『スーパーマン』

この週末は、ブルーレイで『スーパーマン』を見た。

スーパーマン 劇場版 [Blu-ray]

スーパーマン 劇場版 [Blu-ray]

1978年のアメリカ映画。
僕は子供の頃から、ゴジラウルトラマンといった特撮モノが大好きであった。
特に、技術的な面に興味があり、円谷英二の特撮技術の本などを、小学生が必死に読んでいたのである。
また、僕が小学生だった70年代末から80年代前半にかけては、ハリウッド映画の特殊視覚効果の技術革新がなされた時代であり、『SFX(SEXではない)のすべて』などという本を熟読していたため、母から「あんた、子供がそんな本読んだらアカン!」などと取り上げられたこともあった(そして、すぐに返してもらえた)。
この映画版『スーパーマン』は公開当時、最新の特殊視覚効果を駆使して撮影されたため、非常に話題になった。
全世界で大ヒットし、日本でも、1979年度の洋画興行収入1位を記録。
当然、僕も知っていたのだが、観には行かなかった。
もしかしたら、後にテレビなどで見たかも知れないが、よく覚えていない。
ちなみに、本作は『日曜洋画劇場』の歴代視聴率第1位(32.1パーセント)をマークしたそうだ。
そんな訳で、映画版はよく知らなかったのだが、テレビ・シリーズの『スーパーマン』は、同じく僕が小学生の頃、平日の夕方にKBS京都というローカル放送で放映されていたので、学校から帰って来ると、毎日楽しみに見ていた。
1950年代の番組なのにカラーで、「さすがアメリカだ」と思ったものである。
このシリーズでは、毎回スーパーマンが空を飛ぶシーンは使い回しで、背景は大きなドラム缶のようなものに描いてグルグル回転させているので、同じ場所をずっと回っているように見える。
スーパーマンは、ガラス板か何かに腹ばいになっているので、お腹がペッタンコ。
更に、前から扇風機で風を吹き付け、髪形を乱している。
ゴム製のピストルをグニャリと曲げたりして怪力をアピールしており、まあ、当時見ても技術的にはかなりアナクロだったのだが、古き良き時代のアメリカの雰囲気は十分に楽しめた。
奥さまは魔女』とか『トムとジェリー』も、そんなノリだったかなあ。
そんなテレビ・シリーズと比べると、この映画版は目を見張る技術であり、アカデミー特別業績賞(視覚効果)を受賞している。
監督はリチャード・ドナー
オーメン』を大ヒットさせたので、この超大作の演出に抜擢されたのだろう。
原案と脚本には、あの『ゴッドファーザー』のマリオ・プーゾが名を連ねている。
原作のコミックは、映画の冒頭でも紹介されるように1930年代に描かれているから、映画版の原案ということだろう。
主演はクリストファー・リーヴ
スーパーマンクラーク・ケントを演じているにもかかわらず、無名役者からの大抜擢だったため、クレジットは3番目になっている(後述の通り、大スターが二人出演しているから)。
彼はスーパーマン役で大当たりしたので、後に落馬して下半身不随になったと聞いた時はショックだったな。
そして、若くして亡くなった時には、もっとショックだった。
スーパーマンの実の父親役は、マーロン・ブランド
最初の20分間しか登場しないのに、ギャラは主役のクリストファー・リーヴの10倍という破格のものだったらしい。
しかも、現場にはセリフを覚えずに来て、あちこちにカンニング・ペーパーが貼ってあったとか。
それでも、やはり貫禄の演技である。
70年代の彼は、他に『ゴッドファーザー』『ラストタンゴ・イン・パリ』『地獄の黙示録』くらいしか思い当たる作品がないが、いずれも存在感がスゴイ。
スーパーマンと対決する悪役を演じるのは、これまた大スターのジーン・ハックマン
彼がクレジットの2番目である。
俺たちに明日はない』『フレンチ・コネクション』『ポセイドン・アドベンチャー』『スケアクロウ』『カンバセーション…盗聴…』と、出演作は枚挙に暇がないが、本作でも十分に魅力的な演技を披露している。
ブランドとハックマンという二人の大物が、本作に重みを与えているのは間違いない。
あと、ハックマンの部下役に、『脱出』『ネットワーク』『大統領の陰謀』などで脇役として出演していたネッド・ビーティが、これまたとぼけた味を出している。
聴けば誰でも分かる、あまりにも有名な音楽を作ったのは、アメリカの映画音楽を代表する作曲家ジョン・ウィリアムズ
代表作は多過ぎるので、省略。
本編はまず、1930年代のコミックを昔の映画風に構成して紹介。
オープニングのタイトル・バックの光の洪水は『2001年宇宙の旅』風。
