『カッコーの巣の上で』

この週末は、ブルーレイ・ディスクで『カッコーの巣の上で』を再見した。

カッコーの巣の上で [Blu-ray]

カッコーの巣の上で [Blu-ray]

言うまでもなく、アメリカン・ニューシネマの大傑作。
僕にとって、これほど感情移入できる映画はない。
この作品を見て怒りに震えず、拳を振り上げない人は、感性が摩耗しているのではないかとすら思える。
ジャック・ニコルソン演じる主人公のマクマーフィーは、刑務所から精神病院に送られてくるが、彼は本作の登場人物の中で最もまともだ。
精神病院(に象徴される世の中全体)の方が、よほど狂っている。
そもそも彼が逮捕されたのは、たかが淫行だ。
相手が18歳以上だと言って、しかも同意の上なのに、男性側だけが処罰されるのはおかしい。
これは逆差別ではないか。
大体、何の権利があって、国家権力は性行為が可能な年齢を法律で勝手に決められるのか。
人権侵害も甚だしい。
今の日本にもトチ狂った法律があるが、こんなものはクソ喰らえだ。
直ちに撤回しろ。
それはさておき、彼は抑圧された精神病患者たちを人間性に目覚めさせ、正しい方向に導いた。
正に、救世主・キリストなのだ。
しかし、権力者からすると、そんな彼が秩序を乱す存在として許し難い。
看護婦長ラフェットをその急先鋒として、彼をあの手この手で弾圧する。
この婦長が、僕は憎くて仕方がない。
彼女は、僕が以前勤めていた会社の女社長にソックリだ。
性格だけでなく、見た目まで似ている(もう少し太らせれば瓜二つ)。
この女社長は、自分の気に入らない社員を、勝手な理屈を付けて、片っ端からクビにした。
僕は、その汚いやり口に対し徹底的に反発して、この会社を辞めたのだが、その後も嫌がらせは止まなかった。
何と、サイバーエージェントに圧力を掛け、僕の個人のブログを削除させるという暴挙に出たのだ。
これが言論封殺と言わずして何であろう。
平成の民主主義国家・日本において、このような行為がまかり通るとは。
とにかく、日本人は権力者に対して従順過ぎる。
今のメチャクチャな社会を見て、なぜ暴動の一つも起こさないのか、不思議でならない。
それどころか、強権知事や独裁市長に喝采を送る始末。
税金を上げることしか考えていないドジョウの首なぞ、とっととチョン切ってしまえ。
僕にとっては、権力者は絶対的に「悪」である。
不倶戴天の敵だ。
断じて許してはならない。
何だか、映画そのものの話からどんどんそれてゆくが、内容は、有名だから皆さんご存知ということでいいでしょう。
ラストが、ちょっとどうだろうとは思うが、よくぞこんな作品を撮ったものだ。
ジャック・ニコルソンが、あれだけ鬼気迫る演技を見せながら、なおかつスターであり続けているのがスゴイ。
今の日本では、あの役を演じられるスターはいないだろう。
キム・タクなんぞには絶対に無理。
緒方拳ならできるかも知れないが。
僕にとっては、マクマーフィーはハムレットと並ぶヒーローだ。
本作は、実際の精神病院を使って撮影したそうだ。
役者たちは、病院に泊まり込み、本物の患者たちの様子をつぶさに観察して、自分の演技に活かした。
だから、こんなに生々しいのだろう。
本物の患者たちもエキストラとして出演しているらしい。
現在では多少改善されているのかも知れないが、当時の精神病院の、患者たちに対する扱いは本当にヒドイ。
人間どころか、モルモット以下だ。
僕がいくら画面に向かって「Go to hell!」と叫ぼうと、地獄に堕ちるのは、クソアマではなく、我らがマクマーフィーの方なのである。
ああ、何ということだ。
様々な問題提起をしながらも、重くなく、最後まで見せられる映画になっているのが、称賛に値する。
細君も感嘆していた。
このあと、ハリウッドは『タクシードライバー』あたりを最後に、世の中に対してモノ申すことをやめて、ハッピーエンドの映画を量産するようになる。
まあ、ベトナム戦争が終わったからなのだろうが。
この作品は、『狼たちの午後』との一騎打ちの末、アカデミー賞の主要五部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞)を独占した。
優れた映画は、時代を超えて生き残る。