イギリス文学史I(第6回)『アーサー王の死』(その1)

マロリーについて
15世紀の散文で最も有名なのは、サー・トマス・マロリー(Sir Thomas Malory, 1406?-1471)の『アーサー王の死』(Le Morte d'Arthur, 1467-70)です。
アーサー王の死』は、いわゆる「騎士道物語」に位置付けられます。
「騎士道物語」とは何か。
僕の手元にある高校世界史の教科書(『詳説世界史』)から引用してみましょう。

学問にラテン語がもちいられたのに対し、口語(俗語)で表現された中世文学の代表が騎士道物語である。騎士は西欧中世の人間の理想像で、武勇と主君への忠誠、神への信仰、女性・弱者の保護などを重視する彼らの道徳が騎士道である。このような騎士の武勲や恋愛をテーマにした文学作品として、『ローランの歌』や『ニーベルンゲンの歌』『アーサー王物語』などが知られている。また、おもに宮廷をめぐり歩いて騎士の恋愛を叙情詩にうたったのが吟遊詩人であり、その最盛期は12世紀であった。

マロリーは、古くからイギリスに伝わり、広くヨーロッパ大陸にも流布していたものの、断片的な挿話に過ぎなかったアーサー王伝説を集大成しました。
アーサー王伝説(the Arthurian legends)については、『イギリス文学の歴史』(開拓社)に、次のようにまとめられています。

アーサー王は、伝説的な王であるが、ケルト人の族長で、6世紀ごろ、ローマ軍がイギリスを撤退したのち、侵入して来たアングロ・サクソン人に抵抗した実在の人物であったかも知れない。アーサー王を中心にして、多くの伝説が集められているが、その中には、アーサー王の誕生、その武勇と功績、そして死、王の部下の12人の「円卓の騎士」(The Knights of the Round Table)の活躍、騎士ラーンスロットのアーサー王の妃ギネヴィアに対する愛情と献身、トリストラムとイゾルデとの恋物語、騎士たちが聖杯(Holy Grail:キリストが最後の晩餐のとき用いたといわれる)を探求する物語、などが含まれている。(参考:円卓(Round Table) ギネヴィアが、アーサーと結婚するとき、彼女の父王が、贈物として家宝の「円卓」と100人の騎士を与えた。このテーブルには、150人が坐れた。円形であるため、席の上下の区別がないので、席次争いがなくなった。今日の「円卓会議」(round-table conference)方式も、この考え方から出ている。)

それでは、『アーサー王の死』の著者サー・トマス・マロリーについてまとめられた箇所を、『はじめて学ぶイギリス文学史』(ミネルヴァ書房)から引いてみましょう。

著述家。ウォリックシャの旧家の出身で、祖先の領地を継いだ。放埓な生活を送り、たびたび重罪を犯したかどで告発され、投獄される。一時期、保釈され、ウォリックシャの代議士として議会に選出されたが、再投獄され、獄死した。ここにあげた『アーサー王の死』は、彼の最後の獄中生活で書かれたものといわれている。
この作品は、フランス語のアーサー王伝説や英語の頭韻詩、『アーサー王の死』(Morte Arthure)をもとに書かれた。創作後、約15年たってから、キャクストン(William Caxton, 1422?-91)によって、題名がつけられ、編集、印刷、刊行されたものである。今世紀はじめまで、キャクストン版(1485年)が、唯一の資料であったが、1930年代に古い写本がウィンチェスター大学で発見された。
内容は、アーサー王を中心とする円卓の騎士たちの物語で、中世騎士道精神をよく伝えるものである。歯切れよく、明解な文章で、アーサー王の生涯を軸としたさまざまな出来事が、情趣豊かに描出されており、散文では、15世紀最大の作品といわれている。

