『さよならエマニエル夫人』

この週末は、ブルーレイで『さよならエマニエル夫人』を見た。

1977年のフランス映画。
僕は、この作品を高校時代に、深夜のテレビ放送で見た。
多分、全編ではないと思うが。
セルジュ・ゲンズブールの音楽と、珍妙なラストで印象に残っている。
監督・脚本はフランソワ・ルテリエ。
彼は、ロベール・ブレッソンのあの傑作『抵抗(レジスタンス)』の主演だったんだな。
それが、こんなエロ映画の監督とは。
ビックリ!
音楽は、上述の通り、『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』『シャルロット・フォー・エヴァー』のセルジュ・ゲンズブール
僕は、高校時代から彼の娘であるシャルロット・ゲンズブールのファンである。
従って、セルジュの音楽も多少、追い掛けて来たが。
彼は、さすがにフランスを代表するアーティストだけあって、デビュー曲のシャンソンなんかを聴くと、ものすごく上手い。
いい曲だし、歌唱力もある。
でも、その後は、何か変な方向に走ったような気がする。
本作の音楽も、『エマニエル夫人』のシリーズの中では、決して成功しているとは言えまい。
主演は、『エマニエル夫人』『エアポート'80』『プライベート・スクール』のシルヴィア・クリステル。
彼女は、本当にこのシリーズのイメージから抜け出せなかった。
共演は、『続エマニエル夫人』のウンベルト・オルシーニ。
美しく広がる青い海の上を飛ぶ飛行機の映像から始まる。
「♪エマニエル、グッバイ」を連呼するセルジュ・ゲンズブールのテーマ曲。
1作目、2作目の素晴らしく哀愁の漂った曲とは打って変わった、ペラペラと軽い曲だ。
まあ、耳には残るが。
それにしても、何でゲンズブールはわざわざメロディーを外して歌うんだろう。
舞台はインド洋のセイシェル島。
僕は恥ずかしながら、セイシェルという名前は知っていたが、どこにあるかを知らなかった。
褐色の肌の現地娘が自転車で走る。
仮縫いの出来たドレスを持って、大きな家へ。
風呂に入っているエマニエル(シルヴィア・クリステル)。
どうでもいいが、本作のエマニエルの髪型はババ臭い。
素っ裸の上からドレスを試着。
そこへ、建築家の夫ジャン(ウンベルト・オルシーニ)が帰って来る。
現地娘とエマニエルはレズ行為の真っ最中。
そこへ、旦那も交じって、3Pが始まる。
セルジュ・ゲンズブールの曲は、安っぽいポルノにはピッタリ。
手を抜いて作ったのだろうか。
音楽しか取り柄のないシリーズから、その取り柄すらなくなってしまった。
海辺で、白人の友人達とくつろぐエマニエル。
優雅なブルジョワジーだ。
このシリーズは毎度、白人の支配階級ぶりを見せ付けられる。
その中の一人と海辺でメイク・ラブをするエマニエル。
すると、海上のヨットでムービー・カメラを回している青年と目が合う。
家に帰って、ジャンとメイク・ラブをしながらも、先程の青年のことが気になっている。
翌日、また白人の友人の家で、エマニエル、ジャンも含めた4人の乱交。
このシリーズのお約束だ。
何だかなあ。
終わった後、何故か昨日の青年がそこへ訪ねて来る。
彼はグレゴリーという名の映画監督で、ロケのために、人里離れたあばら家を探していた。
翌日、島に渡るグレゴリー。
毎度思うが、現地の人達の生活は極めて貧しそうである。
当時の貴重な記録とも言えるが。
白人との落差に胸が痛む。
で、エマニエルも彼を追い掛けて、島へ来た。
二人で青空学校の傍を通る。
まるで戦後の日本のようだ。
世界では、子供達は、このようにして学んでいるのである。
日本では学力低下云々と言われているが、ちゃんと勉強しないとバチが当たるよ。
エマニエルはグレゴリーを空き家へ誘う。
愛し合う二人。
何だか、昔のアダルト・ビデオのようだ。
しかしながら、グレゴリーはエマニエルのフリー・セックスを理解出来ない。
自説をこんこんと主張するグレゴリーにうんざりするエマニエル。
さて、エマニエルの白人友達の一人・クララ(子持ち)は家を出た。
旦那の浮気を許せないのだという。
彼女の家を訪ねるエマニエル。
クララは、夫の浮気が原因で不感症になってしまった。
本作は、これまでのように奔放な性を描くだけでなく、その負の側面も描いている点に特徴がある(かな?)。
余談だが、クララの家には大きなカメがいて、100歳なんだとか。
エマニエルは、グレゴリーが女性と歩いているのを見てしまった。
それが、とても気になる。
夜、エマニエルはある店でグレゴリーがまた例の女性といるのを見付けた。
グレゴリーと目が合うエマニエル。
彼女は、他の男と踊りながらも、グレゴリーのことを見ている。
グレゴリーと一緒にいるのは、ドロシーという名の女優であった。
それにしても、本作の中盤は、ただダラダラと状況を描くだけで、退屈極まりない。
90分そこそこしかないのに、こんなに見ているのが苦痛な映画も珍しいのではないか。
で、グレゴリーが店を出て行った。
エマニエルは、ジャンが若い娘とイチャイチャしているのも気に食わない。
エマニエルとジャンは家へ帰った。
ジャンはエマニエルに「この頃おかしいぞ」と言う。
このシーンで、ジャンのペニスが無修正で映る。
ベッドに入るも、一瞬、夫を拒むエマニエル。
その後、メイク・ラヴが始まるが、彼女はイマイチ気乗りしなかった。
彼女は、人生において初めて、「嫉妬」という感情を持ったのである。
この後、ジャンまでが嫉妬に駆られる。
「妻が誰とセックスしてもいいが、彼(グレゴリー)は別だ」と。
本作のテーマは「嫉妬」なのだろうか。
ちょっと『マクベス』みたいだな。
後半、作品のテンポはやや持ち直し、退屈さは影を潜める。
普通に「夫婦関係」を描いた映画として見れば、まあマトモになる。
ただ、これまでのシリーズのような官能的な要素を目的として見ると、思い切り肩透かしを食らうだろう。
まあ、これまでが異常だったのかも知れないが。
劇中で描かれる「スレ違い」は、ケイタイが普及した現代では、通用しないだろう。
最後は、タイトルの通りである。
本作は、「嫉妬」と共に「別れ」もテーマなのかも知れない。
だが、ジャンは余裕をかましている。
「どうせ戻って来るだろう」と。
イプセンの『人形の家』みたいなものか。
いや、そんなに高尚ではないか。
「いつまでも若くはない」というのはその通りで、胸に響く。
奔放な性を享受出来るのも、若い内だけだろう。
最初に書いたが、ラスト・シーンは笑ってしまう程、陳腐である。
シルヴィア・クリステル主演の「エマニエル」シリーズは、本作で終わり。
以降は、主役の女優が代わる。