『チャンス』

この週末は、ブルーレイで『チャンス』を見た。

チャンス 30周年記念版 [Blu-ray]

チャンス 30周年記念版 [Blu-ray]

1979年のアメリカ映画。
監督は、アメリカン・ニューシネマの巨匠、ハル・アシュビー
主演はピーター・セラーズ
彼の遺作であり、代表作の一つだろう(後は、『博士の異常な愛情』『ロリータ』『ピンク・パンサー』辺りか)。
20年前、僕が渋谷の映画館でバイトをしていた時、映画が大好きな先輩がいた。
2歳上だったが、VHSソフトを400本、レーザー・ディスクを50枚以上持っているとのことだった。
その先輩に「一番好きな映画は何ですか?」と聞いたところ、「『チャンス』だ。ピーター・セラーズがもう、すんばらしいね!」
当時、僕は『ロリータ』と『博士の異常な愛情』は既に見ていたので、ピーター・セラーズはよく知っていたが、『チャンス』は未見だった。
僕は、映画に関してはこの先輩を目標にしていたので、「いつかチャンスがあれば、『チャンス』を見なければ」と思ったのである。
本作は、一言で言うならば、現代の寓話だ。
ニーチェを下敷きにしているらしいが、言われてみればそうかな。
劇中で、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラかく語りき』(をシンセサイザーでアレンジした音楽)が使われている。
ラストシーンは、キリストの奇跡のパロディだと言うが、日本人にはちょっと見ただけではなかなか分からないだろう。
主人公のチャンスは知恵遅れ。
資産家の家で幼少の頃から庭師として雇われ、特に不自由のない生活をしていたが、ある日、主人が亡くなってしまう。
弁護士がやって来て、彼は家を追い出される。
ずっと家の外に出たことがない彼には、もちろん行くあてもない。
着る物だけは主人のお下がりなので、立派な仕立てのスーツ(背広といった方が似合うかも知れない)だ。
この身なりで、道行く人に「お腹が減ったので、何か食べ物を下さい」と言っても全く相手にされない。
彼はテレビが大好きだった。
家を出る時も、テレビのリモコンを持って来る。
ガラの悪い黒人の少年ギャングたちにナイフを突き付けられた時も、リモコンを出してバカにされる。
チャンスは人の言うことをただ繰り返すことしか出来ない。
自分の考えはないのだ。
黒人少年に言われた罵りの言葉(「ass hole」だの「honky」だのといった卑語)もそのまま暗記する。
(※最後のNG集で、このセリフを機械的に繰り返すのに、ピーター・セラーズが自分で笑ってしまって、何度も撮り直しになる様子が収められている。)
そんなことをしている内に夜になり、ショーウィンドーのテレビを見ている時、豪華なリムジンに脚を挟まれてしまう。
そこから出て来たのは、財界の超大物の妻(シャーリー・マクレーン)。
彼は、ケガがないかを心配され、「夫が病気療養中で医者がいるから」と、彼女の自宅に連れて行かれる。
車の中で、飲んだこともない強い高級酒を飲まされ、むせているところに名前を聞かれたものだから、「庭師のチャンス」と答えたのを、勝手に「チャンシー・ガーディナー」という名前だと思われてしまう。
着いたのは巨大な邸宅。
「今回のことを訴訟沙汰にするつもりはあるか」と聞かれても、チャンスには「訴訟」の意味が分からない。
住み込みのお手伝いにも吹き出されてしまうほど純粋無垢で無知な彼を、病気の主人(往年の大スター、メルヴィン・ダグラス。本作でアカデミー賞助演男優賞を受賞)は暖かく迎え入れる。
チャンスが語る庭造りの哲学を、主人は無理やり政治・経済に結び付けて、「何と含蓄のある言葉だ」と壮大な勘違いをしてしまう。
彼はとうとう大統領に会い、テレビにも出演して、あれよあれよと言う間に時代の寵児となってしまう。
一方、裏では「彼の正体を探れ」と、CIAやFBIの長官まで巻き込んでの大騒動となるが、結局何も判らない。
だって、ただの庭師なんだから。
チャンスのあまりにも超然としたところは、確かにキリストのようでもある。
何事にも全く動じない。
ただ、庭師の仕事に生き甲斐を感じていて、余暇には好きなテレビを見たいだけである。
それに対して、現実の大人たちは、いかに汚れていることか。
自分たちのことしか考えず、何でも都合良く解釈している。
世の中は、こういう汚らしい連中の勝手で動いているのだ。
現在の日本で言えば、野田のような。
最初は、この話がどういう風に進んで行くのかが見えない。
無知なチャンスがいきなり非情な世の中に投げ出されて、ヒドイ目にあう話なのかと不安にもなってしまう。
先の展開が気になるので、画面から目が離せない。
でも、そのうち、「これはコメディーなんだ」と判って来る。
かと言って、大笑いするシーンがある訳ではない。
「そんなバカな」と思わせつつ、世の中を皮肉っている。
ジワジワと後から来るような作品だ。
嫌な大人たちばかりの中で、メルヴィン・ダグラス演じる主人だけは純粋な友情を持っているように見える。
財界の大物ともあろう者が、なぜ会ったばかりの人間にここまで心を許すのか、という突っ込みは不要だ。
この話は、それほどまでに超越しているのだ。
チャンスのあまりの人間離れぶりに、彼を誘惑するシャーリー・マクレーンは、まるっきり自分になびかなくても彼を憎めない。
系統で言えば、『レインマン』や『フォレスト・ガンプ』につながるのかも知れないが、もっと超然としている。
とにかく、独特な映画だ。
一種のファンタジーとも言えるだろう。
ピーター・セラーズの才能が十二分に発揮されている。
この、フワフワした感覚を演じられたのは、正に彼の演技力のなせるわざだ。
それだけに、早過ぎる死が惜しまれる。