『風と共に去りぬ』

夏休みの映画鑑賞第2弾は、約10年ぶりにブルーレイで『風と共に去りぬ』を再見した。

こういう長編は、夏休みでもないと、普段はなかなか見る時間が取れないからな。
本作を見るのは3回目。
最初に見た時は、TSUTAYAで借りた廉価版のDVDだったので画質が悪かったが、ブルーレイだと、最近の映画と見まがうような素晴らしい画質だ。
テクニカラーのおかげだろうが、映画史上の大傑作だから、威信を賭けて修復したのだろう。
本作は1939年のアメリカ映画である。
こんな映画が80年以上も前に作られていたとは、本当に脅威だ。
10年ぶりに見ても、全くその思いは変わらない。
今見てもそう思うのだから、公開当時は、さぞかし観客の度肝を抜いたことだろう。
本作の日本公開は1952年だが、戦時中に見る機会があった軍隊関係者は「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」と衝撃を受けたという。
「映画史上のベストテン」なんかでは、『第三の男』『市民ケーン』『天井桟敷の人々』『ベン・ハー』『2001年宇宙の旅』辺りと並んで、必ず上位に入る。
原作はマーガレット・ミッチェルの大ベストセラー。
新潮文庫で5巻もの長編だから、4時間の映画でも結構駆け足で進む。
ちなみに、恥ずかしながら原作は未読。
ものすごい宣伝費を掛けてキャンペーンを展開した超大作映画の先駆けで、空前の大ヒットを記録した(インフレ調整をすると、映画史上1位の興行収入だとか)。
まあ、映画史上で「グレート」な作品を3本挙げろと言われたら、本作と『ベン・ハー』と『タイタニック』で決まりだろう。
いかに昨今のCG技術が進んだとは言っても、こんな映画は二度と作れまい。
従って、「リメイク」などという、名作を台無しにする無謀な試みの話も未だに聞かない。
製作はハリウッドの大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニック
本作は彼の執念で完成した。
監督はヴィクター・フレミング
当初はジョージ・キューカー(『ロミオとジュリエット』なんかも撮っている)だったが、プロデューサーの意向で交代させられた。
さらに、最後はサム・ウッドに代わり、監督交代劇も話題に。
主演は新人女優ヴィヴィアン・リーと大スター、クラーク・ゲーブル
と言うより、役名のスカーレット・オハラとレット・バトラーの方が通りがいいか。
ヴィヴィアン・リー(後のローレンス・オリヴィエ夫人)は、無名のイギリス人女優だったが、撮影現場にたまたま現れて、主役の座を射止めたらしい。
出来過ぎた「スター誕生」伝説だが、こんな逸話が生まれるのも、神格化された映画ならではだろう。
どうでもいい話だが、僕の小学校時代の同級生・O君は、好きな女性を「ヴィヴィアン・リー」と言っていた。
松田聖子中森明菜が人気を二分し、映画女優なら薬師丸ひろ子原田知世かという時代である。
きっと、誰も理解していなかっただろうな。
一見「ラブ・ロマンス」のような印象を持たれている本作だが、主役の二人は反目し合って、なかなか結ばれない。
結婚するのは、映画が始まって3時間も経った頃である。
しかも、ものすごく我の強い者同士のカップルだから、うまく行くはずがない。
冒頭から、南北戦争の始まる前の、奴隷を使って大農園を経営していた「古き良き時代」の南部への郷愁が強調される。
この点を捕らえて、本作を「奴隷制容認映画」だとか「人種差別映画」だと呼ぶ人もいるが、現在の日本人が見て、特に嫌悪感を覚えることはない。
ただ、全編を通して南部の立場から描かれていて、北部はとことん「悪者」である。
平和な南部が、南北戦争のおかげで滅茶苦茶になった。
この、アメリカを二分した戦争の描写がスゴイ。
世界に冠たる超大国アメリカにも、こんな歴史があったのだなあと、しみじみと感じさせられる。
スカーレットは、性格はこの時代ではかなり珍しそうな、とてつもなく我がままで気の強い女だが、これでも良家の子女なのだ。
とにかく屋敷のセットや衣装が華やかなこと。
大人たちは戦意を高揚させ、みんなして戦争に突入するが、負けた後は悲惨なものである。
現在は、誰でも知っているようにウクライナ戦争が問題だ。
これに関連して、習近平が台湾や沖縄を武力で制圧するかもという話しまで出ている。
戦争の発端は、大抵領土問題だ。
もちろん、侵略する側が悪く、屈服しろと言っている訳では決してないが、領土問題なんかで戦争をしない方がいいに決まっている。
前回本作を見た時より、日本を取り巻く状況も遥かにキナ臭くなっているので、余計にそう思う。
で、スカーレットの最初の夫は、何の愛情もないまま結婚して、すぐに戦死する。
次の夫は、妹の彼氏を当てつけで奪うが、貧民たちに襲われて死ぬ。
レット・バトラーは自由奔放な遊び人。
