『荒野の決闘』

この週末は、ブルーレイで『荒野の決闘』を見た。

1946年のアメリカ映画。
監督は、『西部開拓史』のジョン・フォード
音楽は、『イヴの総て』『七年目の浮気』『西部開拓史』『大空港』のアルフレッド・ニューマン
主演は、『戦争と平和(1956)』『間違えられた男』『十二人の怒れる男』『史上最大の作戦』『西部開拓史』『ウエスタン』のヘンリー・フォンダ
共演は、『サムソンとデリラ』のヴィクター・マチュア、『赤い河』『西部開拓史』のウォルター・ブレナン、『スパルタカス』『ローマ帝国の滅亡』のジョン・アイアランド
20世紀フォックス
モノクロ、スタンダード・サイズ。
画質は良い。
主題歌は、小学校の音楽の授業で習った「雪山讃歌」(歌詞は全く違うらしいが)。
荒野に牛の群れ。
牧畜をしているのは、ワイアット(ヘンリー・フォンダ)、モーガン(ワード・ボンド)、ヴァージル、ジェームズのアープ四兄弟。
彼らは、カリフォルニアまで牛の移動中だった。
そこへ、オールドマン(ウォルター・ブレナン)とアイクのクラントン親子の馬車がやって来る。
クラントン(父)は、「牛を1頭5ドルで引き取る」と提案するが、ワイアットは断る。
が、丘の向こうにトゥームストンという町があることを教わり、行ってみることにする。
その夜、アープ四兄弟は野営をする。
ワイアット、モーガン、ヴァージルの3人は、留守番にジェームズを残して、トゥームストンへ行く。
ジェームズは、恋人への土産として買った銀の首飾りを付けていた。
トゥームストンは賑やかな町。
3人は理容室へ。
ワイアットがヒゲを剃られている所へ、流れ弾が飛んで来る。
響き渡る銃声。
酔った先住民が発泡したのだ。
保安官も手を出せないでいる。
ワイアットは、「ヒドイ町だな」とつぶやきつつ、先住民に向かって行く。
そして、打ちのめして引っ張り出す。
見事な手腕に、町長は「保安官にならないか?」と持ち掛けるが、ワイアットは断る。
彼は、実は元保安官なのだが。
3人は、雨の中、馬を駆って野営地へ戻る。
この雨の中で馬が走るシーンが、まるで『七人の侍』のようだ。
まあ、黒澤明ジョン・フォードを師事していたそうだから、影響を受けているのだろう。
で、3人が戻ってみると、牛が1頭もいなくなっている。
更に、ジェームズがやられていた(つまり、死んでいた)。
急ぎ町へ戻ったワイアットは、保安官を引き受けることにする。
そして、弟達を助手にする。
この町の博打の元締めはドク・ホリデイ(ヴィクター・マチュア)、牧畜の元締めはクラントン親子だと聞き出す。
クラントンは、ワイアットが牛を盗まれたので保安官を引き受けたと聞いて、驚く。
ワイアットは、ジェームズのために墓を作った。
トゥームストンは、とんでもない無法の町であった。
翌日、酒場でポーカーが行われている。
ワイアットも加わっていたが。
ドクの愛人らしい歌姫のチワワ(リンダ・ダーネル)が、ワイアットの傍で嫌がらせの歌をうたう。
ドクは町を留守にしていて、なかなか帰って来ない。
チワワは、ワイアットの札を盗み見て、賭博師に教えている。
ワイアットはそれに気付き、怒ってチワワを店の外に連れ出す。
イカサマはするな!」
そこへ、ドクが帰って来て、イカサマ賭博師を店から追い出す。
ドクを演じるヴィクター・マチュアは、ちょっとシルベスター・スタローンに似ている。
ワイアットはドクに接触する。
「無法者を追い出すのは俺の仕事だ」と告げるワイアットに、ドクは決闘を申し込む。
が、ワイアットは受けない。
その夜、町に巡業のシェイクスピア役者がやって来た。
劇場には、多くの観客が待ち構えている(但し、演目はシェイクスピアではない)。
意気投合したワイアットとドクも観に来ている。
これが、本来の演劇の姿だろう。
他に娯楽がなかった時代だろうから。
そこへ、チワワもやって来る。
その時、興行主が「今夜の公演は中止だ」と告げる。
役者ソーンダイクが行方不明になったからだと。
観客は怒って、暴徒化する。
ワイアットとドクは、ソーンダイクを探しに行く。
ソーンダイクは酒場にいた。
