『シェイクスピア物語』を原書で読む(第1回)

日本の英語教育史における『シェイクスピア物語』

僕が読破したことのある数少ない原書の一つである『シェイクスピア物語』を、思うところがあって、もう一度、読んでみることにしました。
シェイクスピア物語』は、今から約200年前、チャールズ・ラムと、その姉のメアリー・ラムがシェイクスピアの悲劇と喜劇の中から20篇を選んで、子供向けに分かり易く書き直したものです。
岩波文庫版の「まえがき」から引用してみましょう。

以下の物語は、若い読者にシェイクスピアを学ぶための入門書を提供するつもりで書いたものです。そのために、シェイクスピアのことばをそのまま取り込めそうなときには、いつでも原文をそのまま利用しています。また、シェイクスピアのことばを一貫した物語の定まった形式にするために、何かをつけ加えた場合も、シェイクスピアが書いた美しい英語の効果をもっとも損なわないような用語を選ぶように苦心しました。ですから、シェイクスピアの生きた時代以降に英語にはいってきた用語は、できるだけ避けるようにしました。

英文学の最高峰であるシェイクスピアの入門書ということで、明治の初期から日本にも紹介され、翻案・翻訳が相次ぎました。
『チャールズ・ラム――批評史的考察』(篠崎書林)には、次のようにあります。

チャールズ・ラム(1775-1834)の著作について、日本でのもっとも早い時期の紹介には、明治10年(1877年)「民間雑誌」(慶應義塾出版部)の98号(12月2日、pp. 2-3)と99号(12月9日、pp. 2-3)に、「胸肉の奇訟」と題して連載された『シェイクスピア物語』(1807年)から「ヴェニスの商人」の翻案(著者不詳)があった。次いで、明治16年1833年)3月郵便報知新聞「漫言」欄に連載された翠嵐生(藤田鳴鶴)による『シェイクスピア物語』から「春宵夜話The Winter's tale」の翻訳がある。続いて同紙に、同訳者による「お氣に召すまま」、「ヴェロナの二紳士」、「ハムレット」の訳が現われた。「お氣に召すまま」は同年7月、『佛國某州領主麻吉侯情話』として春夢樓から単行本となった。
同年、これらと同様にラムに拠ったもうひとつの著作として、「西基斯比耶著 井上勤譯『西洋珍説人肉質入裁判』(今古堂 10月刊)」があった。
これらの明治16年に公けにされた『シェイクスピア物語』からの訳出以前に、同種の試みが行われた可能性を否定することは出来ない。たとえば、明治13年1880年)12月18日発行の『鳳鳴新誌』第18号掲載の広告に、「泰西奇聞愛姫譚」として同物語から「シンベリン」の訳と推測されるものがあるが、未確認である。

また、全20篇の初の完訳は、明治37(1904)から40(1907)年に掛けてのことでした。
再び、『チャールズ・ラム――批評史的考察』から引用します。

シェイクスピア物語』に関する註釈、翻案などはその後も続くが、全20編の訳は、次の小松武治(月陵)の2著によって初めて行われた。

チャールス、ラム著 小松武治譯
沙翁物語集
日高有隣堂 明治37年(1904年)6月12日刊 縦19×横13センチ 447頁

内容は、訳者「自序」(4頁 以下同様)ラム原序(6) Arthur LloydのCharles Lambと題する文章(4) 上田敏による序(3) 夏目漱石がこの書に収められた10作品からの英文による2、3行の引用に、それぞれ自作の句を配した「小羊物語に題す十句」(5) 目次(2) 本文(400) チャールズ・ラム小傳(9) シェイクスピーヤ小傳(14)から構成されている。収められた10作品は、「悲劇」として「リーア王物語」、「オセロ物語」、「ロメオ・ジュリエット戀物語」、「マクベス物語」、「ハムレット物語」、「喜劇」として「御意の儘物語」、「十二夜物語」、「暴風雨物語」、「威尼斯商人物語」、「冬物語」の各5編であった。この訳書は、明治42年2月13日には第11版を発行して、世に迎えられたことを証している。
同書の訳者による「自序」には、「此書を成すに當りては我が文科大學なる3講師先生の厚意を蒙りたる事一方ならず。即ち夏目先生にはリーア王、オセロ、ロメオ・ジュリエット、御意の儘、冬物語。上田先生にはマクベスハムレット十二夜、暴風雨、威尼斯商人の校閲の勞を賜はり、ロイド先生には屡々質疑をただして指導の惠を受けたり。」とあり、さらに小松はこれら3人に序文を依頼したのであった。

当時の東京帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)の講師として、夏目漱石上田敏に協力を依頼したというのがスゴイですね。
実際、東北大学附属図書館の「東北大学デジタルコレクション」で検索すると、同大学に保存されている漱石文庫(漱石の蔵書)の中に、『Tales from Shakespeare』も含まれています。
この本の続編が出たのは、明治40(1907)年です。

小松が『沙翁物語集』に収めた10編以外の残りの10編の訳をまとめて出版したのが、次のものである。

チャールス、ラム 小松月陵譯
沙翁物語十種
博文館 明治40年(1907年)12月25日刊 縦19.2×横12.8センチ 299頁

内容は、訳者「序文」(2頁 以下同様) 解題一般(5) 目次(2) 本文(290)から成り立っている。「喜劇」を初めにまとめて「夏の夜の夢」、「しつぺい返し」、「終よき皆よし」、「から騒ぎ」、「娨婦馴らし」、「ヴエロナの二紳士」、「間違の喜劇」の7編、その語に「悲劇」として、「タイモン」、「ペリクリーズ」、「シムベリン」の3編を収めている。

