『クリスマス・キャロル』を原書で読む(第1回)

日本の英語教育史における『クリスマス・キャロル

僕はクリスチャンではなく、それどころか完全な無神論者ですが、クリスマスが近付いて来たので、ふと思い立って、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』を原書で読んでみることにしました。
ディケンズは言うまでもなく、シェイクスピアに次ぐ(敢えて「並ぶ」とは言いません)イギリスの文豪です。
文豪とは、『青木世界史講義の実況中継[文化史]』(語学春秋社)には次のようにあります。

文豪というキャッチフレーズは、だいたい各々の国で1人ずつぐらいの大物にしか使用されません。(中略)イギリスでは2人いる。1人は間違いなくシェークスピアで、もう1人はディケンズです。

さて、『クリスマス・キャロル』は、ディケンズの作品の中でも、老若男女に最も親しまれている作品だと言われています。
文豪の最も親しまれている作品ということは、日本で言えば、夏目漱石の『坊っちゃん』みたいな感じでしょうか。
英文学の代表的な作品なので、日本に紹介されたのも早かったようです。
やや時系列が分かり難いですが、光文社古典新訳文庫の「解説」には、次のようにあります。

幕末から明治へかけて英学を近代化の柱とした日本で、ディケンズと同年のサミュエル・スマイルズ著『自助論、Self-Help』(一八五九)が中村正直訳『西国立志編』として明治四年(一八七一)に出版され、福沢諭吉の『西洋事情』と並ぶベストセラーとなったことはよく知られていよう。『クリスマス・キャロル』は明治二一年(一八八八)に饗庭篁村訳で紹介されている。ディケンズが少年時代に愛読した『ロビンソン・クルーソー』は、はじめオランダ語からの孫訳で明治五年に出て、英語の原典から邦訳されたのが明治一六年である。チャールズ・ラムの『シェイクスピア物語』が明治一九年、戯曲『ヴェニスの商人』はそれより早く一六年に訳されている。ほかにも、少なからぬ翻訳がこの時期に刊行された。中にはかなり大胆な翻案、いわゆる「豪傑訳」も見られるが、明治の中葉は翻訳文化の時代だった。

現在では考えられないことですが、戦前の英語教育では、英文学を非常に重視していました。
英語教育史の権威である江利川春雄先生(和歌山大学教育学部教授)の『日本人は英語をどう学んできたか』(研究社)によると、旧制高校の英語教科書では、文学作品が全体の7割を占め、作家別のランキングでは、ディケンズは何と、トマス・ハーディ、アーサー・コナン・ドイルに次いで3位でした(シェイクスピアは4位)。
まるで、英文科のようです。
井田好治氏の「大正後期における旧制高校の英語教科書について」によると、大正10(1921)年度には、第五高等学校(現・熊本大学)の2年生、松本高等学校(現・信州大学)の3年生、山形高等学校(現・山形大学)の2年生で、『Christmas Carol』が英語の教科書として使用されています(もちろん、ディケンズの他の作品もたくさん読まれています)。
また、これは例外的なのでしょうが、江利川春雄先生の『近代日本の英語科教育史』(東信堂)によると、戦前の実業補修学校(小学校卒業者を対象に、小学校教育の補修と、職業科目を教える学校。主に夜間)の中にも高度な英語教育を行なっていたところがあるとのことです。
例として、大正13(1924)年当時の横浜市立横浜商業専修学校(戦後の横浜市立横浜商業高校定時制)の英語授業の様子が活写されているので、引用してみましょう。

英国のオーガステイン・ビレルを思はせるのはわが敬愛する下山忠夫先生である。先生から最初「クリスマス・カロル」をならった。マクミラン版の本を用ひてのこの講義は、今までリーダーばかり習ってゐた私共にはなんだか大人になったやうな感じがして皆一生懸命に勉強したものだ。あの冒頭の“Mary(ママ) was dead: to begin with”、などは皆が暗誦する位によんだものだ。クリスマス前夜のクラチット家での賑かな光景の箇所など、皆先生を囲んで楽しく勉強したのである。当時の同級生の会を「スクルーヂ・パーティ」と名付けたのもこの物語中の主人公の名に因んでの故であった。

