『猿の惑星・征服』

この週末は、ブルーレイで『猿の惑星・征服』を見た。

1972年のアメリカ映画。
監督は『ナバロンの要塞』のJ・リー・トンプソン
シリーズ第4作である。
世間の評価は微妙な作品だが、僕は『戦艦ポチョムキン』『スパルタカス』『レッズ』に並ぶ映画史上の大傑作だと思っている。
革命万歳!
主演は、『史上最大の作戦』『クレオパトラ』『ポセイドン・アドベンチャー』『地中海殺人事件』のロディ・マクドウォール
猿の惑星』シリーズの常連だが、本作では、前作で死んだチンパンジー、コ―ネリアスの息子シーザーを演じている。
共演は、『新・猿の惑星』『セルピコ』『キングコング(1976)』のジョン・ランドルフ
撮影は、『ダーティハリー』『シノーラ』『荒野のストレンジャー』『アウトロー』『アルカトラズからの脱出』のブルース・サーティース
舞台は1991年の北アメリカ。
人間の奴隷になったサル達。
靴磨きや清掃をさせられている。
前作でコーネリアスの息子(ロディ・マクドウォール)を引き取ったサーカス団長アーマンド。
彼は、この未来から来たチンパンジーのことをバレないように、リードにつないでいた。
だが、もちろんこれは芝居だ。
アーマンドは、彼に「もっと原始的に振る舞え」と言う。
地球上で言葉を話せるサルはただ1匹。
しかも、20年前に殺されたことになっていたからである。
国家権力は、サル達の集会を蹴散らす。
言葉が話せないのに「集会」って、猫みたいだな。
本作では、サルが大量に出て来る。
おそらく、エキストラにサルの仮面を着けさせたのであろう。
身体には作業着のような服をまとっているので、メイクは必要ない。
主要キャストだけ、精巧なメイクを施したのかな。
特殊メイク史上に革命を起こした『猿の惑星』シリーズ(1作目はアカデミー賞受賞)だが、この俳優の表情を活かしたサルのメイクには、何時間も掛かるらしい。
次第に製作予算も削られる中で、これだけ多数のサルを出演させるのは大変だっただろう。
でも、本作は「革命」がテーマだから、どうしてもサルの群衆シーンが必要だ。
ちょっと話しが逸れた。
1983年に宇宙飛行士が持ち込んだウィルスによって、犬や猫は死滅した。
類人猿は死ななかった。
そこで、人類はサルをペットにした。
それが、次第に奴隷化される。
まあ、『志村どうぶつ園』なんかを見ていても、チンパンジーなんか本当に知能が高いから、教えれば単純労働くらい幾らでも出来るような気はする。
ただ、本作が第1作と矛盾してしまうのは、現代のサル達が、未来から来た言葉を話すチンパンジーの下で幾ら団結しても、それで急に言葉を話せるようになるだろうか、という点だ。
生物学的な進化は、ほんの数十年くらいでは起こらないだろう。
それに、1作目では、人類は言葉を話せなくなっていた。
これは、どう説明するのか。
つまり、このシリーズは、SFで最も避けなければならないパラドックスを起こしているんだな。
まあ、そんなことを言い出すと、ほとんどのSF映画は成立しなくなるが。
リザというメスのチンパンジーが、コーネリアスの息子のお気に入りになる。
伏線がちょっと張られている。
ただし、彼女は、実際にはそんなにストーリーに絡んで来ない。
で、とにかくサル達は人間に迫害される。
しかしながら、黒人であるマクドナルド補佐官だけは、サルに対して理解を示す。
白人目線のこのシリーズの中で、「黒人」がサルの味方というのがポイントだ。
ある日、街でサル達が人間から余りにも理不尽な扱いを受けているのを見て、アーマンドに連れられていたコーネリアスの息子は、思わず「汚い人類め!」と叫んでしまう。
たちまち、警官達が彼らを取り囲む。
アーマンドをコーネリアスを逃がし、「叫んだのは私だ」と言って、警察に拘束される。
国家権力の横暴、絶対に許すまじ!
橋下のような独裁者ブレック知事(ドン・マレー)と警察署長コルプ(セヴァーン・ダーデン)はアルマンドに迫る。
20年前、言葉を話す2匹のサルが未来の地球からやって来た。
彼らは人類を滅亡に追いやる大変危険な存在で、子供もろとも処刑したはずだったが。
昨今、反抗的なサルが増えており、リーダーとなるサルを求めているのだと。
一方、コーネリアスの息子は、港で荷揚げされるサルの中に紛れた。
とにかく、サル達は人間に虐待されていた。
たくさんのサルがいる中で、コーネリアスの息子だけ、明らかに知能が高い。
彼は繁殖月のメスと引き合わされた。
それが、前に出て来たリザだったのだが。
ちょっと、『スパルタカス』でカーク・ダグラスジーン・シモンズが引き合わされる場面を思い出した。
しかし、何故か、ここは余り深くは描かれない。
昔の奴隷市場のようなサルのオークションが開かれていた。
ここに出品されたコーネリアスの息子は、知事に落札される。
コーネリアスの息子は、わざと利口でないフリをする。
知事は、無作為に開いた本のページをコーネリアスの息子に指差させ、彼の名前を決めることにした。
彼が指差したのは「シーザー」。
知事は「大王だぞ」と言う。
シーザーにはリーダーのオーラが漂っているのか、街を歩いていると、すれ違うサルが皆、振り向く。
さて、アルマンドは怪しい検査を受けていた。
ウソ発見機のような機械を使って。
そして、ついに、20年前に、未来から来たサルの子供の命を救ったことを白状させられてしまう。
アルマンドは、とっさに窓から飛び降りた。
そこは、高層ビルであった。
彼は死ぬ。
知事は、「例のサルを捜せ!」と命令する。
何て憎々しい知事なんだ!
こんなヤツは、大阪都構想を否決して、とっとと引退させろ!
シーザーは、アルマンドの死を知って涙する。
メイク越しだが、これは大変な名演だ。
育ての親が独裁者に殺されたとしたら、そりゃ復讐しようと思うだろう。
シーザーは立ち上がった。
彼は、あちこちで奴隷ザル達の秘密集会を指揮する。
彼の指示で、ナイフや銃等の武器が集められる。
こういった動きの裏で、反抗的なサルを収容する訓練センターは満員になっていた。
独裁知事は、「シーザーを殺せ!」と命じる。
そんな中、黒人のマクドナルドだけはシーザーの理解者だった。
彼は、自分のことは「奴隷の子孫」と言う。
白人が支配する人間社会の中で、サルの姿と自らを重ね合わせる黒人も多かっただろう。
シーザーは、「自由を獲得するには『革命』しかない!」と叫ぶ。
そうだ、革命だ!
今の日本にも革命が必要だ。
僕は政治的には完全にニュートラルだが、心からそう思う。
安保粉砕闘争勝利!
安倍政権粉砕!
天皇制反対!
万国の労働者よ、団結せよ!
ああ、何て素晴らしい映画だ!
それはいいんだけど、第1作では、サルの指導者はオランウータンじゃなかったかなあ。
余談だが、シーザーのセリフに、『ハムレット』にも出て来る「Long live the king!(国王万歳)」がある。