クラントン一家に拉致されて、芸を強要されていたのである。
ソーンダイクは、テーブルに載って、『ハムレット』の第四独白。
例の「To be or not to be, that is the question」である。
当の『ハムレット』にも、巡礼役者の一行が出て来る。
大昔から、役者はあちこちを旅して、芝居を演じて来たんだな。
実に象徴的なシーンだ。
朗々とセリフを唱えるソーンダイクに、アイク・クラントン達は「詩はいらん、歌や踊りは出来んのか!」と怒り出す。
銃で脅され、緊張していたソーンダイクは、セリフを忘れてしまう。
「何分、久し振りなもので…。」
高尚な古典は、なかなか観客に受けないのだろうか。
すると、ドクが朗々と独白の続きを唱え出す。
ハッとするワイアット。
ちなみに、僕は第四独白を全部暗誦出来るが、ここで取り上げられるのは、かなりの部分である。
博打の元締めなんぞをしているが、ここでさりげなく、彼がシェイクスピアにも通じたインテリであることを示す。
と言うより、インテリであることを示す分かり易い指標として、シェイクスピアの代表作の、その中でも一番有名なセリフを使っているんだな。
前回見た『赤い河』では、ジョン・ウェインが誰か死ぬ度に自分で聖書を唱えていた。
本作では、『ハムレット』がこんなにしっかりと出て来る。
こんな西部劇の中でも出て来るくらい、聖書とシェイクスピアというのは、英米人に深く根付いているということだろう。
ところが、ドクはセリフの途中で咳き込んでしまう。
ワイアットは、シェイクスピアには関心はあるが、セリフを唱えることは出来ない。
ソーンダイクを連れ出そうとするワイアット。
「酒場のゴロツキにシェイクスピアは合わん」とワイアットが吐き捨てる。
アイクは激怒して、銃に手を掛ける。
ワイアットは、一瞬の内に抜き出した銃でアイクを殴り倒し、もう一人の銃を撃ち落とす。
そして、ソーンダイクを連れて行くワイアット。
日が変わって、宿に駅馬車が到着し、中からレディが降りて来る。
色めき立つワイアット。
彼女の名はクレメンタイン(キャシー・ダウンズ)といって、ドク・ホリデイを訪ねて来たのであった。
しかし、あいにくドクは外出中。
彼女はドクの部屋に入る。
医師免許が額に入れて飾られている。
彼は優秀な外科医だったらしい。
今は博打の元締めなんぞに身をやつしているが、やはりインテリだったんだな。
その頃、昨夜のソーンダイクが町を離れて行ったりしたが。
夜、クレメンタインが酒場までドクに会いに来る。
ドクは彼女の前から失踪したらしい。
彼女は、やっと捜し当てたという。
だが、ドクは彼女に「帰ってくれ」と言う。
そして、咳き込む。
何度も咳き込むことで暗示されるが、ドクは肺病を患っていた。
「君が知っている男はもういないんだ」と彼はクレメンタインに告げ、彼女を帰らせる。
その後、酒場でドクは荒れていた。
チワワが歌いながら彼の傍にやって来るが、「あっちへ行け!」と。
ショックを受けるチワワ。
彼女は、クレメンタインとドクの関係に気付いている。
ドクをたしなめるワイアット。
酒を飲んで咳き込むドク。
「死ぬぞ。」
「俺は死んだ。」
銃を取り出すドク。
「バカなことは止めろ!」というワイアットに、ドクが発砲。
当たらなかったが。
ワイアットは、酔っ払ったドクを殴り倒す。
気絶するドク。
さあ、これからどうなる?
前半は西部劇らしくない、インテリ優男の物語だ。
マカロニ・ウエスタンなどとは対照的な、品のある西部劇とも言える。
もちろん、最後は有名なOKの決闘という見せ場があるが。
なお、本作は、『OK牧場の決斗』(ジョン・スタージェス監督)を筆頭に、多数のリメイクを生み出した(もっとも、本作自体もリメイクなのだが)。
本作で特筆すべきは、馬の疾走するシーンである。
こんなにスピード感のある馬の疾走シーンは見たことがない。
黒澤映画をも上回る。
ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー監督)の戦車競争のシーンもスゴイが、それよりも本作の方が迫力がある。
西部劇の名作とされるのも頷ける。