『ストーカー』(1979)

お盆休みには、ブルーレイで『ストーカー』を見た。

1979年のソビエト映画。
監督は旧ソ連の巨匠アンドレイ・タルコフスキー
主演はアレクサンドル・カイダノフスキー。
僕が学生だった1990年代は、タルコフスキーの死後だったが、彼の作品を理解しない者は映画を語るな、というような雰囲気があった。
僕が大学で少しだけ籍を置いていた映画研究会でも、特撮好きやら日本映画好きに混じって、タルコフスキー好きもいたような気がする。
もう少し上の世代になると、ゴダールやらフェリーニやらを信奉していたようだが。
僕は小学生の頃から『2001年宇宙の旅』が好きだったので、SF映画の名作として、『惑星ソラリス』の名前は知っていた。
もっとも、タルコフスキーは『2001年』を酷評していたらしいが。
で、僕は情けないことに、『惑星ソラリス』は未見である。
学生の時、タルコフスキーの作品を少しは見ておかないとイカンだろうと思って、レンタル屋で『ノスタルジア』を借りて来た。
しかし、これが映像はものすごくキレイなのだが、冗長かつ難解な作品で、半分位で挫折してしまった。
その後、大人になってから、DVDで『ローラーとバイオリン』を見た。
これはタルコフスキーの習作(国立映画大学の卒業制作)なのだが、瑞々しい感性の傑作だと思う。
僕が今までにちゃんと見たタルコフスキーの作品は、恥ずかしながら、これだけである。
最近になって、キングレコードからタルコフスキー作品のブルーレイが幾つか出たが、その内の1本が、この『ストーカー』である。
「ストーカー」と言っても、女性アイドルの偏執的なファンが彼女を追い掛けて殺してしまう、というような作品ではない。
本作が公開された頃には、未だ現在のような「ストーカー」の意味はなかった。
カラー、スタンダード。
静かなテーマ曲で始まる。
タイトル・バックは酒場。
画面はセピア調のモノクロで、文字だけがカラー。
最初に字幕で説明がある。
「隕石の落下か宇宙からの生命体か? ある地域に奇妙なことが起きた。それがゾーンだ。軍を送ったが戻って来ない。それで立ち入り禁止にした。」
これで最小限の設定だけ観客に知らせる。
半開きの扉の奥。
部屋があり、ベッドがあり、妻と娘と男が眠っている。
犬もいる。
カメラはゆっくりと進み、音はない。
起き上がる男。
仕度をして、出て行こうとする。
妻は「どこへ行くつもり?」と問い質す。
男は「すぐに帰る」と。
男は「ゾーン」への案内人「ストーカー」であった。
どうやら、立ち入り禁止のゾーンへ行くと、逮捕・投獄されるようだ。
「今度牢に入ったら10年よ!」
しかし、男は出て行く。
泣き崩れる妻。
外。
オカルト話しに興じる男女。
男は大学教授。
女性はゾーンに行きたいという。
そこへ、ストーカーがやって来る。
「あなたがストーカー?」と作家が尋ねる。
だが、ストーカーは女性に対して「お引き取りを」と言う。
車で去る女性。
冒頭のタイトル・バックの酒場に男3人が集まっている。
ストーカーと教授と作家だ。
酒を飲みながら話している。
要するに、ゾーンには「部屋」と呼ばれる場所があって、そこへ行けば願いが叶うという。
「♪そこへ行けばどんな夢も叶うというよ」って、『ガンダーラ』か。
教授と作家は、ストーカーに「部屋」に連れて行ってくれと依頼する。
ストーカーは飲み屋のマスターに「家族を頼んだぞ」と言い残し、教授と作家を連れて出て行く。
ジープに乗る3人。
警察が来ると隠れる。
巨大な機関車が走っている(ロシアの鉄道は線路の幅が広い)が、「機関車は監視所までしか来られない」とストーカーは言う。
ジープで走る3人。
機関車の後、線路の上をジープで走る。
ムチャクチャだ。
警察に銃撃されながらも、それをかいくぐって走る。
辺りは工業地帯のようなイメージだ。
設定上はSFなんだろうけど、よくあるSFのような近未来的なイメージではない。
油でギトギトの重い工場、労働者階級のイメージで全編が貫かれている。
軌道車に乗る3人。
走る。
延々と。
本当に延々と走ると、突然画面がカラーになる。
軌道車が停まる。
どうやらそこがゾーンのようだ。
静かで美しくて何もない場所。
3人の会話は観念的過ぎて、さっぱり分からない。
ストーカーの娘は足が不自由で、「ミュータント」だという。
まあ、この意味は最後に分かるが。
ストーカーの先輩で「ジカブラス」という男は、死んだ弟を蘇らせるために「部屋」に入ったが、ゾーンから戻って得たのは莫大な札束だった。
自分が本当に欲しかったものがそれだったという事実を「部屋」に突きつけられたジカブラスは、1週間後に首を吊ったという。
20年前、ここに隕石が落ち、村は焼かれた(ツングースか?)。
ここに来た人は誰も戻らない。
「隕石ではないのでは?」と、立ち入り禁止になる。
ゾーンに行けば願い事が叶うという噂が立ち、警備が強化される。
人々が集まって来るだけなら、放っておけば良いと思うのだが、それを国家権力によって排除しようというのが、如何にも旧ソ連的な発想だ。
まあ、最近の日本も、国家権力の統制は強まっているが。
ゾーンには、車や戦車の残骸が多数、転がっている。
ゾーンがどんな所か、文章で書くより見た方が早いが、ただの森や野原のような所である。
「部屋があるのはあそこです」とストーカーは指差す。
「何だ、手の届くところじゃないか。」
確かに、距離的にはすぐそこなのだが、ストーカーは「手を触れてはいけない。ゾーンは神聖な場所で、罰せられる。まっすぐ行くと危険だ」と言う。
何だかさっぱり分からないが、予想のつかない謎の現象で命を落とす可能性があるらしい。
だから、わざわざ遠回りをすると。
作家はストーカーが止めたが、真っすぐ行く。
だが、「止まれ、動くな!」と止められ、結局、戻って来る。
ゾーンは罠のシステムで、はまれば死ぬ。
人が来ると活動を始める。
それでも、教授と作家は「部屋」に行くことを決める。
ここまでが第1部。
この後、部屋を目指す旅(?)が続くのだが。
彼らの話している内容が観念的過ぎて、さっぱり分からない。
宗教のイメージもある。
聖書の引用も出て来る。
パステルナークの詩を暗唱したりもする。
映像はキレイだが、被写体は全然キレイじゃない。
何か、廃墟とか油とか汚水みたいな所ばかり。
こんな所で演技しなきゃいけない役者も大変だ。
撮影は大変だったと思う。
劣悪な環境だ。
よくこんな撮影場所を幾つも見付けたものだ。
で、結局、ゾーンとは何か、部屋とは何かは、さっぱり分からない。
ストーカー自身は、部屋の中に入ったことはないらしい。
それは禁忌なのだとか。
タルコフスキーには熱狂的な信者がいて、批判すると怒られそうである。
そして、信者以外の人も、タルコフスキーを批判すると、「映画が分かっていない」と言われそうなので、皆、よく分からないままに褒める。
まあ、しかし、分からんのは事実だ。
僕は完全な無神論者なので、宗教的な話しをされても、感情移入出来ない。
それに、見ていると眠くなる。
上映時間が長い(2時間40分もある)。
このストーカーは、大学教授や作家といったインテリを嫌悪している。
住んでいる部屋は貧しそうだし、労働者階級風なのだが、巨大な本棚と大量の本が最後に出て来て、驚かされる。