『戦艦ポチョムキン』

この週末は、ブルーレイで『戦艦ポチョムキン』を再見した。

1925年のソビエト映画。
監督はセルゲイ・エイゼンシュテイン
今回見たのは1976年のサウンド版で、音楽はドミートリイ・ショスタコーヴィチ
スタンリー・キューブリックはかつて、「チャップリンは内容があって形式がない。エイゼンシュテインは形式があって内容がない。どちらを取るかと訊かれれば、私はチャップリンだ」と語っていた。
モンタージュ理論を生み出して、映画史上で極めて重要な地位を占める作品。
僕は学生の時、早稲田通りにあるACTミニ・シアターという映画館の年間会員になった。
会費は確か1万円で、1年間、ここで上映される全作品を見放題であった。
実際には、何だかんだで時間が取れず、元を取るほどは通えなかったのだが。
映画館と言っても、普通のマンションみたいなビルで、部屋の中に座布団が敷かれており、そこに座って、16ミリの映画を観る。
ACTミニ・シアターは毎週末、オールナイトで古典映画を上映していて(しかも、ラインナップがずっと変わらなかった)、その中に、『月世界旅行』『カリガリ博士』『アンダルシアの犬』『フリークス』等と並んで、『戦艦ポチョムキン』もあった。
とは言っても、この時には観ていない。
僕が本作を初めて見たのは、もっと大人になってから、DVDであった。
僕が一番好きな映画は、表向きには、『バリー・リンドン』ということにしている。
いや、もちろん、実際に大好きな映画なのだが。
これとは別に、裏のベスト5というのがある。
1位『戦艦ポチョムキン
2位『スパルタカス
3位『アルジェの戦い』
4位『猿の惑星 征服』
5位『レッズ』
これらに共通するのは何か。
それは、「革命」である。
昔、河合塾青木裕司という先生が書いた『世界史講義の実況中継』(語学春秋社)という参考書があった。
この先生は、全共闘崩れの左翼で(でも、参考書は非常に面白かった)、この本も、ロシア革命のところがやたらと詳しく書いてあった。
「僕は毎年、ロシア革命について語るために、世界史を教えているんだ」と言っていた。
そして、戦艦ポチョムキン号の反乱について、「これは映画にもなったから、映画好きの諸君なら知っているかも知れない」と書いていたが。
知る訳ないだろう。
昨今の若い人は、『タイタニック』ですら知らないらしい。
確か、世界史の教科書にもポチョムキン号の反乱は載っていたと思ったのだが。
手元の最新版を調べたら、載っていなかった。
多分、『実況中継』と記憶がごっちゃになっていたのだろう。
余談だが、僕が受験生だった頃に出た『実況中継』の初版は、ものすごく左翼的な内容で、青木先生が自分の思想を好き放題に語っていた。
世の中を知らない受験生は、それにすっかり洗脳されてしまうのだが。
今、出ている改訂版は、そういう青木先生の「色」がすっかり「粛清」されて、単なる語り口調の、ありきたりな世界史の参考書になってしまっている。
今の若い人は18歳から選挙権があって、しかも8割が自民党支持らしいから、左翼的な内容では売れないんだろう。
すっかり脱線した。
本題に入る。
モノクロ、スタンダード・サイズ。
不穏な音楽が流れる。
画質は、あまり良くない。
フィルムの傷が目立つのと、画面の揺れがかなり激しい。
まあ、でも、100年近く昔の映画だからな。
ポチョムキン号の反乱のきっかけは、水兵達の食事にウジ虫の湧いた肉が出されたことである。
上官は「ウジじゃない。上等の肉だ」と言い張る。
しかし、ウジ虫がうじゃうじゃしているのがドアップで映る。
『アンダルシアの犬』みたいだ。
いや、こっちの方が先か。
本作以前の映画にも、もちろん「編集」という概念はあった。
しかし、『戦艦ポチョムキン』は、ロケの映像、スタジオで撮った映像等を、縦横無尽につなぎ合わせている。
モンタージュ技法だ。
ミニチュア撮影も使われている。
水兵達は、司令官昇降口を通ったという理由で、司令官から銃殺を命じられる。
だが、いったい人の命を何だと思っているのか。
理不尽な支配階級の命令。
ついに、一人の水兵が、銃を構えた兵士達に呼び掛ける。
抑圧された人間の怒りが、ガマンの限界を超えて噴出する瞬間。
僕は共産主義者ではないが、「革命」に至る民衆の気持ちは非常によく分かる。
僕もプロレタリアートなので、シンパシーはある。
共産党宣言』も『蟹工船』も読んだが、当時のプロレタリアートの惨状は察するに余りある。
ただ、ロマノフ王朝を妥当したところまでは良かったが、その後の社会主義の壮大な実験は結局、失敗に終わる。
国王や貴族や地主がいなくなっても、今度は共産党が新たな支配階級になる。
声の大きい者が、新たな支配者になる。
皇帝を打倒しても結局、レーニンスターリンが新たな皇帝になる。
マルクスの理論に人間を従わせるために、監視社会になる。
こうなると、全体主義と同じだ。
でも、僕は、それでも人間は平等だと信じたい。
天皇制にも反対である。
たとえ、立憲君主制という形であっても、生まれながらに人間の階級が法律で定められているなんておかしい。
既に破綻しかかっているが、早晩、こんな制度は消滅するのが歴史的必然である。
何で、21世紀にもなって、未だに特権階級が維持されているのか、さっぱり分からん。
