『フランクリン自伝』を原書で読む(第1回)

戦前の英語教育では、『フランクリン自伝』の原文を読めることが旧制中学卒業レベルとされていました。
そのことは、『近代日本の英語科教育史』(東信堂)にあるように、明治期の小学校教員検定試験(専科正教員・英語)が中学校卒業レベルとされており、例えば、明治37(1904)年以降の三重県小学校教員検定試験参考用図書の中に「フランクリン自叙伝」が挙げられていることからも伺えるでしょう。
伊藤和夫先生の『ビジュアル英文解釈 PARTI』(駿台文庫)には、ベンジャミン・フランクリンについて述べた例題があり、その解説には次のようにあります。

ベンジャミン・フランクリンというのは、ひと昔前のアメリカ人を代表する偉い人でね。この文章は、彼の自叙伝がもとになっているんだけど、その本は日本でも、遠い明治の昔から戦前までは、英語の勉強をする人なら誰でも読んだ本なんだよ。君たちもこれで、その人たちの仲間入りとまではゆかないが、ま、同じにおいだけはかいだわけだ。

中公クラシックス版の『フランクリン自伝』の解説には、「中等学校の英語副読本にも『自伝』の抜粋が採用されており、当時の意欲的な学生たちは、正岡子規同様、英語力をつけるとともに、フランクリンにあやかって、自らの立身出世を夢みていたと思われる」とあります。
例えば、『英語教師 夏目漱石』(新潮新書)によると、明治27(1894)年頃に漱石がまとめた「GENERAL PLAN」という英語教育論がありました。
これは英語教授法に絞って書かれており、具体的な学年別の使用教科書も掲げた、実践的なものです。
その中で、中学校4年生(現・高校1年生)の使用教科書として、『フランクリン自伝』が挙げられています。
また、『修猷館の英語教育 明治編』(海鳥社)には、福岡県尋常中学修猷館(現・福岡県立修猷館高校)における明治30(1897)年度のカリキュラム一覧表が掲載されていますが、それによると、3年生の英語の読本は『フランクリン自叙伝』でした。
中学3年で原書講読とは早過ぎるような気もしますが、当時の修猷館は英語教育に非常に力を入れていたのです。
それから、『英語天才 斎藤秀三郎』(日外アソシエーツ)には、明治期の英学の巨人・斎藤秀三郎が行なっていた『正則英語学校講義録』という通信教育事業のカリキュラムが載っています。
それによると、受験科(5年の一つ上ですから、現在の高校3年生相当でしょうか)の「正則高等英語読本」の中に、『フランクリン自伝』と思しきタイトルがあるのです。
中学以外でも、『近代日本の英語科教育史』によると、三重県四日市商業学校(現・三重県四日市商業高校)の明治38(1905)年度の本科3年(現在の高校2年に相当)の英語の読本として、「ベンジャミン、フランクリン自叙伝 抜粋」が挙げられています。
これらの資料から、明治期の英語教育においては、『フランクリン自伝』がかなり幅広く教材として使われていたことが伺えるでしょう。
戦後も、1970年代までは、英語教育では文学が重視されていました。
『英文標準問題精講』(旺文社)には、英文解釈の練習問題として、『フランクリン自伝』の一節が取り上げられています。
この本は、旺文社の営業力によって、現在でも書店の店頭に並んでいる大学受験用の参考書です。
初版が発行されたのは、何と1933年。
当時の旧制高校旧制専門学校の受験対策用だったのでしょう。
著者の原仙作が初版刊行時に書いた「はしがき」には、次のようにあります。

なお出典を明示して、入学試験問題の多くは日常誦読される英米文学の主要な典籍より選ばれることを知らしめんことに努めた。巻頭に問題出典表を掲げたのは、英米文学に多少の関心と知識とを持つことが、英語を真に理解する一助になると信じたからである。

