『チェイサー』(1978)

この週末は、ブルーレイで『チェイサー』を見た。

チェイサー [Blu-ray]

チェイサー [Blu-ray]

1978年のフランス映画。
監督はジョルジュ・ロートネル
脚本は、『死への逃避行』のミシェル・オーディアール
撮影は、『死刑台のエレベーター』『いとこ同志』『大人は判ってくれない』『太陽がいっぱい』のアンリ・ドカエ
音楽は、『テス』のフィリップ・サルド
主演は、『太陽がいっぱい』『冒険者たち』『フリック・ストーリー』のアラン・ドロン
言うまでもなく、フランスの大スターである。
僕は小学生の頃、テレビの洋画劇場で『エアポート'80』を見たのが、彼を知った最初だったような気がする。
学生の時には、渋谷の文化村ル・シネマに『カサノヴァ最後の恋』というのを観に行った。
「若い頃には多くの浮き名を流したあのカサノヴァも今は年を取って…」みたいな話しで、老けた大スターの姿と重ね合わせた。
共演は、『死刑台のエレベーター』『太陽がいっぱい』のモーリス・ロネ
これまた、フランスの大スターである。
更に、ミレーユ・ダルク
僕は昔、彼女がセルジュ・ゲンズブールとデュエットした曲を収めたCDを持っていた。
が、どんな曲を歌っていたか、思い出せない。
それから、『いとこ同志』『死への逃避行』のステファーヌ・オードラン
あと、『夕陽のガンマン』の怪優クラウス・キンスキー。
彼は、ナスターシャ・キンスキーのお父さんである。
僕は昔、ナスターシャ・キンスキーも好きであった。
彼女は今、どうしているのだろうか。
さて、本作はサックスを吹く男のアップから始まる。
暗くて、顔は見えない。
朝5時。
寝室で眠っている男女。
実業家グザヴィエ(アラン・ドロン)と恋人のフランソワーズ(ミレーユ・ダルク)だ。
こんな早朝に、グザヴィエの親友フィリップ(モーリス・ロネ)が沈痛な表情で訪ねて来る。
「まずいことになった。」
代議士でもあるフィリップは、同僚のセラノ議員を殺してしまったのだ。
「彼のことを恩人だと思っていたが、実は利用されていた」とフィリップは言う。
ここはパリ。
エッフェル塔のお膝元である。
フィリップは汚職議員の疑いを掛けられていた。
議員辞職をしなければ汚職を公表すると言われ、カッとなってセラノの首を絞め、文鎮(大きいの!)で殴ったのだ。
フィリップは、グザヴィエにアリバイ作りを依頼する。
グザヴィエは承諾し、その時間、フィリップと一緒に食事をしていたことにする。
ジャズ調の哀愁漂う音楽。
本作は、音楽が実にいい。
翌日、セラノ議員が遺体で発見される。
見付けたのは、ビルの清掃員(窓拭き)。
セラノ議員のオフィスは、高層ビルの32階であった。
パリと言えば、エッフェル塔凱旋門のイメージしかなかったが、こんな高層ビルもあるんだ。
そりゃそうか。
世界に冠たる大都会だもんな。
それとなく、セラノ議員の世間での評判が悪かったことがほのめかされる。
グザヴィエは現場に向かった。
そこには、モロ警部がいた。
グザヴィエは警部に尋問される。
現金は手付かずだと言う。
セラノ議員の秘書が来て、「昨夜はデュバイ議員(フィリップ)と会う約束があった」と証言する。
グザヴィエは、うまいこと言ってごまかす。
実は、昨夜の事件で、「セラノ文書」という書類が消えているということだった。
「セラノ文書」は政治家達の汚職の記録。
公表されると、大変なことになる。
どうやら、警察はグザヴィエのことも疑っているようだ。
まあ、アリバイ工作なんかしたから、明らかに辻褄の合わないことも言っているもんな。
「セラノ文書」はフィリップが奪ったのだった。
そして、今は郊外のアパートに隠してあるとのこと。