僕は、共和制がいいと思っている。
日本では、長年の圧政・失政に対して、どうして暴動が起きないのか。
日本人は権力に対して従順過ぎる。
話しを元に戻そう。
ついに、水兵の反乱が勃発する。
船には、銃殺刑を処される兵士達に祈りを捧げるために神父が乗っているが。
この神父も、「キリストなんかクソ食らえ!」とばかりにボコボコにされる。
共産主義は宗教を否定しているからな。
まあ、僕も完全な無神論者だが。
この神父は、まるで麻原彰晃みたいな格好をしている。
ちなみに、演じているのはエイゼンシュテイン自身らしい。
水兵の怒りは、これまで自分達を痛め付けて来た上官や司令官に向くが。
これは無理からぬことではあるが、実際には、上官達も、自分達の任務を忠実に遂行していただけなのだろう。
ナチスだってそうだった。
では、悪いのは誰か?
難しい問題だ。
で、水兵達は勝利する。
そりゃ、これまでは大人しく言うことを聞いて来たが、上官より兵士の方が圧倒的に人数が多いからな。
が、最初に立ち上がった水兵が死んでしまう。
ポチョムキン号はオデッサの港に立ち寄り、亡くなった水兵は港のテントに横たわる。
噂を聞き付けた町の人々が続々と弔いにあつまる。
老若男女。
あらゆる階層の人達が。
このエキストラの数のすごいこと。
さすが、旧ソ連が国家の威信を賭けて作った映画だけある。
「圧制者に死を!」
で、「皆は一人のために。一人は皆のために」という合言葉。
僕が中学生の時、このキャッチ・フレーズが、学校の体育祭でクラスの標語だったが。
まあ、教職員組合が異様に強い学校だったからな。
今では考えられない。
で、映画史上有名なオデッサの階段のシーン。
アンタッチャブル』でもオマージュ(という名のパクリ)されていたな。
乳母車が階段を転がり落ちて行く。
赤ん坊が本当に乗っているよ。
児童虐待だ!
これも、今では撮れないシーンだろうな。
大掛かりな爆破シーンもある。
本作には、特に決まった主人公もおらず、完全な群像劇である。
リーダー的な水兵も、前半で死んでしまうしな。
だから、ドラマチックな内容ではない。
字幕による説明は最小限で、映像に語らせている。
共産主義プロパガンダ映画ではあるが、今見ても、圧倒的な映像の力がある。
社会主義は失敗したが、かと言って、プロレタリアートの窮状が改善された訳ではない。
いや、むしろ、格差・貧困はますます大きくなっている。
今こそ、万国の労働者は団結しなければ。
なお、僕はロシア語の字幕は全く読めない。
戦艦ポチョムキン
「第1章 人々とうじ虫」
『革命とは戦争である。歴史の知る中で唯一合法的かつ真に偉大な戦争である。その戦争がロシアで布告され、開始されたのだ。レーニン(1905)』
「マチュシェンコとワクリンチュク」
『おれたち水兵も労働者と共闘し、革命の最前線に立つべきだ。』
「仮眠中の当直の夢は重苦しい。」
「まぬけな上官もいる。」
「腹いせは若い水兵が受ける。」
『ちくしょう…。』
「ワクリンチュク」
『同士諸君、おれたちにも発言すべき時が来たのだ。』
『全ロシアが立ち上がったのに、傍観者でいいのか?』
「朝」
『腐った肉など、だれが食うものか。』
『犬だって見向きもしないぜ。』
「艦医スミルノフ
『うじが目に入らんのですか?』
『うじではない。』
『ハエの幼虫だ。塩水で洗い流せば大丈夫だ。』
『敵の捕虜食の方がましです。』
『腐ったものは、もうたくさんだ。』
『上等の肉だ。何の問題もない。』
「先任士官ギリャロフスキー」
「煮え立つスープ」
「うっ積した怒りがあふれ始めた。」
「艦内酒保」
『水兵たちがスープを拒否しました。』
『日々の糧を今日も我らに』
「第2章 甲板上のドラマ」
『総員、上甲板へ集合』
「司令官ゴリコフ」
『スープに満足した者は2歩前に出よ。』
下士官たち」
『出るのだ。』
『出ない者は帆桁につるす。』
『衛兵を呼べ。』
「砲塔に集まるよう、仲間に呼びかけるマチュシェンコ」
『砲塔へ』
『砲塔へ』
『砲塔へ』
『みんな、行こう。』
「大部分の水兵は砲塔の近くに集まった。」
『止まれ、勝手に動くな。』
「水兵数名が司令官昇降口を通ろうと…」
『下がれ、ばか者、そこはわし専用だ。』
『貴様らは皆、銃殺だ。』
『やつらに帆布を』
『わかりました。』
『かぶせろ。』
『気をつけ。』
『神よ、反逆者に慈悲を』
『目標、帆布…射撃用意』
「決意するワクリンチュク」
『撃て。』
『兄弟!』
『だれを撃つ気だ。』
「震える銃身」
『撃て。』
『撃て。』
『腰抜けめ。』
『銃を奪い取れ。』
『悪魔を殺せ。』
『皆殺しにしろ。』
『神をおそれよ。』
『くそ食らえ。』
『海の底でうじのエサになれ。』
『兄弟、おれたちの勝利だ。』
「ワクリンチュクをねらうギリャロフスキー」
『ワクリンチュクが落ちる。』
『ワクリンチュクを助けろ。』
「蜂起の第一声を上げた彼は悪魔の手で最初に倒れた。」
「港へ」
オデッサ
「防波堤のテント――ワクリンチュクの最後の家」
『ひとさじのスープのために』
「第3章 死者の呼びかけ」
「夜になって霧が出始めた。」
以下、後半。

Battleship Potemkin (1925) - Trailer