このように、本書は英米文学のアンソロジーとなっています。
僕の手元にあるのは1991年発行の5訂版ですが、僕が大学を受験した1990年代初頭には、既に英語の入試問題で文学作品が使われるようなことはほとんどなくなっていました。
しかし、僕より上の世代では、本書を受験対策として普通に使っていたそうです。
上の「はしがき」にあるように、日常の英語教材も、入試問題も、文学作品が使われていました。
『フランクリン自伝』の原文も、戦後のある時期までは大学の原書講読などで読まれていたようです。
僕の手元に、アマゾンの中古で買った、研究社英米文學叢書の『フランクリン自叙伝』があります。
奥付けを見ると、「昭和58年3月25日 19版発行」で、91ページ辺りまで、授業で使用されたと思しき書き込みがあるのです。
ひるがえって現在は、「使える英語」というキャッチフレーズの下、文法は軽視(ないしは無視)され、教科書は会話体が中心になっています。
入試問題も、かつてのような複雑な構文の短い英文を正確に訳させる方式から、簡単な英文を大量に読ませ、大まかな内容が把握出来たかどうかを選択させるような方式に変わりました。
では、それによって、英語力は上がったのでしょうか。
多くの大学の先生が、学生の英文読解力の低下に悩んでいます。
かつては必修だった英文科の原書講読も、学生の英語力が低くて成立しないということが増えているようです。
『フランクリン自伝』についても、僕が調べた限りでは、講読が行なわれているのは神奈川大学しか見当たりませんでした。
つまり、「使える英語」を目指した結果、これまでの「読めるけど話せない」から、「読めないし話せない」に転落してしまったと言えます。
更に、今年から始まった大学入学共通テストの英語の問題を見ると、文法問題が消えて、読解問題のみになっています。
何と、スマホのやり取りまで問題文になっているではありませんか。
確かに、実用的なのかも知れません。
しかし、多くの受験生が、読解の基礎である英文法をきちんと理解しておらず、だからこそ文法問題が出題されていたのです。
それを、全部応用問題にして、どうするのでしょうか。
そもそも、大学で学問するために、スマホなど必要ありません。
こんな入試問題で選抜していては、ますます大学生の英語力は低下するでしょう。
『フランクリン自伝』は、昔の難しかった頃の大学入試英文のレベルです。
今は絶版になっている研究社新訳注双書の『フランクリン自叙伝』(昭和27年発行)の「はしがき」には、「高校上級生及び大学初年生向き」とあります。
それを体感するために、僕は『フランクリン自伝』を原書で読んでみることにしました。

ベンジャミン・フランクリンについて

それでは、『フランクリン自伝』の著者であるベンジャミン・フランクリンについて、その生涯の概略を、少し長くなりますが、よくまとまっている中公クラシックス版の解説から引用します。

