『エマニエル夫人』

この週末は、ブルーレイで『エマニエル夫人』を見た。

1974年のフランス映画。
60年代なら、こういう映画は撮れなかっただろう。
言わずと知れた官能映画の代表作。
世界中で大ヒット。
日本でも、1975年の外国映画興行ベスト・テンで、『タワーリング・インフェルノ』『大地震』に次ぐ3位(あの『ゴッドファーザーPART.2』よりも上)だから、相当客は入ったのだろう。
おかげで、続編が粗製乱造されることとなった。
監督はジュスト・ジャカン
僕は世代的に、「エマニエル」という名を最初に認識したのは「エマニエル坊や」の方であった。
小学校のクラスに「エマニエル」というあだ名の男子がいたからだ。
今思えば確かに似ていたが、その当時は「エマニエル坊や」がどういうもので、どうして流行っているのか、実はあまり認識していなかった。
僕は小学生の頃から映画には興味があったので、その内、「エマニエル」というのが子供はあまり見てはいけない系の映画だということも知る。
ちょうど僕が小学6年生くらいの時に、『エマニュエル』というタイトルの、シリーズ第4作が公開されて話題になっていた。
主演はミア・ニグレンで、「エマニエル夫人が全身整形で若返った」という無茶苦茶な設定だった。
もちろん、当時は現物を見る術はない。
初めてシリーズを見たのは、確か高校生の時、テレビの深夜放送で第3作『さよならエマニエル夫人』だったと思う。
その頃、僕はシャルロット・ゲンズブールに夢中になっており、父親のセルジュ・ゲンズブールが音楽を担当したということで興味が湧いた。
しかし、内容はほとんど覚えていない。
テレビだから、多分ズタズタにカットされたバージョンだったろう。
お目当てだった主題歌も「エマニエル、グッバイ」を連呼するだけ。
『エマニエル夫人』の主演はシルビア・クリステル。
この1作で世界的スターとなった。
先日、訃報を聞いた時には驚いたが。
彼女を最初に知ったのは、小学生の時、日曜洋画劇場か何かで『エアポート'80』を見た時だろう。
この映画は何度かテレビで放送されている。
「エアポート」シリーズの中でもカネが掛かっていて、迫力があった。
その中で、アラン・ドロンと共演していたのである。
他に出演していたのは、『プライベート・レッスン』に『チャタレイ夫人の恋人』か。
見ていないけど(多分)、レンタルビデオ屋の「エロティック・コーナー」によく置かれていたなあ。
まあ、最初の作品が作品なので、最後までそのイメージが抜けなかった。
デビュー作を見ると、相当キレイな人だというのは分かる。
さて、『エマニエル夫人』自体は、おそらく今までにちゃんと見たことはなかったのではないかと思う。
テーマ曲は誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。
ピエール・バシュレによる哀愁あるシャンソン風の素晴らしいものだ。
ただ、この曲のイメージで映画を見ると、失望することは間違いない。
曲だけ良くて中味がクソなのは、往年の角川映画と同じだ。
映像は柔らかい光の滲むソフト・フォーカスで、作品の雰囲気には合っている。
監督がフォトグラファー出身なので、こだわりがあったのだろうか。
冒頭のパリのアパートを外から捉えるシーンは、カメラが安定していなくて大変見づらい。
エマニエル夫人(シルビア・クリステル)は有閑マダム。
いきなり下着を着けていないので、驚かされる。
とにかく、全編に渡ってフランスの女性たちはほとんど下着を着けていない。
エマニエル夫妻は束縛しない夫婦のようだ。
赴任先のバンコクのマッサージ・ルームでの夫と同僚との会話からそのことが伺える。
この場面は真っ白な間接照明の部屋がほぼ完全な左右対称で捉えられていて、ちょっとキューブリック風である。
バンコクの町並みは、時代もあるのだろうが、猥雑で、極めて粗末なたたずまいだ。
貧しい黄色人種の中に、金持ちの白人夫婦はたいそう目立つ。
この対比は、差別的ですらある。
