日本近代文学を文庫で読む(第4回)『金色夜叉』

今回は、尾崎紅葉の『金色夜叉』を取り上げます。
金色夜叉』を読んだことがなくても、主人公の貫一とお宮の名前なら、知っている人は多いでしょう。
UNICORNの『大迷惑』という曲の歌詞にも出て来ます。
僕は学生の頃、カラオケが大好きだったのですが、毎回、必ず誰かがこの曲を歌っていました(僕は歌いませんが)。
それはさておき、『金色夜叉』は、当然ながら、高校日本史の教科書にも載っています。
例えば、僕の手元にある『詳説日本史』(山川出版社)には、第9章「近代国家の成立」の「おもな文学作品」という一覧表の中です。
尾崎紅葉については、本文中に次のようにあります。

尾崎紅葉らの硯友社は、同じく写実主義を掲げながらも文芸小説の大衆化を進めた。

硯友社については、脚注に次のようにあります。

尾崎や山田美妙らを中心として結成され、回覧雑誌『我楽多文庫』を発刊した。

上にも出て来るように、『金色夜叉』は大衆小説です。
同作が読売新聞紙上で連載開始されたのは明治30(1897)年1月1日で、二葉亭四迷が初の言文一致体小説『浮雲』を発表してから10年も後ですが、こちらは古風な文語体で書かれています。
「言文一致」については、『精選日本文学史 改訂版』の脚注を見てみましょう。

話し言葉のとおりに文章を書くこと。二葉亭は「だ」調、美妙が「です」調、尾崎紅葉が「である」調を中心に試みた。

これは、高校の国語の授業で覚えさせられました。
言文一致運動を推進したはずの尾崎紅葉が、自分の集大成とも言える『金色夜叉』を文語体で書いたというのは、どういうことでしょうか。
なお、山田美妙の『夏木立』については、『詳説日本史』には載っていますが、現在日本で流通している紙の本は見当たりません。
さて、大衆小説のはずの『金色夜叉』が、いかめしい文語体で書かれている。
明治の人達は文語体に慣れているから、スラスラと読めたのでしょうか。
これについては、岩波文庫版『金色夜叉(下)』の「解説」に面白いことが書かれています。

その紅葉が心血を注いだのは、『金色夜叉』という芝居やシネマでは跡形もなくなる地の文である。たとえば、「前篇」第一章の冒頭、読売新聞紙上に新年と同時に登場したこの長篇小説、そもそもの第一頁は、まことに読みづらく、じつに分りにくい。その日の新聞読者にはどうだっただろう。元旦の屠蘇の酔も加わっている人は、この冒頭など読みとばしたにちがいない。

やはり、当時の人にとっても、既に文語体は読みにくいものであったということですね。
一方、当たり前ですが、会話の部分は口語体で書かれています。
これについて、同書の「解説」を見てみましょう。

紅葉は会話の場面を得意とし、自信をもっていた。おだやかな場面、愉快な、騒々しい場面、険悪な応酬、ひややかな対応、食いちがいの局面、男女の睦語、なんであれ会話の場面になると、紅葉の筆は東都の市井の日常をそのまま再現するごとき趣を呈し、はずみよく捗って、一場面が次の場面を孕みつつ、たちまち一場の景をなしてしまう。語りくどき、胸中を披露する人の長広舌が、ときに理に落ち、行きつ戻りつ停滞することがあっても、紅葉はそれはそれなりに高低緩急のバランスを失うことなく収めてしまう。

要するに、会話の部分が非常によく書けているということですね。
なので、地の文が多少難しくても、会話の部分を読めば、大体の筋は分かります。
内容に入って行く前に、尾崎紅葉について、簡単に見ておきましょう。
『精選日本文学史 改訂版』の脚注より引きます。