江利川先生は、この学校での英語教育を、「あたかも大学の英文科を思わせる水準である」と評しています。
しかしながら、戦後もある時期までは、大学の英文科でなくても、英文学は英語教育に普通に取り入れられていたのです。
例えば、昭和22(1947)年の「学習指導要領 英語編(試案)」を見てみましょう。
「第十章 高等学校における英語科指導」では、「第10学年(高校1年)ではいろいろの本を読む力をすすめること」として、「課外の読みもの」を「生徒は次のうちから二つぐらい選んで読むことにする」とされています。
その中には、「Lamb:Tales from Shakespeare」「Stevenson:Treasure Island」「Stowe:Uncle Tom's Cabin」「Dickens:A Christmas Carol」などが挙げられていました。
これらは、いずれも旧制中学や旧制高校で英語の教材として、よく読まれていたものばかりです。
一方、僕は会社の近くのベローチェでドイツ語の勉強をしていた時、隣の席に座っていた地元の都立トップ高校生と思しき男の子から、「ゲーテって何ですか?」と尋ねられたことがありました。
現在では、商業高校の定時制ディケンズの原書講読を行うということは、まず考えられないのではないでしょうか。
いや、それどころか、大学でもかなり少なくなっているようで、僕が調べた限り、『クリスマス・キャロル』の原書講読は、関西大学の外国語学部(年度不明)と京都教育大学(2009年度)の例くらいしか見当たりませんでした。
かつては、英文科の原書講読の定番教材だったのですが。
栗原裕氏の『エッセイ集 英文学教育の周辺』(開拓社)には、原書講読のテキストについて、「昔は、来る年も来る年もヒルトンの『チップス先生、さようなら』とかディケンズの『クリスマス・キャロル』と決めていた先生がいた」とあります。
長くて難しい『デイヴィッド・コパフィールド』は無理でも、最も有名で、ペンギン版で80ページそこそこ、しかも子供向けに書かれた『クリスマス・キャロル』を読めば、「ディケンズを原書で読破した」と胸を張って言えるのです。
例えば、イギリス人から「Soseki Natsumeの『Botchan』を日本語で読んだ」と言われたら、たまげませんか。
昔の人は、シェイクスピアの原文は無理でも、それを子供向けに易しく書き直した(ちっとも易しくありませんが)ラムの『シェイクスピア物語』を読もうとしました。
旧制高校生に人気のあった『若きウェルテルの悩み』は、彼らが「『ファウスト』は無理でも、それより短くて散文ならドイツ語でも読める」と思ったからかも知れません。
それでも、「ゲーテを読破した」と言えるのですから。
ただし、相手を間違えると、「ゲーテって何ですか?」と言われてしまいます。
そこら辺が案外、教養主義が衰退した本当の原因かも知れませんね。
ちなみに、僕の細君は、高校生の頃に公文の速読教室で『クリスマス・キャロル』の原文を読んだそうです。
優秀ですね。
高校時代の僕は、英検4級も怪しいレベルだったので、到底読めなかったと思います。
かつて、高校生向けの多読教材で、英文学作品を平明な現代英語に書き改めて註解を施した直読直解アトム英文双書(学生社)というシリーズがありました。
その中の『クリスマス・キャロル』の「はしがき」には、「原作は、現在では、英語英文学専門の研究家でないと理解が困難なほど難解になっている」とありますが、どうでしょうか。
実際に原文を読んで、確認してみたいと思います。

チャールズ・ディケンズについて

では、『クリスマス・キャロル』の著者であるチャールズ・ディケンズ(Charles Dickens, 1812―70)について、『はじめて学ぶイギリス文学史』(ミネルヴァ書房)から、略歴を引いてみましょう。