シェイクスピアの原書は400年以上も昔に書かれた古典ですので、相当難解ですが、ラムの『シェイクスピア物語』は、その入門編とされているため、明治期以降、英語の教材としても大変よく使われて来ました。
作者の名高い伝記である『チャールズ・ラム伝』(講談社文芸文庫)では、小松月陵の翻訳が出てからの動きを、次のように述べています。

その後、実際ラムの物語は無数に出た。原文を添えた学習用訳註本も多かった。

そして、「今日でも訳文はたえず読まれており、原文を英文教科書に仕立てたものは、無数と言ってよかろう」とのことです(但し、この本が最初に出たのは1968年)。
研究社小英文叢書の『シェイクスピア物語(下)』の「はしがき」には、次のようにあります(旧字体新字体に改めました)。

明治の作家風葉の「恋ざめ」(明治四十一年刊行)の女主人公は、Shakespeareに一通り目を通したと自称しているが、そのShakespeareとは実はこのLambのTales from Shakespeareのことであった。この女主人公は、たとえShakespeareの原作を読まなかったにしても、Lambのこの物語によって、原作者Shakespeareの片鱗に触れ得たことだけは確かである。

英語教材としての『シェイクスピア物語』の利点は何でしょうか。
再び、研究社小英文叢書の『シェイクスピア物語(下)』の「はしがき」から引きます。

Shakespeareの名作の筋を一通り心得ておくことは、現代文化人の教養に欠くことのできないアクセサリの一つとなっている。それには原作を読むに越したことはないが、その道の専門家でない限り、なかなか容易なことでなく、時には時間の浪費でさえもある。Lambの「シェイクスピア物語」(Tales from Shakespeare)を読んでおけば一応この目的は達せられるのではあるまいか。元来この物語はイギリスの若い読者のためにShakespeare入門の書として書かれたもので、複雑な筋を簡明にするために、枝葉末節は思い切って省略してはあるが、それでいていささかの渋滞を止めず、渾然とした芸術品となっている。その上、原作のもつ言語の美しさを伝えるために、めぼしい名句は出来るだけ原作のままに挿入してあるから、Shakespeareの名作の筋を一通り知ることが出来る上、原作のもつ美しさをある程度味うことが出来るという便利がある。

また、英和対訳学生文庫の『シェイクスピア物語(I)』(南雲堂)の「はしがき」には、次のようにあります。

Tales from Shakespeareは言うまでもなく、年少の人々にShakespeareを紹介するため、その全作中から二十篇をえらんで物語化したもので、このうち悲劇六篇をLambが書き、他の十四篇は姉のMaryが手がけたものである。Lamb姉弟は、この書でShakespeareの名作を巧みに物語化して、気品のある楽しい独自な読み物となし、スタイルも原作の風韻を伝えた苦心の名文である。だから、Shakespeareの好個な手引書として役立つほか、語学の習得をかねた楽しい読み物としても、得がたい良書である。

上の二つの引用にあるように、『シェイクスピア物語』の美点の一つは「原作の表現をも巧みに織り込んだこと」とされていますが、この点については、上述の『チャールズ・ラム伝』の中で、著者の福原麟太郎が、「原作と物語とを並べて原文で印刷して比較」しています。
結果は果たして、その通りでした。
「伝説の英語教師」として名高い田中菊雄は、『英語研究者のために』(講談社学術文庫)の中で、「(英語で)第一流の作家の代表的作品または一時代を画したような名著というものを選んで読んで行く」前段階として取るべき勉強法として、次のように書いています。

何といっても最初はリーダーがよい。リーダーをつまらぬなどという考えを持たずに熱心に読むことが必要である。中学校・高等学校のリーダー数巻をりっぱに征服したならばもうたいていのものは読めるはずであるが、それでも前に述べた程度の書物に入るにはまだ力が足りない。ちょうどこの中間のボーダーライン(国境地帯)として読むべき書物としておすすめしたいのは、平易な小説・物語と、処世訓的論文である。前者にはコナン・ドイルの探偵小説、グリム、アンデルセンなどのおとぎばなし、『クオレ物語』、ラムの『沙翁物語』、キングズリの『希臘の英雄』、ハーンの『妖怪談』、アーヴィングの『スケッチ・ブック』などがよいと思う。後者にはマーデンの『プッシング・ツー・ザ・フロント』、スマイルズの『自助論』、ロード・エイヴバリー(Lord Avebury)の『ユース・オブ・ライフ』などがよろしい。この辺を越せば、もうどんな書物に立ち向かっても心配はないと思う。

ここに挙げられているのは、戦前の英語教育において、必読書とされていた作品ばかりです。
前述の福原麟太郎も、『チャールズ・ラム伝』の中で、次のように述べています。

チャールズ・ラムの本で、私の買った記憶のいちばん古いものは、英学生には誰でも思い出のある『シェイクスピア物語』(Tales from Shakespeare)だが、これはウォード・アンド・ロック(Ward and Lock)社から出た世界文庫(The World Library)の一冊であった。大正の始めで、ちかごろは稀だが、その頃はよく売っていた本であった。

江利川春雄先生の『日本人は英語をどう学んできたか――英語教育の社会文化史』(研究社)には、「明治以降外国語教科書データベース」を使って検索した、戦前の副読本(781種)中の文学作品ベスト10が載っています。
それによると、Lambの『Tales from Shakespeare』は12種で、『Robinson Crusoe』(14種)に次ぐ5位です。
また、英語教授研究所の「高等学校使用教科書一覧」(のべ423種)を基とした、旧制高校で読まれた作家ベスト10も載っており、それによると、W. Shakespeare(Lamb版を含む)は11種で、C. Dickens(Christmas Carolなど)に次ぐ4位でした。
それでは、具体的に見て行きましょう。
早稲田大学百年史』には、早稲田の英文科の創設当時に使用されたテキストが、かなり詳細に載っています。
早稲田大学が未だ東京専門学校と呼ばれていた明治19(1986)年、正規の学科(政・法・理)とは別に、語学を学ぶための「英学部」が設けられました。
英学部で用いられた教科書については、次のようにあります。