ちくま文庫版の巻末には、編訳者・厨川文夫氏(慶応大学名誉教授)による「解説」があり、ここでは、マロリーについても詳しく述べられています。
作者サー・トマス・マロリーは、イングランド中部のウォリックシャに同名の騎士がいて、古い記録が残っており、おそらくそれと同一人物だとされているそうです。
祖先の領地を相続し、フランスへ出征。
1450~51年にかけて、強盗、窃盗、家畜泥棒、ゆすり、強姦、殺人未遂の罪で告訴されています。
数回投獄され、1451年7月には、濠を泳いで脱獄。
それから5日後には、大修道院に押し入って扉を破壊し、院長を侮辱し、財宝を盗んで、またも投獄されています。
にも関わらず、数年後にはウォリックシャの州選出代議士として英国議会に出席したり、国王と共に出掛けたりしているのだとか。
最近の我が国にも、パンツを盗んで逮捕されたことのある大臣がいましたが、それどころじゃないですね。
アーサー王の死』を書いたマロリーと、この無頼の騎士とは別人だという説もありますが、ウィンチェスター写本に、「この書は、騎士囚人トマス・マロリー卿の筆になりしものなり。神この者を釈放したまわんことを。アーメン」と書かれているそうです。
マロリーは1471年3月14日に獄死し、ロンドン郊外ニューゲイト付近の聖フランシス礼拝堂に埋葬されました。
アーサー王の死』を完成させたのは、亡くなる1年か2年前のことでした。
アーサー王の死』について
先程の『はじめて学ぶイギリス文学史』の引用中に出て来るウィリアム・キャクストンは、イギリス最初の印刷業者で、大陸から印刷術を導入して、約80冊の本を出版しました。
その中には、チョーサーの『カンタベリー物語』やマロリーの『アーサー王の死』が含まれています。
アーサー王の死』というタイトルを付けたのもキャクストンですね。
キャクストン版の『アーサー王の死』には、彼による「序文」が付けられているので、その内容を簡単にまとめてみましょう(訳文は、ちくま文庫版より)。
それによると、アーサー王は歴史上の九大偉人の一人であり、しかも、その内3人いるキリスト教徒の筆頭なのだそうです。
キャクストン自身は、アーサー王の実在を信じてはいません。
しかし、彼の実在を主張する高貴な方々の強い要請で、この『アーサー王の死』を印刷したとあります。
基になったのは、「トマス・マロリー卿がフランス語の数冊の書物から選び、英語に翻訳した写本」なのだそうです。
キャクストンは、本作を印刷した目的は、「高貴な方々が、騎士道の華々しいわざや、当時の一部の騎士たちがならいとした君子らしい有徳の行為をお読みになって、学ぶことがおできになるように」と言っています。
また、「暇つぶしにお読みになっても、結構この本は面白いと思います」とも。
彼は、この膨大な物語を、21巻、507章に分けました。
各巻の内容は以下の通り(ちくま文庫版より引用)。

第一巻、ウーゼル・ペンドラゴンが気高い征服者アーサー王をもうけた次第を扱う。二十八章より成る。
第二巻、気高い騎士バランを扱う。十九章よりなる。
第三巻、アーサー王とグウィネヴィア王妃の結婚、その他を扱う。十五章よりなる。
第四巻、マーリンうつつをぬかすこと。アーサー王が挑まれた戦さのこと。二十九章よりなる。
第五巻、ローマ皇帝ルーシヤスを征服。十二章。
第六巻、ラーンスロット卿とライオネル卿のこと。波乱に富む冒険の数々。十八章。
第七巻、気高い騎士ガレス卿。ケイ卿にボーメンと名づけられたこと。三十六章。
第八巻、気高い騎士トリストラム卿の誕生及びその事績。四十一章。
第九巻、ケイ卿、ラ・コート・マル・タイエ卿、およびトリストラム卿について。四十四章。
第十巻、トリストラム卿、波乱万丈の冒険。八十八章。
第十一巻、ラーンスロット卿とガラハッド卿。十四章。
第十二巻、ラーンスロット卿と、その狂気。十四章。
第十三巻、ガラハッドが始めてアーサー王宮廷へ来たこと。聖杯探求が始まったいきさつ。二十章。
第十四巻、聖杯の探求。十章。
第十五巻、ラーンスロット卿について。六章。
第十六巻、ボールス卿とその弟ライオネルについて。十七章。
第十七巻、聖杯について。二十三章。
第十八巻、ラーンスロット卿と王妃。二十五章。
第十九巻、グウィネヴィア王妃とラーンスロット。十三章。
第二十巻、アーサーの悲惨な最期。二十二章。
第二十一巻、アーサー王の最後の別れ。ラーンスロット卿がアーサー王の死に仇を報いるために来たこと。十三章。