彼は、一七〇六年、ボストンの名もない蠟燭・石鹼づくりの息子に生まれた。一七人きょうだいの一五番目。そして、十歳のときから家業を手伝い、教育らしい教育はほとんど受けなかったが、向学心の強い彼は、印刷屋の兄のもとで年季奉公をしながら、手あたりしだい本を読み、文学修業に励んだ。十六歳のときには早くもハーヴァード大学の教育を批判したり、女性の権利を擁護したりする文章を「サイレンス・ドゥーグッド」という未亡人名で兄の新聞に発表する早熟ぶりを発揮する。一七二三年には、兄と衝突して家をとびだし、フィラデルフィアで印刷工として自活することになったが、その後、渡英の機会を得て、約一年半ロンドンに滞在し、海外の新しい時代の空気に触れた。ある意味では、植民地の総督に騙されてイギリスに渡ったのであったが、将来、植民地アメリカの数少ない国際人に成長する彼にとっては願ってもない貴重な体験となった。帰国後の一七三〇年、かつてフィラデルフィアに出奔したとき下宿していたリード家の娘デボラと結婚する。
その後、独立して印刷屋をはじめた彼は、一七三二年、『貧しいリチャードの暦』と称する暦を発行し、その暦の余白にあしらった「早寝早起き、健康、財産、知恵のもと」「天は自ら助くる者を助く」といった実践的な道徳を簡潔かつ魅力的に説く諺や金言で評判になった。とりわけ一七五八年度の暦(暦はこの年で廃刊)につけた序文は、のちに『富にいたる道』と題され、彼の勤勉と倹約の思想のエッセンスとして、当時はもとより、後世にまで大きな影響をおよぼした。一七四八年、経済的に安定したことを確かめると、印刷業の第一線から退き、それ以前から活動をはじめていた地域社会の指導者、政治家としてフィラデルフィアの道路舗装や、消防組合、病院、学校設立など、数多くの公共事業に尽力した。また科学にも興味をいだき、一七五二年には、雷雨のなかで凧をあげる有名な実験で稲妻と電気の同一性を証明した。こうして、人生の半ばにして、政治家および科学者として、国の内外にその名が知られるようになった。
生涯の最後の三〇年あまりは、一七五七年に植民地の課税権をめぐる対英交渉のため植民地代表として渡英し(『自伝』はこの辺りの記述で終る)、それ以来、三たび大西洋を横断し、植民地と英本国との関係が悪化の一途をたどるなか、英仏との外国折衝にあたり、外交官として非凡な才能を示した。独立戦争中、フランスから経済援助を取りつけた彼は、建国の父と呼ばれる当時の植民地指導者のなかで、おそらく独立達成のために最大の貢献を果たした。ともかく、アメリカ合衆国の骨組みをつくった「独立宣言」「米仏同盟条約」「対英講和条約」「連邦憲法」の四つの文書のすべてに署名した唯一の人間となった。
一七八五年、外交面での大役を果たして帰国した彼は、七十九歳の高齢にもかかわらず、ペンシルヴェニア州知事に選ばれ、また連邦憲法制定会議にも出席し、独立したばかりの祖国発展のため最後の努力を惜しまなかった。一七九〇年、フィラデルフィアで八四年の波瀾に富んだ生涯をとじたが、その多方面にわかる活躍と、個性的な性格と、当時の思想状況を明快に表現した文章によって、彼は十八世紀アメリカを最も代表する人物となった。連邦下院は国葬を決議し、葬儀には二万人が参列した。フランスでは、彼の死を悼んで国会は三日喪に服した。

『フランクリン自伝』について

続いて、『フランクリン自伝』について、岩波文庫版の「解説」に簡潔にまとめられているので、下に引いておきます。

フランクリンは一七七一年ペンシルヴェニア州代表としてイギリスにあった時、自伝を書き始めた。当時彼は六十五歳で、自分の生涯ももう終焉に近づいていると考えたらしい。しかしやっと結婚の話まで書き綴った時に彼は筆を擱かなければならなくなった。彼の最大の事業――アメリ独立運動が彼を捕えて、その時間と精力とをすっかり奪ってしまったからである。彼が執筆をつづけることができるようになったのは、その後十三年、アメリカが独立国となり、彼がその全権公使としてフランスにあった時のことである。翌一七八五年彼は帰米して、フィラデルフィアの自宅で稿を継いだのであるが、この時には彼はすでに七十九歳の高齢で健康も衰えていたし、公務は相変わらず多忙であったため、筆の進行はきわめて遅々たるものであった。一七八九年彼は自伝の最後の部分を書いた。そしてその翌年の四月フィラデルフィアに歿した。初めフランクリンは自伝の稿を起すに当ってきわめて詳細な計画を立て、取扱うべき事件の項目を年代順に書き記しておいたが、それによると彼が書きえたのは計画の半分ぐらいに止まり、その活動のもっとも花々しかった晩年の三十年間には及ぶことができなかった。やむをえないことではあるが、文学史的にも、また歴史資料という点からも、これは大きな損失であった。