小説家。イギリス南部のポーツマス近郊に生まれる。ロンドンに移転後、父が借財不払いで投獄されたため、ディケンズは幼くして靴墨工場で働かなければならなかった。これは、彼にとっては生涯忘れることのできない屈辱となった。
やがて新聞記者となり、見聞した風俗をスケッチ風にまとめた『ボズのスケッチ集』(Sketches by Boz, 1836)を出版し、同年、キャサリン・ホガースと結婚した。続いて出版した『ピクウィック・ペイパーズ』(The Pickwick Papers, 1836―37)は、爆発的人気を呼んだ。ディケンズは、旺盛な創作力にものをいわせて、『オリヴァー・トゥイスト』(Oliver Twist, 1837―39)、『骨董屋』(The Old Curiosity Shop, 1840―41)、『クリスマス・キャロル』(A Christmas Carol, 1843)、『ドンビー父子』(Dombey and Son, 1846―48)、『デイヴィッド・コッパフィールド』(David Copperfield, 1849―50)などの作品を次々に発表した。
その後、執筆のかたわら週刊雑誌の編集や経営、社会的な慈善事業や素人劇団作りに情熱を傾けたディケンズは、自作の公開朗読をアメリカやイギリスの各地でおこなって大好評を博した。しかし、作家として成功し、社会的名士と仰がれる一方で、その内面生活は暗く、家庭生活には亀裂が生じ、妻と別居するにいたる。『寂しい家』(Bleak House, 1852―53)、『困難な時世』(Hard Times, 1854)、『小さなドリット』(Little Dorrit, 1855―57)、『相互の友』(Our Mutual Friend, 1864―65)などの後期の作品は、こうした複雑な精神状態を反映するかのように不安と焦燥感にみちている。
ディケンズは、ヴィクトリア朝の経済的繁栄の裏に隠された弊害を暴き出し、唯物主義、拝金主義によって歪められた人間の心の悲しみと痛みを、鋭い洞察力とペーソスをもって描いた。彼の特徴ともいうべき誇張された人物描写、サスペンスにみちた物語の劇的展開は、今日の読者をも広く魅了する豊かな生命力を持っている。

クリスマス・キャロル』について

続いて、『クリスマス・キャロル』という作品について、『イギリス文学の歴史』(開拓社)にごく簡潔に触れられているので、下に引いておきます。

ディケンズは、社会の不正や偽善の曝露・攻撃に精力的努力を傾けているが、社会改革の具体的な計画は示さなかった。彼は、社会悪を正す唯一の原動力は、キリスト教的愛の精神であると考えた。この思想を最も明白にうち出しているのが、『クリスマス・キャロル』(A Christmas Carol, 1843)である。老守銭奴スクルージ(Scrooge)は、クリスマスの前夜、死んだ同僚の幽霊の来訪を受け、今までの強欲な生活を悔い改め、温い人間性にめざめ、慈悲深い人に変わる。

また、簡単なあらすじが、『たのしく読めるイギリス文学』(ミネルヴァ書房)にまとめられているので、次に載せておきます。

クリスマスの前夜だというのに、老スクルージ(Scrooge)は事務所で働いている。彼はひとり暮らしの人間嫌いの老人で、おまけに冷酷な守銭奴だった。身を切るような寒い日だというのに、けちん坊の彼はろくに石炭を燃やそうともしない。クリスマスを祝うという敬虔な気持は彼には微塵もなくて、甥が翌日の晩餐に招待しても、喜ぶどころか冷たく追い帰してします。そんな老人を、不思議な出来事が待ち構えていた。帰宅すると、部屋の呼鈴が勝手に鳴りだし、不気味な物音とともに7年前に死亡した共同経営者だったマーレイ(Marley)の幽霊が現れたのだ。初めのうちこそ幽霊の存在を疑っていたが、重い鎖を引きずっていて、いかにも不気味な彼の幽霊に見つめられ、ついにスクルージは恐怖の念に捕えられて命乞いをする。そんな彼に向かい、悔い改めよ、と幽霊は命じる。そして3人の幽霊がやがて現れる、と告げて去ってゆく。
時計が1時を打つと、最初に「過去のクリスマスの幽霊」が現われ、この幽霊に手を取られて外に出ると、老人の眼の前には昔の子供の頃の情景が広がっていた。彼は楽しい思い出に酔い、学校時代の悲しい思い出には涙ぐみ、また小僧として勤めていた商店で、善良な主人が催してくれたクリスマス・パーティを思い出し、昔に戻って陽気に騒ぐ。しかし、金のために恋人を捨てた自分の姿を見せられて、後悔の念に襲われる。次に「現在のクリスマスの幽霊」が登場し、スクルージが安月給でこき使っているボブ・クラチット(Bob Cratchit)の家の、貧しいながらも楽しいクリスマスの祝いの模様を見せ、さらにこの老人の甥の家の、賑やかで陽気な祝宴の場に連れてゆく。最後に「未来のクリスマスの幽霊」が現れ、誰にも愛されなかった孤独な男の死体を見せる。スクルージはこの不幸な男は誰なのかと考えるが、幽霊が指さす墓の上には自分の名が刻まれていた。ぶるぶる震えながら、彼は慈悲を乞うて幽霊の衣にしがみつくのだった。
翌日のクリスマスの朝に目がさめると、人が変わったように、彼は慈善を施し、人々に愛される「善い友となり、善い主人となり、善い人間」となったのである。

