『ギルダ』

この週末は、ブルーレイで『ギルダ』を見た。

1946年のアメリカ映画。
監督はチャールズ・ヴィダー
撮影のルドルフ・マテは後に、SF映画の古典『地球最後の日』を監督している。
主演はリタ・ヘイワース
リタ・ヘイワースの『ギルダ』というのが、大昔のお色気映画だということは何となく知っていたが、現物を見たことはなかった。
本作が彼女の代表作。
当時の大変なセックス・シンボルだったらしい。
現代で言うと、誰だろう?
思い浮かばないや。
共演は、『スーパーマン』のグレン・フォード
彼は『復活の日』にも出ているんだな。
コロンビア映画
モノクロ、スタンダード・サイズ。
画質は良い。
華やかなテーマ音楽。
サイコロを転がすアメリカ人の青年ジョニー・ファレル(グレン・フォード)から始まる。
ギャンブルでボロ勝ちする(実はイカサマ)。
舞台はアルゼンチンのようだ。
帰りに、見知らぬ男から拳銃を突き付けられるジョニー。
先刻の賭博で得たカネを渡そうとしたその時、先が刃になっている杖を持ったマンスン(ジョージ・マクレディ)という男に助けられる。
「君を救いに」と言うマンスン。
彼はジョニーに、本物のギャンブルをするように促し、大きな賭博場へ連れて行く。
ジョニーは、またもイカサマを駆使して、カードでボロ勝ちする。
「ボスが呼んでいる」と男に言われ、別室へ行くと、マンスンがいた。
「何だ、賭博のマネージャーか。」
ジョニーが吐き捨てると、マンスンは「違う。私がここのオーナーだ」と告げる。
イカサマをしたな。二度と来るな」と言うマンスンに対し、「手を組もう」と持ち掛けるジョニー。
調子のいい男だ。
「ギャンブルに女は禁物だ」と、マンスンはジョニーに告げた。
さて、戦争が終わった。
マンスンは、店をジョニーに任せて、旅行へ出掛けた。
帰って来ると、マンスンはジョニーを呼び、一人の美女を紹介した。
それがギルダ(リタ・ヘイワース)であった。
何と、いつの間にやら、マンスンは彼女を自分の妻にしていたのである。
「ギャンブルに女は禁物のはずでは?」と言うジョニーに、「彼女は別だ」と言うマンスン。
マンスンというのは、終始冷徹な男として描かれているが、やはり女に関しては別なんだな。
賭博場には色んな客がいた。
会社を経営しているチンチクリンな男には、明らかにワイロが手渡されていた。
ギルダ、ジョニー、マンスンは、3人で食事をすることになった。
マンスンが席を立った時に、ギルダとジョニーは話す。
何と、二人はかつて恋人同士だったのだ。
だが、どういう経緯で二人が別れたのかは、最後まで明らかにされない。
そこが、ちょっと消化不良なのだが。
ギルダは、わざわざ他の男と踊って、ジョニーに見せ付ける。
ジョニーはそれを見て、ヤキモキする。
マンスンが戻って来た時、ジョニーはギルダへの当て付けのように、「オレを裏切った女を、今でも憎んでいる」と言う。
事情を知らないマンスンは、「ファレルを裏切った彼女に呪いを」と言って、乾杯する。
もちろん、裏切ったのはギルダだ。
その夜、迷信深い彼女は、呪いを掛けられたと思って、苦しむ。
それに気付くマンスン。
店に出入りしているオブレゴン(ジョゼフ・カレイラ)という男は、ジョニーに「賭けに勝ち、恋に泣く」と、うまいことを言う。
さて、前述のチンチクリンな男は、タングステンを取り引きする会社を経営していた。
彼はある夜、突然、ワイロを断られる。
一方、ギルダはゲイブという若い男と踊っていた。
奔放な女なんだな。
その時、チンチクリンな男が店内で発泡し、その直後、トイレにこもって自殺する。
マンスンは、ジョニーに重要書類の在り処を教える。
実は、タングステンを巡るカルテルがあるらしい。
で、マンスンがそれを仕切っているという訳だ。
もし、自分に万一のことがあった時は、ジョニーに後を託そうということだ。
マンスンはギルダをカネで買ったようなものだが、彼女はじっとしていられない性質だった。
「ギルダはどこだ?」と尋ねるマンスンに、ジョニーは「町へ一人で映画を観に行った」と答える。
もちろん、ウソ。
「オレは彼女に夢中なんだ」と、マンスンはジョニーに打ち明ける。
冷徹な男が、ジョニーには心を開いたということだ。
ジョニーは、マンスンをうまいこと言って持ち上げる。
まあ、調子はいいけど、根はそんなに悪いヤツとも思えないというのは、僕もヤツに騙されているのか。
で、ギルダとゲイブは、車に乗って、深夜に帰って来た。
ジョニーはゲイブを一発殴る。
ギルダは「私は好きなことをする!」とジョニーに向かって叫ぶ。
それも、ジョニーのせいらしい。
だが、それがどんな顛末なのかが最後まで分からないから、見終わった後もモヤモヤする。
で、まあ、この後、色々と展開がある。
最後まで面白く見た。
でも、ラストが余りにもご都合的過ぎて、納得が行かない。
描きようによっては、鋭い人間ドラマになったかも知れないが、このラストでは、全てブチ壊しだ。
リタ・ヘイワースが色んな男を手玉に取れるほど魅力的な(色っぽい)ことは間違いない。
だから、男達が翻弄されるのも説得力がある。
当時としては、この映画は、かなりセンセーショナルだっただろう。
それだけに、ラストが残念だ。
まあ、これで映画史上、「お色気映画の走り」位の扱いになったな。