『ある愛の詩』

この週末は、ブルーレイで『ある愛の詩』を見た。

ある愛の詩 [Blu-ray]

ある愛の詩 [Blu-ray]

1970年のアメリカ映画。
監督はアーサー・ヒラー
主演はアリ・マッグローライアン・オニール
二人とも、本作で一躍スターになった。
アリ・マッグローは、この後、『ゲッタウェイ』でスティーブ・マックイーンと共演し、それをきっかけに結婚する(道理で『ゲッタウェイ』はマックイーンの公私混同映画だった訳だ)。
それからは目立った活躍はない。
ライアン・オニールは、僕が一番好きな映画『バリー・リンドン』(スタンリー・キューブリック監督)の主演俳優なので飽きるほど見たが、役者としてはこの2本が頂点だろう。
あとは、息子に発砲して逮捕されたとか、ロクな話を聞かない。
ある愛の詩』のテーマは、フランシス・レイによる映画史上に残る名曲で、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。
本編でも、何度も繰り返し効果的に使われている。
彼は、本作でアカデミー賞作曲賞を受賞している。
フランシス・レイと言えば、『男と女』も有名だな(♪ダーバーダーダバダバダ、ダバダバダ)。
アメリカは寒そうである(しかし、ただでさえ大気汚染が騒がれていた時代なのだから、雪を食べてはいけない)。
本作では、最初に彼女の死を告げ、そこから回想して行く手法を用いている。
オリバー・バレット(ライアン・オニール)はハーバード大学の学生で、社会学を専攻している。
曾祖父がファミリーネームを冠した講堂を寄付したというほどの金持ちの名家の出身である。
僕は、逆流性食道炎を持っているので、バレットと言えば「バレット食道」しか思い浮かばない。
彼が試験勉強のため、女子大の図書館に行くと、そこにジェニー(アリ・マッグロー)がいた。
ジェニーは貧しく、ラドクリフ大学では音楽を勉強していた。
どう考えても釣り合わないが、二人は恋に落ちる。
当時のハーバード大学の学生は、今の日本の大学生と比べると利口そうに見える。
同時代の『いちご白書』(こちらはコロンビア大学だが)を見てもそう思う。
まあ、この時代は、世界的に学生が国家権力と闘っていた時代だから、今とは違う。
全共闘時代の東大や早稲田の学生だって、今よりもっと大人びて見える。
ライアン・オニールは、まあ金持ちのボンに見える。
ちなみに、オリバーと同じ部屋に住んでいる学生の役でトミー・リー・ジョーンズが少しだけ出ている(未だ髪の毛がある)。
この映画は、アメリカの大学事情が分かっていないと、ストーリーが理解し辛い。
何でハーバードの学生が女子大の図書館を使うのかと言うと、ジェニーが在籍しているラドクリフ大学はハーバードの系列だからなのだそうだ。
後に、結局ハーバードに統合されてしまったとか(慶応が共立薬科大を買収したようなものか)。
そして、アメリカの大学生は、日本の学生と違ってよく勉強するので、図書館がすぐ満席になる(もちろん、一流大学の話で、アメリカでも三流大学の学生は、やはり勉強しない)。
そのため、おそらく近くにある系列の女子大の図書館を利用しに行ったのだろう。
それから、オリバーは弁護士を目指しているのに、大学では「社会学を専攻」となっている。
アメリカでは、法学部に当たる課程は「ロースクール」という大学院で(日本でも今ではそうだが)、学部段階では、専攻がそれほど細かく分かれず、幅広く一般教養を学ぶことになっている。
そのため、弁護士志望なのに「社会学専攻」なのだろう。
このブルーレイは、字幕の翻訳も微妙なところがあって、「ロースクールに進学する」のを「法学部に進学」と訳したりしている。
しかも、時には「大学院」という言葉を併用したりしている。
だから、大学で社会学を専攻した学生が卒業後法学部に進学し、しかも大学院にも進学するという、訳の分からない理解を視聴者に与えてしまう可能性がある。
それはさておき、アメリカの名門大学は建物がいかにも伝統を感じさせる立派なものである。
早稲田なんかは、どんどんコンクリートの箱に建て替えてしまって、今では大学らしい建物は大隈講堂くらいしかない。
そして、アメリカの大学生の部屋には本がいっぱいある。
今の東大生は、蔵書が50冊以下というのが何割もいるらしいので、日本の大学生はもっと本を読んだ方が良い。
つい脱線してしまった。
この作品は展開が速い。
ポンポン進む。
「Son of a bitch」を「おったんちん」と訳している。
要するに、オリバーは金持ちのボンなのだが、自分の家や父親に対して反感を抱いており、そこから逃げ出したいと思っている。