また、『新版 アメリカ文学史』(ミネルヴァ書房)には、次のようにあります。

こうした輝かしい人生をふり返って書かれたのが『自叙伝』(Autobiography, 1771―90執筆、1818出版)である。立身出世のバイブルとしての『自叙伝』は13の徳目――「節制」、「沈黙」、「整理整頓」など――を列挙している。これらを毎日表にして検討し、また一日の仕事を時間に配分して怠惰にならぬようにした。この『自叙伝』は、後のアメリカの成功物語の原型となり、文学的にもフィツジェラルド(1896―1940)の『偉大なるギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)やドライサー(1871―1945)の作品に影響を及ぼしている。

『たのしく読めるアメリカ文学』(ミネルヴァ書房)にも言及があるので、見てみましょう。

フランクリンは、よくアメリカ人の原像をなす人物であると言われる。その理由を最もよく説明するのが、この『自伝』であろう。息子に語りかけるという形で書き起こされた本書で、フランクリンは、子孫たちが「自分の状況にも当てはまり、真似できる」ような生き方を示すのだと言っている。つまり、この本は、彼一個の人生の記録であると同時に、世間をよりよく生きようとする、すべての人々が真似できるような、生き方の手本を示すことを意図しているのである。そして、その方法とは、徳のある生活、努力と勤勉、真面目さの実践である。伝統も階級もないアメリカでは、自らの鍛錬とその実力だけが問題であり、努力を惜しまなければ、必ず報われるという考え方は、クレヴクールのアメリカの農夫の理想、またリンカーンの丸太小屋伝説にも通じ、アメリカの夢という神話の基調となっている。彼は、本書で、ささにその神話を「再び生きて」みせたのである。

具体的な内容については、『たのしく読めるアメリカ文学』(ミネルヴァ書房)の「あらすじ紹介」(自伝なので、「あらすじ」ではありませんが)がよくまとまっているので、次に載せます。

フランクリンは、ボストンの貧しいろうそく製造業者の家に、10人兄弟の末子として生まれた。正式な学校教育は2年受けただけで家業を手伝い、12歳になると兄の印刷業の助手となった。同時に読書好きで、寸暇を惜しんでは勉強している子供であった。仕事の合間の昼食時には、1人パンをかじりながら本を読み、日曜日の教会礼拝をさぼっては、また読書という具合である。詩を書いたり、『スペクテイター』(The Spectator)紙の文体を模倣しては、自分の文章を鍛え上げるのにも熱心であった。この頃すでに、兄と一緒に発刊した新聞に自ら書いたものを載せたりしていたのである。だが、その兄との間にもやがて溝ができてしまい、フランクリンはボストンの家族を離れることになる。17歳の時であった。
フィラデルフィアで、彼は失敗と成功を繰り返しながら、世間というものを学んでいくことになる。印刷業者として独立するのを助けるという郡知事の甘言にだまされたり、子供の頃からの親友との苦い訣別があったり、また新聞の発行で大もうけしたりした。イギリスに滞在して見聞を広めたのもこの頃である。同時に、自己教育は、たえまなく続けられた。節制や倹約など、有名な13の徳目を作って日々を律し、友人たちとジャントゥ(Junto)という秘密クラブを作って、議論したり、蔵書を共有しあったりしながら、互いを切磋するように努めた。だが、次第に自らを幸福に導いてくれた知恵を、他の人々にも広めて行くことを考えるようになる。子供の頃より、理神論に関心を持っていた彼は、正しく理性を用いることによって、徳や努力を、人々の幸福のために役立たせることができると考える、徹底したプラグマチストであった。
やがて人々の支持を得て、議会の書記や郵便長官代理などの要職につき、広く社会のために活動するようになる。大学や図書館、それに病院の設立に奔走し、次第に険悪になっていくイギリス本国とアメリカ植民地との関係を修復すべく、植民地代表として活躍した。貧しさの中から、自らを独立させることに専心してきた彼は、今、新しい国を作り上げるという事業に関わろうとしていたのであった。

