『ハムレット』を原書で読む(第1回)

僕には、これまでの半生における大きな心残りがあります。
それは、せっかく入学した某私立大学の英文科を卒業できなかったことです。
学生時代の僕は、「卒業よりも中退の方がハクがつく」と思っていたフシがあります。
また、授業に出ないで映画ばかり観ていたとか、バイトに夢中だったというのも事実です。
若き日の怠惰な自分を今さら責めても仕方がないでしょう。
しかしながら、単なる後悔を、もっと前向きに昇華することはできないものかと僕は考えました。
英文科を卒業できなかったことが、なぜ心残りなのでしょうか。
僕は英文科に在籍していたにも関わらず、原書を一冊も読破したことがありませんでした。
ちゃんと授業に出ていれば、幾らでも読む機会はあったのでしょうが。
一番大きな心残りは、そのことだったのです。
ならば、話は簡単ですね。
原書を読めばいいだけです。
後悔を打ち消すには、自分が納得できるようなレベルのものに取り組むしかありません。
そこで、英文学の最高峰と言えば、もちろんシェイクスピア
シェイクスピアの最高傑作と言えば、やはり「文学のモナリザ」とも称される『ハムレット』でしょう。
これを読まずして、英文学は語れません。
よし、決まった。
ハムレット』を原書で読破しよう。
このように決意したのは、もう10年も前のことでした。
実のところ、僕は中学時代、英検4級の試験を、落ちるのが怖くて、当日になってから受験をキャンセルしたほど英語が苦手です。
高校時代の英語の成績も、ずっとクラスでビリから2番目でした。
定期試験は全て、日本語訳の丸暗記で乗り切っていたからです。
もちろん、社会人になってからは、ほとんど英語の勉強などしていませんでした。
従って、英語力は落ちてこそいても、上がっているはずはないでしょう。
正に、「英検5級レベルからのシェイクスピア原書読破挑戦」でした。
そして、毎日、仕事が終わった後に、会社の近くの喫茶店に行き、辞書を何万回も引きながら単語ノートを作り、ついに『ハムレット』の原書を読破したのです。
涙が出そうなほど感激しました。
原書を読むことには、翻訳からは決して得られない喜びがあります。
僕が初めて読んだペーパーバックは『ハムレット』です。
英文科中退のコンプレックスも、いつの間にか消えていました。
英文科の学生が全員、『ハムレット』を原書で読破しているとは限りません。
いや、むしろ、卒論のテーマにでも選ばない限り、ほぼ全員が「読破していない」と思います。
授業で一文一文解説して読むには長過ぎて、到底最後までは終わらないからです。
それに、普通の学生なら、自分が当てられた箇所か、試験に出る箇所しか読まないでしょう。
多くの大学の英文科では、シェイクスピアの原書講読は必修です(もっとも、昨今は「英語コミュニケーション学科」などという陳腐な名称に変えられて、そんな高級なカリキュラムはない大学も多いようですが)。
僕がかつて在籍した大学の英文科にも、必修で「シェイクスピア研究」というクラスが二つあり、どちらも『ハムレット』を読むことになっていました。
何故、「なっていました」などという言い回しをするかというと、情けないことに、僕はその授業に、たったの1回しか出席しなかったからです。
僕が出席した日は、ちょうどローレンス・オリヴィエの『ハムレット』をビデオで鑑賞していて、高校の教室の半分位の小さなクラスは、満席でした。
シェイクスピアは、さすがに英文学を代表する作家だけあって、大学での原書講読の歴史も古く、『英語教師 夏目漱石』(新潮選書)によると、漱石東京帝国大学の講師時代に『ハムレット』等の講義を行なっています。
ヤフー知恵袋」によると、シェイクスピアの原文の中で、『ハムレット』は最も難しいものの一つだそうです(もう一つは『リア王』)。
僕は、『ハムレット』と『ヴェニスの商人』を原書で読みましたが、確かに、『ハムレット』の方が圧倒的に読み難かったと思います。
しかし、『ハムレット』は名セリフの宝庫です。
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」というハムレットの独白など、英文学のセリフの中で最も人口に膾炙していると言っても過言ではないでしょう。
それどころか、「To be, or not to be―that is the question」という原文すら、多くの人が知っているのではないでしょうか。
これほど有名で、しかも「英文学の最高峰」とされている作品ですから、たとえハードルが高くとも、挑戦する価値はあると思います。
シェイクスピアについて
ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)は、言うまでもなく、イギリスを代表する文学者です。
それでは、『はじめて学ぶイギリス文学史』(ミネルヴァ書房)から、彼の略歴を引いてみましょう。

