『クレイマー、クレイマー』

この週末は、『クレイマー、クレイマー』をブルーレイで見た。

1979年アメリカ映画。
見たのは二度目である。
僕の知り合いにも離婚した人がいて、なかなか他人事ではない。
(彼の場合は、奥さんが一人娘を引き取ったが。)
まあ、我が家には子供がいないので、ここまで骨肉の争いになることはないだろうが。
この映画は、女性の権利が高まってきた70年代のアメリカが背景になっているが、アメリカの後を盲目的に追いかけている現代の日本にも、もちろん当てはまる。
僕なんかから見ると、確かに、奥さんのことをかえりみなかった旦那は悪いかも知れないが、それは仕事のためであり、家族のために働いているのだから、多少のすれ違いはあっても、奥さんは我慢すべきだと思うのだが。
僕は古い考え方の人間だろうか。
そもそも、奥さんが子供を置いて一方的に出て行ったクセに、旦那に「子供を返せ」と言って裁判を起こすなんて、どうにも納得できない。
ここら辺りが、訴訟国家アメリカなのだろう。
おまけに、これまで家事も子育てもロクにやって来なかった旦那が、最初はぐっちゃぐちゃのフレンチ・トーストしか作れなかった旦那が、一生懸命努力して、色々なこともできるようになり、仕事も犠牲にして、怪我した息子を抱えて病院に走って行って。
会社をクビになっても、必死でその日のうちに次の仕事を見付け、息子もだんだんと心を開いて親子の交流もできるようになっているのに。
わがままな母親の言い分を、赤の他人である裁判官が勝手に判断してしまうとは。
誠に許し難い。
理不尽な現代社会の縮図だ。
僕なんか、昔からダスティン・ホフマンのファンだし、彼の演技力と、子役の僕ちゃんの頑張りで、なおさら旦那に感情移入しながら見てしまう。
もちろん、メリル・ストリープも見事な演技なのだが、役の中の彼女は大嫌いだ。
この映画を名作にしたのは、正に現代的なテーマを簡潔に脚本にした点と、3人の親子の演技による。
その甲斐あって、アカデミー賞5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、脚色賞)を獲得している。
ラストは、かなりご都合的な気がするが。
しかし、あのラストでなければ、あまりにも救いがなさ過ぎるし、母親が本物のイヤな女に見えてしまうかも知れない。
この時代のアメリカは、ベトナム戦争に敗北して、政治の季節は終わり、家族に目を向けるようになっていたのだろうか。