テキストについて

Dover Thrift Editions版

初版は1996年。
イギリス文学には、ペンギン・クラシックスという便利なシリーズがありますが、アメリカ文学については、どこの版元から出ているどのシリーズがメジャーなのか、恥ずかしながらよく知りません。
そこで、アマゾンで岩波文庫版や中公クラシックス版を検索した時に、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」の欄に表示される、この版を選びました。
ただし、現在では、アマゾンでは品切れになっているようで、アメリカの出品業者からの取り寄せになります。
僕が取り寄せた時には、3週間ほど掛かりました。
この版は、版型はペンギン・クラシックスより若干縦長な程度ですが、活字が非常に細かいため、文庫の日本語訳では300ページ以上の本文が、わずか136ページしかありません。
薄い紙を使っているので、本自体の厚さも薄いです。
しかし、奥付け(洋書では冒頭にありますが)には「unabridged text」とありますので、省略はされていないと思います。
上述の神奈川大学の原書講読でも、この版を教科書に使っていました。
なお、このテキストは、1868年に発行されたビグロー版(後述)を基にしています。
英文に使われている単語の大半は、かつての受験参考書のベストセラー『赤尾の豆単』(旺文社)や『試験にでる英単語』(青春出版社)に載っているので、確かに、昔の大学受験レベルと言えるかも知れません。
しかし、分詞構文や名詞構文が多用されているので、正確に意味を取るのは、なかなか難しいでしょう。
昔の英語教育が如何にハイレベルであったかが伺えます。

翻訳について

岩波文庫版の「解説」によると、『フランクリン自伝』は、「わが国では(中略)、明治の中期以後フランクリンはしきりに読まれたが、原文によって英語研究の目的で読まれる場合が多く、纏った翻訳はあまり出ていない」とあります。
現在、日本で入手可能な翻訳は、廉価な文庫や新書版に限ると、次の2点です。

岩波文庫

フランクリン自伝 (岩波文庫)

フランクリン自伝 (岩波文庫)