ディア・ハンター』のベトナム描写のようだ。
全編を通して、アジア人は差別的に描かれている。
おそらく、今では許されないだろうな。
高床式の家でエマニエル夫婦のメイクラブ。
性愛シーンのバックに流れる音楽はテーマ曲とは打って変わってピンク映画そのもので、安っぽいことこの上ない。
永島敏行似のボーイがファックを除いて発情。
女性のお手伝いを追いかける。
手持ちカメラが揺れて見にくい。
今度は有閑マダム仲間が多数登場。
シルビア・クリステルは、この中ではひと際目立つ美人ではある。
旦那は32歳という設定だが、到底見えない。
キャンディーをなめている少女はキューブリックの『ロリータ』のポスターの真似か。
女性がオナニーしている時に写る雑誌には、ポール・ニューマンのアップが載っている。
大スターがこんなシーンでネタにされて、問題にならなかっただろうか。
エマニエルは、セット丸出しの飛行機の中で行きずりの男たちと続け様にやる画を妄想。
それから、スカッシュの相手のおばちゃんと女同士で愛し合う。
「嫉妬しない」などと旦那は言うが、本当だろうか。
水に囲まれて暮らしている異国のタイでは、ロケは大変そうだ。
エマニエルは、気に入った女性考古学者と小舟に乗って川を行く。
何だか、うどんのようなものを食べていた。
この女性と、エマニエルは初めての外泊をする。
強がっていた旦那も、さすがに心配そうだ。
それにしても、エマニエルは灼熱の大地の上を、よく裸足で歩けるな。
盛り場に連れて行かれ、ショーを観る。
現地の娘がアソコでタバコを吸うのが無修正で。
これは児童ポルノではないのか?
白人が現地人の特殊な風俗を奇異の目で眺める、といった描き方だ。
確かに、多分に人身売買的な匂いはする。
だが、当時の文化・風俗を研究する上で極めて貴重な本作のような資料が、間もなく持っているだけで国家権力によって犯罪行為と断定されてしまいそうなのだ。
痔民・肛迷・維チンによる児童ポルノ法の改悪には断固反対する!
善良な一般市民を大量に逮捕出来るものか!
国家権力の犬めが!
つい話が横道にそれてしまった。
いよいよエマニエルの旦那は荒れて来た。
まあ、カッコつけていても、それが当然の感覚だろう。
まともだ。
妻は旦那を差し置いてレズ行為の真っ最中なのだから。
それにしても、考古学者の女は最初忙しそうにしていたのに、何をやっているんだ。
仕事しろよ。
今度はオバサンとスカッシュをした後、またレズ。
ユニホームはラコステ
さすがフランス。
アジア人の召使いはあくまで召使い。
どこまでも白人とアジア人は対比して描かれる。
で、レズは一通り卒業して、今度は、菅原文太をしかめ面にしたようなオッサン(アラン・キュニー)とめぐり会い、性の手ほどきを受けることになる。
オッサンに連れられてアヘン窟に行く。
現地人たちがアヘンを吸っている。
松山ケンイチみたいな顔のタイ人がエマニエルに襲い掛かる。
彼女はアジア人は受け付けない。
白人女性にとっては、未開の野蛮人に犯されるのは屈辱なのだろう。
何ということだ!
移動する時の屋形船のシーンも左右対称。
実は、この監督はかなりキューブリックの影響を受けていそうである。
今度は賭博場。
ボクシングの勝者がエマニエルとやれるようだ。
全て、オッサンの指示である。
下々の者に身体を預けるのは屈辱なのだろうが、上流階級の余裕が感じられる。
何というか、全編を通して差別的な映画である。
アジア人としては耐え難いね。
そして、オッサンが何やらブツブツと小難しい理屈を言う。
これが「性の開放」だと言うのだろうか。
何が開放なんだか。
結局、現在の視点から見ればこれはポルノではないし、かと言って、人間の本質に深く切り込んだ衝撃的な作品という訳でもない。
映画としては、極めて中途半端な出来栄えだ。
もちろん、ヒットしたのは下世話な方の理由からだろうが。
ただ、「官能映画」というジャンルを確立したという意味では映画史に残る作品であるし、当時の文化を知る上では重要な作品だろう。