『残菊物語』(1939)

この週末は、ブルーレイで『残菊物語』を見た。

1939年の日本映画。
監督は巨匠・溝口健二
僕は、日本映画については、クロサワの代表作と、70年代の作品と、ゴジラ・シリーズはある程度見たが、恥ずかしながら、溝口健二の作品は今まで見たことがなかった。
日本映画の古典としては、サイレント時代の傑作と言われる『雄呂血』と、日本初のトーキー映画『マダムと女房』くらいしかタイトルを知らない(見たことはない)。
もちろん、『残菊物語』のタイトルも全く知らなかった。
どうして、このブルーレイを買ったか。
僕が映画を見る時に参考にしている、キネマ旬報の「映画史上ベスト200シリーズ」という本がある。
1980年代の初頭に出た古い本で、『アメリカ映画200』『ヨーロッパ映画200』『日本映画200』の全3冊。
当時、小学生だった僕は、実家の近所の市立図書館でこの本を何回も借りて、熟読した。
だから、僕の映画の基礎知識の大半は、この本から得たのである。
もちろん、絶版で手元にはないので、巻末のリストだけ近所の調布市立図書館でコピーさせてもらった。
このリストの古い方から順番に検索して行って、「日本映画でブルーレイが発売されている最も古い作品」がこれだったのである。
ちなみに、僕が生まれ育ったのは、京都市の隣の小さな市で、関西の人じゃないと、名前すら聞いたことがないだろう。
僕は上京して以来、「京都出身です」「へえ、京都のどこなの?」「〇〇市です」というやり取りを数え切れないほどやったが、〇〇市を知っている人には二人しか会ったことがない。
小さな市なので、文化予算も乏しかったのだろう。
最初は、市立図書館は市民会館の中にある一部屋で、「図書館」ではなく「図書室」だった。
正直、僕が通っていた小学校の図書室より少し大きいくらいでしかない。
僕が小学校4年の時に、ようやく独立した図書館が出来たが、蔵書の数が少なくて、棚がスカスカだった。
僕は、そのスカスカの棚の映画コーナーに行って、数少ない本を何回も借りて読んだのである。
それに比べると、現在住んでいる調布の市立図書館は、蔵書数が何と140万冊!
朝日新聞』には、「都内有数の市立図書館」として記事が載った。
140万冊と言えば、その辺の大学図書館くらいの数だ。
選書も素晴らしく、僕の趣味の英語・英文学や英語教育、教育社会学関連の、ちょっと専門的な本でも、大抵、新刊で普通に入って来る。
普通の本なら、検索すれば、大体見付かる。
それから、「映画の街」を自認するだけあって、映画関連の本は特に力を入れて揃えている。
僕の勤務先で以前、映画の本を作っていた時、社長(編集担当)から「『〇〇』という本が調布の図書館にあるから、借りて来て」と言われて借りに行ったことが何度もある。
本好きの方には、調布はオススメの街だと思う。
話しが思い切り脱線したが、要するに、僕は『残菊物語』を何の思い入れも予備知識もナシに選んだのであった。
鑑賞する前に、ジャケットの裏面の解説を見て、初めて「歌舞伎」の話しだと分かった。
僕は、歌舞伎にも特段興味はない。
古めかしい日本映画で、デジタル・リマスタリングされているとは言え、音声は「日本語字幕」を出さないとセリフを聞き取れないくらいだ。
冒頭のタイトル・ロールを見ても、知っている役者は全くいないし(まあ、戦前の日本映画なんて見たことないからな)、偉そうな歌舞伎役者の名前がズラズラと並んで、いかめしい雰囲気を醸し出している。
だから、ものすごく取っ付き難い作品だと思ったのだが…結論を言うと、素晴らしかった。
僕は見終わった後、思わず泣いてしまった。
もうね、見事に完成されている。
ストーリーはものすごく分かり易い。
題材は歌舞伎だけれど、普遍的なテーマだから、時代や国を超越する。
2015年のカンヌ国際映画祭リマスタリング版が上映されて、好評を博したという。
こういうのが、本物の古典だ。