尾崎紅葉 慶應三(一八六七)年―明治三十六(一九〇三)年。小説家・俳人。東京都生まれ。本名は徳太郎。明治文壇の大御所と言われる存在として活躍した。

また、同書の本文には、次のようにあります。

紅葉は『二人比丘尼色懺悔』で名を挙げ、『伽羅枕』『二人女房』などを書いた。口語文体への意欲も見せたが、西鶴の影響を受け擬古文体を得意とした。『多情多恨』や『金色夜叉』には、紅葉の、新時代へ向けての精いっぱいの苦心がうかがわれる。しかし細かい心理描写の名文にもかかわらず、思想的な限界から真の近代文学の推進者とはなり得なかった。

『田村の[本音で迫る文学史]』(大和書房)には、もう少し詳しく紅葉について述べられているので、そちらも引用しておきます。

尾崎紅葉は、写実主義の流れに属し、江戸時代の井原西鶴の影響を受けて明治時代の世相を写し、『二人比丘尼色懺悔』によって当代随一の人気作家となった。ただ、その写実の姿勢が皮相的であったために、本質的に近代文学の深さを持たず、“洋装せる元禄文学”として批判もされた。また、その文体は女性的な美文であり、登場人物も、女性を描くことを得意としていた。
代表作に、未完に終わった『金色夜叉』がある。これは、金の力によって婚約者を奪われた書生が、その復讐のために金の鬼と化すという作品。これが江戸時代の道徳的な読み物であれば、ここで意志をまげずに立派な学者となって、後にその道徳的な力で裏切った女性を感化する、などという展開になるところであるが、そうはならないところに写実主義らしい面が出ている。
また、紅葉は、日本で初めての文学結社「硯友社」を組織し、同人雑誌『我楽多文庫』を出した。そして、多くの後進作家を育て、一時は「硯友社」の同人、すなわち、尾崎紅葉門下でなければ文壇に出られないほどの勢力があった。

僕は以前、「大学受験の時に、文学部志望にも関わらず、一切文学史の対策をしなかった」と書きました。
その理由は、単に覚えられなかったからなのですが。
受験対策の文学史が何故面白くないのか、考えてみましょう。
上の『田村の[本音で迫る文学史]』は、大学受験用の参考書です。
「面白参考書」というシリーズで、確かに、受験生が面白く勉強出来るように工夫されているのですが、限界もあります。
引用部分を見て下さい。
「その文体は女性的な美文であり」とあります。
しかし、紅葉の作品の引用は一行もありません。
普通の高校生は、まず尾崎紅葉の作品など読んだことがないでしょう。
僕も、大人になってから初めて読みました。
当然、高校の国語の教科書にも、紅葉の作品は載っていません。
これでは、紅葉の文体が女性的な美文であるかどうか、分かるはずがないでしょう。
仕方がないので、丸暗記するしかありません。
こんなのが、センター試験や私大の選択問題で、「次の中から正しいものを選べ」などと言って出題されます。
尾崎紅葉の文体は女性的な美文であり」と書かれていたら、正解なので、マークシートを塗りつぶす。
何だか、むなしくありませんか。
こんなの、勉強でも何でもありません。
だったら、作品自体を読むべきです。
話しが逸れてしまいました。
尾崎紅葉の略歴について、新潮文庫版の「解説」を参考に、もう少し詳しく述べておきます。
尾崎紅葉は1868(慶応3)年、江戸で生まれました。
1872(明治5)年、母と死別します。
寺子屋・梅泉堂(現・港区立御成門小学校)を経て、府第二中学(すぐに府第一中と統合し府中学となる。現在の日比谷高校)に進学するも中退。
漢学を学ぶ一方、三田英学校で英語を学び、大学予備門入学を目指しました。
1983(明治16)年、東京大学予備門に入り、詩作にふけります。
そして1885(明治18)年、山田美妙、石橋思案、丸岡九華らとともに文学史上に名高い硯友社を結成、回覧雑誌『我楽多文庫』を発刊します。
一方、大学予備門の学制改革により、1886(明治19)年に第一高等中学校英語政治科に編入
1888(明治21)年、帝国大学法科大学政治科に入学、翌年に国文科に転科し、その翌年退学しました。
この前年の末に、大学在学中ながら読売新聞社に入社し、以後紅葉の作品の重要な発表舞台は読売新聞となります。
以後、幸田露伴とともに明治期の文壇の重鎮となり、この時期は紅露時代と呼ばれました。
1895(明治28)年、『源氏物語』を読み、その影響を受けて心理描写に主を置き『多情多恨』などを書きます。
そして1897(明治30)年、代表作『金色夜叉』の連載が『読売新聞』で始まります。
貫一とお宮をめぐっての金と恋の物語は日清戦争後の社会を背景にしていて、これが時流と合い大人気作となりました。
以後断続的に書かれることになりますが、もともと病弱であったためこの長期連載が災いし、1899(明治32)年から健康を害しました。
療養のために塩原や修善寺に赴き、1903(明治36)年に『金色夜叉』の続編を連載(『続々金色夜叉』として刊行)しますが、3月、胃癌と診断され中断。
10月30日、自宅で亡くなりました。
それでは、ここで、『金色夜叉』のあらすじを簡単にまとめておきます。

