『ロッキー・ホラー・ショー』

この週末は、ブルーレイで『ロッキー・ホラー・ショー』を見た。

1975年のイギリス映画。
監督はジム・シャーマン。
原作はリチャード・オブライエン。
主演はティム・カリー
共演はスーザン・サランドンとバリー・ボストウィック、『007は二度死ぬ』のチャールズ・グレイ
20世紀フォックス
カラー、ワイド。
黒地に真っ赤な唇がドアップで映し出される。
主題歌はSFマニア向けの歌詞。
地球の静止する日』やら『透明人間』やら『地球最後の日』やらが出て来る。
最初は教会で結婚式を挙げているカップル。
しかし、このカップルは本編には何の関係もない。
運良くブーケを受け取ったのは、新郎・新婦の友人のジャネット(スーザン・サランドン)。
恋人のブラッド(バリー・ボストウィック)が彼女にプロポーズする。
本作はミュージカルなので、登場人物は皆、歌う。
歌は素晴らしく上手い。
日本の舞台も、ヘンなアイドル崩れにやらせず、ちゃんと演技の勉強をした「プロ」にやらせないと、レベルが下がる一方だ。
本作には、狂言回しの犯罪学者(チャールズ・グレイ)が要所要所で登場する。
彼は、物語の登場人物達を遠巻きからスライドで眺めている。
嵐の夜、ブラッドとジャネットが車で高校時代の恩師スコット博士の所へ向かっている。
運転しているブラッドは道を間違えてしまった。
おまけに、タイヤがパンクしてしまう。
仕方がないので、途中で見掛けた城に電話を借りに行くことにする。
ジャネットも、不安なので一緒に付いて行く。
巨大なフランケンシュタインの城。
「危険を覚悟で」という思わせ振りな看板が門に掛かっている。
中へ入ると、蜘蛛の巣だらけ。
ガイコツの入った棺もある。
不気味な雰囲気だ。
案内人は、ハゲで金髪ロン毛のせむし男リフ・ラフ(リチャード・オブライエン)。
広いホールでは、ダンス・パーティーの真っ最中。
リフ・ラフとその妹のマジェンタと、男装まがいの娘コロンビアも登場。
不気味な連中が大挙して踊っているので、居たたまれなくなったブラッドとジャネットは帰ろうとする。
そこへ、トランスセクシャル星出身とかいうキモいオッサン、フランクン・フルター博士(ティム・カリー)が現れる。
これが城の主人だった。
彼は人造人間を造っているのだ。
フランクン・フルターは、ブラッドとジャネットに「今夜は泊まりなさい」と告げる。
と、二人はたちまち服を脱がされ、下着姿にされてしまう。
そして、実験室へ行くと、全身包帯でグルグル巻きにされたミイラ男みたいなのが水槽に横たわっている。
主題歌の歌詞に出て来るように、色んな古典的SF映画をパクっているようだ。
包帯男が動き出す。
ムキムキで金髪の白人「ロッキー」である。
彼の歌の中には「woe is me」というフレーズが出て来る。
日本語訳では分からないが、案外詩的なのかも知れない。
実験は大成功のようだ。
フランクン・フルターは、ロッキーにホモっぽい愛情を寄せる。
どうも、こういう映画は気持ち悪くて、受け付けない。
だが、現在では、こういう性差別的な描写は難しいかも知れない。
と、巨大な冷凍庫の扉が開き、中からバイクに乗ったデブ野郎が飛び出す。
彼は、フランクン・フルターの失敗作、エディ(ミート・ローフ)であった。
エディは、フランクン・フルターに無残にもツルハシで惨殺されてしまう。
何か、『シャイニング』みたいだ。
まさか、あっちがパクったのか?
それにしても、音楽的には、しっかりとしたロックである。
で、フランクン・フルターは、ロッキーと結婚すると宣言する。
どうだろう?
時代を先取りしていると言うのか?
公開当時の評判は散々だったらしいが。
ゲストは帰り、残されたブラッドとジャネットは別々の部屋へ。
フランクン・フルターは、ブラッドに変装して、ジャネットの部屋に忍び込み、彼女の処女を奪ってしまう。
そのスキに、実は主人に批判的なリフ・ラフとマジェンタは、鎖に繋がれたロッキーをイジメる。
今度は、ブラッドの部屋に、ジャネットに変装したフランクン・フルターが。
彼は、要するに「バイ・セクシュアル」なのであった。
いいのかな、こういう描写?
で、ロッキーは城から逃げ出してしまった。
リフ・ラフは彼に番犬を放つ。
部屋から逃げ出したジャネットは、ロッキーを発見する。
あろうことか、ロッキーは彼女に好意を抱いてしまう。
ところが、彼らの様子はコロンビアとマジェンタに、全てモニターで監視されているのであった。
さあ、これからどうなる?
とは言っても、大したストーリーではない。
歌はスゴイと思うけど、ヘンな映画である。
まあ、カルト映画と呼ばれるのは、分からなくはない。
が、「好きか?」と聞かれると、「う〜ん、別に」って感じかな。