テキストについて

一口にテキストと言っても、様々な版が出ていますが、僕が選んだのは下のペンギン版です。

PENGUIN ENGLISH LIBRARY版

Penguin English Library a Christmas Carol (The Penguin English Library)

Penguin English Library a Christmas Carol (The Penguin English Library)

初版は2012年。
先述の「実践報告 ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読む」によると、「私たち専門家がふだん用いる定本」は「The Oxford Illustrated DickensChristmas Books」なのだそうです。
それなのに、なぜ僕は今回、ペンギン版を選んだのでしょうか。
それは、この版が大型書店の洋書コーナーなどで普通に売られていて、最も入手し易いからです。
ちなみに、僕は新宿の紀伊国屋さんで購入しました。
ペンギン版は価格も手頃です。
確かに、版によって単語の綴りや句読点の打ち方などが微妙に違うことがあります。
そのため、学術的な目的には使い難いのかも知れません。
しかし、僕は別に学者ではないので、入手し易いペンギン版で十分なのです。
この版にはディケンズ自身による「Preface(序文)」がありませんが、僕が参照する角川文庫版の翻訳(後述)にも付いていないので、支障はありません。
注も解説もなく、イラストも入っていませんが、テキストとして使うなら、シンプルで良いでしょう。

PUFFIN CLASSICS版

A Christmas Carol (Puffin Classics)

A Christmas Carol (Puffin Classics)

初版は1984年。
再版は2015年。
PUFFINはペンギンの児童向けレーベルです。
この版も入手し易く、大型書店の洋書コーナーなどで普通に販売されています。
ちなみに、新宿の紀伊国屋さんでは、上のPenguin版の方が売れているようです。
なお、僕の近所の調布市立中央図書館に所蔵されているのは、こちらの旧版でした。
この版には、「Preface」も収録されています。
また、Mark Peppé氏による十数点のイラストが流麗です。
巻頭にはAnthony Horowitz氏による「INTRODUCTION」、巻末には「AUTHOR FILE」「WHO'S WHO IN A CHRISTMAS CAROL」「SOME THINGS TO THINK ABOUT...」「SOME THINGS TO DO...」「A VICTORIAN CHRISTMAS」「A DICKENSIAN GLOSSARY」が収録されています。

翻訳について

原書を読んでいて、辞書を引いても文の意味が分からない場合は、翻訳を参照すると良いです。
基本的な文法や構文が身に付いていれば、たちどころに文の構造が見えて来ます。
僕が尊敬する伊藤和夫先生(元・駿台予備学校英語科主任)も、『伊藤和夫の英語学習法』(駿台文庫)の中で、「僕も修行中は、対訳本は使わなかったけれど、翻訳と原書を並べて、原書で分からなかったら翻訳を見る、つまり翻訳を辞書のように使う勉強はずいぶんやったよ」と仰っています。
クリスマス・キャロル』の翻訳は現在、日本では、廉価な文庫版だけでも、4種類が入手可能です。
ただし、少年向けのものは除きます。
少年向けの版は、本文が省略されていることが多いからです。
それでは、大人向けの文庫版を以下に紹介します。