劇作家、詩人。ストラットフォード・アポン・エイヴォンに生まれる。18歳のときに、8歳年上の豪農の娘と結婚するが、数年後に妻子を残してロンドンへ出て劇団に加わる。舞台に立つかたわら、既存の脚本に手を加えているうちに、創作をはじめたと推定されるが、20代の後半で、早くも先輩作家のねたみを買うまでに名をなした。20余年間に、37編の劇と3冊の詩集を書き、50歳足らずで引退した後は故郷に帰り、悠々自適の余生を送った。

また、彼の作品については、次のようにあります。

シェイクスピア劇は、史劇からロマンス劇にいたるまで多様である。構成には、複数の筋があり、悲劇的局面と喜劇的局面、日常性と非日常性など相反するものが巧みに混入され、融合されている。また登場人物は、あらゆる階層に及び、その性格描写には追随を許さぬものがある。語彙の広いこと、複数の意味をひきだす掛け言葉や隠喩、暗喩が豊富なことでも知られている。

ハムレット』について
シェイクスピアの創作年代は通常、第1期(1590-95)の「修業時代」、第2期(1595-1600)の「喜劇時代」、第3期(1600-08)の「悲劇時代」、第4期(1608-11)の「ロマンス劇時代」の四つに分けられますが、『ハムレット』(Hamlet, 1600-01)は「悲劇時代」に書かれた作品です。
直線的な『マクベス』、人間の嫉妬を見事に描いた『オセロー』、現代にも通用する『リア王』と比べて、『ハムレット』のテーマは複雑でつかみどころがなく、僕は初めて翻訳で読んだ時(大学受験の浪人中でした)、正直なところ、どこが面白いのかよく分かりませんでした。
上演するには長過ぎますし(ノーカットだと4時間は掛かります)、作品の完成度としては、必ずしも完璧とは言えません。
しかし、多様な解釈を許す奥深さが、現在まで英文学の頂点として残っている理由なのでしょう。
『はじめて学ぶイギリス文学史』には、次のようにあります。

ハムレット』(Hamlet, 1600-1)には、主人公が復讐を決意するまでの複雑な心の動きが見事に描かれている。父の亡霊から命じられた復讐に対する疑問に加えて、淫らな母への反感、自己の存在への厭悪、腐敗した社会に対する厭世観などが、独白や対話の形で、巧みに言い表わされている。

テキストについて
一口にテキストと言っても、様々な版が出ていますが、僕が選んだのは下のペンギン版です。

Hamlet

Hamlet

初版は2015年。
編者はT. J. B. Spencer氏。
一般的には、演劇関係者はペンギン版、大学関係者はアーデン版やオックスフォード版を選ぶと言われています。
確かに、僕が学生の時の「シェイクスピア研究」という講義でも、教科書はオックスフォード版でした。
では今回、僕はなぜペンギン版を選んだのでしょうか。
それは、この版が大型書店の洋書コーナーなどで普通に売られていて、最も入手しやすいからです。
近所の調布市立中央図書館に置いてあるのも、このペンギン版でした。
ペンギン版は価格も手頃です。
学術関係では、どうしてペンギン版が使われないのかは、よく分かりません。
おそらく、他の版では注釈がページの下半分にあるのに対し、ペンギン版では巻末にまとめらているため、本文と対照しづらいからではないかと想像しています。
逆に、役者の場合は、細かな注など不要だから、ペンギン版でいいのでしょうか。
他にも、校訂の問題などがあるのかも知れません。
版によって、単語の綴りや句読点の打ち方なども微妙に違います。
しかし、僕は別に学術的な目的で『ハムレット』を読む訳ではないので、その辺りの研究は学者にお任せしましょう。
なお、『ハムレット』の主な底本には、Q1(第一・四折本)、Q2(第二・四折本)、F1(第一・二折本)の3種類があり、この内、善本とされているのはQ2とF1(Q1は粗悪な海賊版とされています)ですが、本書は、Q2とF1で異なる箇所は、基本的にQ2に依拠しているようです。
翻訳について
現在、日本では、廉価な文庫や新書版だけでも、7種類もの翻訳版が入手可能です。
それらを以下に紹介します。
新潮文庫
ハムレット (新潮文庫)

ハムレット (新潮文庫)