この英学部で何をどう教えていたかと言えば、使用されていたテキストから主に推測するほかないが、文学書を中心にかなりさまざまな英語を教えていたと言っていい。例えば予科ではウェブスターによるスペリング教本や『ユニオン・リーダー』の訳読から、ミルの『自由論』やスペンサーの『哲学原理』やモーリーの『地理学』などを読ませている。本科ではバジョットの『憲法論』やフォーセットの『小経済書』やスイントンの『万国史』のほかに、ラムの『シェイクスピア物語』、マコーレーの『クライヴ伝』『ヘイスティングズ伝』、スペンサーの『哲学原理』から、アンダーウッドの『英国大家詩文集』やシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』まで、一応古典的な価値をもつ文学書をテキストに選び、訳読、輪講、文法作文、会話などの形で授業が行われた。

明治29(1896)年、文学科に付属していた専修英語科が独立して英語学部となります。
この時の担当講師と使用された主なテキストは次の通りです。

英語学部は初め、文学士と神学修士の学位をもってアメリカから帰国した片山潜を主任にして発足したが、主任の役は間もなく宗教学者でいて修辞書や英作文を教える岸本能武太に交代した。この学部の担当講師は、片山が英語で社会学を教え、天野がジョン・スチュアート・ミルの経済学、高田は憲法、坪内はアーヴィングの『スケッチ・ブック』やチャールズ・ラムの『シェイクスピア物語』、増田はマコーレーの『ミルトン論』を教えた。

明治35(1902)年に早稲田大学と改称された時期に加わった内ケ崎作三郎は、この年から『シェイクスピア物語』を使って英文訳読を教え始めています。
草創期の早稲田では、一貫して『シェイクスピア物語』が英語教材として使用されていたことが伺えるでしょう。
早稲田の英文科と言えば、坪内逍遥シェイクスピア講義が有名ですが、ラムの方も重視されていたということですね。
『英語天才 斎藤秀三郎―英語教育再生のために、今あらためて業績を辿る』(日外アソシエーツ)には、大正元(1912)年から斎藤が主宰した『正則英語学校講義録』のインデックスが掲載されています。
これは、旧制中学レベルの英語の通信教育で、その中の、中学5年(現在の高校2年に相当)の教材「正則英語読本 巻の5」に「リヤ王」とあります。
おそらく、ラムの『シェイクスピア物語』から採られたものでしょう。
井田好治氏の論文「大正後期の旧制高校における英語教科書について」によると、大正10(1921)年にLambの『Tales from Shakespeare』を教科書として使用しているのは、次の6校です。

・第六高等学校(現・岡山大学)一年級(文科乙組)
・第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)一年級(理科甲組)
・第八高等学校(現・名古屋大学情報学部)二年級(理科甲類)
・松本高等学校(現・信州大学)一年級(文科甲組)
・松山高等学校(現・愛媛大学)一年級(理科乙類)
・山形高等学校(現・山形大学)一年級(文理科乙類)

調査対象が15校ですから、その内の6校というのは多いですね。
同じく、Lambの『Essays of Elia』を教科書として使った高校もたくさんありました。
なお、甲組(類)とは英語が第一外国語のクラス、乙組(類)とはドイツ語が第一外国語のクラスです。
伊村元道先生の『パーマーと日本の英語教育』(大修館書店)によると、日本にオーラル・メソッドによる英語教育を導入しようとしたハロルド・イー・パーマーは、中等学校用の『The “English as Speech” Series』という精読用教科書も作っており、1932年刊行のVol. VIIは、『Twelfth Night by Mary Lamb』でした。
(※但し、これは学習語彙の範囲内で易しく書き直された教材です。)
あの伊藤和夫先生も、高校(旧制)時代に、英語の授業で『シェイクスピア物語』を原文で読みました。
『予備校の英語』(研究社)によると、伊藤先生は昭和15(1940)年に、旧制東京府立第五中学校(現・都立小石川中等教育学校)に入学。
しかしながら、週に6~7時間あった英語の授業は、戦争の激化につれて、週4時間に減らされ、それすらも、軍事教練や勤労動員で満足に行われなくなります。
そして、伊藤先生は昭和19(1944)年、第一高等学校(現・東京大学教養学部)に四修(飛び級)で入学しますが、この年の入試には、何と英語が試験科目にありませんでした。
続いては、同書からの引用です。

以上のような経過で、とにかく幸運にめぐまれて、昭和十九年に、中学の四年修了ということで、第一高等学校の文科、それも英語を第一外国語、ドイツ語を第二外国語とする部科に入学してしまったわけです。入学はしたものの、お話ししたような状況ですから、私の英語の学力は中学三年の域をあまり出ていなかったのですが、そこでいきなり与えられた教科書は、ラムの『Tales from Shakespeare』、スティーブンスンの『Travels with a Donkey』、ポーの『Black Cat』でありました。今の私が考えてみても、中学三年+αの学力でわかるはずはありません。『ターヘル・アナトミア』の翻訳に立ち向かった杉田玄白ではありませんが、「小舟で大海に乗り出した」心境であったことはたしかであります。

