イギリス文学史I(第10回)『ヴェニスの商人』(その1)

シェイクスピアについて
ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)は、英文学史上、唯一無二の存在だと言えると思います。
「英文学で最も偉大な作家は誰ですか?」と尋ねれば、おそらく、ほとんどの人が「シェイクスピア」と答えるのではないでしょうか。
日本文学には、シェイクスピアに匹敵するような文学者はいません。
夏目漱石は、間違いなく日本の文豪ですが、「唯一無二」とまでは言えないでしょう。
源氏物語』だって、数ある古典の中の一つに過ぎません(海外では、日本の古典として最初に紹介されたので、絶対視されているかも知れませんが)。
シェイクスピアは、作品中で多数の語彙を新たに生み出し、英語そのものを変革しました。
代表作は『ハムレット』でしょうが、他にも、『ロミオとジュリエット』や『ヴェニスの商人』など、誰でも知っているような名作がたくさんあります。
作品名だけではなく、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」「ブルータスよ、おまえもか」と言ったセリフまでもが、多くの人に知られているではありませんか。
僕が初めてシェイクスピアに興味を持ったのは、小学6年生の時、黒澤明監督の『乱』を観て、原作がシェイクスピアの『リア王』だと聞いたからです。
中学生の時の文化祭では、先輩方のクラスが『ヴェニスの商人』を上演しました。
僕は高校2年生の時、やはり文化祭で『リア王』を演じましたが、同じ時、別のクラスは『ロミオとジュリエット』を出し物にしていました。
400年も昔にイギリスで書かれた戯曲が、遠く離れた日本の中高生に現在でも演じられているとは、スゴイことです。
そこで、この「イギリス文学史」では、一作家につき一作品を紹介することを原則にしていますが、シェイクスピアだけは例外的に2作品を取り上げます。
喜劇の代表作である『ヴェニスの商人』と、悲劇の代表と言える『ハムレット』です。
この2作は、高校世界史の教科書(『詳説世界史』)の「ルネサンス期の文芸と美術」という表にも載っています。
シェイクスピア本人については、「イギリスで16世紀末から17世紀初めに活躍したシェークスピアの戯曲をはじめとして、すぐれた文芸作品は、それぞれの国の言語を発達させるのに貢献した」と書かれていました。
それでは、シェイクスピアを生み出した時代背景を見て行きましょう。
まずは、『イギリス文学史入門』(研究社)から引用します。

イギリス・ルネッサンスの栄光の頂点は、シェイクスピアの演劇にあった。そしてわれわれはその演劇が、ほとんど無から出発して、あの目もくらむ高みまで駆け登るのに、三、四十年しかかからなかったという、驚くべき事実を知らされる。エリザベス朝という時代は、まさにそんな奇蹟を可能にした、活力の煮えたぎるような時代であったのだ。

続いて、『はじめて学ぶイギリス文学史』(ミネルヴァ書房)から引きます。

人文主義者たちによる古典の復活の影響は演劇にも及び、ギリシア、ローマの喜劇、悲劇、またはそれを模倣したものが演じられるようになった。古典劇は、本来のイギリスの劇には欠けていた品格と形式美をそなえ、知識層には支援されたが、所作に乏しく、刺激的な筋や力強い身振りを好む一般大衆には受けなかった。
やがて、五幕形式、時、場所、筋の「三一致の法則(three unities)」などの古典劇の原理をよく消化し、民間の娯楽をも充分考慮した一群の劇作家があらわれた。彼らはオックスフォードやケンブリッジ大学で教育を受けた人が多いことから、大学出の才人たち(University Wits)と呼ばれている。

この頃になると、旅まわりの役者のほかに、女王や貴族をパトロンとする劇団の職業的俳優もあらわれ、劇場も創設され、商業演劇が確立した。この時流に乗るかのように頭角をあらわしたのが、シェイクスピアである。彼は、史劇、喜劇、悲劇、の各分野で成功をおさめ、万人の心を持つ(myriad-minded)と評されるほど、多様な登場人物を見事に浮き彫りにした。

ところが、シェイクスピアは、イギリス文学史上でこれほど重要な存在でありながら、伝記的なことはほとんど分かっていません。
僕の手元にある3冊のイギリス文学史の教科書も、経歴についてはほんの数行で、後は作品の紹介でページを埋めています。
一番記述が多い『イギリス文学の歴史』(開拓社)ですら、次のようなものです。

