『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』

この週末は、ブルーレイで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を見た。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ [Blu-ray]

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ [Blu-ray]

1984年のアメリカ・イタリア合作映画。
僕が本作を見るのは2回目である。
本作のことを最初に知ったのは、小学生の頃、何かの映画を観に行った時に、予告編が流れたからだ。
当時は、「once upon a time」の意味も知らなかったので(後に、大学受験用の熟語集で見付けた時には膝を打った)、内容はよく分からなかった。
ただ、「構想10年、製作費4000万ドル」という煽り文句が妙に印象に残った。
この時代は、日本映画だと製作費10億円で「超大作」と言われていたから、「製作費4000万ドルって、どんな映画だろう」と思ったのである。
しかし、実際に作品を見たのは、それから20年も経ってからであった。
監督はセルジオ・レオーネ
彼の代表作にして、遺作である。
セルジオ・レオーネは、『夕陽のガンマン』等のマカロニ・ウエスタンの監督として有名で、批評家が絶賛したような作品は、この『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』しかない。
よくぞ、こんな大作を立派に演出したものだ。
主演はロバート・デ・ニーロ
言うまでもなく、名優である。
ミーン・ストリート』『ゴッドファーザー PARTⅡ』『タクシードライバー』『ディア・ハンター』『レイジング・ブル』と来て、本作か。
その他の出演作は、たくさんあり過ぎるので、省略。
共演は、ジェームズ・ウッズ
ビデオドローム』のようなカルト映画にも出ていたが、本作では、デ・ニーロの見事な相手役だ。
腹をパックリ裂いてビデオテープを突っ込んだ後に、渋いギャングを演じるとは、役者はスゴイ。
更に、『レイジング・ブル』でもデ・ニーロと共演したジョー・ペシ
それから、バート・ヤング
『チャイナタウン』や『ロッキー』にも出ていたな。
あと、子役時代のジェニファー・コネリーが出ている。
彼女は本作の後、『フェノミナ』でアイドル女優になる。
「♪美しく 聴こえる のは…This is Jennifer」というカセット・プレイヤーのCMを今でも覚えている。
まあ、それから『ホット・スポット』で脱ぐまでは、今いちパッとしないが。
音楽は、セルジオ・レオーネ作品の常連、エンニオ・モリコーネ
本作の音楽も、『ニュー・シネマ・パラダイス』と同様、素晴らしいものである。
本編は、クラシックな寝室から始まる。
若い女性がいる。
見知らぬ男が3人、入って来て、彼女を撃つ。
この女性は、ヌードルスロバート・デ・ニーロ)の妻だった。
ヌードルスの仲間、モーがリンチを受ける。
マカロニ・ウエスタンのような生々しい拷問シーン。
場面変わって、中国人の店。
客がみんなアヘンを吸っている。
ヌードルスも中毒だ。
新聞を見ると、「酒密売の3人のギャング(彼の仲間)が警官に射殺された」とある。
当然、ヌードルスも狙われている。
彼は、裏口から逃してもらった。
音楽が極めてノスタルジックだ。
続いて、ビートルズの「イエスタディ」が流れる。
ヌードルスが爺さんになっている。
見事な老けメイクで、今のデ・ニーロが演じていると言われても違和感がない。
舞台は現代のニューヨークへ。
ユダヤ人ファット・モーの店をヌードルスが訪問する。
35年ぶりだ。
モーは、カネは十分に持っているが、ヌードルス達が駅のロッカーに蓄えていた、消えたカネの行方は知らないと言う。
最初の内は、エピソードが小出しになっているので、なかなか全体像が見えないが、最後まで見ていると、次第につながって行く。
モーの店のトイレの壁には、覗き穴が開いている。
それを覗くヌードルス
ここから少年時代の回想。