前編
間貫一は、幼くして両親を亡くしたが、鴫沢隆三に引き取られて、高等中学校に通っている。
貫一は鴫沢家の美しい一人娘・お宮と憎からず想い合う仲である。
また、隆三も貫一を大学に行かせ、将来は鴫沢家の跡取りにするつもりであった。
ところが、正月のカルタ会で、お宮は大きなダイヤモンドの指輪を見せびらかす銀行家の御曹司・富山唯継に見初められ、心がなびく。
隆三も、財産のことを考えて、お宮を富山家に嫁がせようとする。
貫一は納得が行かない。
お宮は胃病をやわらげるために、熱海へ湯治に出掛ける。
貫一はそれを追って熱海に行く。
貫一はお宮の心変りが許せない。
許しを乞うお宮を足蹴にし、貫一は「一生お前を恨み、畜生として生きてやる」と宣言して、それっきり姿を消す。

中編
熱海でのお宮との別れから4年後、貫一は鰐淵直行の下で高利貸しをしている。
これまでの真人間としての生き方はきっぱりと捨てた。
美人高利貸しで人妻の赤樫満枝から言い寄られるも相手にしない。
満枝は、借金の身代わりのようにして赤樫に嫁がされたが、夫は高齢で病身のため、自由に振舞っているのであった。
貫一の金貸しとしての冷徹さは、同業者からも一目置かれるほどである。
ある日、田鶴見子爵邸内の小道で貫一はお宮とすれ違う。
貫一は驚き、憤りつつも目に涙を浮かべる。
お宮は恐ろしさと恥ずかしさで一杯である。
彼女は今では貫一をどれほど深く愛していたかを知り、自分が貫一にした仕打ちを後悔している。
しかし、お互いに声は掛けられない。
貫一は、学生時代の友人と言えども、取り立ての手を緩めない。
ある夜、しつこく迫る満枝を振りほどこうと、いつもと違う道を歩いていた貫一は、二人組の暴漢に襲われ、重傷を負ってしまう。

後編
貫一が暴漢に襲われた事件は、新聞によっては「鰐淵直行が襲撃された」として報じられる。
それを見た直行の一人息子・直道は父に「こんな商売からは足を洗って欲しい」と懇願するが、直行は笑って聞き入れない。
一方、お宮は貫一と別れて初めて、自分が如何に彼のことを愛していたかを知る。
もはや富山での裕福な生活には何の魅力も感じない。
日々後悔の念が募るのみである。
貫一の病室に、満枝が毎日見舞いと言っては訪ねて来て、貫一は大層迷惑している。
鰐淵も貫一と満枝の間には何かあるのではないかと勘繰っている。
ある日、いつものように満枝がいる病室に、お宮の父・鴫沢隆三が訪ねて来る。
隆三は「もう一度話がしたい」と言うが、貫一は「そんな人は知らん」と言って、会おうともしない。
鰐淵からカネを借り、連帯保証人に勝手に友人の父親の名前を書いたとして、私文書偽造で逮捕された青年がいた。
息子の将来を滅茶無茶にされたと憤る母親が、毎晩鰐淵の家を訪ねて来て、ある夜、とうとう火を放つ。
鰐淵家は全焼し、夫妻は焼死。
息子の直道は、病院から駆け付けた貫一に「父が汚い稼業で作った財産など自分は一銭もいらない。カネは全てあなたに譲るので、この仕事から足を洗って下さい」と言う。
貫一は何とも答えない。