シェイクスピアの伝記を示す確実な資料は、いたって少ない。このことは、わずか400年ほど前の人物であり、在世中すでに名の高かった作家であったことを思えば、ふしぎなことである。
シェイクスピアは、1564年4月23日イングランド中部の小さな町ストラットフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)に生まれた。
町のグラマー・スクールに通ったものと考えられる。彼の受けた学校教育は、それだけで、大学へは行かなかった。
1582年、18歳で、8歳年上のアン・ハサウェイ(Anne Hathaway)と結婚。20歳で3児の父となった。
1585年から7年間の彼の消息は不明であるが、おそらく、この間に、ロンドンに出て、劇団関係の仕事を始めたのであろう。
1592年(28歳)、劇作家ロバート・グリーン(Robert Greene, 1582-92)が、シェイクスピアを「われわれの羽毛で美しく身を飾り立てた成り上り者のカラス」とけなした批評が現われた。このころ、シェイクスピアの『ヘンリー六世』が、大好評を博していた。グリーンの批評は、大学出でない田舎者のシェイクスピアの人気に対するねたみの気持ちから出たものと思われるが、それは、シェイクスピアが、そのころすでに、俳優としても、劇作家としても、相当活躍していたことを実証しているものと考えられている。
劇作家として、約20年。37編の劇を書き、劇作家としてはもちろん、劇場経営者としても成功をおさめ、大きな産を成した。
1611年(47歳)のころ、郷里ストラトフォードに隠退、1616年4月23日、52歳で死ぬまで、裕福な生活を送った。

わずかこれだけの文章の中に、何と推測が多いことでしょうか。
さて、シェイクスピアの作品の特徴については、『はじめて学ぶイギリス文学史』の、次の記述が簡潔にまとめられていると思います。

シェイクスピア劇は、史劇からロマンス劇にいたるまで多様である。構成には、複数の筋があり、悲劇的局面と喜劇的局面、日常性と非日常性など相反するものが巧みに混入され、融合されている。また登場人物は、あらゆる階層に及び、その性格描写には追随を許さぬものがある。語彙の広いこと、複数の意味をひきだす掛け言葉や隠喩、暗喩が豊富なことでも知られている。

ヴェニスの商人』について
シェイクスピアの創作年代は通常、第1期(1590-95)の「修業時代」、第2期(1595-1600)の「喜劇時代」、第3期(1600-08)の「悲劇時代」、第4期(1608-11)の「ロマンス劇時代」の四つに分けられますが、『ヴェニスの商人』は「喜劇時代」に書かれた作品です。
ヴェニスの商人』は、人肉裁判のシーンだけを切り取って、「悲劇」として上演されることも多いため、意外に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、シェイクスピアはあくまで、この作品を喜劇として書いています。
それでは、シェイクスピアの喜劇の代表作『ヴェニスの商人』(The Merchant of Venice, 1596-7)について解説された箇所を、『イギリス文学の歴史』から引いてみましょう。

大衆向きに、巧みに構成された傑作喜劇。
ヴェニスの商人アントニオは、必要に迫られ、ユダヤシャイロックに借金を申し入れる。シャイロックは、日ごろ、ユダヤ人を虐待しているキリスト教徒に復讐する好機と思い、申し入れを受ける。ただし、担保は人肉1ポンド。アントニオは返済不能となり、窮地に陥る。法廷におけるポーシャの機知ある判決で、形勢逆転、シャイロックの計画は挫折する。
この劇はポーシャとシャイロックの二人の人物によって支えられている。
ポーシャは、シェイクスピアの描いた女性のうちでも、最も多くの人々に愛されて来た一人である。彼女は、女性らしい謙虚さを持つとともに、知的な面を持つ女性として描かれている。
シャイロックは、シェイクスピアが創造した人物のうちの傑作の一人。ユダヤ人は、古来、典型的な悪玉のレッテルをはられて来た。しかし、シェイクスピアは、シャイロックを単なる悪玉とせず血も肉も備えた一個の人間として描いている。

なお、ユダヤ人が何故これほど嫌われていたかについては、『イギリス文学の歴史』の次の記述が参考になります。

元来、キリスト教では、同国人に利息を取って、金を貸すことは禁じられていた。そこで、金貸し業は、キリスト教徒でないユダヤ人の仕事になった。キリスト教徒にとって、このいまわしい職業に従事するユダヤ人は、必然的に嫌われものであった。(参考:「同国人に利息を取って貸してならない。外国人には利息を取ってもよい」(旧約聖書:『申命記』、23:19-20)