鳥飼玖美子先生の『戦後史の中の英語と私』(みすず書房)によると、同時通訳のパイオニアとして名高い村松増美(1930年生まれ)は東京府(都)立航空工業学校(現・東京都立産業技術高等専門学校)に通っていました。
そこで受けたのは、教科書を読んで文法を学ぶというオーソドックスな英語教育でしたが、特に印象に残っているのは、終戦直後(昭和20年)の中学3年(に当たる学年)の秋に読んだ『シェイクスピア物語』だそうです。
同書から引用します。

一番よかったのは、主として今石先生ですが、たとえばチャールズ&メリー・ラムの「テイルズ・フロームシェークスピア」を選んでくれて、そのなかの「マクベス」をやったんですね。最初に“Macbeth, the lord of Glamis”. Glamisと書いてグラームスと読むんだということもそのとき覚えたしね。それから、殺されたダンカンという王様が非常に穏和な人だった――the meek king. m-e-e-kというのはそのころ覚えたですよ。
いま中学でそんなことは誰も教わらないですよ。それはやっぱり教科書というのは、少し難しいのを与えるほうが私は絶対いいと思いますよ。
ラムの『シェークスピア物語』というのは、ご存じのように、イギリスで青年たちのために、シェークスピアを、もう百年以上前のを、わかりやすい言葉で書き直した。しかしもとのフレーバーが残っている言葉でしょう。だからそれを読んでいると、リズム感といい、ときどき出てくる表現といい、ほんものに相当近いわけですよ。
早稲田へ行ってほんものの「マクベス」をやったときに、それこそデジャビュですよ。「おぅ、これ知ってるわ」。もううれしかったですね。だからすいすいとクルージングのように「マクベス」なんか読めた。いまはチャールズ&メリー・ラムなんて忘れられているけれども、私はあれをぜひ読むべきだと思いますねぇ。

ちなみに、村松氏が進学したのは早稲田大学第二文学部だそうです。
僕の先輩ですね(しかも、僕と同じで中退だとか)。
江利川春雄先生の『近代日本の英語科教育史――職業系諸学校による英語教育の大衆化過程』(東信堂)によると、昭和22(1947)年度の愛知第一師範学校(現・愛知教育大学)の英語教科書について、次のようにあります。

1946~47年度の愛知第一師範学校本科の教科書については「教科書ニ関スル調」が実状を伝えている。それによれば、英語では「テキスト入手困難な為謄写印刷せしめたるものを使用」と記されている。また、「昭和二十二年度ニ於ケル教科書所用調べ」の欄には、本科一年(初級)としてN. HawthorneのBiographical Stories、本科二年(初級)にC. LambのTales from Shakespeare、E. A. PoeのProse Talesが指定され、備考欄に「中等学校用 英語 巻三」と記入されている。本科用の3種はいずれも戦前の旧制中学校の上級学年や高等専門学校で盛んに使用されていた教材であるが、いずれも鉛筆で消去された跡があるため、結局は教科書の入手が困難だったようである。

愛知第一師範学校本科については、同時期(昭和20年9月~23年3月)に同校に在籍していたという紀平健一氏が、「戦後英語教育史 私論――ひとつの総括――」の中で、次のように述べていることからも裏付けられます。

英語の授業のテキストは、ハーンの『怪談』、チャールズ・ラムのTales from Shakespeare、バーネットのLittle Lord Fauntleroyなどが使われた。そのテキストの「ヒアリング」が試みられたこともあったが、ただ一回の試みとして終り、講読という形が続けられた。

戦後の新学制でも、ある時期までは、『シェイクスピア物語』(を含む文学作品)は英語教育に普通に取り入れられていました。
例えば、昭和22(1947)年の「学習指導要領 英語編(試案)」を見てみましょう。
「第十章 高等学校における英語科指導」では、「第10学年(高校1年)ではいろいろの本を読む力をすすめること」として、「課外の読みもの」を「生徒は次のうちから二つぐらい選んで読むことにする」とされています。
その中には、「Lamb:Tales from Shakespeare」「Stevenson:Treasure Island」「Stowe:Uncle Tom's Cabin」「Dickens:A Christmas Carol」などが挙げられていました。
これらは、いずれも旧制中学や旧制高校で英語の教材として、よく読まれていたものばかりです。
また、『ああ朱雀――新制高校誕生の記録』(かもがわ出版)には、かつて京都府立朱雀高校に在籍していた方々の手記が集められています。
その中の一人で、三期生(昭和26年3月卒業)の方の書かれた文を引用しましょう。

英文法なども、あちらこちらつまみ食いといった感じでした。でも教科書内容のレベルが高かったのか、英語でいえば、ハーンの文学論やラムのシェークスピア物語など、上質の文章を大変印象深く習ったことを思い出します。

僕も同じく京都府立高校の出身(平成3年3月卒業)ですが、我々の時代には、英語の授業で、普通のリーダーや入試問題集を使った授業はありましたが、ハーンやラムを原文で読むなど、全く考えられませんでした。
「朱雀高校が名門校だからではないのか?」と思われる方がいらっしゃるかも知れません。
確かに、朱雀高校は旧制京都府立第二高等女学校であり、僕の出身校は70年代の高校進学率急上昇期に粗製乱造された新設校の一つです。
しかしながら、京都は、全国でほぼ唯一、GHQによって、いわゆる高校三原則(男女共学、総合制、小学区制)が徹底されたので、我々の時代までは、公立高校間の学力格差は(少なくとも建前上は)ありませんでした。
つまり、戦後間もない頃には、普通の新制高校で英文学を使った英語の授業が行われていたということです。
もっとも、1950年頃の高校進学率は4割程度で、ほぼ全入に近くなっていた我々の時代とは大きく異なりますが。
『日本人は英語をどう学んできたか――英語教育の社会文化史』には、次のようにあります。