初版は1957年。
翻訳は松本慎一氏と西川正身氏。
正確には、昭和12年に松本氏が翻訳したものを、西川氏が昭和31年に訂正補筆しました。
西川氏が、旧字や旧かなづかいを改め、訳文も柔らかい調子にしたとのことで、半世紀以上前のものにも関わらず、それなりに読み易い訳です。
ただ、やはり60年以上前の訳文なので、ところどころ、古めかしい調子の箇所もあります。
内容は、前半の貧乏から次第に頭角を現して行くところは面白いのですが、後半は説教臭く、自慢話しが多くてつまらないです。
まあ、本人も、自伝とはそういうものだと言っていますが。
フランクリンは少年時代から本を読むのが好きで、愛読書は、ジョン・バニヤンの『天路歴程』や、ダニエル・デフォーの作品群だったそうです。
夏目漱石の『文学評論(上)』(岩波文庫)によると、18世紀のイギリスでは、「書物は大小にかかわらず、題目を問わず、殆んど持っている家はなかった」「商人などの家にある書物といえば、聖書に賛美歌、それに時としては『ピルグリムス・プロッグレス』『ロビンソン・クルーソー』『パメラ』位である」とあります。
当時のアメリカには本屋などなく、本はイギリスから取り寄せるしかなかったので、必然的に、これらのベストセラーを読んだのでしょう。
一部、アメリカ先住民に対する人種差別的な描写があります。
巻末に、「フランクリン年表」「解説」「あとがき」「フランクリン著作年表」を収録。
注はありません。
非常に興味深いのが、「解説」「あとがき」に詳述されている、『フランクリン自伝』のオリジナル・テキストについてです。
シェイクスピアの作品ほどではありませんが、本作のオリジナルもかなり複雑な事情をはらんでいます。
フランクリンは、1771年に、現存する自伝のおよそ5分の2に当たる第1部を書き上げました。
その自筆の原稿は、後に加筆訂正され、現在はカリフォルニア州のハンティントン図書館に保存されているそうです。
1789年、おそらく死期が近いと考えたフランクリンは、それまでに書き上げた原稿を孫の一人に言い付けて清書させ、2通の写しを作らせました。
そして、1通を、自伝の執筆を勧めたベンジャミン・ヴォーンに、もう1通を、フランスの友人ル・ヴェイヤールのもとへ送ります。
フランクリン他界の翌1791年、ビュイソンというフランスの出版者によって、第1部のフランス語訳がパリで出版されました。
これは、ル・ヴェイヤールのところへ送られた写しによるものと推測されます。
次に、ル・ヴェイヤール自身がフランス語訳を出しました。
これは、原文に忠実なもののようです。
更に、2年後、ロビンソン版とパーソンズ版と呼ばれる、フランス語訳の英語訳がロンドンで出版されます。
これらは、原文の重訳ですので、テキストとしての権威はありません。
1817年、フランクリンの孫ウィリアム・テンプル・フランクリンが、原文による祖父の選集を編纂刊行します。
これが、信頼出来る最初の重要な英語版です。
ウィリアムは、フランクリンの遺言によって一切の原稿、書類等を譲られました。
ところが、不思議なことに、ウィリアムは祖父の自筆の原稿を所持していたのに、それをル・ヴェイヤールの手元にある写しと交換して、この自伝を編集出版したそうです。
その後、1836~40年に、ハーヴァード大学の史学教授で、後に総長となった有名な伝記学者スパークスが、ウィリアム版を補修してフランクリン全集全10巻を出版します。
この中に収められている自伝が、いわゆるスパークス版で、最も権威のあるものとされ、以後、日本を始め、単行本として刊行された自伝はほとんどがこの版によっているとのことです。
しかしながら、1868年にビグローが新たに自伝を出版します。
これは、スパークス版に基づいたものではなく、ビグロー自身がフランスで発見したフランクリンの原稿によるものです。
で、これがまた謎なのですが、ビグローが発見したフランクリンの原稿と、前述のウィリアム版を対照してみると、おびただしい相違がありました。
同じフランクリンの原稿を基にしているはずなのに、何故なのでしょうか。
この岩波文庫版では、松本氏はスパークス版を底本としています。
それから、西川氏の訂正補筆は、スマイズ版によるとのことです。
スマイズが1905~7年に編集出版した、全10巻から成る『フランクリン著作集』は、岩波文庫の「あとがき」執筆時点(昭和31年)では、最も完備した著作集とされており、自伝はその第1巻に収められています。
ただし、スマイズは直接フランクリンの原稿に当たって編集した訳ではなく、自伝についてはビグロー版をそのまま使って済ませているそうです。
岩波文庫の「あとがき」執筆時点では、ル・ヴェイヤールとヴォーンのもとへ送った2通の写しは、共に失われていました。
今度は、マックス・ファランドが、(1)ビュイソンの出したフランス訳、(2)ル・ヴェイヤールのフランス訳、(3)ウィリアム版、(4)フランクリン自筆の原稿の4種類を比較検討し、彼の死後、ハンティントン図書館の関係者が後を継いで、完全なテキストを1949年に上梓します。
これがファランド版です。
それから、重要なのが、カール・ヴァン・ドーレンによる『Benjamin Franklin』(1938)と『Benjamin Franklin's Autobiographical Writings』(1945)の二つの資料とのこと。
岩波文庫版の「あとがき」には、ここまでしか書かれていません。
その後のテキスト研究については、中公クラシックス版では何も触れられていませんが(「紙数の関係で、割愛せざるをえない」とあります)、上述の内容だけでも、相当複雑な背景があるということが伺えます。
なお、『アメリ古典文庫1 ベンジャミン・フランクリン』(研究社)によると、初版発行の1975年時点では、イェール大学が、3万点にものぼるフランクリンの文章やフランクリン宛ての書簡までも採録する、全40巻の最も包括的な全集の刊行が進んでいるとありました。
しかしながら、板倉聖宣氏の『フランクリン』(仮説社)によると、1996年の時点で未だ31巻までしか出ていないとのことです。