なお、ちくま文庫版には、以上の内、第1、5、11、12、18、19、20、21巻しか収録されていません。
途中の巻がかなり省略されているので、内容がつながらない部分も多いです。
ちくま文庫版では、「序文」の次に、「主要登場人物一覧表(五十音順)」が付いています。
本作は、長大な物語なので、とにかく登場人物の数が多いです。
騎士の名前を延々と列挙しているだけのような箇所も。
最初は、アーサー王が如何に立派な王者たるにふさわしい人物であるかが描かれます。
誰も抜けない岩に刺さった剣を易々と抜き、彼を倒すために集まった諸国の王を蹴散らして。
戦争のシーンの描写は、やたらと生々しいです。
剣で腕が切り落とされたり、肉が骨まで砕けたり。
『ベーオウルフ』のように、巨人や竜との戦いも。
で、イングランドの王に過ぎない彼がローマ帝国まで征服してしまいます。
ところが、途中から主役はラーンスロット卿になってしまうのです。
このラーンスロットというのが、アーサー王に仕える身でありながら、王妃であるグウィネヴィアを愛してしまいます。
このグウィネヴィアというのが悪女なんですわ。
ラーンスロットは彼女に翻弄されます。
あれほど神がかって描かれたアーサー王は、最早ただの脇役のオッサンです。
最後の死に方も、伝説の英雄にしては、ちょっと平凡かな。
アマゾンのレビューで、小谷野敦氏が、また「退屈な古典」と書いていますが、確かに、そうかも知れません。
ちくま文庫版の「解説」には、同書に収録された部分の「あらすじ」がまとめられているので、以下に引用しましょう。

アーサー王の数奇な誕生から話ははじまり、やがてアーサー王が、反抗する諸王を平らげ、ついにはローマ帝国を征服し、世界最強の王国を完成する。しかし一方においては、アーサー王が最も信頼する勇士ラーンスロット卿と、アーサー王の愛する美しい王妃グウィネヴィアとの間に、不倫の恋がひそかに芽生え、成長している。ついにはこの不倫の恋が、アーサー王の円卓騎士団の結合に重大なひびを入れ、アーサー王の王国崩壊の原因となる。騎士達の中には、ラーンスロットを嫉み憎む者もいる。陰険なアグラヴェインやモルドレッドなどである。ことにモルドレッドは、アーサー王がその昔、モルゴースを自分の姉とは気付かずに、これと肉体関係を結んで生ませた不倫の子である。アーサー王がフランスにいるラーンスロットを討伐せんとフランスへ攻め入った時、モルドレッドをあとに残し、国を治めさせたが、モルドレッドは王国を乗取ろうと企て、グウィネヴィア王妃をわがものにしようとした。これを知ったアーサー王はただちに兵を返し、モルドレッドと対決した。激戦でモルドレッドは倒れるが、アーサー王も瀕死の重傷を負って妖精の国アヴァロンへ去っていく。グウィネヴィア王妃も、ラーンスロットも、世を棄てて修道の生活に入るが、まもなく王妃は死んでアーサー王と同じ墓に葬られ、ラーンスロットは死んだ二人の墓にとりついて嘆き、悔恨と悲嘆のうちに、ある真夜中に息を引きとる。

