『マダムと泥棒』

この週末は、ブルーレイで『マダムと泥棒』を見た。

マダムと泥棒 [Blu-ray]

マダムと泥棒 [Blu-ray]

1955年のイギリス映画。
監督はアレクサンダー・マッケンドリック
実は、さほど期待しないで見たのだが、こんなに有名な作品なのに、これまで見ていなかったことを後悔するほどスゴイ映画だった。
ブラック・コメディと言うが、単なるコメディではない。
確かに、結末はとんでもなくブラックなのだが。
この作品は、脚本を見事に計算して作られている。
最初から最後まで、全部意味を持っている。
主演はアレック・ギネス
超大物俳優だが、実質的な主演は、マダムを演じている映画初出演の婆さん(ケティ・ジョンソン)の方だと言える。
これが、どこにでもいそうな、ちょっと抜けた正直そうな婆さんで、僕も自分の祖母を思い出した。
この婆さんは、夫を亡くして以来、一人暮らしをしている。
家にはオウムを何羽か飼っている。
近所の警察署にいつも立ち寄っては、どうでもいい無駄話をして帰るので、署員にはうっとおしがられている。
今日も、「UFO」の話なんぞをひとしきり。
これが、ちゃんとラストにつながっているのだ。
彼女は、空襲で傾いてしまった建て付けの悪い小さな一軒家に住んでいる。
蛇口から水を注ぐのに、いちいち木槌で水道管を叩かなければならない。
彼女は、2階の部屋が空いているので、下宿人を募集していた。
ある日、募集広告を見て、怪しげな男(アレック・ギネス)がやって来る。
彼の登場シーンは、ちょっとしたスリラーのようで、思わせぶりな感じがいい。
彼は大学教授で、仲間の男たちと楽団の練習をしたいから、ここを貸して欲しいと言う。
音楽好きな婆さんは快諾する。
まもなく、4人の仲間たちが登場するが、こいつらが揃いも揃ってクセのある、一度見たら忘れられない強烈なキャラクターばかり。
その中には、若きピーター・セラーズもいる(しかし、彼はむしろ目立っていない)。
実は、この5人は、音楽仲間というのは真っ赤なウソで、札付きの悪人であった。
今回は、輸送中の現金を奪おうという魂胆。
そうとも知らない婆さんは、わざわざお茶を出しに来て追い返されたり、「逃げたオウムをつかまえて」と言って大騒動を巻き起こしたりする。
男たちは、部屋にカギをかけ、レコードを流して演奏の練習をしているふりをしながら、強奪計画について話し合う。
アレック・ギネスは、教授のふりをするほどなので、頭は切れる。
見事な計画を披露し、しかも、それには婆さんを知らない内に利用すると。
けれども、他の奴らは、彼のように切れ者ではない。
音楽について、婆さんから素朴な質問をされて、しどろもどろになったりする。
前半、現金強奪計画は完璧に遂行される。
これには、観客も舌を巻くだろう。
だが、後半、ささいな失敗をきっかけに、全てが台無しになる。
この転落ぶりが強烈だ。
ここまで、あらすじを書いて来たが、本作の面白さは、到底僕の稚拙な文章では表現出来ない。
5人の男たちと婆さんのやり取りは、まるでドリフのコントを見ているよう(いや、彼らも絶対に本作を参考にしているに違いない)。
僕は、映画を見ていて、久々に腹を抱えて笑った。
正に、抱腹絶倒だ。
でも、単なるドタバタ喜劇ではない。
この作品は、イギリスの階級社会を風刺している。
婆さんは、生活に何の不自由もない中流階級だ。
途中、お友達の婆さんが何人も登場するが、彼女たちも同様。
それに対して、泥棒たちは、負け組の象徴だ。
泥棒だけではない。
街のホームレスから果物売りの男まで、みんな世の中に対する不満を持ちながら生きているはずだ。
現在の日本は格差社会になっているので、これは半世紀前の遠い国の状況だとは思えない。
まあ、しかし、表向きは、そんな堅いことは考えなくても笑い転げながら最後まで見てしまうが。
「正直者は報われる」というテーマもあるのだろうが、これはそんなに重要ではないような気がする。
この時代で、これだけ見事なカラー撮影だというのにも感心した。
とにかく、色々と深い映画だ。
一度見たくらいでは、大して理解出来ていないだろう。
「近い将来」ではなく「近いうち(来年の夏?)」に、また見直したい。