集英社文庫

文庫の初版は1991年。
ただし、元になったのは『愛蔵版「世界文学全集」第15巻』(集英社刊・1975年)に収録されたものとのことです。
翻訳は中川敏(さとし)氏。
翻訳が古いからか、漢字やかな遣いが独特で、昔の少年向け文学全集のようです。
巻末には、「訳注」「解説」「鑑賞」「年譜」が収録されており、文庫版の中では最も充実しています。

光文社古典新訳文庫

初版は2006年。
翻訳は池央耿(いけひろあき)氏。
子供向けの作品であるはずなのですが、訳文は難解な漢語が多用されていて、かなり硬いです。
「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というのが光文社古典新訳文庫のモットーだと思うのですが。
失礼ながら、1940年生まれという訳者のご年齢も関係しているのかも知れません。
巻末には、訳者による「解説」「ディケンズ年譜」「訳者あとがき」を収録しています。

新潮文庫

クリスマス・キャロル (新潮文庫)

クリスマス・キャロル (新潮文庫)

初版は平成23年
翻訳は村岡花子氏。
ただし、同氏による翻訳はかなり昔のものであるため、現在の版は、孫に当たる村岡美枝・村岡恵理両氏によって改訂されたものです。
巻末の「改訂にあたって」より引用します。

花子の『クリスマス・キャロル』の訳文には、その若き日々の経験が独特な味わいとなって滲み出ています。また、短歌や日本の古典文学に親しんだ明治の人ならではの言葉遣いやリズムが感じられます。しかしながら、一九五二年の出版から半世紀以上が経ち、現代の読者の方たちにとっては、その古風な文体が、多少読みづらくなっていることも否めなくなりました。
このたび、私どもは原書を読み直し、作品の雰囲気、花子の語感をこわさないように留意しながら、訳文に訂正を加えました。

その前の村岡花子氏による「解説」には、次のようにあります。

この翻訳は以前新潮社の求めで仕上げてあったのだが、今その旧稿に手を入れてやはり新潮文庫の一冊として公けにすることができるのは嬉しいことである。
(一九五二年秋)

つまり、少なくとも70年くらいは前に書かれた原稿を元にしているということですから、幾ら改訂しても、独特の古風な表現などは隠しようもありません。
ただ、それでも、今回四つの翻訳を読み比べてみて、この訳が最も胸に迫って来るということは感じました。
原文に忠実かはさておき、翻訳として読むには、確かに、この版がいちばんいいのかも知れません。
さて、前述の「実践報告 ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読む」には、「ところで翻訳書に関して筆者が教室で面白い現象だなと毎年感じるのは、ゼミ生のほとんどが、数ある邦訳のうち、なぜか村岡花子新潮文庫の翻訳本(初出は、『クリスマス・カロル』新潮社 1952。その後、村岡花子訳は 1966 年に『クリスマス・キャロル』と題して河出書房の『少年少女世界の文学』8 にも収録される)を選んでいるということである」とあります。
著者の宇佐美氏は「それを敢えて選んだ学生たちの真意を慮るたびに」云々と書いていますが、これは学生に何らかの意図があったというより、ひとえに新潮社の営業力によるものでしょう。
新潮文庫は、どんな町の本屋さんにも置いてありますから。
ちなみに、新宿の紀伊国屋さんでも、この版が圧倒的に売れているようです。

角川文庫版

クリスマス・キャロル (角川文庫)

クリスマス・キャロル (角川文庫)

初版は令和2年。
翻訳は越前敏弥氏。
先日発売されたばかりで、現在のところ、最も新しい翻訳です。
僕は、原書を読む際に参照する翻訳は、新しいものほど良いと考えています。
新しい翻訳は、必ず先行訳を参照して書かれているため、前の訳にあった間違いや欠点が修正されている可能性が高いからです。
訳文は非常に分かり易く、また、原文に忠実に訳されています。
この二つを両立させることは、実はとても難しいことです。
さすがは、『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を書いた方だけあります。
越前氏は、「訳者あとがき」の中で、次のように述べているので、引いてみましょう。