高校では副読本による多読指導が盛んだったが、70年代ごろまでの主流は文学だった。全英連の調査によれば、1960年度に高校で多く使用された副読本は、LambのStories from Shakespeare(16校)、BaldwinのFifty Famous Stories(14校)、HawthorneのBiographical Stories(12校)、Aesop's Fables(7校)など、旧制中学時代とあまり変わらない。

その流れが変わったきっかけは、同書によると、「1955(昭和30)年に日本経営者団体連盟が『シェークスピアより使える英語』への転換を要望すると、脱英米文学への政策誘導が加速する」とのことです。
それでも、しばらくの間は、英語教育の中に文学は生き続けていました。
昭和34(1959)年、あの旺文社が「英文学習ライブラリー」という英文学の対訳本のシリーズを出しましたが、その第1巻はアーヴィングの『スケッチ・ブック』、第2巻は『シェークスピア物語』でした。
「はしがき」には、次のようにあります。

何によらず、長い間愛されてきたものは、それだけのいいものをもっているものである。Tales from Shakespeareはいい例だとおもう。その上、これは、いい文学には国境もなく、時代もないということをよく示している。150年も前に書かれて、いまだに広く読まれている。日本でも、英語がはいってきて以来、おそらく一番長く、広く読まれ、愛されてきた書物の一つであろう。

教養英語派の筆頭・渡部昇一先生は、かつて大学入試の英語を、この『シェイクスピア物語』から出題することを提唱されていました。
昭和50(1975)年に刊行された、有名な『英語教育大論争』(文藝春秋)より引用します。

今、入学試験の英語においてテキストがあらかじめ定められていたらどうであろうか。仮りに上智大学カトリック大学であるから、四福音書を課してもよいであろう。それからたとえばラムの『シェイクスピア物語』からの四大悲劇を選ぶ。そして英語の問題は毎年この八種のテキストからしか出さないと公表してしまうのである。受験生は二年前ぐらいから、この大した長くもないテキスト八篇を精読に精読するであろう。
今の受験生の質と学力水準から判断すれば、入学者の大部分はこのテキストを暗記して来るに違いない。つまり欧米人の常識になっているバイブルのさわりは、いつでも英語で言えるし、書けるということだ。また英語文化圏においてのみならず、国際的な場でいつでも使われるシェイクスピアの名文句もいつでも引用できるようになっているということである。またそれに対して言及がなされた時も、敏感に反応できるということを意味する。

ただ、現在の高校生が読みこなすには、この作品は高度過ぎるような気がします。
実際の難易度は、どの程度のものなのでしょうか。
かつての駿台の名物講師であった奥井潔先生の『奥井の英文読解』(駿台文庫)という学習参考書があります。
この本で取り上げているのは、現在の大学入試ではまず出題されない英文学の短編です。
その中に、メアリー・ラムの「The Father's Weddind-Day」があります。
これは、『シェイクスピア物語』と並んで名高いラム姉弟の児童文学『レスター先生の学校』の中の一篇です。
この作品について、奥井先生は「はじめに」で、次のように仰っています。

第一の物語は、The Father's Weddind-Dayというメアリー・ラムの書いた小品で、一人の少女(十歳前後くらいか)が物語る思い出話という形式で書かれている小説です。ですからこの作品の英文は一見やさしく読み易く見え、高校二年生以上の諸君なら、さほどの苦労なく読みこなして大体の大意をつかむことが出来ましょう。しかしどのくらい正確に、厳密に読めているかとなると、これは極めて怪しいものだと思います。皆さんに現在どのくらいの英語の基礎的な学力があるかを試すには、絶好の教材になると思います。これは確かに比較的やさしい英文なのですが、その文章は、成熟した大人の、それも秀れた作家の筆になる一種の名文なのです。いかにも子供らしい文体は上辺ばかりのものに過ぎません。稚拙を装ったこの文章の行間まで読み、主題をつかみ取るためには、皆さんのものを考える力と、ものに感ずる力を、つまり知力と感受性を、存分に働かせなければなりません。そして、そのためには、英文法に関する基本的な知識が必要不可欠な道具・手段であります。

「英文は易しいが、内容は難しい」と譲歩されてはいますが、その英文は「高校二年生」レベルとのことです。
しかし、この参考書が出版されたのは1995年。
奥井先生は長年、駿台の東大コースで、今や伝説となっている『CHOICE EXERCISES(チョイス)』という難解なテキストを教えていらっしゃった方です。
かつての、教養主義の空気を微かに残していた優秀な受験生ならいざ知らず、現在の普通の高校2年生が、英文学の著名な作品を「さほどの苦労なく」読みこなすことなど考えられません。
なお、奥井先生は、『シェイクスピア物語』については、次のように仰っています。

二人は子供たちのためにしばしば物語りを共作しましたが、その中の「シェイクスピア物語」は、「レスター先生の学校」と共に、英米のみならず、日本においても広く親しまれてきました。どちらも安心して皆さんに推薦出来る英文学の入門書になりましょう。

僕は以前、『シェイクスピア物語』の原書を最後まで読んだので分かりますが、到底「易しい」と言えるような代物ではありません。
この作品が書かれた200年前のイギリスの子供達にとっては易しかったのかも知れませんが。
確かに、新潮文庫版『シェイクスピア物語』の「前がき」に、「私はこの訳本の読者が、他日英語を勉強してこの原書を読み、古風な用語で書かれた文章の美しさを味わい、やがてシェイクスピア劇をたのしまれるように希望します」とあるように、シェイクスピアの原文に挑戦する前に読むべき作品であるとは言えるでしょう。
しかしながら、今となっては、この作品自体が、英語学習の一つの目標としても良いと言える位のレベルなのではないでしょうか。
英語学習用のテキストも、現在に至るまで、多数出版されています。
昭和34(1959)年発行の『(英和対訳)ラム『シェイクスピア物語』(1)』(英宝社)の「はしがき」をご覧下さい。