本作は上映時間が約2時間20分あるが、その内の20分くらいはオープニングとエンディングではないかと思えるほど、タイトルが長い。
例のテーマ曲は、最初と最後以外はあまり流れない。
物語の始まりは、爆発寸前のクリプトン星でスーパーマンが生まれた頃から。
スーパーマンの父親はマーロン・ブランド
ゴッドファーザー』とはかなり印象の違うシルバーの髪で登場。
クリプトン星は文明の進んだ星という設定だが、セットは古代ローマを彷彿とさせる。
メトロポリス』なんかもそうだったが、文明が進み過ぎると、古代に戻るのだろうか。
クリプトン星の崩壊シーンは、まるでポンペイの大爆発である。
まあ、しかし当時としては最新の技術を駆使しているのだろう。
で、生まれたばかりの我が子を助けるために、ウニのような宇宙船で地球へ送り込む。
この撮影は、幼児どころか乳児虐待だな。
幼いスーパーマンは地球に到達、アメリカのド田舎に着陸する。
ツングースの衝突現場のように、畑がえぐれている。
小さなポットのような宇宙船の中から、まるで桃太郎のように裸の男の子が出て来る。
児童ポルノだ。
なお、僕は現在国家権力が推し進めている児童ポルノ法の改悪には絶対反対である。
僕のような善良な一般市民が、ただ『スーパーマン』のブルーレイを持っているだけで逮捕されてしまうのである。
ナチスのような政策を強行する下痢ピー・麻生(Ass hole)は断頭台の刑に処すべきだ!
国家権力とは断固闘い抜こう!
それはさておき、スーパーマンは子供のいない老夫婦に拾われ、育てられる。
高校生に成長したスーパーマンは、既に自分が人並み外れた能力を持ち合わせていることを十分に自覚している。
列車よりも速く走る。
砂煙を上げて、地平線まで続く道を駆けて行く姿は、現在のCGとは全く違う、味のある特撮だ(正にマンガみたいだが)。
大人になったスーパーマンクリストファー・リーヴ)は、クラーク・ケントと名乗り、『デイリー・プラネット』社で新聞記者として働くことにする。
本作は、エピソードを分かりやすく大づかみにしてポンポンと紹介して行くので、退屈しない。
クラーク・ケントはゴッツイ男で、眼鏡をかけていて、どこかちょっと抜けている。
世紀の天才犯罪者を自称するレックス・ルーサージーン・ハックマン)は、コミカルな悪役である。
手下のオーティス(ネッド・ビーティ)も、『タイムボカン』シリーズに出て来そうな間抜けさだ。
最初にスーパーマンが活躍するのは、高層ビルの屋上から離陸しようとして失敗し、宙ぶらりんになったヘリコプターを救ったことであった。
ここは大変な見せ場であろう。
ちょっと『タワーリング・インフェルノ』を思い出した。
それから、カーチェイス
車が壊れる様は、まるで『西部警察』。
相当金は掛かっているようだ。
しかし、スーパーマンの登場シーンはコミカルである。
飛行シーンは明らかに合成と分かる。
でも、昔のテレビ・シリーズほど酷くはない。
スーパーマンが飛ぶのを、よく「弾丸のようだ」と形容するが、本作のスーパーマンはフワリと浮き上がる感じである。
恋人のロイスが付けている時計はタイメックス
そう言えば、前の方のシーンでもタイメックスの看板が出ていたが、スポンサーなのか。
スーパーマンは、ワインを勧められても「飛ぶなら飲むな」と言って、飲まない。
滑稽なほど道徳的だ。
スーパーマンとロイスが二人で飛んでいるシーンはファンタジーそのものである。
一方、世紀の犯罪者レックス・ルーサーは、陸軍と海軍が同時に打ち上げることになっているミサイルを強奪しようと企んでいる。
巨大なミサイルがハイウェイ上を運ばれて行くが、軍がこんな危険物をむき出しで輸送するだろうか。
やはり、元がアメコミだけある。
スーパーマンの活躍もあるが、何だかんだとレックスの悪事は進行し、ミサイルが断層に落ちて巨大地震が起こる。
このクライマックスの地震は、ミニチュアと実物大セットを巧みに組み合わせて、なかなかの迫力である。
映画『大地震』のようだ。
70年代の色々な作品の集大成でもあるのだろう。
この先は完全なネタバレになるので、この辺で止めておくが、かなり荒唐無稽である。
「いくら力があっても、命は蘇らない」と言っていたのにねえ。
まあ、マンガだからな。
ただ、娯楽映画としては2時間半近くもあって長いけれど、飽きさせないようにうまく作ってある。
あと、ジーン・ハックマンには、もう少し活躍して欲しかった。
それにしても、もう言いたくはないが、昨今は『スーパーマン』やら『スター・トレック』やら、70年代の映画の焼き直しばっかりだな。
本当にネタがないんだね。