『チャイナ・シンドローム』

この週末は、ブルーレイで『チャイナ・シンドローム』を見た。

1979年のアメリカ映画。
本作を見るのは2回目。
言わずと知れた、原発事故を題材にした作品である。
本作の公開直後、アメリカではスリーマイル島原発事故が起き、それを予見していたということで大ヒットした。
それよりもはるかに規模の大きな福島の事故を経験した我々にとっては、本作で描かれている出来事よりも現実の方が恐ろしい。
それでも、今こそ全ての日本人が見直すべき映画であるとは言えるだろう。
本作は、一応「サスペンス映画」に分類されているが、単なるフィクションの枠を超えて、リアルに我々の胸に迫って来る。
70年代のアメリカでは、本作の他にも、『大統領の陰謀』や『ネットワーク』といった、社会派の作品がたくさん製作された。
主演はジェーン・フォンダ
しかし、彼女はあくまで狂言回しで、実質的な主役はジャック・レモンである。
喜劇役者だが、この作品では非常にシリアスな演技を見せる。
彼は、本作でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞した。
それに、プロデューサーも兼ねたマイケル・ダグラス
ジェーン・フォンダは反原発運動の活動家であり、マイケル・ダグラスも「社会派の映画を作りたい」という意図があって、彼らの思惑は一致した。
最初は、TV中継から始まる。
キンバリー(ジェーン・フォンダ)はTVリポーター。
続いて、鈴木康博風の哀愁の漂うテーマ曲。
ただし、この作品は本編ではほとんど音楽が流れない。
それが、かえって緊迫感を増す。
キンバリーは硬派なニュースを担当したがっていたが、女性だからというので、普段は軽いネタしか扱わせてもらえなかった。
TV局の女性軽視は現在の日本でも同じ。
女性は単なるお色気要員。
TV局は視聴率アップのことしか考えない。
しかし、ある時、原子力発電所のドキュメンタリーの取材を担当することになる。
長髪、ヒゲのフリーカメラマン・リチャード(マイケル・ダグラス)と共に発電所へ。
彼は、いかにも反体制のラディカルな活動家といった風貌。
この作品は、題材が題材なだけに、実際の原発での撮影許可は下りず、発電所の外観や内部はマット・アートが多用されている。
キンバリーとリチャードが原発の内部を取材していると、地震発生。
そして、制御室の内部は、何やら緊急事態が起きているようだった。
リチャードは、秘かにその様子を撮影する。
この時代は、TVドキュメンタリーでもフィルムで撮影していたようだ。
制御室長のゴデル(ジャック・レモン)の焦る表情がリアリティを醸し出す。
明らかに異常事態のようだったが、説明係は「何でもない」とごまかす。
原発の隠蔽体質は、日本でも散々見せ付けられた。
実は、この電力会社は近日中に新しい原発を建設することになっており、その認可を得るために、今は特に問題があってはマズイのだった。
都合の悪いことは隠すという体質の裏に原発利権が絡むのも、今日の日本と全く同じである。
電力会社内では、「査問はうまく切り抜けろ」「認可が下りないと莫大な損失が」という言葉が飛び交う。
電力会社とTV局がつながっているというのも日本と同じで、早速、圧力が掛かる。
リチャードが撮影した映像は、特ダネとして流すつもりでいたのが、上層部から「一時的な不具合だから」と言われ、放送出来なくなってしまう。
しかも、「撮影禁止の場所での撮影自体が違法だ」との脅しまで。
リチャードは怒って、自分が撮影したフィルムを盗み出して姿を消す。
一方、発電所に対して行われた査問は、最初から認可を前提にした、完全な茶番であった。
ゴデルは、内心では原発に異常が起きていることは分かっているのだが、取材に訪れたキンバリーには本当のことは言わない。
「起こり得る事態は全て想定されている」と。
ウソつけ!