少し裏事情を明かすと、今回の訳出にあたっては、全体を敬体(「~です、~ます」などで終わる文体)で処理することも考えた。児童書ならともかく、大人向けの作品では通常は考えがたいことだが、この作品には、夢と現実のはざまを漂う物語を読者に語り聞かせているような趣が強く感じられるのだ。

「ですます体」に近い文体ということは、それだけ易しいということでしょう。
なお、前述のように、「序文」はありません。
巻末には、簡潔な「訳者あとがき」があります。

注釈書について

クリスマス・キャロル』の注釈書で現在、日本で流通しているのは次の研究社小英文叢書のみです。

研究社小英文叢書版

A Christmas carol (研究社小英文叢書 (77))

A Christmas carol (研究社小英文叢書 (77))

初版は、何と1949年。
註釈は、英語英文学の権威・市河三喜氏。
しかしながら、本書の註釈は全て英語です(ご丁寧に、「前書き」まで英文)。
旧制高校生くらいの英語力があるなら別ですが、『クリスマス・キャロル』の原書を、「入門として」「有名だから」「子供向けだから」「短いから」という理由で選んだような人が理解出来るとは思えません。
下手をすると、本文より難しいということもあり得ます。
少し話しが逸れますが、よく「本当の英語の意味を知るためには、英英辞典を使わないといけない」などと言って、高校生や大学受験生に英英辞典を勧める人がいますが、現在の大学入試にそんなものが必要だとは到底思えません。
英語が得意で、好きで好きでたまらない生徒が趣味で使うのなら勝手にすればいいですが、普通の受験生なら、定義の英文の意味が分からず、まず袋小路に陥ります。
それに、「本当の意味」って何なのでしょうか。
日本語だって、「○○という言葉の意味を間違って使っている人が○パーセント」などと新聞の記事になるくらいです。
英英辞典を使ったくらいで「本当の意味」が分かるのでしょうか。
外国語は、そんなに甘いものではないと思います。
僕のように英語が苦手な一般庶民は、もっともらしい言葉に耳を傾けたりせず、普通に英和辞典を使えば良いのです。
なお、この版の本文は137ページあります。
相当頑張れば、大学の授業でも1年間で読み切れるかも知れません。
余談ですが、僕が学生の時、恥ずかしながら、英語の再履修クラスで、クリストファー・イシャウッドの『さらばベルリン』を読みました。
このテキストが同じ研究社小英文叢書で、約100ページだったと記憶しています。
再履修クラスなので、学生の英語力は最低で、しかも、誰も予習して来ないという悲惨な状況。
訳を当てられても、「これは…え~っと、その…え~っと、そして…え~っと、わかりません」と答えるような感じでしたが、先生は毎週5ページずつ授業を進め、何と1年間で最後まで読み切りました。
意欲のある英文科の学生なら、もっと速いペースで読み進められるでしょう。
もっとも、昨今は、上述のように、本作を大学の授業で読むことはあまりないようですが。

講談社英語文庫版

初版は1989年。
本書は厳密な意味での注釈書ではありませんが、原文に対して、巻末に30ページに及ぶ「NOTES」があり、難しい語彙や表現の意味が日本語で載っています。
そのため、辞書を引いた上で、原書と翻訳を照らし合わせても分からない箇所は、本書の「NOTES」を参照すれば良いのではないでしょうか。
なお、カバーに「TOEICレベル:470点~」とありますが、こんなのは出来るだけたくさんの人に本を売るための方便です。
僕はTOEICなんぞ受けたことがないので、詳しいことは分かりませんが、満点が990点ということは平均点以下。
あの試験問題で平均点以下の人が、英文学の名作の原文をスラスラと読めるとは到底思えません。
ただ、挑戦してみるのは良いと思いますが。
英文学作品を原書で読むために必要なのは、基本的な文法・構文を理解する力、つまり、昨今「実用的でない」と言って批判される受験英語です。
クリスマス・キャロル』の第1文目には、「to begin with」という、大学受験生にはおなじみの熟語が出て来ます(我々の世代には懐かしい『試験にでる英熟語』にも当然載っています)。
そして、基礎力さえあれば、後はひたすら辞書を引き続けるという単調な作業に耐える忍耐力です。
そのためには、「どうしてもこの作品を読みたい」という強い意志がなければいけません。
そして、特に社会人は、仕事やら何やらで、思ったように時間が取れないことも多いでしょう。
でも、絶対に投げ出さないことです。
1日数行でも、続けていれば、いつかは読み終わります。
外国文学の原書を読破した時の何ものにも変え難い充実感は、経験した者にしか分かりません。
Through hardship to the stars!