金色夜叉
お宮は今になって貫一と別れてしまったことを大いに後悔していた。
夫・富山唯継は外出が多くなり、お宮の貫一への想いはますます募るばかり。
一方、貫一は鰐淵夫妻が焼死した後、その居宅を改装してそこに住まい、相変わらず高利貸しを続けている。
貫一の下へお宮から度々手紙が届くようになった。
おそらく詫びの手紙であろうが、貫一は開封すらしない。
とうとう思いあまってお宮が貫一を訪ねて来る。
だが、貫一は連れない。
そこへ満枝がやって来る。
お宮は来客なので帰る。
貫一は面倒なので家を飛び出すが、戻ると、満枝はまだいた。
彼女は、お宮と貫一の仲を疑う。
しつこく二人の関係について聞き出そうとする。
その夜、貫一の目の前で、お宮と満枝が言い争っている。
お宮は、貫一が満枝と親しそうなのが許せない。
そして、「いっそ私を殺して下さい」と言う。
お宮は満枝を刺し殺し、自分の喉を突き刺す。
血を流しながら必死に詫びるお宮を、貫一はとうとう許す。
けれども、お宮は家を飛び出す。
追う貫一。
水の流れに飛び込むお宮。
ようやくお宮の亡骸を見付けた貫一は、「これから俺はどうして生きてゆけばいいのか」と悲嘆に暮れる。
お宮の亡骸を背負う貫一。
ふと背中が軽くなる。
お宮は花びらと化して散って行った。
貫一が気が付けば、これは夢であった。

続続金色夜叉
貫一の胸はますます苦しくなった。
貫一は旅に出る。
西那須野の駅から車に乗り、夢で見たのと同じ風景に出合う。
宿で、同宿の男女が心中しようとしていたのを部屋に飛び込んで助ける。
男は店の金を使い込み、女は富山唯継に身請けの話が持ち上がっているらしい。
貫一は、見ず知らずの二人の借金を肩代わりする決心をする。

新続金色夜叉
貫一の下には相変わらずお宮から長文の手紙が届いている。
いつもは封を開けずに捨ててしまうのだが、ある時、貫一はとうとうその手紙を読む。
そこには、お宮の後悔の念が連綿と綴られていた。
さらに、お宮は自分の死をほのめかすような手紙も届く。
(未完)

金色夜叉』は、旧漢字、旧かなづかい、地の文は文語体で台詞は口語体という難物ですが、非常に読み応えがあります。
内容は、妙に古風なところもあって、明治の舞台装置に、江戸の情緒が乗っかっているような感じです。
有名な熱海で貫一がお宮を蹴る場面などは、紅葉自身が筆を走らせている様子が目に浮かぶほど、一気に読ませます。
貫一が高利貸しになってからの取立ての描写などは、まるで『ナニワ金融道』のようです(「まるで」の使い方が逆ですが)。
読んでいると、先の展開が気になって仕方がありません。
金色夜叉』の文庫版は、新潮と岩波から出ています。
新潮文庫

金色夜叉 (新潮文庫)

金色夜叉 (新潮文庫)