Shakespeareの原作が、ほとんど全部韻文で書かれている劇であるのを、Lambはできるだけ忠実に原作の言葉を生かし、またShakespeare以後に英語に入って来た言語はなるべく除外し(中略)このようにして、それ自身古典と見なされるような物語としたのである。
それがまた、単語の意味や、語法が、現代と異なっているために、ちょっと取りつきにくくなっている原因ともなった。そこで、ここに企てられたような訳注書の必要もまた生まれているのだが、そうしてまでも、なお読むに価いするのがTales from Shakespeareであろう。Lambは原作へ近づく道を容易にし、その上原作への誘惑を強く感じさせる巧みな筆づかいを示している。まず、Lambで原作のおもかげをしのびながら、原作の一つにでも触れる結果となれば、これもまた楽しい人生経験の一つとなるであろう。

つまり、「できるだけ忠実に原作の言葉を生かし」たことによって、「ちょっと取りつきにくくなっている」というのです。
これまで、『シェイクスピア物語』のメリットとされていた点が、逆に、デメリットにもなっているということですね。
ただ、最終的にはシェイクスピアの原作を読むべきだというのは、先の新潮文庫版の訳者と同じ結論だと言えるでしょう。
昭和37(1962)年発行の『シェイクスピア物語(上)』(研究社小英文叢書)の「はしがき」にも、「今日の英語からみて、ときに破格と思われる構文も原作そのままに用いられているばあいがある」とあります。
また、比較的最近(2014年)出版された『[IBC対訳ライブラリー]英語で読むシェイクスピア四大悲劇』(IBCパブリッシング)の「まえがき」にも、「ラムが使った語彙は今となってはかなり古めかしく、21世紀の読者には理解が困難なこともある」と書かれていました。
チャールズ・ラムの『エリア随筆』の文体については、『シェイクスピア物語』(沖積舎)の「訳者解説」で、シェイクスピア研究の権威である大場建治氏が次のように述べています。

そうした微妙な味を完全に味わいつくすためには、読者のほうでもそれ相当の人生経験と文学的鑑賞力が必要になるだろう。ラムの文学は中年の文学であると言われる所以である。それに原文の英語もかなり古めかしく凝ったもので、最近は大学の英文科の教室でもなかなか読まれなくなった。ラムの名声は、とくに海外では、『シェイクスピア物語』にかかっていると言っていい。

この本が出たのは2000年ですが、元になった旺文社文庫版の発行は昭和52(1977)年。
そちらの「解説」にも同じことが書かれているので、かつては旧制高校でも盛んに読まれた『エリア随筆』が、1970年代には、既に英文科でさえも読まれなくなっていたということですね。
それどころか、昨今では『シェイクスピア物語』の原書講読も消滅の危機のようで、僕が調べた限りでは、岐阜市立女子短期大学英語英文学科の平成30(2018)年度のシラバスしか見付かりませんでした。
さて、『シェイクスピア物語』の英文の難易度についてですが、僕が実際に読んでみた印象では、かなり骨があります。
文法・構文に関しては、特別に大学受験レベルから逸脱しているとは思わないのですが、語彙が相当に難しいでしょう。
ほぼ、昔の大学入試の英文解釈で見掛けたような単語で構成されていますが、シェイクスピアの原文から表現を借用したり、やや古い言い回しを使っている箇所では、見たことのないような難単語も結構出て来ます。
特に、弟チャールズが担当した悲劇の方が、姉メアリーの担当した喜劇よりも難しいです。
シェイクスピアの原文自体が、『ハムレット』等の悲劇の方が、『ヴェニスの商人』等の喜劇よりも難解だからというのもあるかも知れません。
シェイクスピア物語』では、原作の戯曲のセリフを、悲劇の方は出来る限り、散文に移しました。
しかしながら、喜劇ではそれが難しく、会話体のままにしている箇所が多々あります。
一般に、文章体の方が会話体よりも難しいということは言えるでしょう。
悲劇では、分詞構文や関係詞等を多用して、一文が10行以上にも及ぶ場合があります。
しかも、格調高い語彙や言い回しが多数、使われているのです。
また、これは全体に言えることですが、前置詞の使い方が非常に独特なので、現代英語と同じ感覚で読むと、戸惑います。
それでは、どのようにして本作に取り組めば良いでしょうか。
かつての高校生向け多読用教材「直読直解アトム英文双書」(学生社)の『シェークスピア物語』の「作者と作品について」にヒントがあります。
以下に引いてみましょう。

シェークスピアと聖書を知らなくては本当に英語を理解することができない、とよく言われます。これは英米人が幼時から家庭や学校や教会などで、この二つの古典によく親しんでいるので、シェークスピアの劇や新・旧約聖書の中に出てくる有名な物語や人物やその言葉などが日常の生活の言葉のなかにとけこんでおり、それを知らないと英語の本当の意味や味わいを十分くみとることができないことが多いという意味で、われわれ英語を学ぶ者の忘れてはならないことです。
ところがシェークスピアも聖書も、その原文の英語は今から三百年以上も前の古いものなので、少しくらい英語をやっただけではなかなか読みこなせるものではありません。そこで諸君には次のような三段跳びによる、シェークスピアに近づく道を勧めますから、5年でも10年でも遠大な計画を立てて目的を達成して下さい。
まず本書をよく読んでだいたいの概念をつかみ、これを基礎の踏台とする。本書を完全にマスターしたら、次にはTales from Shakespeareという本に取り組む。これは19世紀英国のすぐれた随筆家Charles Lamb(1775-1834)〔Essays of Elia「エリヤ随筆集」の著者〕が姉のMaryと協力して、シェークスピアの作品から20篇を選んで子供のための物語にしたものですが、日本の高校生諸君にはそうとう程度の高い英文ですから、これを第二の目標としたらよいと思います。それから始めてシェークスピアの原文を手にしてみる、というのが順序でしょう。