気の強いスカーレットが大好きで、ことあるごとに彼女のそばに現れるが、けんもほろろな扱いを受ける。
彼は船長なのだが、大変な金持ちだ。
なぜこんなに金を持っているのかは、さっぱり分からない。
スカーレットが最終的に彼を受け入れるのは、故郷を復興させるためとは言え、要するにカネ目当てだ。
余談だが、レット・バトラーを演じた時のクラーク・ゲーブルは38歳。
こんなオッサンより、今の僕の方がひと回りも年上になってしまったとは…。
歳月の経つのは早い。
スカーレットは、気は強いが、所詮は世間知らずのお嬢様。
看護婦として負傷兵の世話をしに行くが、血を見るのが恐ろしくて逃げ出してしまう。
この戦争の描写は、本当に胸が痛くなる。
アトランタの駅前広場に、すごい人数の負傷兵が倒れていて、それをカメラが大俯瞰で捕えるショットは、映画史に残る名場面だろう。
それから、戦火の中を、スカーレットたちが、バトラーの馬車に乗って駆け抜ける場面。
アクション映画の走りか。
炎を怖がる馬に、頭から布を被せて無理やり走らせる。
大きな建物が真っ赤な炎に包まれて崩れ落ちる。
もちろん、CGではないが、今見ても信じられないような迫力だ。
土砂降りの雨の中、敵に見つからないように、橋の下で半分水につかりながら隠れるシーン。
切ないねえ。
何と言うか、映画における、血沸き肉踊る要素が全て盛り込まれている。
こんな苦労をして、故郷のタラに戻って来ると、そこは焼け野原。
タラというのが架空の知名らしい。
でも、マックス・スタイナーによる『タラのテーマ』という曲は、この映画のテーマ音楽として、聞けば誰でも分かるほど有名だ。
スカーレットは、どうしてここまで故郷にこだわるのだろう。
何もかも失った後も、故郷のことだけは忘れない。
お馬さんは、走り続けた疲れで、タラに着いた途端、死んでしまう。
かわいそうに。
スカーレットの自宅は、かろうじて焼け残っていたが、母親は前の晩に病死。
父は精神がおかしくなっている。
たくさんいた召使たちも散り散りに。
黒人奴隷・マミーを演じたハティ・マクダニエルの存在感は、最初から最後まで圧倒的だ。
セリフの唱え方が素晴らしい。
腹の底から朗々と、まるで舞台のよう。
字幕では「〜ですだ」となっているけれど、何ともリズミカルなセリフ回しだった。
本作で黒人初のオスカーを獲得するが、それも当然だろう。
ただし、当時は未だ黒人差別が根強く、彼女だけ授賞式は別室だったという。
スカーレットは、何とかタラを立て直そうとするが、所詮はお嬢様。
キツイ肉体労働など続かない。
それで、バトラーに頼る。
それにしても、バトラーは、船長なのに金持ちで、戦争にはギリギリまで参加せず、戦後、みんなが丸裸になってしまった後も、相変わらず羽振りがいい。
何故だ?
よく分からん。
一方、スカーレットがずっと思い続けるのは、もう他人の夫になってしまったアシュレー(レスリー・ハワード。40歳を超えてロミオを演じていた人)。
こんな優柔不断なヤツのどこがいいのか。
これも分からん。
アシュレーの奥さん・メラニーオリヴィア・デ・ハヴィランド。東京生まれ。2020年に104歳で没!)は天使のような人だが、身体が弱く、最後には死んでしまう。
バトラーがスカーレットを見放すのは、彼女がいつまでもアシュレーのことを忘れないからだ。
正に、男の嫉妬。
二人の関係がもつれて行く下りは、急ぎ足だが、うまく描かれている。
さらに、一人娘を落馬事故で亡くす(『バリー・リンドン』を思い出した)。
バトラーは、何もかもイヤになって、出て行ってしまう。
スカーレットは全てを失う。
それでも、有名な「Tomorrow is another day!」というセリフを吐き、故郷へ戻って、前向きに生きようとする。
最後は取って付けたような明るさだが、物語全体は、かなり重い。
この点も、昨今の能天気なハリウッド映画との違いか。
タイタニック』も、相当本作の影響を受けているな。
僕は、主人公二人の生き方には、到底共感出来ない。
けれども、何度も言うように、これだけの大河ドラマを80年前に完成させたということが奇跡だと思う。
10年ぶりに見たので、物語の細部は忘れていたが、見るとすぐに思い出せた。
4時間弱の長編だが、全く退屈しない。
余談だが、後半、メラニーが「読書をしましょう」と言って、『デイヴィッド・コパフィールド』を読むシーンがある。
当時の新刊だったのだろう。
1952年洋画興行収入1位(ちなみに、邦画の1位は『ひめゆりの塔』)。
アカデミー賞作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞ハティ・マクダニエル)、脚色賞、撮影賞(カラー)、室内装置賞(美術賞)、編集賞、特別賞、技術成果賞受賞。

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