本作は、ヌードルスの少年期、青年期(禁酒法時代)、老年期(現代)を自在に行き来して描かれる。
覗き穴の向こうには、可憐な少女が踊っている。
モーの美しい妹、デボラ(ジェニファー・コネリー)だ。
バックに流れる曲は「アマポーラ」。
本作の公開時、沢田研二が歌って話題になった。
僕が愛読していた『月刊歌謡曲』に譜面が載っていたのを覚えている。
デボラが一瞬、尻を見せるが、これは児童ポルノではないのか。
彼女を追い掛けて外へ飛び出す若きヌードルス
賑わう街。
この20世紀初頭のニューヨークの街は、おそらくオープン・セットだと思うが、これだけの規模のものを再現するのは大変だっただろう。
今なら、全部CGで済ましてしまうところだが。
ヌードルスら悪ガキ4人組は、売店に放火する。
ヌードルスの家は貧しい。
彼は、トイレで読書をしている。
同じアパートに住むペギーは、母親公認の売春娘である。
カネをもらうと母親にせしめられてしまうので、クソガキにはケーキと引き換えにやらせる。
一体、幾つという設定なんだ。
ヌードルス達は、酔っ払いからカネを巻き上げる常習犯だった。
ある時、ヌードルス達が金持ちの酔っ払いに狙いを付けていると、通り掛かった少年マックスによって邪魔をされる。
マックスは、荷馬車の陰に隠れて、警官の目も盗んで、うまいこと銀時計をせしめた。
ヌードルスとマックスは、始めは対立していたが、やがて友人となり、手を組んで窃盗を行い、盗品を売りさばくようになるのである。
当時のニューヨークは無法地帯であった。
治安を守るはずの警官も、裏では悪事に手を染めている。
ある日、悪徳警官がアパートの屋上で売春娘のペギーとファックしていた。
今なら、児童買春・児童ポルノ法違反で逮捕されて実名報道である。
ヌードルス達は、警官がやっているところの証拠写真を撮って、揺する。
仕方がないので、警官は、彼らの盗みを見逃す約束をする。
警官も持ちつ持たれつという訳だ。
物語は、ゆったりと進む。
ヌードルスは、ユダヤ教の祭でモーの家族が出掛けた隙に、レストランに侵入し、留守番をしていたデボラに想いを伝える。
その時、マックスがヌードルスに分け前を渡しにやって来た。
そこへ、街を仕切る青年ギャング、バグジーの一味がやって来る。
ヌードルスやマックスの「仕事」がバグジーにバレたのだ。
二人はリンチにあい、それを見たデボラはヌードルスを家に入れようとしなかった。
それに懲りず、ヌードルス達は新たなビジネスを思い付く。
禁酒法の時代、ギャング達が密輸した酒を船で運ぶ際、警察に見付かると、足を残さないため、海に荷物を投げ捨てていた。
だが、酒樽の重りに塩の袋を付けて沈めれば、一定時間経つと(塩が溶けて)海上に浮上する。
ヌードルス達は、バグジー以外のギャングと手を組み、荷物の回収係として大金を稼ぐ。
彼らは、稼いだカネを共同資金として駅のロッカーに保管することにした。
カギは、(何のカギかは言わずに)モーに預けた。
ヌードルス達が、ある時、意気揚々と街を歩いていると、バグジーとばったり出会ってしまう。
彼らは一斉に走って逃げるが、バグジーは銃を持っていた。
逃げ遅れた一番幼いドミニクがその銃弾に倒れる。
スローモーション。
まるで、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』を見ているようだ。
怒りに震えたヌードルスは、バグジーを襲い、ナイフで刺し殺した。
更に、駆け付けた警官にも襲い掛かったので、あっ気なく刑務所行きとなる。
この辺りの映像処理は、如何にもイタリア風だ。
続いて、現代。
ヌードルスは、3人の仲間の墓を訪れる。
それは立派な建物であったが、建立者が何故かヌードルスの名義となっていた。
仲間達は1933年死去。
そして、入り口のドアに鍵がぶら下がっている。
あのロッカーの鍵だった。
ヌードルスは駅へ向かい、ロッカーを開けた。
そこには大金があり、その帯には「次の仕事の報酬だ」というメモが入っていた。
時代は戻って、ヌードルスが出所する。
既に大人になっている。
マックス(ジェームズ・ウッズ)がリムジンで迎えに来た。
彼は、ヌードルスが留守の間に、葬儀屋を隠れ蓑にして稼いだという。