こんな世界に誇れるような作品が戦前に既にあったのだから、その後の日本映画は、進化というよりも、むしろ退化してしまったのではないか。
そりゃあ、同じ年に作られた『風と共に去りぬ』とはまたタイプは違うけれど、こちらはこちらでスゴイ映画だと思う。
アマゾンのレビューを見ても、絶賛の嵐だ。
前置きが長くなってしまった。
モノクロ、スタンダード・サイズ。
悲壮な音楽が流れる。
画質はともかく、音が曇っている。
画質もそんなには良くない。
デジタル・リマスタリングをしてこれということは、原盤はもっとヒドかったのだろう。
正直、登場人物の顔もイマイチよく分からない。
まあ、戦前の日本映画でフィルムが現存しているというのが奇跡だが。
歌舞伎の楽屋で慌ただしく髪を結う役者。
舞台では『四谷怪談』を上演している。
本作では実際の歌舞伎の上演シーンがかなりあるが、まるで記録フィルムのようだ。
舞台上では、火の玉は実際に火を点けた玉を吊っているんだな(余談)。
五代目尾上菊五郎河原崎権十郎)が不機嫌にスタッフを怒鳴り散らしながら楽屋に戻って来る。
菊之助はダメだ!」と。
二代目尾上菊之助花柳章太郎)は、菊五郎の養子であるが、「跡取り」と目されている。
しかし、演技はからっきしであった。
周りの人達は、「『大根』は今に始まったことじゃない。そのうち『ふろふき』になるよ。ハハハ」などと陰口を叩いている。
しかし、本人には「若だんな」などと呼んで、チヤホヤしている。
菊之助は、芸者遊びもお盛んで、芸者同士が「若だんなは私のものよ」などと取り合ったりする。
それに対して、菊之助は「あっしは品物じゃないんだ。帰っとくれ」と怒る。
余談だが、「最近、私に会ってくれないのね」などと芸者Aがじゃれていると、そこへやって来たライバルの芸者Bが「とんだ所へ北村大膳(=来た)」と言う。
これは一種の掛詞なのだろう。
菊五郎には幼い実子がいる。
その乳母のお徳(森赫子)は、夜更けに芸者遊びから帰って来た菊之助を「若だんな、おかえりなさいまし」と迎える。
お徳は率直な人柄。
菊之助は、外の屋台の風鈴屋さんで風鈴を買って、お徳にあげる。
お得は菊之助に「若だんなの芝居を観た。世間のお世辞やおだてに乗っちゃいけない」と言う。
菊之助が「だめだったかい?」と尋ねると、正直に「ええ。」
「芸は命だ。そんなに言ってくれるのはお前が初めてだ」と菊之助
そして、「もう夜が明ける時間だ」と、二人で帰宅する。
ここで、つまらない素朴な疑問だが、この時代は、明け方に街中を屋台の風鈴売りが回っていたのか。
菊之助は芸者遊びを夜中までして帰宅して、そんな時間に乳母のお徳が起きていて出迎える。
が、まあそんな細かいことはどうでもいい。
この映画の本筋を見誤っちゃいけない。
場面変わって、今日は花火大会。
「たまや」「かぎや」の掛け声。
本作は、歌舞伎が舞台なので、「和」がメインなのだが、時々「洋」の文化も出て来る。
鉄道も登場するので、いつ頃の時代なのだろうと思って調べたら、二代目尾上菊之助というのは実在の人物で、明治19年頃の話しのようだ。
結構、庶民はまだまだ和洋折衷どころか、和服を着たり、ちょんまげの男もいたりと、江戸時代を引きずっている。
まあ、世の中は政権が代わったからと言って、そう急には変わらんわな。
最近、菊之助はぷっつりと遊びを止めたと噂になっている。
実は、お徳といい仲になっているのではないかというのだ。
五代目の夫人は「菊之助がお徳と? そんな馬鹿なことがあるもんか!」と全く信じない。
しかし、花火大会にも菊之助の姿はない。
お徳は邸で子守りである。
子供用の蚊帳なんかが出て来る。
日本の風物詩だなあ。
昔は、夏は蚊が多かった。
最近は、暑過ぎるからか、我が家がマンションの3階だからか知らないが、ほとんど見ない。
おまけに、エアコンが普通になったから、夏の夜、暑くて寝苦しい上に蚊が飛んで鬱陶しいなんてこともなくなったな。