この作品の最後に、作者は自分のことを「騎士サー・トマス・マロリー」と名乗り、この本をエドワード四世王の治世第9年目(1469年3月4日~1470年3月3日)に書き上げたと言っています。
それから約15年後、キャクストンがこの作品を印刷・刊行しました。
以来、この作品は、キャクストン版のみで知られて来ましたが、1934年、オークショット氏がウィンチェスター・コレジでマロリーの作品の写本を発見し、ヴィナーヴァ教授がこの写本をキャクストン版のテクストと比較した結果、このウィンチェスター写本の方が、キャクストン版よりもマロリーの原作を忠実に保存していることが明らかになったのです。
ヴィナーヴァ教授は、ウィンチェスター写本を校訂し、キャクストン版との異同を示す脚注を付けた本文を作り、それに注釈や解説を付して、1947年に刊行しました。
ヴィナーヴァ教授の説の重要な点は、従来『アーサー王の死』として、あたかも一つの長編のように扱われて来たものは、実は8編の別個のロマンスであるということです。
更に、これらの8編は、キャクストン版でもウィンチェスター写本でも、同じ順に配置されていますが、製作年代はこの順番ではないと。
ただし、ヴィナーヴァ教授の新説に対しては、多くの反対論や修正説が出ています。
まあ、古い作品ですから、本当のところはよく分からないということですね。
もちろん、1947年にヴィナーヴァ教授の版が出版されるまでは、キャクストン版しかなかったので、後世の英文学に影響を与えたのは、後者の方です。
エドマンド・スペンサーウォルター・スコットウィリアム・モリス、D・G・ロセッティ、スウィンバーン、テニスン、E・A・ロビンスン等の英米の詩人は、皆『アーサー王の死』を読み、その影響を受けた作品を書いています。
この辺の『アーサー王の死』の出版史については、『出版文化史の東西』(慶應義塾大学出版会)に詳しいです。
ちくま文庫版の「解説」には、マロリーに至るまでのアーサー王伝説の変遷も極めて簡潔にまとめられています。
重要な最初の文献は、12世紀中頃の、ジェフリー・オブ・モンマスがラテン語で書いた『ブリテン王列史』。
ここには、未だラーンスロット、円卓、トリスタン、宮廷的恋愛、聖杯の探求等はありません。
しかしながら、15世紀のマロリーの作品に見られるアーサー王の生涯の物語の骨格は、既に出来上がっています。
作者ジェフリーは、オクスフォードのウォルターという聖職者から、ブリトン語(ケルト語)の古い書物を提供されて、それをラテン語に訳したと言っていますが、このブリトン語の原書は発見されていません。
ただ、ジェフリー以前に、アーサー王の伝説がケルト民族の間はもちろん、その外にも流布していたことは、様々な根拠から推測出来ます。
歴史上の実在人物としてのアーサーは、紀元6世紀の初めに、サクソン人と戦って、しばしばこれを敗走させたケルト人の将軍でした。
けれども、ブリテンは遂にアングロ・サクソン人に征服され、ケルト人はウェイルズやコーンウォールアイルランドスコットランド、更には今日のフランス北西部ブルターニュ(ブリタニー)等へ逃れて、そこに定住しました。
これらのケルト人は、いつの日かアーサーが戻って来て、自分達の滅びた王国を再興してくれるに違いないと信じていたのです。
この強い願いと夢とが、やがて彼らの救国の英雄アーサーを世界最強の王者に育て上げてしまいました。
ブリテン王列史』に、その輝かしい生涯を記録されたのは、この偉大な王となったアーサーです。
ジェフリーの『ブリテン王列史』は、1155年、ワースによってフランス語の韻文に訳され、『ブリュ物語』となりました。
これは、更にイギリスの詩人ラヤモンによって、1200年頃、英語の韻文に訳され、『ブルート』となります。
15世紀に、マロリーが処女作『アーサーとルーシヤスとの物語』(キャクストン版第5巻は、これを書き改めたもの)を書いた時に原拠としたのは、14世紀の英語頭韻詩『アーサー王の死』ですが、この頭韻詩の無名の作者が原拠として用いたのは、ジェフリーとラヤモンの書物だったのです。
中世フランスの最大のロマンス作者クレアチン・ド・トロワ(12世紀)は、アーサー王物語を扱って、宮廷風騎士道物語に新しい領域を開きました。
彼は、トリスタンの物語も作ったと自分で書いていますが、その物語は現存しません。
この話しは、本来はブリテンの原住民ピクト人のものでしたが、コーンウォールやウェイルズのケルト人の間に発達し、やがてブルターニュケルト人に伝わり、そこからフランス人に知られるようになったものとされています。
トリスタン物語は、元はアーサー王物語とは別のものでしたが、他の多くの物語と同様に、アーサー王物語に結び付けられてしまいました。
13世紀になると、韻文のロマンスを散文に書き直し、こうして作られた散文物語をグループに組み合わされることが、フランスで行われました。
サー・トマス・マロリーが、作品の中で、しばしば「フランス語の書物」を原拠として挙げていますが、それは上述の13世紀の散文の書き直されたものを指しているのです。
アーサー王の死』は、英文学史の一環か、特に中世英文学を専門に研究している先生のいる大学でなければ、原書講読はなかなか行なわれていません。
中英語の主要な文献としては、『カンタベリー物語』があるからでしょうか。
『出版文化史の東西』によると、中世から近世を経て長く読み継がれた中世英文学の作品と言えば、『カンタベリー物語』と『アーサー王の死』しかないことは、出版史が証明しています。
ところが、前者は早い段階から研究対象となって来たのに、後者は愛読されることはあっても、論じられることはほとんどありませんでした。
前者には現存する15世紀写本が84もあるのに、後者は写本の存在すら長く知られていなかったのです。
『出版文化史の東西』執筆者の高宮利行氏(慶應義塾大学名誉教授)は、「おそらく騎士ロマンスという荒唐無稽な物語展開で読みやすい散文だったために、研究対象にならなかったのであろう」と分析しています。
僕も、いつかは原文で読んでみたいような気もしますが、とにかく長過ぎますからねえ。
テキストについて
ペンギン版(1巻)
原文のテキストで最も入手し易いのは、次のペンギン版でしょう。