そのアパートには、フィリップの愛人が住んでいるとのことだった。
グザヴィエは、車でアパートに向かう。
途中、何者かに追跡される。
カーチェイスの末、運転手が事故を装って殺される。
謎の男二人組が、車の中から、グザヴィエが置き忘れた地図を発見する。
グザヴィエはアパートの部屋へ。
中から出て来たのは、フィリップの愛人であるヴァレリー
演じるオルネラ・ムーティは、エキゾチックな顔立ちの、かなりの美人。
グザヴィエは「セラノ文書」を持って、ヴァレリーと外へ。
既に、怪しい連中に場所を突き止められていた。
グザヴィエは、文書をヴァレリーに託し、翌日モンパルナス駅で落ち合う約束をして、彼女と別れる。
停めてあった車を盗んで逃げるグザヴィエ。
フィリップのオフィスを訪ねると、何者かに殴られて、気を失う。
気が付くと、隣でフィリップは無残にも殺されていた。
おいおい、大スターなのに、もう死んじゃったよ。
グザヴィエが自宅に戻ると、そこも荒らされていた。
なかなか息をもつかせぬ展開である。
警察は、既にセラノ議員を殺害したのはフィリップだと分かっていた。
しかしながら、フィリップを殺害したのが誰かは未だ分かっていない。
フィリップが愛人を囲っていたことを知っていた彼の妻は、「自業自得よ」と言う。
翌日、グザヴィエはモンパルナス駅へ行くが、怪しい連中がウロウロしていて、どうしてもヴァレリーと落ち合えない。
警察がグザヴィエのオフィスにやって来る。
警察は、グザヴィエの偽証を疑っていた。
だが、彼は何を聞かれてもシラを切り続ける。
警察は、「明日の朝刊にヴァレリーの写真が載る」と告げる。
だから、警察か殺人者のどちらに本当のことを言うのか、とグザヴィエに迫った。
夜、グザヴィエは、ヴァレリーが身を寄せている彼女の友人宅へ赴く。
友人はファッション・モデルをしているのだった。
ヴァレリーは、カメラマンからカメラを借りて、「セラノ文書」をフィルムに収めることにする。
ちなみに、この時に映ったカメラはニコンだ。
グザヴィエは、フィリップに関係のある文書だけ破って捨てる。
まあ、友人思いとも言えるが、ちょっと恣意的な正義感だなあ。
ヴァレリーが友人宅へ戻ると、そこも既に荒らされていた。
怪しい連中に追われる彼女。
グザヴィエの自動車電話に助けを求める。
この時代に自動車電話があるとは、さすが実業家である。
今度は、グザヴィエの車が怪しい連中に追われる。
またもカー・チェイス
舞台はハイウェイ上へ。
グザヴィエを追って来た車は、事故で大破する。
グザヴィエは、ジョン・レノンみたいな恰好をした友人のアトリエを訪ね、ヴァレリーを預ける。
「セラノ文書の回収を上から命じられている」という人物が、文書を寄こせと、グザヴィエに接触して来る。
「私には真実を言え」と。
最早、誰が敵か味方か分からない。
グザヴィエは、あちこちに翻弄される。
後半には、フランス映画には珍しい大アクション・シーンもある。
本作は、政界の裏のドロドロを扱っている。
お互い、政敵を引き摺り下ろし合っている
「為政者は大衆を愚民化させて、自分達だけはのさばっている」という、本作の問題提起は全く正しい。
そして、その構図は古今東西、変わらない。
それはいいんだけど、本作は、そのテーマに真正面から切り込むのではなく、単に周辺をぐるぐると回っているに過ぎない。
だから、最後の方はご都合主義的な展開になってしまった。
単なる娯楽映画としては、これでいいのかも知れないが。
もっと深く追求出来そうな題材だっただけに、残念である。
余談だが、オルネラ・ムーティがアップになるシーンだけ、異様にソフト・フォーカスが掛かっていた。
余程、強い圧力があったのだろう。