この週末は、ブルーレイで『市民ケーン』を再見した。
1941年のアメリカ映画。監督・製作・脚本・主演は、『第三の男』『黒い罠』『007 カジノロワイヤル』の天才オーソン・ウェルズ。
音楽は、『地球の静止する日』『ハリーの災難』『間違えられた男』『知りすぎていた男』『めまい』『シンドバッド七回目の航海』『北北西に進路を取れ』『サイコ』『鳥』『マーニー』『タクシードライバー』の巨匠バーナード・ハーマン。
編集は、後に『地球の静止する日』『ウエスト・サイド物語』『サウンド・オブ・ミュージック』『アンドロメダ…』『スタートレック』を監督する巨匠ロバート・ワイズ。
共演は、『疑惑の影』『第三の男』『黒い罠』『トラ・トラ・トラ!』のジョゼフ・コットン、『西部開拓史』のアグネス・ムーアヘッド、『ミクロの決死圏』『ポセイドン・アドベンチャー』のアーサー・オコンネル。
僕が本作を見るのは4度めだと思う。
映画技術的には「パン・フォーカス(レンズの絞りを絞って、近くの物から遠くの物までピントを合わせる技術)」で有名だが。
それよりも、オーソン・ウェルズが25歳の若さで製作・監督・脚本・主演とハリウッドで全権を掌握して作ったこと。
関係者の回想を軸に、時系列を行き来する語り口は当時としては非常に斬新だったと思うが、2時間の上映時間でケーンの生涯を重層的に浮かび上がらせるのに成功していること。
メイクで老けさせているとは言え、到底25歳に見えない成功した後のケーンを演じるオーソン・ウェルズの偉そうな演技。
しかも、成り上がったけど絶妙に嫌なヤツ加減と、結局誰にも愛されなかった孤独感が滲み出ていること。
僕は、『ゴッドファーザー』とか『バリー・リンドン』のような、一人の男が成り上がって没落する映画が大好きなのだが、そのお手本のような作品だ。
これらによって、あらゆる面で映画史上の傑作と呼ぶにふさわしい作品だという思いを、見るたびに深くする。
映画史上のベストテンなんかでは、大抵1位になっている。
僕が尊敬するスタンリー・キューブリックは、オーソン・ウェルズを目標にしていた。
特に、この第1作の『市民ケーン』は、オーソン・ウェルズが全権を掌握して撮った作品だから、後のキューブリックに通ずるものがある。
「Rosebad(バラのつぼみ)」というセリフが有名で、この謎解きを軸に進むが、特にミステリー映画という訳ではない。
モノクロ、スタンダード・サイズ。
「立入禁止」の看板。
不気味なテーマ曲。
暗闇の中に怪しい城が浮かび上がる。
窓の明かりが消える。
雪が舞う。
と思いきや、スノードームだった。
「バラのつぼみ」とつぶやき、持ち主の手からスノードームがこぼれ落ちる。
看護婦が飛んで来る。
この城の主の死。
本作は最初に、主役の死と、「バラのつぼみ」という謎の言葉から始まる。
以降、この主人公の最期の言葉の謎解きが物語の主軸になる。
「マーチ社ニュース」
けたたましい音楽と共に始まるニュース映画。
「ザナドゥ」の城主死去。
ザナドゥというのは、フビライ・ハンが築いた城だが、この城主はフロリダに現代版ザナドゥを築いた。
世界中から集めた美術品の数々。
動物園や遊園地。
1941年における最大の葬儀がザナドゥで執り行われた。
先週死去したチャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)。
あらゆる新聞の一面トップが、ケーンの死を報じていた。
彼は、廃刊寸前の新聞から巨大な帝国を築き上げた。
その元になったのがコロラドの金鉱。
元はと言えば、母親から譲られた廃鉱の権利である。
ケーンは、長年の確執があった人物からは「コミュニスト」、労働者の集会では「ファシスト」と呼ばれている。
ケーンは、「私はアメリカ市民だ」と言っている(タイトルの由来)。
戦争に賛成したり反対したり、庶民の味方だったり敵だったり。
2度の結婚、2度の離婚。
2番めの妻スーザンのためにオペラハウスまで造った。
メディア戦略で選挙に勝ちかけたが、スキャンダルで落選。
1929年の大恐慌で新聞事業に幕。
それにしても、年月を経るごとに老けて行くケーンのメイクがスゴイ。
これを全て当時25歳のオーソン・ウェルズが演じているというのが信じ難い。
ケーンは、「新たな大戦はない。私が保証する」と断言したが、その後、第二次世界大戦が勃発。
過去の人になってしまう。
その後は宮殿に隠居して車椅子の生活を送った。
「THE END」
畳み掛けるようなテンポでニュース映画は終わる。
これで、一通り、ケーンの生涯がどんなものだったか分かる。
しかし、このニュース映画の試写を観たプロデューサーは、「全部新聞に出ていることじゃないか!」と怒る。
ケーンの最後の言葉が彼を物語るのでは?
「バラのつぼみ」とは何か?