初版は昭和44年ですが、平成16年に改版されて、文字が大きく、読みやすくなっており、注もそれなりに充実しています。
旧漢字・旧仮名遣い、地の文が文語体、台詞が口語体という、いかにも原文一致運動の渦中に書かれた作品ですが、そこは日本語。
文章の勢いに乗って読み進めれば、結構理解出来るものです。
こういった古典は、まず読んでみることが大事だと思います。
理解は二の次です。
ましてや評論なんて、学者に任せておけば良いのですから。
さて、本書は新聞小説(読売新聞。連載開始は明治30年)らしく、読者を引き付けるために「これでもか」とばかり奇抜な展開に陥ります。
そのため、先が気になって仕方がありません。
文明開化の波に乗って、舞台背景は明治ですが、登場人物たちは江戸の情緒を引きずっています。
明治期の文学作品としては最も多くの読者に愛されたそうですが、批評家は「通俗的だ」と批判しているそうです。
600ページに及ぶ長編(しかも、作者病死のため未完)なので、奇抜な展開の連続も、次第に「またか」と思わされる部分はあります。
連載は好評だったのでしょう。
金色夜叉 前編』『同 中編』『同 後編』『続金色夜叉』『続続金色夜叉』『新続金色夜叉』とあります。
昨今のハリウッド映画も真っ青の続編ラッシュです。
しかし、紅葉は一貫して「人間にとって大切なのは、金銭よりも愛情である」ということを説いています。
もし完成していたら、大変な大河小説になったでしょう。
返す返すも残念です。
本作では、女性を指す時も「彼」という代名詞を使っています。
それから、余談ですが、当時の東海道線は三十余輌編成だったそうです。
今の東海道線は最大15両編成ですから、かなり長いですね。
車両一両あたりの長さは短かったのでしょうか。
貫一は中等(2等車)に乗ります。
現在のグリーン車です。
高等中学校に通っているくらいですから、庶民とは言えませんね。
あと、本版では、差別表現として1箇所伏せ字になっています。
今時、伏せ字なんて珍しくありませんか。
普通は、巻末に「本作には、今日の観点では差別的とされる表現があるが、作品の文学的価値に鑑み、そのまま掲載した」云々と書かれるところでしょう。
ちなみに、岩波版にはきちんと掲載されています(削除されたのは「エタ」)。
読んでいて気になったのは、当時の高利貸しの利息についてです。
詳しくは分かりませんが「天引三割の三月縛」と呼ばれるものでした。
例えば、100円を借りると、130円の証書を書かされます。
3ヵ月後には、30円の利息を払わなければなりません。これを年利に換算すると、120パーセントという高利です。
現在のサラ金の利息が年利20パーセント以下であることを考えると、これは大変な暴利だと言えるでしょう。
利息を約束の日に払えないと、先述の130円の証書を、更にその3割(39円)を上乗せした169円の証書に書き替えさせられます。
このようにして雪ダルマ式に借金が膨らんで行く。
おまけに、利息を耳を揃えて払えないと、延滞料、日当、車代(!)等といった名目で、3円、5円、10円と取り上げられ、しかもこれは利息の支払いには充当されません。
当時は、こんな恐喝まがいの行為がまかり通っていたのでしょうか。
本作では、このような金貸しのやり口が、『ナニワ金融道』も真っ青の生々しさで描かれています。
岩波文庫
岩波文庫版は、(上)と(下)に分かれています。
金色夜叉(上) (岩波文庫)

金色夜叉(上) (岩波文庫)

初版は1939年ですが、現在流通しているのは、2003年に出た改版です。
(上)には、「前篇」「中篇」「後編」が収録されています。
注や解説はありません。
金色夜叉(下) (岩波文庫)

金色夜叉(下) (岩波文庫)

(下)も、初版は1939年ですが、現在流通しているのは、2003年に出た改版です。
こちらには、「続篇 金色夜叉」「続続 金色夜叉」「新続 金色夜叉」の3編が収録されています。
はやり、注はありません。
解説は杉本秀太郎氏。
【参考文献】
詳説日本史B 改訂版 [日B309] 文部科学省検定済教科書 【81山川/日B309】笹山晴生佐藤信五味文彦、高埜利彦・著(山川出版社
精選日本文学史』(明治書院
田村の〈本音で迫る文学史〉 (受験面白参考書)』田村秀行・著(大和書房)