死ではないだろう。
結婚したばかりで殺人って。
若気の至りと言えなくもないが。
それでも、シェイクスピアの原作自体は、既に古典として固まっているから、何も言うまい。
本作は、古典的な格式ばった演出ではなく、現代風の青春映画に仕立て上げたシェイクスピア映画の走りである。
その試みは、果たして成功したと言えるだろうか。
確かに、古典に対する敷居は低くなっただろうが、低ければいいというものでもない。
昨今のシェイクスピアは、舞台も映画も、奇をてらった演出でないと評価されないようで、もう観に行く気も起きないのが多いが。
なお、本作は、当時16歳のオリヴィア・ハッセーのヌードが収録されているので、日本の法律では「児童ポルノ」に当たる。
シェイクスピアの古典を児童ポルノ扱いする国家権力に対し、断固抗議する。
それにしても、もう半世紀も前の映画なんだな。
8倍すれば、ほぼシェイクスピアの生きていた時代だよ。
アカデミー賞撮影賞、衣装デザイン賞受賞。