『パッション』(1982)

この週末は、ブルーレイで『パッション』を見た。

1982年のフランス・スイス合作映画。
監督・脚本は、『勝手にしやがれ』『軽蔑』『気狂いピエロ』『万事快調』の巨匠ジャン・リュック・ゴダール
撮影は、『勝手にしやがれ』『軽蔑』『気狂いピエロ』のラウール・クタール
スチル写真は、『万事快調』のアンヌ・マリー・ミエヴィル。
主演はイザベル・ユペール
共演は、『フレンチ・カンカン』『軽蔑』『トパーズ』の名優ミシェル・ピコリ
本作は、タイトルは知っていたが、見たことはなかった。
如何にもゴダールっぽい、分からない映画。
ウィキペディアによると、シネ・ヴィヴァン六本木のオープニング作品で、フランス映画社配給だとか。
シネ・ヴィヴァン六本木か…。
学生の頃、よく通ったな。
ちょっととんがったラインナップで、シネフィル気取りの勘違い女性が休憩所でタバコをくゆらしているようなイメージの映画館だった。
僕は文化村ル・シネマの方が正統派で好きだったな。
フランス映画社も、僕が学生の頃にミニシアターで観た映画は、ことごとくここの配給だったな。
倒産したらしいが。
何か、懐かしくなった。
学生の頃は、本当に、カネもないのに、『東京ウォーカー』を小脇に抱えて、フランス映画ばっかり観に行っていたな。
今でも印象に残っている映画はあんまりないけど。
まあ、いいや。
話しを『パッション』に戻そう。
カラー、スタンダード・サイズ。
途中で「物語はない」と出て来るように、ストーリーらしきものはない。
飛行機雲の映像から始まる。
不気味な音楽。
なお、ウィキペディアによると、本作の音楽は、ベートーヴェンドヴォルザークモーツァルトなどのクラシックらしい。
スタジオの撮影風景と、工場で働く女性イザベル(イザベル・ユペール)のカットバックが延々と続く。
説明がないので、状況がなかなか把握出来ない。
スタジオでは、ビデオ撮影で、レンブラントなどの絵を再現しようとしているらしい。
しかし、監督のジェルジーが「光がダメだ」と言って、撮影は中止になる。
湖の傍を走る車。
運転しているのはジェルジー
車と一緒にハーモニカを吹きながら走っているイザベルは、「クビにされた。でも、闘う」と言っている。
イザベルはジェルジーに「集会に来て。約束よ」と言うが、ジェルジーは冷淡。
僕は本作の背景を全然つかめなかったが、ウィキペディアによると、ポーランド戒厳令が背景にあるらしい。
で、ジェルジーポーランド人である。
撮影隊の宿泊先のホテルの女経営者ハンナ(ハンナ・シグラ)とイザベルの工場の社長ミシェル(ミシェル・ピコリ)は夫婦。
イザベルの読んでいる本は左翼的で、『労働者階級と夜』なんていうのがある。
撮影中の映画のタイトルは『パッション』。
イザベルが映画に出るという話しもある。
会合では、イザベルが女工達と工場労働の大変さについて話し合っている。
何故か、話している女性の口と、会話の声が合っていない。
こういう状況がしばらく続く。
何の意図だろうか。
で、イザベルは「闘争宣言」をし、「上申書を書こう」と言う。
撮影の続き。
今度はゴヤの絵で、裸の女性が出て来る。
が、ジェルジーは「ダメだ。今日は終わりだ。光がない」と言う。
ハンナの乗っているのは日本車(ホンダ)だ。
ハンナはミシェルとイザベルの仲を疑っているらしく、「イザベルを何とかして」と言う。
こうやって書いていても、話しの方向性はさっぱり見えて来ないが。
ジェルジーはハンナと関係があるらしい。
何故か映画に出るように説得する。
ハンナはドイツ語で返す。
ミシェルの車を実力で停止させようとする女工達。
社長は映画のエキストラを禁止する。
ハンナはジェルジーに「ポーランド語が出来ても話せるかしら」と言う。
ジェルジーポーランド人だからだが。
ジェルジーの撮影する『パッション』は、いよいよ予算がオーバーしていた。
ここまでで半分だが、後半を見ても、何が言いたいのかはよく分からない。
後半、ドラクロワの絵を再現するために、巨大なコンスタンティノープルのミニチュア・セットが出て来る。
それから、天使を再現するためだろうか。
裸の少年が出て来る。
ペニスも無修正である。
現代の日本では、これは児童ポルノに当たる。
天下のゴダールの作品を児童ポルノ扱いして、そりゃ日本はフランスと揉める訳だ。
問題は、カルロス・ゴーンだけじゃない。
それにしても、さっぱり分からん映画だった。
僕は学生の頃、映画研究会に所属していたことがあるが、先輩方はゴダールの作品をありがたがっていたらしい。
しかし、ゴダールには、観客に理解させようとする気はないのではないか。
時々、「ゴダールが分からないヤツは映画を分かっていない」などと真顔で言う人がいるが。
それなら、分かっていなくて結構。
僕は映画を趣味で見ているのである。
人生は短い。
別に、自分の好きでないものに、わざわざ時間と労力を費やすこともなかろう。