初版は昭和42(1967)年。
翻訳は、英文学・演劇に関して非常に高名な福田恒存氏。
この翻訳は現在、出版されている中では、最も権威があるとされているのではないでしょうか。
僕が二十数年前、浪人時代に読んだのも、この福田氏の翻訳でした。
訳文は格調高いものです。
そのため、初めて読んだ時は、多少「古めかしいな」とも思いました。
しかし、20年ぶりに再読してみると、一つ一つのセリフが、役者の声に乗って聞こえてくるような気がします。
それは、巻末の「解題」にもあるように、福田氏が「上演に不適当な翻訳はシェイクスピアの翻訳ではない」という信念を持っていたからでしょう。
ちなみに、僕が以前観に行った、劇団四季の『ヴェニスの商人』も、福田氏の訳です。
2幕2場のピラスの下りは文語体になっています。
3幕2場の劇中劇は口語体ですが。
有名な3幕1場におけるハムレットの「To be, or not to be, that is the question」という独白は、「生か、死か、それが疑問だ」と訳されています(この部分は訳者によって全く解釈が異なります)。
本書には、最近の懇切丁寧な版のような注釈の類は一切ありませんが、巻末の資料はそれなりの充実度です。
「解題」では、『ハムレット』のテキスト及び材源について(福田氏)。
続く「解説」では、「悲劇時代のシェイクスピア」と『ハムレット』について、あらましが述べられています(中村保男氏)。
さらに、「シェイクスピア劇の演出」では、福田氏がどのような考えの下、シェイクスピアを翻訳・演出していたのかがうかがえて、大変興味深いです。
特に、翻訳に際して、原文の美しさの90パーセントは消えてしまっているということ。
また、シェイクスピアを演じるには、「早く喋れる」ということがいかに重要かが強調されています。
本場のシェイクスピアは大変早口で、『ハムレット』のような長いものでも3時間くらいで上演するそうです。
それに対して、日本語では、大幅にカットしてもそれ以上の時間が掛かると。
最後に、「シェイクスピア劇の執筆年代」、「年譜(中村保男編)」が載っています。
福田氏が翻訳の原本として用いたのは、ドーヴァ・ウィルソンによる新シェイクスピア全集です。
ウィルソンは定説とは逆に、Q2こそ最も信頼すべき定本と見なしています。
それは、Q2がシェイクスピアの肉筆原稿そのものを印刷に附したと考えられるからです。
もちろん、F1やQ1も必要に応じて参照しています。
この翻訳のト書きが他版と比べてやたら詳しいと感じるのは、原本がト書きの豊富なQ1も参照して編纂されているからでしょうか。
それにしても、ト書きが多いですね。
白水Uブックス
ハムレット (白水Uブックス (23))

ハムレット (白水Uブックス (23))

初版は1983年。
判型は新書サイズ。
翻訳は小田島雄志氏(東京大学名誉教授)。
小田島氏も、シェイクスピアに関しては大変な権威です。
何しろ、日本で二人しかいない(もう一人は坪内逍遥シェイクスピアの37作品を全て翻訳した人なのですから。
本文は、韻文の形式に合わせて行分けがされています。
訳文は非常にこなれたもので、口語調なので分かりやすく、スラスラと読めるでしょう。
2幕2場のピラスの下りだけは文語体になっていますが、3幕2場の劇中劇は口語体です。
原文の洒落を巧みに日本語に移しています。
ただ、中には苦しいものもあるのはご愛敬です。
3幕1場の独白の冒頭は「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳されています。
巻末の解説は村上淑郎氏(法政大学教授)。
ハムレット』の概略が簡潔にまとめられています。
新潮文庫版と同様、注釈はありません。
訳者自身による解説は一切ないので、翻訳の底本などは不明です。
ちくま文庫
シェイクスピア全集 (1) ハムレット (ちくま文庫)

シェイクスピア全集 (1) ハムレット (ちくま文庫)