映画化作品について

作品の内容を手っ取り早く把握するには、映画を見るという方法があります。
ただし、脚色や演出によって、原作と微妙に異なる場合もあるので、注意が必要です。
クリスマス・キャロル』の映画化作品は多数ありますが、現在の日本で、廉価なブルーレイなどで簡単に入手出来るものは、次の三つ。
いずれも、錚々たる名優が演じています。

1970年版

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1970年のイギリス映画。
監督は、『ポセイドン・アドベンチャー』のロナルド・ニーム
撮影は、『ナバロンの要塞』『ロリータ』『屋根の上のバイオリン弾き』のオズワルド・モリス。
美術は、『ドクトル・ジバゴ』『遠すぎた橋』のテレンス・マーシュ
音楽は、『夢のチョコレート工場』のレスリー・ブリッカス、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のハーバート・スペンサー
主演は、名優アルバート・フィニー
オリエント急行殺人事件』のエルキュール・ポアロですね。
共演は、『マダムと泥棒』『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』『ローマ帝国の滅亡』『ドクトル・ジバゴ』『スター・ウォーズ』の名優アレック・ギネス、『史上最大の作戦』のケネス・モア、『大脱走』のゴードン・ジャクソン。
アルバート・フィニーアレック・ギネスの共演とはスゴイです。
さすが、有名古典は気合いを入れて映画化しますね。
なお、アカデミー賞の歌曲賞、衣装デザイン賞、美術賞、主題歌賞にノミネートされています(受賞には至らず)。
本作はミュージカルです。
西洋では、クリスマスは歌ったり踊ったりのお祭りなので、ミュージカルに向いている素材だと言えるでしょう。
カラー、シネスコ・サイズ。
84年版より製作にカネが掛かっている印象です。
劇場版だからでしょう。
原作を省略している箇所や、原作にない箇所が多いですね。
それから、アレック・ギネスが出過ぎだと思います。
でも、歌いません。
最後の方はスクルージが大盤振る舞いし、大騒ぎをして大団円を迎えます。
まあ、ミュージカルだから、これでいいのかも知れませんが。
全体的に、ミュージカル向けのシーンを集めて作った印象です。
ちょっと、登場人物の人物描写が弱いような気がします。
細君は、「84年版の方が良かった」と言いました。
僕もそう思いますが、ミュージカルというところに本作の価値はあるのでしょう。

1984年版

クリスマス・キャロル [Blu-ray]

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  • 発売日: 2016/12/02
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1984年のアメリカのテレビ映画。
監督はクライヴ・ドナー
主演は、『ハスラー』『博士の異常な愛情』『天地創造』『パットン大戦車軍団』の名優ジョージ・C・スコット
共演は、『オーメン』『戦争のはらわた』のデビッド・ワーナー(あの『タイタニック』にも出ていました)、『空軍大戦略』『スーパーマン』のスザンナ・ヨーク、『炎のランナー』のナイジェル・ダヴェンポート、『愛と哀しみの果て』のマイケル・ガフ。
カラー、スタンダード・サイズ。
元がテレビ映画のためか、画質はイマイチです。
しかし、しっかりとした役者を揃えているので、演技は手堅く、安心して見ることが出来ます。
クリスマス・キャロル』は寓話です。
まず、日本では、クリスマスは若者がケーキを食べて騒ぐくらいの印象しかないので、本作の深い宗教的な意味合いは理解出来ないでしょう。
スクルージの生い立ちには、同情の余地は多々あります。
不幸な少年時代を過ごして、性格がひねくれてしまうということは往々にしてあるので、彼のことを責められません。
本作は、19世紀当時の理想的な家族の在り方を描いていますが、これは現代にそのまま当てはめられないでしょう。
今は、家族の在り方は多様です。
一人暮らしの人もたくさんいます。
それから、本作の描く19世紀の産業革命を背景にした格差と貧困の問題は、そのまま現代にも当てはまるのです。
最後は、因果応報の教訓話しとも言えますが、子供がロクでもない大人にならないようにするには役に立つかも知れません。