中公クラシックス

フランクリン自伝 (中公クラシックス)

フランクリン自伝 (中公クラシックス)

初版は2004年。
翻訳は渡邊利雄氏。
1980年発行の『世界の名著40』(中央公論社)所収の訳文に大幅な修正を加えたもの。
古典ですが、新しい翻訳なので、まるで現代文のように非常に読み易いです。
「凡例」によると、本訳は、途中の省略のない完訳版とのことですので、原書を読む際に参照するには、こちらが良いと思われます。
なお、底本は、上述のカール・ヴァン・ドーレンの『Benjamin Franklin's Autobiographical Writings』(1945)とのことです。
これは、岩波文庫版の「あとがき」には、「資料」とあったのですが、自伝の原文も含まれているということでしょう。
上述の『アメリ古典文庫1』によると、これは「『自叙伝』そのほか自伝的文章を編年体に収録し」ているそうです。
『自叙伝』の原文には章及び小見出しはありませんが、読者の便を考えて、訳者の責任で新たに作ったとのこと。
また、改行も原文にとらわれず、適宜行なったとのことですので、原文を読む際に参照するのには注意が必要です。
巻頭に、「典型的なアメリカ人の自伝」(解説)を収録。
岩波文庫版と違い、各章末にまとめられた注が充実しています。
巻末には、「年譜」を収録。

注釈書について

『フランクリン自伝』の注釈書で現在、日本で新刊として流通しているものはないようです。
数年前には、研究社小英文叢書が普通に大型書店で入手出来ましたが、現在では、アマゾンでも品切れになっています。
やはり、最近はあまり読まれなくなっているのでしょうか。

それでは、次回以降は、例によって、僕の単語ノートを公開します。

【参考文献】
近代日本の英語科教育史―職業系諸学校による英語教育の大衆化過程』江利川春雄・著(東信堂
ビジュアル英文解釈 (Part1) (駿台レクチャーシリーズ)伊藤和夫・著(駿台文庫)
英語教師 夏目漱石 (新潮選書)川島幸希・著
修猷館の英語教育 明治編』安部規子・著(海鳥社
英語天才 斎藤秀三郎: 英語教育再生のために、今あらためて業績を辿る竹下和男・著(日外アソシエーツ
英文標準問題精講原仙作・著(旺文社)
『フランクリン自叙伝(研究社英米文学叢書)』西川正身・註釈(研究社)
神奈川大学シラバス
フランクリン自叙伝 (1949年) (研究社英文訳註叢書)』北沢孝一・訳注(研究社)
フランクリン自叙伝 研究社小英文叢書 (85) [英文書]西川正身・解説注釈(研究社)
新版アメリカ文学史―コロニアルからポストコロニアルまで別府恵子、渡辺和子・編著(ミネルヴァ書房
たのしく読めるアメリカ文学―作品ガイド150 (シリーズ・文学ガイド)』高田賢一、野田研一、笹田直人・編著(ミネルヴァ書房
英語基本単語集』赤尾好夫・編(旺文社)
試験にでる英単語―実証データで重大箇所ズバリ公開 (青春新書)森一郎・著(青春出版社
文学評論〈上〉 (岩波文庫)夏目漱石・著
ベンジャミン・フランクリン (アメリカ古典文庫 1)池田孝一・訳、亀井俊介・解説(研究社)
フランクリン (やまねこ文庫)板倉聖宣・著(仮説社)