初版は1996年。
翻訳は、目下シェイクスピア作品を精力的に訳し続けている松岡和子氏。
この調子で行くと、坪内逍遥小田島雄志に続き、日本で3人目のシェイクスピア全訳者になるかも知れません。
松岡氏の訳文は、やわらかい文体で、非常に読みやすいです。
本文は、他の多くの翻訳と同じように、韻文の箇所が行分けされています。
注釈も充実しており、本文の下にあるため参照しやすく、また、元の英文を掲載してくれていて、親切ですね。
この注釈は、英米の権威あるテキストから採用しているとのことなので、信頼出来ます。
2幕2場のピラスの下りは文語体です。
3幕2場の劇中劇は、王の最初のセリフと、ルシアーナスは文語体で、それ以外はやや文語調の口語体で訳されています。
原文の擬古文的な雰囲気を出すためでしょう。
全体に、分かりやすくするために意訳した箇所が散見されます(もちろん、注で触れられています)。
色々と工夫はされていますが、やはりシェイクスピアは、洒落を訳すのが難しいようです。
3幕1場冒頭の訳は「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ」。
一つ気になったのは、ハムレットの一人称を「僕」と訳している部分があることです。
ハムレットは、「僕」と言いそうな感じはあまりしませんが。
全てのセリフではなくて、「俺」と言っている所もあります。
thouとyouの訳し分けにこだわる松岡氏のことですから、何か意味があるのでしょうか。
ちなみに、福田訳は基本的に「おれ」、小田島訳では「おれ」と「私」を使い分けています。
「訳者あとがき」によると、翻訳にあたり主に使用したテキストはアーデン版とニュー・ケンブリッジ版だそうです。
「万の顔を持つハムレット」という題の解説は河合祥一郎氏。
巻末の「戦後日本の主な『ハムレット』上演年表」は資料として大変価値のあるものだと思います。
集英社文庫
ハムレット (集英社文庫)

ハムレット (集英社文庫)

初版は1998年。
翻訳は永川玲二氏。
はっきり言って、この版はマイナーです。
あまり売れていないようで、書店でもなかなか見かけません。
集英社文庫の古典文学作品は、なるべく若い読者をつかもうとしているのか、親切な(言い方を変えると、読者に媚びた)作りになっています。
冒頭の口絵は、シェイクスピア時代の文化が伺えて良いのですが、本文に入る前に10ページに渡って「あらすじと鑑賞のヒント」(岩崎徹氏)を付けているのは、読者に余計な先入観を与えてしまうのではないでしょうか。
ご丁寧に、登場人物の人間関係まで図示してあるのです。
訳文は、やや古風で、クセがあります。
例えば、「功徳」というのは仏教用語ではないでしょうか。
また、「字引き」などという、現在ではあまり使われない言葉も出て来ます。
訳者による後書きのようなものはありませんが、この訳自体は、1969年の発表なので、そんなに新しいものではないでしょう。
さらに、ハムレットが自分のことを「ぼく」、亡霊のことを「お父さん」、ガートルードのことを「お母さん」と呼んでいます。
クローディアスの一人称は「おれ」「わし」「わたし」の3種類ありますし、彼がハムレットを「きみ」と呼ぶのにも、個人的には違和感を覚えました。
ト書きは、新潮文庫版と同じくらい詳細です。
本文の下に注釈があり、原文を示しているものがあったり、シェイクスピアの他の作品にもよく言及しているので、知識が増えて良いでしょう。
2幕2場のピュロス(ピラス)の下りは文語体、3幕2場の劇中劇は口語体です。
3幕1場冒頭は「生きるのか、生きないのか、問題はそこだ」と訳されています。
「解説―シェイクスピアの生涯とその作品」は岩崎徹氏。
「鑑賞―永遠の青年」は如月小春氏。
巻末の「シェイクスピア年譜」は平井正穂氏によるものですが、「○○(西暦)年『○○(作品名)』執筆はこの年か翌年、初演もこの年か翌年らしい。『○○』についてもほぼ同じ」というフレーズを延々と繰り返しているだけなのは、あまり意味がないと思います。
まあ、シェイクスピア本人について、作品以外に判っていることはほとんどないので、仕方がないのでしょうが。
岩波文庫
ハムレット (岩波文庫)

ハムレット (岩波文庫)