そして、父親のことを「おったんちん」と呼ぶ。
ハーバードの学生と苦学生とでは住んでいる世界が違う。
この階級対立の構図が面白い。
生きることはすなわち階級闘争なのだ。
ところが、早くもオリバーがジェニーにプロポーズをする。
ジェニーは卒業後、パリ留学が決まっていたのだが、それを諦めろと言う。
クラシックなオープンカーをぶっ飛ばして、オリバーはジェニーを自分の実家へ連れて行く。
着いたのは広大な屋敷。
お手伝いがいる。
出迎えたオリバーの両親がジェニーを見る時の蔑んだ視線。
彼女の落ち着かなさ。
正に、階級対立である。
ジェニーの実家は田舎町でクッキー屋を営んでいる。
ジェニーからすれば、「父親への反抗と愛を混同しているのではないか」という疑いもある。
更に、ジェニーの実家はカトリックだ。
これもまた日本人には分かりにくいが、要するに、アメリカの上流階級は皆プロテスタントであり、宗教が違う家同士の結婚は、例えて言えば、創価学会オウム真理教が結婚するのと同じくらい大変なことだということだ。
この後、二人はジェニーの実家に行く。
打って変わって貧しい街並み。
ジェニーの父親は、ちょっと変わっているが、率直な人だった。
オリバーは、自分の実家の援助は完全に断ち切り、ジェニーの身内だけを呼んで、ごくささやかな結婚式を挙げる。
これは非常に70年代初頭的な映画である。
正しく「権力への反抗」を描いているのだ。
二人は、郊外のボロアパートに新居を構える。
とは言え、日本の住宅事情からすれば、少しも「ヒドイ家」には見えない。
だって、4部屋もあるんだよ。
じゃあ、3LDKの我が家なんかどうなる?
それはさておき、二人の貧乏暮らしが始まった。
オリバーはロースクールに進学し、弁護士を目指す。
奨学金を申請したものの、実家が大金持ちだから、全く相手にされない。
ジェニーは小学校の音楽の先生をする。
「早く公立に移りたい」と言う。
私立より公立の方が待遇が良いのだろう。
二人は、SKIPPYのピーナツバターを食パンに塗り、それをかじりながら頑張るのであった。
金持ちのボンがこんな貧乏暮しに耐えられるのか、ちょっと甘いのでは、という気もするが、愛があればこそであろう。
そして、「若気の至り」である。
若いからこそ我慢出来る。
僕も昔は、四畳半風呂ナシ・トイレ共同のボロアパートで暮らしていたが、今となっては、そんな生活はとても出来ない。
オリバーとジェニーは、どんどん困窮して行く。
カネがないからケンカになる。
それでも、オリバーは実家にだけは頼りたくない。
カネがなくて喧嘩をしても、カネがないが故に、仲直りせざるを得ない。
愛とは決して後悔しないこと」。
そこに、オリバーが嬉しそうな知らせをジェニーに持って来る。
「法学部退学」!
ここで、見ている人は「ついにやってしまったか!」と思うが、また勘違い(僕も大学中退なもので)。
どうやら、アメリカでは成績優秀者はロースクールを卒業せずに弁護士になれるようだ。
まあ、昔の日本の司法試験もそうだったが。
従って、これ以上学費も掛からず、しかも弁護士になれて喜んでいるのであった。
この辺も、アメリカの大学事情が分からないと理解し難いね。
こうして、苦労の末、オリバーは弁護士になり、ニューヨークの立派なマンションに引っ越し、これから幸せな暮らしが待っているかと思われたのだが…。
何と、ジェニーが白血病であることが判り、余命は数週間だという。
医者からその事実を告げられ、絶句するオリバー。
彼女にも、本当のことを言わなければならない。
「難病もの」というのは、現在の日本のドラマなどでも大量生産されている極めてありふれたジャンルだが、さかのぼれば、やはり本作の成功によるのだろう。
当時の若者は、本作を観てビービー泣いたに違いない。
この年の日本における外国映画興行収入1位であり、全世界で1億ドル以上を稼いだ。
昨今の日本のドラマなら、ここから「さあ泣け」とばかりにお涙頂戴演出のオンパレード、主題歌をガンガン流し、登場人物をフル出演させ、本人にも「未だ死なないのか」と思わせるほどダイイング・メッセージを垂れ流させるところだが。
まあ、世の中が即物的になっているのか、若者の感性が摩耗しているのか、そうしないと泣けないのだろう。
想像していたのと全然違い、この映画は本当に淡々と進む。
今公開しても受けないかも知れない。
だが、抑えた演出だからこそ、悲しみが浮かび上がって来るのである。
あざとい、安っぽい作品ではないから、今でも名作として生き残っているのだ。