Le Morte D'Arthur Volume I (The Penguin English Library)

Le Morte D'Arthur Volume I (The Penguin English Library)

アマゾンで注文すれば、数日でイギリスから送られて来ます。
初版は1969年。
編者はJanet Cowen氏。
序文はJohn Lawlor氏。
キャクストン版を底本とする現代綴りのテキストです。
『出版文化史の東西』には、「これは入手しやすいペンギン・クラシックスとして増刷を重ねたので、一般向けのテクストとしては二〇世紀後半の社会で最も人口に膾炙した」とあります。
アマゾンのレビューにあるように、原典の語順はそのままに、綴りだけ現代英語に直したものです。
まあ、シェイクスピアと同じですね。
でも、散文なので、100年以上後に書かれたシェイクスピアよりも、むしろ読み易いと思います(もちろん、簡単なはずはありませんが)。
中英語と言っても、末期なので、綴りを現代綴りに直したら、近代英語に近いのでしょう。
例えて言えば、二葉亭四迷新潮文庫で読むような感じでしょうか。
アマゾンのレビューには、校訂版としての地位はないので、学術論文には使えないとありますが、トマス・マロリーで卒論を書くような奇特な学生は、学部にはまずいません。
シェイクスピアで卒論を書く学生ですら、滅多にいないのですから。
特に、学部生が英文学史の授業で触りだけ読むのなら、現代綴りで十分です。
本書には、『アーサー王の死』全21巻の内、9巻までが収められています。
なお、表紙は写真と違って、現在ではペンギン・クラシックスの黒いものに統一されています。
ペンギン版(2巻)
Le Morte D'Arthur Volume II (Penguin Classics)

Le Morte D'Arthur Volume II (Penguin Classics)

初版は1969年。
編者はJanet Cowen氏。
序文はJohn Lawlor氏。
本書には、10巻から21巻までが収められています。
如何に現代綴りとは言え、こんなに長い英文学の古典を、一般人が原文で読めるはずもありませんから、一番頼りになるのは、やはり翻訳(日本語訳)版でしょう。
翻訳について
ちくま文庫
手に取り易い文庫版は、上述のように、ちくまから出ています。
アーサー王の死 (ちくま文庫―中世文学集)

アーサー王の死 (ちくま文庫―中世文学集)

