この週末は、ブルーレイで『クリスマス・キャロル』を見た。
- 発売日: 2016/12/02
- メディア: Blu-ray
監督はクライヴ・ドナー。
主演は、『ハスラー』『博士の異常な愛情』『天地創造』『パットン大戦車軍団』の名優ジョージ・C・スコット。
共演は、『オーメン』『戦争のはらわた』のデビッド・ワーナー(あの『タイタニック』にも出ていた)、『空軍大戦略』『スーパーマン』のスザンナ・ヨーク、『炎のランナー』のナイジェル・ダヴェンポート、『愛と哀しみの果て』のマイケル・ガフ。
カラー、スタンダード・サイズ。
元がテレビ映画のためか、画質はイマイチ。
クリスマス・イヴ。
雪の積もった街。
マーレイ(フランク・フィンレイ)の葬式が行われた。
華やかなテーマ曲。
今日は7年前に死んだマーレイの命日。
かつての共同経営者だったスクルージ(ジョージ・C・スコット)の事務所。
「衣服は防寒に役立つが、炭は燃えてなくなる」と言って、寒くても炭をケチる。
クリスマスを祝おうと考えている従業員のクラチット(デビッド・ワーナー)が文句を言ったら、「クビにするぞ!」とパワハラ。
スクルージは、クリスマスなどムダで、何の儲けにもならないと考えている。
スクルージの甥のフレッド(ロジャー・リース)が「一緒に食事を」と誘いに来るが、追い返す。
クラチットは、明日はクリスマスなので休みを欲しいと言うが、休んでも給料を減らせないので、文句を言うスクルージ。
原作と多少、セリフが違う部分もあるが、簡潔な導入。
スクルージは取引所へ向かう。
寄付を求めに来た者にも、「救貧院があるじゃないか。死にたいヤツは勝手に死ね。口減らしになる」と暴言を吐くスクルージ。
クラチットの息子のティムは足が悪いが、父親を迎えに来る。
夜、スクルージが家に着くと、マーレイの亡霊が現われる。
カギを何重にも掛けたはずなのに。
マーレイの亡霊は、重い鎖を体に巻いている。
マーレイはスクルージに、「お前も鎖でがんじがらめで、もう手遅れだ」と言う。
マーレイはカネの計算に明け暮れていたが、大事なのは人類愛だと。
そして、「お前に忠告だ。俺のような運命を逃れろ。3人の亡霊が今夜、現われる」と告げて消える。
午前1時。
果たして、過去のクリスマスの霊が現われた。
過去の霊は、少年時代のスクルージの所へ彼を連れて行く。
そこは、スクルージが育った場所。
スクルージ少年はいつも独りぼっちで、『ロビンソン・クルーソー』などの本ばかり読んでいた。
やがて、スクルージは青年になった。
姉のファン(ジョアンヌ・ウォーリー)が寄宿舎にスクルージを迎えに来る。
スクルージの父は、母が彼を産んだ時に死んでしまったので、スクルージに冷たい。
三日後、スクルージはフェジウィッグの店に年季奉公に行く。
ファンは、息子を産んだ後、若くして死んでしまった。
フェジウィッグは陽気なじいさんだった。
スクルージも、この頃は今とは違っていた。
クリスマス・イヴのこと。
スクルージはフェジウィッグの娘ベルと踊る。
彼はベルに恋をした。
スクルージは、いつか金持ちになって彼女を自分のものにしたいと思う。
別の年のクリスマス・イヴ。
スクルージは仕事に追われて、ベルとの約束の時間に遅刻してしまう。
スクルージはフラれてしまった。
まあ、これは仕方がないかなとも思うが。
携帯電話もない時代だしなあ。
スクルージは彼女の後を追い掛けなかった。
やがて、スクルージは父の遺産を他人に貸し、それを元手にして事業を成功させる。
一方、ベルは今では幸せな家庭を築いていた。
対するスクルージは、共同経営者のマーレイが危篤の時にも仕事をしていた。
亡霊が消える。
午前2時になった。
今度は、現在のクリスマスの霊が現われる。
彼には兄弟が1800人もいるという。
その頃、クラチットの家では、妻(スザンナ・ヨーク)や子供達が父の帰りを待っていた。
クラチットはティムを連れて教会へ行っていたのだが、牧師と長話しをしていたのだった。
間もなく、クラチットが帰って来る。
彼は妻に、「ティムはだんだん良くなっている」と告げる。
また、スクルージの甥が上の息子を高給で雇ってくれることになったとも。
七面鳥の丸焼きを食べるクラチットの家族。
まずはお祈り。
しかし、亡霊と共に傍らで見ているスクルージには、「粗食」に見えた。
亡霊は、「未来が変わらない限り、その子(ティム)は死ぬ運命だ」と告げる。
亡霊は、スクルージが「死人が出た方が口減らしになる」と言ったことについて、「天国から見れば、貧しい何百万の子供達より、お前の方がよほど口減らし向きだ」と痛烈に批判する。
クラチットは、「スクルージさんに乾杯したい」と言うが、妻は怒る。
クラチットは、給料を貰って生活が出来るのはスクルージのおかげだと考えている。
まあ、僕も給料を貰って生活が出来るのは社長のおかげだと考えているが。
今度は、甥のフレッドの家へ。
スクルージが「クリスマスなどくだらん」と言って食事にも来ないことが話題になっている。
その場に来ている人達は、ゲームのネタにして、スクルージを笑い者にしている。
今度は、橋の下の貧民下層階級の住んでいる所へ。
スクルージは「施設があるだろ」と言うが、亡霊は「施設を見たことがあるのか」と応える。
下層階級の奥さんは「救貧院に行くなら死んだ方がマシよ」と言う。
この時代の救貧院は、家族が離れ離れになるのであった。
「彼らも人間だ」と亡霊。
亡霊の衣の下には、二人のガリガリの子供が隠れていた。
「無知」と「渇望」だという。
これは破滅を意味すると言い残して、亡霊は消える。
スクルージは、「確かに、私は少々間違っていたかも知れん」と思い始める。
続いて、3人目のクリスマスの霊が現われる。
さあ。これからどうなる?
後半はやや駆け足だが、しっかりとした役者を揃えているので、演技は手堅く、安心して見ることが出来る。
『クリスマス・キャロル』は寓話である。
まず、日本では、クリスマスは若者がケーキを食べて騒ぐくらいの印象しかないので、本作の深い宗教的な意味合いは理解出来ないだろう。
スクルージの生い立ちには、同情の余地は多々ある。
不幸な少年時代を過ごして、性格がひねくれてしまうということは往々にしてあるので、彼のことを責められない。
本作は、19世紀当時の理想的な家族の在り方を描いているが、これは現代にそのまま当てはめられないだろう。
今は、家族の在り方は多様である。
一人暮らしの人もたくさんいる。
それから、本作の描く19世紀の産業革命を背景にした格差と貧困の問題は、そのまま現代にも当てはまる。
最後は、因果応報の教訓話しとも言えるが、子供がロクでもない大人にならないようにするには役に立つかも知れない。
A Christmas Carol - Trailer (HD) (1984)