初版は2002年。
翻訳は野島秀勝氏。
この版は何よりも解説と注が詳しいです。
そのため、他社の文庫よりもかなり分厚く、400ページ以上もあります。
また、翻訳の底本がドーヴァ・ウィルソンのケンブリッジ版のためか、新潮版と同様、ト書きがやたら詳しいです。
あまりに詳細な部分は、注に回してありますが。
注も詳しく、補注まであります。
原文を載せている注も多いです。
また、本場のテキストから引用した注もたくさんあり、非常に勉強になります。
あまりにも詳し過ぎて、本文を読む流れが妨げられてしまうかも知れませんが。
野島氏は、Q2を「作者真筆の完全原稿に依って」印刷された、最も信用出来るテキストとみなしているようです。
F1は、概して、長くて面倒なセリフの省略が目立ちます。
F1は、上演用にQ2を短縮し、必要な変更を加えた改訂版です。
本版の翻訳は、「読者」を念頭にしたとのこと。
そのため、訳が説明的になってしまったり、リズムが良くない箇所もあります。
気になったのは、「必ずや絶対に」という表現です。
さらに、セリフに( )があるというのは、いかがでしょうか。
文体は、やや古風。
ハムレットの一人称は「ぼく」と「おれ」を使い分けています。
クローディアスは「わし」。
亡霊の「〜じゃ」という言い方は、老人のようで、違和感があります。
123ページの「chopine」の「現代この国の娘たちの間ではやっている厚底靴を思えばいいようだ」という解説は、時代を感じさせますね。
2幕2場のピュルロス(ピラス)の下りは文語体。
3幕2場、劇中劇の王の最初のセリフは文語体で、その後は、文語調の口語体です。
3幕1場冒頭の訳は「生きるか、死ぬか、それが問題だ」。
全体的に、訳の中に仏教用語や、日本独自の言葉が散見されるのが、少し引っ掛かりました。
例えば、2幕2場の「八百万の神々」は、日本の神々を指すのではないでしょうか。
3幕1場には「功徳」、3幕4場には「御陀仏」、5幕1場「恐れ入谷の鬼子母神」というのも出て来ます。
野島氏は、国文学の素養もかなりあるようで、注でも度々引き合いに出されているのは面白いのですが、英文学に戻って欲しい所です。
シャレの訳が不可能な箇所は、無理をせず、注で触れているのは、懸命だと思います。
巻末の野島氏による50ページ以上に及ぶ解説は、「『ハムレット』のテクストについて」「『ハムレット』の執筆年代」「ハムレット物語と復讐劇」のほか、「『ハムレット』、この謎めいたもの」と題した批評もあり、興味深いです。
角川文庫版
新訳 ハムレット (角川文庫)

新訳 ハムレット (角川文庫)

初版は平成15(2003)年。
翻訳は河合祥一郎氏(東京大学教育学部准教授)。
河合氏は、今や日本を代表するシェイクスピア学者の一人です。
この版は、野村萬斎氏より委託され、彼が主演する公演のために訳し下したものなのだそうです。
実際に舞台で演じられることを意識し、セリフのリズムと響きに徹底的にこだわって訳されています。
河合氏が翻訳した原稿を、萬斎氏が一行一行声に出して読み上げ、何度もダメ出しをしながら完成させました。
そのため、文体が非常に滑らかであり、役者の声がそのまま聞こえて来そうなリズミカルな訳です。
また、本書は日本で初めてフォリオ版(シェイクスピアの死後に刊行された最初の全集)を底本にした翻訳だと言います。
それは、最近の研究では、シェイクスピアの劇団で実際に上演されていたのがF(フォリオ版)であり、草稿レベルのQ(クォート)をシェイクスピア自身が改訂したのが上演用のFであるという見方が強まって来たからだそうです。
さらに、有名な3幕1場冒頭の訳において、最も人口に膾炙した「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」を採用した本邦初の版だということも特筆すべき点ですね。
注釈も、比較的詳しく付けてあります。
クォート版(Q2)にあってフォリオ版(F1)にないセリフは、注でフォロー。
活字が小さく、行間が詰まっているので、読みにくいというのが欠点でしょうか。
それでは、具体的に見てみましょう。
1幕1場に出て来る「供養」という言葉は、仏教用語ではないでしょうか。
1幕2場の「小童(こわっぱ)」「ガタが来ている」などのように、全体的に非常に味のある言葉が散りばめられています。
それでいて、古臭くなく、分かりやすい訳です。
ただ、オフィーリアの言葉づかいは、まるで昭和の娘が話しているかのように古めかしい(今風でない)ですが。
洒落の部分を見事な日本語に移し替えるのは大変難しいですが、かなり工夫されていて、凝った訳になっています。
一般的に、新しい翻訳の方が分かりやすく、また、先行訳を参照しているので、内容も深まっていると言えるでしょう。
2幕2場のピュロス(ピラス)の下りは文語体です。
3幕2場の劇中劇は文語調。
4幕4場の後半や、5幕2場のオズリックとのやり取りは、フォリオ版(F1)ではカットされていますが、長いので、注ではなく、本文中に組み込まれています。
F1を底本にしているのに、結局、Q2のセリフも入れなくてはならないのは、はたして意味があるのでしょうか。
5幕2場の王妃の「He's fat」というセリフは、度々議論になる箇所ですが、本版では「まあ、あの子ったら、太ったのかしら」と、河合氏らしい大胆な訳ですね。
巻末の「訳者あとがき」に、歴代の「To be, or not to be」訳の一覧が載っています。
これは資料的価値があるでしょう。
「後口上 日本演劇への翻訳」と題した後書きは野村萬斎氏。
彼のシェイクスピアに対するこだわりと、学者としての河合氏への称賛の気持ちがうかがえます。
光文社古典新訳文庫
ハムレットQ1 (光文社古典新訳文庫)