で、案の定、邸で菊之助とお徳が話している。
菊之助は「西瓜が冷やしてあるから、一緒に食べよう」と言う。
この時代は、スイカは井戸で冷やしたのだろう。
イカを食べながら、菊之助は言う。
「お徳、あっしはね、この間の晩ほど嬉しいことはなかったよ。」
そして、「あっしは(芸が)うまくなってみせる」と決意を表明。
それを聞いたお徳はすすり泣く。
そこへ、折悪しく夫人が帰って来て、二人一緒のところを見てしまう。
(ああ、噂は本当だったのか。)
夫人はお徳に説教し、「暇を出す」と告げる。
お徳は顔色を変え、「若だんなのことは潔白です」と言う。
しかし、夫人は「うまく行ったら菊五郎の跡取りの嫁になろうってことでしょ。」
「お暇を出されるのは嫌です。」
「あれとはどういう仲なんだよ?」
お徳は、単に菊之助の芝居について率直に意見を述べただけだと訴えるも。
「生意気な! そんなの奉公人の役目じゃないよ!」と夫人に一蹴される。
「とにかく、そんな噂だけでも困る! 引き取ってもらいましょう!」
けんもほろろ
翌日、大旦那(菊五郎)は洋装して、大事な挨拶に出かける日。
菊之助は、お徳がいないことに気付く。
「おっかさん、お徳は?」
「暇を出しました。」
「どうして!」
「お前が知ってるだろう。」
あまりのことに、菊之助は家を飛び出してしまう。
お徳を必死に探す菊之助
お徳の実家は入谷(台東区)にある。
坊やに小遣いをやって、お徳の行方を尋ねる菊之助
入谷のお徳さんを雑司が谷鬼子母神茶店のおばちゃんに探すように頼む。
菊之助は日参して坊やを口説いた。
坊やは、大旦那の方から口止めされているのであった。
ようやく会えたお徳が菊之助に言う。
「お宅に知れてはよくありません。」
「わっしはお前を女房にするつもりだ。」
「私は塗師屋の娘です。ご出世の妨げになります。」
身分が違うと結婚出来ないなんて、四民平等になったはずの明治時代にも未だあったんだな。
いや、それどころか、弁護士試験に合格すれば年収2000万だから良いが、弁護士事務所の職員だと年収600万だからダメだとか、家柄がどうだとか婿にふさわしいかとか、令和の現在でもあるではないか。
当人達がそれで納得しているんだったら、ほっといたれや!
で、菊之助が帰宅すると、菊五郎が問い詰める。
鬼子母神で会ってた女は誰だ?」
しかし、菊之助を諭す義兄に対し、「義兄さんは芸者とばっかり付き合ってるから、素人の女の気持ちなんか分からないんだ!」
うひゃあ!
図星過ぎて何も言い返せんだろう。
要するに、義理の子ではあるけれども、音羽屋の看板がある菊之助は、その看板を大事にするべきだと周囲は説くのだが。
菊之助は「自分でやってみたい。六代目(尾上菊五郎)はいらない。」
そして、菊之助菊五郎に「おとっつぁん、お願いです。お徳と一緒にさせて下さい!」
「うるせえ!」
戦後、日本国憲法では「結婚は両性の合意による」と決められたが(この両性が、「両方同じ性ではダメか」という問題は置いておいて)、明治時代は親の許可がないと結婚出来なかったんだな。
僕は、結婚する時には自分の両親は既にいなかった(が、親父は生前に細君に会ったことがあったし、お袋は結婚を認めていた)が、細君のご両親はご存命だった(今でも)から、結婚の挨拶に行く時には大変緊張した。
特に、お義父さんに「こんなどこの馬の骨とも知れん男に娘はやれん!」と言われたらどうしようと思い、夢にも見たし、ストレスで頭皮に湿疹が出来たりしたが。
まあ、実際、ロクでもない馬の骨だからな。
浪人・留年・中退の三拍子揃っているし。
結局、心配したようなことは何もなく、「いやあ、良かった良かった」と言われて終わったのだが。
それはさておき、菊之助は出て行く羽目になった。
深夜、菊之助はお徳の居所を尋ねるが、「お徳に合わせることは出来ないって、入谷(お徳の実家)からはっきり言われてるよ!」と、戸をピシャリと閉められてしまう。