初版は1986年(ただし、元になった全集は1971年)。
編訳者は、厨川文夫氏と厨川圭子氏(翻訳家)。
訳文は分かり易いです。
この文庫は膨大な原著(キャクストン版)のダイジェスト版で、完全版は同じく筑摩書房から出ています(全5巻。ただし、絶版)。
昨今、何でもかんでも文庫にする筑摩なので、この完全版も早く文庫化されないかなと思っているのですが(単行本には、アマゾンの古書でプレミアが付いています)。
この文庫版には、「序文」の次に「主要登場人物一覧表(五十音順)」と「アーサー王の親族系図」が付いています。
何せ登場人物の数が多い物語なので、こういうものがあると、大変ありがたいですね。
映画化作品について
アーサー王物語の映画化作品は多数ありますが、その中でも、廉価版のDVDで入手可能なものを2点、紹介します。
『円卓の騎士』
円卓の騎士 [DVD]

円卓の騎士 [DVD]

1953年のアメリカ映画。
監督はリチャード・ソープ
原作はトマス・マロリー。
脚色は、『オズの魔法使』のノエル・ラングレー他。
撮影は、『アラビアのロレンス』『007は二度死ぬ』『空軍大戦略』のフレディ・ヤング他。
音楽は、『クオ・ヴァディス』『ベン・ハー(1959)』『エル・シド』のミクロス・ローザ
主演は、『クオ・ヴァディス』のロバート・テイラー
共演は、『大地震』のエヴァ・ガードナー、『戦争と平和(1956)』『史上最大の作戦』『ローマ帝国の滅亡』のメル・ファーラー、『アレキサンダー大王(1956)』『ナバロンの要塞』のスタンリー・ベイカー、『ハムレット(1947)』『クオ・ヴァディス』のフェリックス・アイルマー、『ハムレット(1947)』のニオール・マッギリス。
MGMのシネマスコープ第1作(テクニカラー)。
豪華なスタッフ・キャストでも分かるように、当時としては超大作のスペクタクル史劇だと思います。
衣装やセットも素晴らしいです。
原作はトマス・マロリーということになっていますが、細部はかなり脚色されているのではないでしょうか。
主役は、アーサー王ではなく、ラーンスロットになっています。
そして、アマゾンのレビューにもありますが、このDVDソフトは、とにかく画質が悪いです。
でも、長大な原作の概略をつかむには、良い作品でしょう。
エクスカリバー
1981年のイギリス・アメリカ映画。
公開当時、小学生だった僕は、この映画の予告を見て、エクスカリバーの名を知りました。
監督は、『殺しの分け前/ポイント・ブランク』『脱出(1972)』『エクソシスト2』のジョン・ブアマン
『脱出』は傑作、『エクソシスト2』は大失敗作と、作品によって振れ幅のある監督ですが、本作はどうでしょうか。
原作はトマス・マロリー。
しかし、確かに原作の要素は盛り込まれていますが、全体としては、かなり違います。
撮影は、『ハムレット(1996)』のアレックス・トムソン。
主演はナイジェル・テリー。
共演は、『地中海殺人事件』のニコラス・クレイ。
アマゾンのレビューでは絶賛の嵐ですが、僕には安っぽいSFファンタジーとしか思えませんでした。
ジョン・ブアマンらしく、色彩は毒々しいです。
巨大なオープン・セットや衣装、戦闘シーンなど、カネは掛かっていると思います。
が、人物の造形が軽いのは、如何にも80年代の映画です。
実質的な主人公はマーリンでしょうか。
結局、原作と映画は違うということを再確認しただけでした。
【参考文献】
詳説世界史B 81 世B 304 文部科学省検定済教科書 高等学校 地理歴史科用』木村靖二、佐藤次高、岸本美緒・著(山川出版社
イギリス文学の歴史』芹沢栄・著(開拓社)
はじめて学ぶイギリス文学史神山妙子・編著(ミネルヴァ書房
出版文化史の東西:原本を読む楽しみ』徳永聡子・編著(慶應義塾大学出版会)