プロデューサーは、ケーンの元マネージャーと2番めの妻を当たれと叱咤。
ケーンの2番めの妻スーザンは歌手だが、今では酒浸りの生活。
記者が彼女のもとを訪ねると、「何も話したくない! 出てけ!」と激昂。
だが、彼女は「バラのつぼみ」を知らなかった。
ケーンのかつての後見人サッチャー氏の資料館に行って、未出版資料を閲覧する。
キレイな筆記体で、「1871年に初めてケーン氏に会った」と書かれている。
ここから、ケーンの少年時代の回想。
「ミセス・ケーンの下宿屋」
降りしきる雪。
ケーンの母親は下宿屋を営んでいた。
宿泊費のカタに取った廃鉱の権利書が、金鉱に化けて、母親は大金持ちになる。
財産の管理のために、母親は銀行に幼い息子を渡すことにする。
息子が25歳になったら、全財産を相続するという条件。
サッチャー氏が幼いケーンを連れて行こうとすると、ケーンはソリでサッチャー氏を殴る。
まあ、この幼い頃に、金のために親から引き離されたというのが、他社への愛を知らず、自分への愛を求める彼の性格形成に大きく影響しているのだろう。
そして、あっと言う間に25歳の誕生日を迎える。
彼には世界で6番目の財産が相続された。
様々な事業が会ったが、彼が興味を持ったのは弱小新聞「インクワイラー」だけ。
ケーンは「インクワイラー」の経営に乗り出すが。
サッチャー氏は、「インクワイラー」が連日、電鉄公社を攻撃するのに激怒。
何故なら、ケーンは電鉄公社の個人株主でもあるからだ。
しかし、ケーンは「それが私の2面性だ」と言ってはばからない。
彼は、「労働者の味方をしたい」と言った。
「インクワイラー」は年間100万ドルの赤字を生んでいる。
「ということは、あと60年は続けられる。」
しかし…1929年、ケーンは新聞事業の全権を手放して破産。
サッチャーが終身年金を出すことに。
この縦横無尽に時間を飛び越える編集。
記者は、ケーンの元マネージャー・バーンステイン氏を訪ねる。
バーンステインはケーンの最期の言葉を知らなかった。
彼は、「ケーンの学生時代の親友リーランドに会いたまえ」と言う。
若き日、ケーンとリーランド、バーンステインは3人で「インクワイラー」に乗り込んだのだ。
そして、回想。
ケーンが「インクワイラー」に乗り込むと、編集長カーターが出迎える。
カーターは保守的で、一日12時間しか働かなかった。
「ニュースは24時間発生するんだ」とケーン。
そして、他紙の記事を調べる。
「三面記事の事件を大きく取り上げろ」と言う。
新聞の品位にこだわるカーターに、「大見出しにすれば大事件になるんだ!」とケーン。
成り上がって行く人物は、やはり若い頃から才気走っている。
ケーンは、「インクワイラー」の一面に「編集宣言」を出した。
ケーンは、ライバル紙の「クロニクル」に乗り込む。
「クロニクル」は「インクワイラー」とは発行部数のケタが違ったが、ケーンが優秀な記者を全員引き抜く。
ついに、「インクワイラー」は地域最大の部数を達成して、社内で盛大にパーティーが行われる。
今度はパリへ向かったケーンが帰国すると、大統領の姪エミリー・モンロー・ノートンと婚約する。
しかし、彼女とはうまく行かず、2番めの妻スーザンともうまく行かなかった。
バーンステインは、「だから、彼女はバラのつぼみじゃない」と言う。
「ケーンの親友だったリーランドが詳しい」と。
リーランドは病院にいた。
彼はケーンの最大の被害者だという。
リーランド曰く、「ケーンは自分以外、誰も何も信じなかった。」
ケーンは、最初の妻エミリーとは、6ヶ月後には朝食の時しか顔を合わせなくなっていた。
彼女は、「インクワイラー」で繰り広げられる大統領攻撃に耐えられなかった。
ケーンは、エミリーに愛されなかった。
ある夜、ケーンは街でスーザンと出会う。
馬車に泥をはねられてスーツを汚したケーンがスーザンの部屋へ行く。
スーザンは歌手になりたかった。
でも、才能がない。
ケーンは彼女の歌を「ぜひ聴きたい」と言った。
この後、ケーンは州知事選に立候補する。
見事な演説で聴衆は大いに盛り上がっていたが…。
敵陣営がスーザンとの関係をスキャンダルとして報じて…。
さあ、これからどうなる?
僕は本作を4回見たが、見るたびに印象が違う。
まあ、とにかくケーンの孤独さがよく描かれている。
人間、大金持ちだからって幸せじゃないというのがよく分かる。
まあ、全くないのも困るが。
ケーンの最初の奥さんは大統領の姪だから、自分が上流階級の仲間入りを果たしたと得意満面になる。
『バリー・リンドン』で、バリーがレディ・リンドンをたらし込んで、まんまと結婚するのと同じだな。
ところが、やはり上流階級の奥さんとは、生まれも育ちも違うから、成り上がり者じゃうまく行かない。
そこで、ケーンは下層階級出身のスーザンを2番目の妻にした。
しかし、今度は彼女を下に見ているから、自分の自由に出来ると思っている。
才能がないのに、オペラハウスを建てられ、舞台の主役にされ、ヒドイ歌と芝居なのに、新聞には大絶賛のちょうちん記事が踊る。
まるで昨今の日本の芸能界みたいだが。
スーザンは、自分がさらし者になるのに耐えられない。
やはり、身の丈に合った暮らしというのがあるんだな。
文部科学大臣が言ったら問題になるが。
それで、スーザンは出て行ってしまう。
前に読んだ樋口一葉の『にごりえ』みたいだ。
奥さんが気の毒でならない。
ある意味、大金持ちと結婚したがために、人生を狂わされた。
ケーンはスーザンの舞台の酷評記事を正直に書いた親友をクビにする。
愛する妻も友人もいない。
ケーンは、強烈な孤独の中で死ぬ。
やっぱり最期が良くないと、いい人生だったとは思えない。
僕もいい人生で終われるかは、未だ分からないが。
本作は色々な意味で映画史上の傑作だと言えるだろう。
アカデミー賞脚本賞受賞。
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