鬼子母神茶店のおばちゃんに言伝を頼むが、結局、お徳とは会えない。
駅には、菊之助の親友の中村福助高田浩吉)が来ているが、「今さら詫びようとは思わないよ」と言う菊之助
菊之助は、裸一貫で出直す覚悟で大阪へ向かったのであった。
実在の尾上菊之助が大阪に向かったのは明治19(1886)年。
しかし、東海道本線(東京~神戸)が全通したのは明治22(1889)年。
大阪~神戸間は明治7(1874)年に開通していたが、この時代には、未だ名古屋から先がつながっていなかったんじゃないかな。
だから、菊之助は、今のように東京から大阪まで1本で行った訳ではないはず。
それに、東京駅が開業したのは大正3(1914)年だから、この時代の東海道本線の起点は新橋だ。
ちなみに、東京~熱海間の電化が完成したのは昭和3(1928)年、全線電化は昭和31(1956)年である。
たかだかそんなもんだよ。
そう考えると、その8年後に新幹線が開業したのはスゴイな。
従って、本ブルーレイの日本語字幕には「電車」と表記されているが、これは明白な誤りだ。
以上、根が鉄オタなもので。
1年後、大阪の舞台では、菊之助が出て来ると、観客から「引っ込め!」とヤジが飛んで来る。
菊之助は、尾上多見蔵(尾上多見太郎)の元にいた。
多見蔵は体調が悪くて、いつも咳き込んでいる。
多見蔵は常々、「若い時にほめられるようやったら、ロクな役者にならへんで」と言っている。
菊之助は、大阪では松幸(しょうこう)と名乗っている。
「松幸はんは大阪ではスターやない。」
まあ、現代でも、東京と大阪では文化が全く違う。
NHKの朝ドラだって、東京と大阪で交互に制作するくらいだ。
まして、明治時代には、別の国のようなものだったろう。
それまで名門の看板に守られてヌクヌクと過ごしていた菊之助が、いかにタンカを切って出て来たとは言え、一人で心細かったのは想像に難くない。
そこへ、お徳が訪ねて来る。
1年ぶりの再会である。
「なかなか家を出られなかったけれど、若だんなの不評判を聞いて、飛び出して来ました」とお徳。
「私の目からは、一年の苦労が見えます。」
菊之助は、お徳を自分の部屋に連れて来る。
「これから二人は夫婦じゃないか。」
驚くお徳だが、もちろん嬉しい。
ここでは、世間体も何も気にしなくていいのである。
「東京とは何もかも違うんですものね。」
まあ、駆け落ちですわ。
お徳と菊之助は、親切な按摩(志賀廼家弁慶)とおつる(最上米子)父娘の家の屋根裏に下宿した。
お徳は裁縫の内職で家計を支える。
菊之助は今や、食えない役者である。
まあ、こういう苦労は若い時しか出来ないだろうなあ。
貧しいながらも、お徳は「入り用でない物を売ってお金を作った」と言って、菊之助のために豪華な鏡台を買った。
役者にとっては(化粧をするので)鏡台は欠かせない物だが。
貧しい娘の持ち物なんて、売ってもたかが知れているだろうし、昔の鏡台なんて、相当に高価だったに違いない。
この一事でも分かるように、お徳は大変献身的な妻である。
そこへ、飛び込んで来た知らせ。
「親方が亡くならはった!」
何と、大阪で菊之助の面倒を見てくれていた多見蔵が急死したのだ。
さあ、これからどうなる?
もうね、後半の展開はスゴイよ。
僕は歌舞伎なんて素人だから全然分からないが。そんなことは全く関係なく、この夫婦の物語はものすごい力でグイグイと観客を引き付けながら進んで行く。
当時としては、2時間23分は長編だったと思うが、全く退屈することはない。
しかも、昨今の下らない映画やドラマのように、テーマ音楽を繰り返し大きく流したり、スローモーションにしたりみたいな、これ見よがしのお涙頂戴な演出は一切なく、スパッと終わるのに、終わった瞬間に込み上げて来るものがある。
この作品に出会えて良かった。
興味のある方は、ご自分の目で確かめてみて下さい。

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