マックスが「俺達の店だ」と呼ぶのは、モーの店の裏に作られた、密造酒を振る舞う大きなレストラン。
ダンス・ホールもあって、夜な夜なパーティーが開かれていた。
彼らは、隠しスコッチで乾杯する。
ペギーは、渡辺直美のようなデブの高級娼婦になっていた。
ヌードルスは、デボラ(エリザベス・マクガヴァン)と再会する。
12年ぶりだ。
明らかに、ジェニファー・コネリーの方が美人だったが。
「アマポーラ」が流れる。
この場面は、大人になった仲間達が誰なのかを紹介するためのもの。
展開上、必要なのは分かるが、ちょっとクドイ。
その時、ヌードルスはマックスに呼ばれ、奥の部屋へ。
そこで、デトロイトのギャング、フランキー(ジョー・ぺシ)とジョー(バート・ヤング)との商談が行われ、宝石店の強盗を依頼される。
マックス達は宝石店の強盗に成功。
ヌードルスは、店主の妻を犯す。
マックス達は、ダイヤの取り引きの際に、ジョーら仲買人一味をハチの巣にする。
全ては、ヌードルスの出所の前に、マックスとフランキーとの間で決まっていたことであった。
ボスを持たない主義だったマックスがフランキーの仕事を請け負ったことに、ヌードルスは腹を立てる。
ここから、ヌードルスとマックスの対立が始まる。
ヌードルスは、仲間を乗せたクラシック・カーごと、海へ突っ込む。
時々、現代に戻りながら、回想は続けられる。
元の時代に戻って、マックス達は、労働組合の活動に関与するようになる。
工場のストライキを主導していた活動家ジミーは、ストライキを中止するようにギャングに脅されていた。
けれども、マックス達は労働運動を支援する政治家の側につき、ジミーを脅すマフィアを排除した。
警察による労働者の弾圧も行なわれており、会社側は、警察にワイロを贈っていたのである。
現代でも変わらない腐敗・堕落の構図だ。
マックス達は、警察署長の生まれたばかりの息子を、病院で取り替えて、「警官隊を撤収しろ」と脅す。
それから、デトロイトの宝石店でヌードルスが犯した女が、何とペギーの店で売春婦になっていた。
ヌードルス達は彼女を指名するが、覆面で誰に犯されたかを覚えていない女は、マックスになびく。
このことも、ヌードルスとマックスの間に、微妙なすきま風を吹かせる原因になるのであった。
ある日、ヌードルスはデボラとデートをする。
海の見える豪華なレストランを借り切って、二人で食事。
彼女は踊り子であったが、頂点を目指していた。
二人は、「アマポーラ」をバックに踊る。
ヌードルスは、デボラに「君のことを忘れたことはない」と語る。
しかし、彼女は女優の道で生きて行く決心をしていた。
「明日、ハリウッドへ発つので、お別れよ」と。
ヌードルスは、帰りの車の中で、デボラを無理矢理犯す。
翌日、彼女が乗ったのはオリエント急行のようなプルマン式の豪華列車。
ヌードルスは駅まで見送りに来たが、彼女は気付いたのかどうか。
ここで「INTERMISSION」。
これまでで、全体の3分の2くらい。
この後、ヌードルスとマックスの確執は、いよいよ激しくなる。
マックスは、デトロイトの女と結婚していた。
彼女は、旦那と別れたという。
ヌードルスは、中国人の店でラリっていた。
マックス達は、ヌードルスの留守の間に一仕事。
どんどんヌードルスとマックスの心は離れて行く。
彼らの「もぐり酒場」は、禁酒法の撤廃で廃業する。
まあ、禁酒法なんて、大失敗した実験だもんな。
壮大なストーリーは、やがてつながる。
この展開は、ちょっと『ニュー・シネマ・パラダイス』っぽい。
最後に、大女優となったデボラが登場する。
彼女は、『アントニークレオパトラ』に主演しているようだ。
向こうの国では、やっぱりシェイクスピアを演じられる役者が一流だということか。
4時間に及ぶ、大変な年代記である。
全体としては、いい映画だと思うんだけど、最後の詰めがちょっと甘いような気がするな。
1984年のキネマ旬報ベスト・テン(外国映画)1位(ちなみに、邦画の1位は『お葬式』)。
映画評論家はノスタルジーがお好きなのか。
同年の洋画興行収入8位。
この年の洋画の興収1位は『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』、邦画は『里見八犬伝』。
懐かしいなあ。