ハムレットQ1 (光文社古典新訳文庫)

初版は2010年。
訳者は、英文学・演劇の世界で名高い安西徹雄氏(元・上智大学名誉教授)。
ハムレット』の最古のテキスト「Q1」の唯一の翻訳です。
ただし、オリジナルでは「コランビス」となっているオフィーリアの父の名を、現行諸版と同様の「ポローニアス」に直したり、意味の通りやすい箇所などを多少、手直ししたと、巻頭の「訳者解説――『ハムレットQ1』について」の中で断られています。
これまでは「粗悪な海賊版」とされて来た「Q1」を、あえて世に問う理由は何なのでしょうか。
安西氏は「上演用台本として魅力的だからだ」と言います。
実際に、安西氏は翻訳した「Q1」を使って上演したことがあるそうです。
なぜ、上演に向いているかと言えば、短いからです。
ハムレット』は、シェイクスピアの作品の中でも際立って長く、もし一般に出回っている翻訳をノーカットで上演すれば、5時間くらい掛かってしまいます。
だから、通常は一部(あるいは相当の部分)をカットせざるを得ません。
それが「Q1」なら、カットしなくても2時間半くらいに収まるのです。
そして、単に短いだけではなく、『ハムレット』の元になった『原ハムレット』の形を留めていると考えられます。
訳文は分かりやすく、上演を意識しているだけあって、リズムが軽妙で、引っ掛かるところもなく、スラスラと読めます。
行分けはされていません。
注はあまりなく、ある時には左ページの端に載っています。
それでは、具体的に、どのような内容なのでしょうか。
まず、場割りが大きく異なります(1幕7場と2幕10場のみ)。
個々のセリフも、全体的に短縮されているので、スムースに進行します。
例えば、1幕2場、冒頭の王の宣言がありません。
余計な修飾語句がそぎ落とされて、すっきりとした印象です。
大きく展開が異なるのは、1幕7場。
ハムレットの気が狂った原因が分かったとポローニアスが国王夫妻に報告して、すぐハムレットが登場し、「生か死か、問題はそれだ」の独白。
この独白も、かなり短くなっています。
それから、そのまま「尼寺の場」。
さらに、「魚屋の場」へと続き、役者登場となります。
1幕7場のピュロス(ピラス)の下りは文語体です。
2幕2場の劇中劇は、やや堅めの口語体。
2幕4場では、ハムレットがクローディアスによる前王殺害のことを母に告白します。
彼女は「神様に誓って知らなかった」といい、ハムレットの復讐に協力することを約束するのです。
2幕7場では、ホレイショーが王妃に対してハムレットからの手紙の中味を報告し、王によるハムレット殺害の企みを打ち明けたりもします。
最後の場面では、ハムレットによるフォーティンブラスへの後継指名はありません。
少し違和感があるのは、ハムレットが時々「私」という一人称を使うことです。
翻訳の底本はケンブリッジ版の『The First Quarto of Hamlet』。
本文の後の「解題」は小林章夫氏(上智大学教授)。
シェイクスピア略年譜」も付いています。
巻末の解説は河合祥一郎氏(東京大学准教授)。
翻訳者の安西氏はもちろん、小林氏も河合氏も、「Q1」を積極的に評価する立場に立っています。
注釈書・対訳などについて
シェイクスピアの原文は難しいですが、さすが英文学史上最も有名な作家だけあって、注釈書の類いが非常に充実しています。
その分だけ、他の作家よりも与し易いと言えるかも知れません。
ハムレット』については、現在流通している主なものだけで、下の3種類があります。
研究社小英文叢書
ハムレット (研究社小英文叢書 (173))

ハムレット (研究社小英文叢書 (173))