「アトム英文双書」は、辞書を引かなくても英文が読めるように、左ページの本文に出て来る全ての単語(中学レベルの基本単語は除く)の意味が右ページに載っているという画期的な多読教材でした(※中学レベルの基本単語については、巻頭にまとめてあります)。
ほんの数年前までは、神保町の三省堂本店さんの6F・学参売り場に行けば、ズラリと並んでいたのですが、今では絶版になってしまい、アマゾンの古書でもプレミアが付いています。
そこで、英文科を目指す高校生は、まず最初に、前述のIBC対訳ライブラリーを読めばいいでしょう。
「まえがき」に、「もちろんラム姉弟の『シェイクスピア物語』によるところは大きいが、より理解しやすく、また現代社会のコミュニケーションにはるかに適した語彙が使用されている」とあるように、『シェイクスピア物語』を基にして、分かり易い現代英語に書き直されています。
本当は、英文学の代表であるシェイクスピアの作品くらいは、たとえ易しく書き直したものであっても、高校の英語教科書に載せるべきだと思うのですが。
国語の教科書に、『源氏物語』や鷗外・漱石が載っているように。
まあ、現在のコミュニケーション中心(文学無視)の教科書では難しいでしょうね。
それから、5年も10年も掛けていたら、僕のように留年して中退しなければならないので、英文科では、1・2年生の語学の授業で、『シェイクスピア物語』の中から主要な何作かを選んで、講読を必修にすれば良いのではないでしょうか。
今では、大学の語学の授業は、英会話とTOEIC対策らしいですから。
そして、多くの大学の英文科では、3・4年生の演習やゼミでシェイクスピアの原書講読が必修になっていると思いますので、これで「三段跳び」は完了です。
と書いていて、何だか虚しくなって来ました。
昨今の異常な「使える英語」指向のせいで、シェイクスピアは目の敵にされ、原書講読はおろか、英文科自体が「英語コミュニケーション学科」等に看板の架け替えを余儀なくされています。
シェイクスピアの原書講読も、いわゆる難関大学ですら成立しなくなっているそうです。
ですから、シェイクスピアを原書で読みたければ、自分で挑戦するしかありません。
その前段階としての『シェイクスピア物語』です。
頑張りましょう。

チャールズ・ラムについて

シェイクスピア物語』はラム姉弟による共作ですが、英文学史の教科書は、何故か弟しか項目として取り上げていません。
仕方がないので、チャールズ・ラム(Charles Lamb, 1775―1834)の略歴について、ごく簡潔にまとめてある『はじめて学ぶイギリス文学史』(ミネルヴァ書房)から引用しておきます。

随筆家、批評家。法学者の奉公人の子としてロンドンに生まれ、クライスツ・ホスピタル慈善学校でコウルリッジと親交を結ぶ。東インド会社に入り、51歳まで事務員として働いた。1796年に、姉メアリィ(Mary Lamb, 1764―1847)が狂気の発作から母を刺し殺すという事件が起こった。ラムは、自分自身も発狂への不安をいだきながら、生涯独身で姉の世話をするという恵まれない一生を送った。
ラムは、メアリィと『シェイクスピア物語』(Tales from Shakespeare, 1807)を出版し、続いて『イギリス劇詩人抜粋集』(Specimens of English Dramatic Poets, 1808)を著わした。しかし、ラムの名をイギリス文学史上不朽にしたのは、1820年から『ロンドン・マガジン』にエリアという筆名で寄稿され、後に一冊にまとめて出版された『エリア随筆』、および『エリア随筆後集』(The Last Essays of Elia, 1833)である。
幼児期の思い出や、日常の出来事の中に、しみじみとしたユーモアや優しさを織り込んだラムの香り高いエッセイは、イギリス随筆文学の最高峰といわれる。

シェイクスピア物語』について

文学史の教科書は、ラムの代表作として『エリア随筆』を取り上げ、『シェイクスピア物語』(Tales from Shakespeare, 1807)については、極めて簡単にしか触れていません。
しかし、既に上で作品については、かなり詳しく述べたので、『イギリス文学の歴史』(開拓社)の記述だけ引いておきます(一部修正)。

若い人たちに、シェイクスピアに対する興味を呼び起こさせる名著。姉との共著とあるが、ラムが書いたのは、6編の悲劇だけ。

テキストについて

一口にテキストと言っても、様々な版が出ていますが、僕が選んだのは下のペンギン版です。

PENGUIN CLASSICS版

初版は2007年。
ペンギン版を選んだ理由は、この版が大型書店の洋書コーナーなどで普通に売られていて、最も入手し易いからです。
ちなみに、僕がアマゾンの本体で検索した時には品切れになっていたので、イギリスの出品業者から取り寄せました。
到着まで、僕の場合は、2週間位でした。
ペンギン版は価格も手頃です。
確かに、版によって単語の綴りや句読点の打ち方などが微妙に違うことがあります。
そのため、学術的な目的には使い難いのかも知れません。
しかし、僕は別に学者ではないので、入手し易いペンギン版で十分なのです。
テキストとして使うなら、シンプルで良いでしょう。