2009年版

2009年のアメリカ映画。
監督は、『ベオウルフ/呪われし勇者』のロバート・ゼメキス
製作は、『ベオウルフ/呪われし勇者』のスティーヴ・スターキー。
主演は、『ダーティハリー5』のジム・キャリー
共演は、『未来世紀ブラジル』のボブ・ホスキンス、『ベオウルフ/呪われし勇者』のロビン・ライト・ペン
他にも、ゲイリー・オールドマンコリン・ファースなど、演技派の豪華キャストを揃えています。
本作は、『ベオウルフ/呪われし勇者』と同じで、要するに、モーション・キャプチャーを使ったCGアニメです。
役者は一人で何役も演じ分け、主演のジム・キャリーは、何と一人七役。
まあ、CGアニメだからこそ出来るのでしょう。
カラー、シネスコ・サイズ。
最初の方のセリフは原作に忠実です。
メイキング映像では、監督が「原作に忠実だ」と豪語していました。
こんなにゆったり進むと、後半はかなり駆け足だろうなと思っていたら、案の定、大幅な省略が始まります。
本作は、異様に飛行シーンが長いです。
CG技術を目いっぱい見せたいのでしょう。
昨今のCG映画全般に言えることですが、技術を無駄遣いしているとしか思えません。
後半の展開は早過ぎて、あらすじを見ているみたいです。
子供向けに分かり易くしたつもりかも知れませんが、原作の一番深い部分が犠牲になっています。
CG満載な上に、演出過剰で、とにかく、ジム・キャリーがずっと「ウォー!」とか「ギャー!」とかわめいている印象です。
特に、ラスト近くの馬車に追い掛けられるシーンはヒドイ。
ジェットコースターのような単なるCG紙芝居を10分も20分も見せられます。
如何にもディズニー映画ですね。
まあ、現代風だとは言えます。
しかし、これでいいのでしょうか。
当然ながら、昨今の映画なので、エンドロールが異様に長いです。
96分の上映時間のうち、一体どれだけが本編なのでしょうか。
監督は、これまでの映画では表現出来なかった部分を表現したと言っていましたが、ディケンズが表現したかったのはこんな世界なのでしょうか。
細君は見終わって、「ドッと疲れが出た」と言っていました。
クリスマス・キャロル』の映画化を3本見ましたが、84年のジョージ・C・スコット主演版が、今のところ一番良く出来ているような気がします。

次回以降は、例によって僕の単語ノートをこのブログで公開します。

【参考文献】
青木世界史講義の実況中継(文化史)青木裕司・著(語学春秋社)
日本人は英語をどう学んできたか 英語教育の社会文化史』江利川春雄・著(研究社)
「大正後期における旧制高校の英語教科書について」井田好治・著
近代日本の英語科教育史―職業系諸学校による英語教育の大衆化過程』江利川春雄・著(東信堂
第十章 高等学校における英語科指導
「実践報告 ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読む」宇佐美太市・著
https://kyoumu.kyokyo-u.ac.jp/2009/syllabus/15501141_00_Ja.html
エッセイ集 英文学教育の周辺』栗原裕・著(開拓社)
クリスマス・キャロル (直読直解アトム英文双書 (78))』岩田勝覩・註解(学生社
はじめて学ぶイギリス文学史 (シリーズ・はじめて学ぶ文学史 1)神山妙子・編著(ミネルヴァ書房
イギリス文学の歴史』芹沢栄・著(開拓社)
たのしく読めるイギリス文学―作品ガイド150 (シリーズ・文学ガイド)』中村邦生、木下卓、大神田丈二・編著(ミネルヴァ書房
伊藤和夫の英語学習法―大学入試 (駿台レクチャーシリーズ)伊藤和夫・著(駿台文庫)