初版は1965年。
注釈は小津次郎氏。
新書サイズのコンパクトなテキストです。
しかし、コンパクトなのが仇となって、注釈の分量はかなり少ないと思います。
「簡潔だ」と言えないこともありませんが。
日本で出ているシェイクスピアの注釈書は、概ね、海外の研究者が付けた注釈を、編纂者の好みで取捨選択して載せています。
そのため、他のテキストと同じ注釈もたくさんあるのですが、これは仕方のないことです。
著者は、前書きで「本書は教室で使用されることが多いだろうが、そうでない場合のことも考えて、かなり詳しく注釈を付けておいた」と語っているが、これには疑問符が付きます。
どう考えても、初学者にはこの注釈だけでは足りません。
分からない点がいっぱい出て来ます。
先生に解説してもらいながら読むのなら良いのでしょうが、自分で読もうとするのなら、もっと注釈の充実した他の本に当たる方が良いでしょう。
やはり、本書はあくまで教科書として、教室で先生が重要な部分や難解な箇所を解説しながら読むためのものだと思います。
注釈は、半分以上が英語によるものです。
ややペダンチックな印象を受けますが、それほど難しくはないので、これから本書を使おうとしている方も、安心して下さい。
それにしても、この「はしがき」にある次の文句は、現在と比べると隔世の感があります。
「最近の英文学人口の激増をまのあたりにして」。
本書の初版は1965年。
大学紛争の前です。
大学進学率は20パーセント程度でしたが、それでも、新制大学発足当初から比べると2倍以上に増えています。
「大学進学率の上昇」がそのまま「英文学人口の激増」に結び付いていたとは。
幸福な時代ですね。
大修館シェイクスピア双書
ハムレット (大修館シェイクスピア双書)

ハムレット (大修館シェイクスピア双書)

この本は、「大修館シェイクスピア双書」という全12巻のシリーズのうちの1冊です。
初版は2001年なので、比較的新しいですね。
編注者の高橋康也氏は、元国際シェイクスピア学会の副会長という、正にシェイクスピアの権威です(2002年逝去)。
高橋氏は本書執筆中に体調を崩し、河合祥一郎氏(東京大学大学院教授)が残りの仕事を引き継ぎました。
河合先生は、現在日本で最も活躍されているシェイクスピア学者の一人で、他にも多くの著書があります(角川文庫版『ハムレット』の翻訳も手がけていらっしゃいます)。
以上のような方々の手になる本なので、内容は信頼できると思います。
(※本シリーズは、他の巻も、日本のシェイクスピア学者としては相当著名な方ばかりが執筆しています。)
最近は、大学の英文科などでシェイクスピア作品を講読する際にも、このシリーズをテキストにすることが多いようです。
さて、本書は、右ページに原文、左ページに解説という見開き構成になっています。
原文は、底本が違うので、後述の研究社の対訳本と微妙に違う部分があるのが難しいところですね。
解説は、日本語訳がない分、ギッシリと詰まっており、かなり詳細です。
これまた、上述の対訳本の解説とは食い違う箇所がありますが、止むを得ません。
対訳・注解 研究社シェイクスピア選集
ハムレット (対訳・注解 研究社シェイクスピア選集8)

ハムレット (対訳・注解 研究社シェイクスピア選集8)

初版は2004年。
著者の大場建治氏は明治学院大学の元学長。
現在の日本においてシェイクスピア研究で著名な学者は何人もいますが、彼も間違いなく、その一人でしょう。
この本を読み進めてゆくにあたって必要なものは、とりあえず辞書(必要に応じて文法書)だけです。
本文は1623年発行の全集(ファースト・フォリオ)に基づいていますが、異本(セカンド・クォートなど)と違う箇所がある場合は、きちんと解説されているので、他の版を読んでいる人でも使えます。
(※現在出回っている『ハムレット』の原書は、おおむねセカンド・クォートとファースト・フォリオの折衷版です。)
著者は前書きで「高校卒業程度の英語力があれば、後は辞書を引くだけで読み進める」ように配慮した旨のことを書いており、確かに注釈は詳しいと思います。
ただ、本文を素直に読み進める上では、あまり役に立たないような、専門的な注釈が多くて参りました。
解説がペダンティックに過ぎるのです。
例えば、ある単語の意味を注で別の語に言い換えているのですが、その単語が中辞典には載っていない、ということが頻繁にありました。
また、訳文が気取った調子なので、原文のどの部分に訳が対応しているのかを把握するのに大変苦労します。
研究者だけではなく一般読者も対象にしている本なのですから、もう少し直訳調で、分かり易くしても良かったのではないでしょうか。
もちろん昔は、このような便利な対訳本はなかったのですから、こういった本で読書ができるのは、ありがたいことですが。
辞書・文法書などについて
辞書には色々ありますが、英文学を原書で読むには、最低でも大学生・社会人用の中辞典が必要になります。
本当は、シェイクスピアを読むには『OED(Oxford English Dictionary)』が必要なのだそうですが、全20巻もあり、アマゾンの中古でも20万円位するので、一般の人が所有するのはまず不可能です。
我が家でも、財務大臣に一蹴されました。
従って、中辞典から大辞典までを手元に置き、それらに載っていないものは諦めるしかありません。
ただ、辞書に載っていない様なことは、大抵、前述の注釈書に書かれていますが。
新英和中辞典
さて、中辞典の中で最も伝統があるのは、研究社の『新英和中辞典』(初版1967年)です。
新英和中辞典 [第7版] 並装