翻訳について

原書を読んでいて、辞書を引いても文の意味が分からない場合は、翻訳を参照すると良いです。
基本的な文法や構文が身に付いていれば、たちどころに文の構造が見えて来ます。
僕が尊敬する伊藤和夫先生(元・駿台予備学校英語科主任)も、『伊藤和夫の英語学習法』(駿台文庫)の中で、「僕も修行中は、対訳本は使わなかったけれど、翻訳と原書を並べて、原書で分からなかったら翻訳を見る、つまり翻訳を辞書のように使う勉強はずいぶんやったよ」と仰っています。
シェイクスピア物語』の翻訳は現在、廉価な文庫で新刊として流通しているのは岩波文庫版のみです。
(※但し、少年向けのものは除きます。)

岩波文庫

【上巻】

初版は2008年。
翻訳は、英文法の研究で名高い安藤貞雄氏。
上巻に収録されてるのは、「まえがき」「あらし」「真夏の夜の夢」「冬物語」「から騒ぎ」「お気に召すまま」「ベローナの二紳士」「ベニスの商人」「シンベリーン」「リア王」「マクベス」。
巻末には、「解説」があります。
挿絵も豊富です。
現在、新刊で入手出来る唯一の翻訳。
かつては、角川文庫、新潮文庫などからも翻訳が出ていましたが、いずれも絶版になっています。
また、これまでの文庫の翻訳はほとんどが抄訳でしたが、本版は全訳です。
比較的、新しい訳なので、読み易くはなっています。
ただ、素人の僕がプロの仕事にケチを付けるのは大変恐縮なのですが、本書の翻訳は、日本語として、あまりこなれていません。
もう少し、うまい訳し方があるのではないかと思ったところが幾つもありました。
原文では間接話法の箇所が、直接話法に直されているところがたくさんあります。
それから、原文になくても、登場人物名等をシェイクスピアの原作から補っているところも。
しかし、多少の意訳もありますが、概ね原文に忠実な翻訳ではないでしょうか。
さて、本文は、シェイクスピアの原作のセリフを、なるべく多く盛り込もうと配慮されているのが伺えます。
その反面、地の文にラム自身の解釈がかなり含まれてしまっているように感じました。

【下巻】

初版は2008年。
翻訳は安藤貞雄氏。
下巻に収録されているのは、「終わりよければすべてよし」「じゃじゃ馬ならし」「まちがいの喜劇」「しっぺい返し」「十二夜」「アテネのタイモン」「ロメオとジュリエット」「ハムレット」「オセロー」「ペリクリーズ」。

注釈書について

シェイクスピア物語』の注釈書で現在、日本で新刊として流通しているものはないようです。
ほんの数年前には、研究社小英文叢書や、南雲堂の対訳本が普通に大型書店で入手出来ましたが、現在では、アマゾンでも品切れになっています。
いよいよ、需要がなくなってしまったのでしょうか。

それでは、次回以降は、例によって、僕の単語ノートを公開します。

【参考文献】
チャールズ・ラム―批評史的考察』小澤康彦・著(篠崎書林)
東北大学デジタルコレクション簡易検索
チャールズ・ラム伝 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)福原麟太郎・著
シェイクスピア物語 下石井正雄・註釈(研究社)
シェイクスピア物語(英和対訳) 1 (南雲堂英和対訳・学生文庫 73)』田代三千稔・訳注(南雲堂)
英語研究者のために (講談社学術文庫)』田中菊雄・著
日本人は英語をどう学んできたか 英語教育の社会文化史』江利川春雄・著(研究社)
別巻Ⅰ/第一編 第三章
英語天才 斎藤秀三郎: 英語教育再生のために、今あらためて業績を辿る竹下和男・著(日外アソシエーツ
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeigakushi1969/1998/30/1998_30_93/_pdf
パーマーと日本の英語教育』伊村元道・著(大修館書店)
予備校の英語伊藤和夫・著(研究社)
戦後史の中の英語と私』鳥飼玖美子・著(みすず書房
近代日本の英語科教育史―職業系諸学校による英語教育の大衆化過程』江利川春雄・著(東信堂
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hisetjournal1986/15/0/15_91/_pdf/-char/ja
第十章 高等学校における英語科指導
ああ朱雀―新制高校誕生の記録』「学制改革」を記録する会・編(かもがわ出版
シェークスピア物語(旺文社・英文学習ライブラリー 2)』高橋源次・訳注(旺文社)
『英語教育大論争』平泉渉渡部昇一・著(文藝春秋
奥井の英文読解 3つの物語―分析と鑑賞 (駿台レクチャー叢書)』奥井潔・著(駿台文庫)
シェイクスピア物語 (新潮文庫)』松本恵子・訳
『(英和対訳)ラム『シェイクスピア物語』(1)』伊藤恭二郎・訳注(英宝社
シェイクスピア物語 (上) (研究社小英文叢書 (41))上田和夫・注釈(研究社)
MP3 CD付 英語で読むシェイクスピア四大悲劇 Four Tragedies of Shakespeare【日英対訳】 (IBC対訳ライブラリー)』出水田隆文・英語解説(IBCパブリッシング)
シェイクスピア物語』大場建治・訳(沖積舎
シェイクスピア物語 (1977年) (旺文社文庫)』大場建治・訳
http://www.gifu-cwc.ac.jp/wp-content/uploads/syllabus_1_eibun.pdf
シェークスピア物語 (直読直解アトム英文双書 (9))』西田実・註解(学生社
はじめて学ぶイギリス文学史 (シリーズ・はじめて学ぶ文学史 1)神山妙子・編著(ミネルヴァ書房
イギリス文学の歴史』芹沢栄・著(開拓社)
伊藤和夫の英語学習法―大学入試 (駿台レクチャーシリーズ)伊藤和夫・著(駿台文庫)