以上に加えて、文庫版の「解説」などに書かれている事柄を使って、若干補足しましょう。
ヴェニスの商人』の初演は、学者によって諸説ありますが、大体1596~98年頃とされています(最初に出版されたのは1600年)。
日本で初めて上演されたシェイクスピア劇であり、また、上演回数も『ハムレット』をしのいで、最も多いのだそうです。
ストーリーはあまりにも有名なので省きますが、本作品にも、他のシェイクスピアの作品同様、元ネタがありますね。
この作品は大きく次の四つの筋から成っています。
1.箱選び
2.指輪の喪失
3.人肉裁判
4.ジェシカの駆け落ち
このうち、2と3は中世イタリアの物語集『イル・ペコローネ』(阿呆)の中にあるそうです。
また、『イル・ペコローネ』では、求婚する男性に対しての難題も出てくるのですが、これが「夜伽」なので、それでは芝居にならないと考えたシェイクスピアが、お題を「箱選び」に変えたようですね。
さらに、1の「箱選び」は、イタリアの物語集『ジェスタ・ロマノーラム』(ローマ人行状記)の中に出てくるそうです。
ユダヤ人の登場と、その扱いに関しては、シェイクスピアと同時代に活躍した劇作家クリストファー・マーローの代表的悲劇『マルタ島ユダヤ人』の影響を受けています。
シェイクスピアは、これらの題材を用いながら、登場人物の性格描写を深め、新しい意味を作品に付け加えて、自分の色に染め上げたと言えるでしょう。
次に、テキストについては、『ハムレット』ほどの混乱はないようです。
この作品には、どちらも1600年刊行とされている、ヘイズ四折本(Q1)とジャガード四折本(Q2)という二つの四折本がありますが、ジャガード版の奥付は捏造で、実際には1619年発行の海賊版なのだということが判りました。
そして、1623年発行の第一・二折本(F1)はヘイズ四折本を基にしており、これらの三者に、さほどの違いはないとのこと。
つまり、ヘイズ四折本が一番の善本とされているのですね。
テキストについて
一口にテキストと言っても、様々な版が出ていますが、僕が選んだのは下のペンギン版です。

The Merchant of Venice

The Merchant of Venice

初版は2015年。
注釈はW.Moelwyn Merchant氏。
一般的には、演劇関係者はペンギン版、大学関係者はアーデン版やオックスフォード版を選ぶと言われています。
確かに、僕が学生の時の「シェイクスピア研究」という講義でも、教科書はオックスフォード版でした。
では今回、僕はなぜペンギン版を選んだのでしょうか。
それは、この版が大型書店の洋書コーナーなどで普通に売られていて、最も入手しやすいからです。
近所の調布市立中央図書館に置いてあるのも、このペンギン版。
価格も手頃です。
学術関係では、どうしてペンギン版が使われないのかはよく分かりません。
おそらく、他の版では注釈がページの下半分にあるのに対し、ペンギン版では巻末にまとめらているため、本文と対照しづらいからではないかと想像しています。
逆に、役者の場合は、細かな注など不要だから、ペンギン版でいいのでしょうか。
僕は別に学術的な目的で『ヴェニスの商人』を読んでいる訳ではないので、この版で問題ないのです。
本書の注釈は全部で40ページ以上ありますが、概ね固有名詞の解説が中心で、語釈と呼べるようなものはあまりありません。
従って、普通の日本人が本書の注だけを頼りにして原文を読むことは、ほぼ不可能でしょう。
注の英語のレベルは、専門的な語も出て来ますが、辞書を引けば理解できる程度です。
今回は省略しますが、シェイクスピアの場合は、日本語の注釈書が充実しており、また、後述のように、翻訳も多数出版されているので、原文読解に挑戦するには、それらを参考にするのが良いと思います。
翻訳について
現在、日本では、廉価な文庫や新書版だけでも、6種類もの翻訳版が入手可能です。
それらを以下に紹介します。
岩波文庫
ヴェニスの商人 (岩波文庫)

ヴェニスの商人 (岩波文庫)