新英和中辞典 [第7版] 並装

歴史のある辞書の方が、改訂される度に内容が良くなっている可能性が高いと思います。
『新英和中辞典』の収録語数は約10万語。
僕も高校生の頃から愛用しています。
リーダーズ英和辞典
英文学を原書で読んでいると、時には、中辞典には載っていない単語も出て来ますが、そういう場合には、プロの翻訳家にも愛用されている『リーダーズ英和辞典』(研究社)の登場です。
リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]

リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]

初版は1984年。
収録項目数は28万(見出し語、派生語、準見出し、イディオムを含む)。
リーダーズ・プラス
更に、『リーダーズ英和辞典』には、『リーダーズ・プラス』(研究社)という補遺版があります。
リーダーズ・プラス

リーダーズ・プラス

  • 作者: 松田徳一郎,高橋作太郎,佐々木肇,東信行,木村建夫,豊田昌倫
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 2000/03/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 19回
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初版は1994年。
収録語数は19万語。
文学作品のタイトルや登場人物名等も詳細に載っているので、とても便利です。
新英和大辞典
2冊の『リーダーズ』があれば、かなりの範囲をカバー出来ますが、それでも載っていない語については、『新英和大辞典』(研究社)を引いてみましょう。
新英和大辞典 第六版 ― 並装

新英和大辞典 第六版 ― 並装

これは、日本で最も伝統と権威のある英和辞典です(初版1927年)。
収録項目数は26万ですが、さすが「ITからシェイクスピアまで」を歌い文句にしているだけあって、これまで挙げた辞書には載っていない語でも見付かることがあります。
語彙については、洋書で『A Shakespeare Glossary』または『Shakespeare-Lexicon』というものもありますね。
僕が学生の頃に受講した「シェイクスピア研究」という授業のガイダンスで、先生が「辞書に載っていない単語は、この2冊を引けば載っていますね」と、こともなげに仰いましたが。
当たり前ですが、語義は全部英語で書かれています。
ただでさえ難解なシェイクスピアの英文を読むだけでも大変なのに、その上、辞書まで読解しなくてはならないとなると、挫折の可能性が極めて高くなります。
学生がひけらかしのためにカバンに入れておくのは自由ですが、時間も英語力もない一般社会人は手を出さない方が無難でしょう。
英文法解説
文法書については、有名な『英文法解説』(金子書房)等は、あくまで現代英語の参考書です。
英文法解説

英文法解説

シェイクスピアの英語は初期近代英語で、もちろん、現代英語とそんなに大きく変わらない部分も多いのですが、これだけでは足りません。
かつては、大塚高信氏の『シェイクスピアの文法』(研究社)、あるいは、荒木一雄氏と中尾祐治氏の共著『シェイクスピアの発音と文法』(荒竹出版)という定評のある参考書があったのですが、これらは残念ながら絶版になっています。
従って、図書館を利用するか、中古で買うかしかありません。
ただ、大抵のことは、上の注釈書と大辞典で解決すると思います。
これから、どれくらい時間が掛かるか分かりませんが、頑張って『ハムレット』を原書で再読したいと思います。
次回以降は、例によって、僕の単語ノートを公開しましょう。
【参考文献】
1995年度 二文.pdf - Google ドライブ
英語教師 夏目漱石 (新潮選書)川島幸希・著
シェイクスピアを英語で読んでみようと思うのですが、内容的&文章的に読み... - Yahoo!知恵袋シェイクスピアを英語で読んでみようと思うの…」(Yahoo!知恵袋
はじめて学ぶイギリス文学史神山妙子・編著(ミネルヴァ書房