彼らは、放射能が漏れていることを本社に報告しないのだ。
こういうのを見ると、東京電力の言っていることなんか丸っきり信用出来なくなる。
しかも、この映画はあくまでフィクションだが、日本ではもっと大きな事故が実際に起きているのだ。
原発反対デモのニュースを見て、電力会社の社員は「暖房はいらないのか」と言う。
原発推進派の決まり文句だ。
だが、電気を起こす方法は、何も原子力だけではないのである。
リチャードは、先に隠し撮りしたフィルムを専門家に見せる。
専門家は「チャイナ・シンドロームの寸前だ」と言う。
チャイナ・シンドロームとは、この映画ですっかり有名になった言葉だが、要するに、核燃料がメルトダウンを起こすと、溶解して地球の裏側の中国まで到達するということだ。
更に、「一つの州が丸ごと不毛の地になると」。
日本の現状を見よ。
福島第一がメルトダウンを起こし、地球の裏側に到達するというのは比喩だったにせよ、一つの県が不毛の地になっているではないか。
「福島は死の町」と言ってクビになった大臣がいた。
確かに不適切な発言かも知れないが、事実じゃないか。
ゴデルも、原発の状況が気になって、自分で調べ始めた。
すると、ポンプを検査した際に業者が撮影したX線写真が、全て同じものだということが判ったのだ。
手抜き検査は恐ろしい。
彼は、検査をした業者の責任者の元へ行き、詰め寄る。
そうしたら、何と責任者はフィルムを燃やしてしまった。
電力会社の社員でありながら、ゴデルの中には、正義感が芽生えていた。
今すぐ発電所を止めて、ちゃんと検査を行わないと、大事故に繋がる。
けれども、それをすると、認可申請中の発電所の建設が中止になり、莫大な損失を生む。
業者は「ウチは零細企業じゃないんだ!バカなことは考えるな!」とゴデルを脅すが、最早ゴデルの気持ちは固まっていた。
彼は、原発の検査に不正がある決定的な証拠として、X線写真を新原発建設の公聴会に提出する決意をする。
発電所を愛している。私の命だ」と語る彼の悲壮な決心だ。
しかし、彼は原発推進派から「欠陥を公表したら命を奪う」と脅された。
自宅も監視されている。
そこで彼は、リチャードの助手に証拠写真を託す。
助手は車で公聴会の会場に向かったが、一向に現れない。
何と、彼はハイウェイ上で事故に見せかけて巨大なダンプに追突されていたのだ。
原発推進派の卑劣な証拠隠滅手段。
おそらく東京湾の海底にも、反原発派の闘士の亡骸がたくさん沈んでいるに違いない。
ゴデルは車で自宅を飛び出した。
早速、尾行が始まる。
猛烈なカーチェイスの末、追手をまくため、ゴデルは勤務先である発電所に駆け込む。
このカーチェイスシーンは、実際に建設中の高速道路を借り切って撮影されたそうだ。
今なら、CGで済ませるところだろう。
制御室に入ってみると、同僚たちの態度がおかしい。
みんな買収されてしまったようだ。
ゴデルはピストルを持って指令室を占拠する。
「止めろ、原発を!」
ここが、日本人の感覚からすれば、少々突飛な気もする。
どうして、突然こうなるのか。
ただ、銃社会アメリカなら、あり得ることかも知れない。
彼は、自分の発言をTV中継で流すか、さもなければ、バルブを開いて放射能をばらまくと叫ぶ。
ゴデルの運命や如何に。
本作は、社会派でありながら、見事にエンターテインメントになっている。
我が国では、人類史上最大規模の事故が起きたにもかかわらず、未だに原発を推進しようとする輩がいるのには驚かされる。
そういう連中は、必ず「電気がなくなったら生活出来ないだろ」と言う。
けれども、電気を作る方法は、何も原子力発電だけではない。
原発は、一度事故が起きた時の環境に与える影響が甚大である。
福島の現状を見よ。
自分の住んでいた町に帰れない(帰る見込みすらない)人たちがたくさんいる。
原子力は、誰もコントロール出来ない代物だ。
一方で、放射能汚染の実態についても、情報がオープンにされているとは言い難い。
政府や東京電力の発表は、到底信用が出来ないと皆思っている。
にもかかわらず、マスコミは必至で事故は終息したかのように見せようとしている。
よく「風評被害」という言葉が使われる。
だが、本当に「風評」なのか。
これまでの原発に対する隠蔽体質から、多くの人が疑いの目を向けている。
福島の人たちに早く立ち直って欲しいということは、当然誰もが願っている。
でも、それと「正しい情報が公開されているか」は別問題である。
それから、原子力利権の問題がある。
資本家側はもちろんだが、労働者側も、他に産業のない町で、原発に頼るしか生きる術がなくなっている。
長年、原子力を推進して来た政府・自民党はもちろんのこと、電力系の労働組合の支援を受ける野党・民主党にとっても、「原発依存からの脱却」を打ち出すことはタブーなのだ。
こんなことでいいのだろうか。
僕は、昔から原発反対だった訳ではないが、こんな大事故を起こしてからも、未だ原発を推進しようとする連中の神経を疑う。
日本は地震大国である。
昨日も、宮城で震度5強の地震があった。
原発は絶対に安全だ」と言い切れる者もいない。
今すぐは現実的に無理でも、段階的に縮小し、最終的には廃止するべきである。
広島の保守系市長は、「原爆と原発は別だ」と言った。
もちろん、アメリカが新兵器を有色人種で実験するために落とした原爆と、地震による津波で暴走した原発とは別物である。
ただ、世界初の被爆都市・広島の市長が、わざわざ原発推進派に媚びなくてもいいではないか。
原子力は、未だ人類の手に負えない危険なものであることに変わりはないのだから。
先の参院選で当選した山本太郎さんも、早速、マスコミからスキャンダル爆弾を連発されている。
原発派は、国家権力から徹底的につぶされる運命だ。
これが民主主義国家なのだろうか。