初版は、何と1939年。
現在流通しているのは、1973年に発行された改訳版です。
翻訳は英文学の大家・中野好夫氏。
古い版だけあって、活字は小さく、かすれて読みにくいですが、そんなことは全く気にならないほど、味のある言葉を駆使した名訳です。
確かに、今では使わないような言い回しが多用されているものの、それが何とも言えない情緒を醸し出しています。
初版刊行時は、参考になる先行の翻訳は坪内逍遥のものしかなかったそうですが、それでこの完成度はスゴイです。
改訳の際にも、それほど大幅には手を加えられていないそうなので、初版の風合いはそのまま残っているのでしょう。
中野氏は、巻頭の「改版にあたって」の中で、「学術的翻訳でも、上演用台本のつもりでもない」と述べています。
日本語としての自然さを意識しつつ、原文と併読する読者のことも考えて、極端な意訳は避けたそうです。
中野氏は、「独自の翻訳理論を持たない」などと謙遜していますが、翻訳に対して、達観のような境地に達していると思われます。
例えば、原文の「詩」を日本語に移すことは不可能だと認めながらも、散文との区別を付けるために、詩の部分を「わかち書き」にしました。
また、本文の下に行数が表示されています。
注解も、なかなか充実していますね。
巻末の「解説」は、ほとんど初版のままだそうですが、作品を理解するために必要な事項を簡潔にまとめてあります。
翻訳の底本はグローブ版。
新潮文庫
ヴェニスの商人 (新潮文庫)

ヴェニスの商人 (新潮文庫)

初版は1967年。
翻訳は劇作・演出でも高名な福田恒存氏。
福田氏の訳文は誠に格調高いものです。
僕が20年以上前、浪人時代に読んだのも、この福田氏の翻訳でした。
今回、久し振りに再読して、改めて「よく整理された作品だな」と感じました。
ちなみに、僕が以前観に行った、劇団四季の『ヴェニスの商人』も、福田氏の訳です。
本文中に注釈はありませんが、巻末の「解題」が充実しています。
また、英文学者の中村保男氏による「解説」、「シェイクスピア劇の執筆年代」、「年譜」もありますね。
福田氏が翻訳の原本として用いたのは、新シェイクスピア全集。
白水Uブックス
初版は1983年。
判型は新書サイズ。
翻訳は、日本で二人しかいない(もう一人は坪内逍遥シェイクスピア全訳という偉業を成し遂げた小田島雄志氏(東京大学名誉教授)。
訳文は、とてもリズミカルで、こなれた日本語なので極めて読み易いです。
韻文の形式に合わせて行分けがされています。
注は全くありません。
解説は英文学者の渡辺喜之氏。
訳者自身による解説は一切ないので、翻訳の底本などは分かりません。
ちくま文庫
初版は2002年。
翻訳は、目下シェイクスピア作品を精力的に訳し続けている松岡和子氏(翻訳家・演劇評論家)。
この調子で行くと、坪内逍遥小田島雄志に続き、日本で3人目のシェイクスピア全訳者になるかも知れません。
松岡氏の訳文は、素直な文体で、非常に読み易いです。
本文は、他の多くの翻訳と同じように、韻文の箇所が行分けされています。
注釈も豊富で、本文の下にあるため参照しやすく、また、原文を掲載してくれているのが、ありがたいですね。
「訳者あとがき」では、松岡氏が訳出に際して、代名詞の訳し分けに気を遣ったという記述が大変興味深かったです。
現在の英語では、二人称は全てyou一語に統一されていますが、シェイクスピアの時代には、まだ区別が存在していました。
目下や親しい相手に対して使う親称のthou(ドイツ語のduに当たる)と、目上やそれほど親しくない相手に対して用いる敬称のyou(ドイツ語のSieに当たる)です。
これらの代名詞の使い方に注目することで、登場人物たちの人間関係が浮き彫りになります。
この部分は一読の価値があるでしょう。
「アントーニオとポーシャのメランコリー」という題の解説は中野春夫氏(学習院大学教授)。
巻末の「戦後日本の主な『ヴェニスの商人』上演年表」は、資料的価値が高いです。
錚々たる役者の名前が散見されます。
本書の翻訳の底本はアーデン版。
角川文庫版
新訳 ヴェニスの商人 (角川文庫)

新訳 ヴェニスの商人 (角川文庫)

初版は2005年。
翻訳は河合祥一郎氏(東京大学大学院教授)。
河合氏によると、本書の主な特徴は次の二つです。
一つ目は、上演を目的として、原文の持つ面白さや心地良さを日本語で表現するように努めたこと。
シェイクスピアの原文には駄洒落がたくさん出てきますが、それを何とか日本語に移し替えようと苦心された様子が伺えます。
二つ目は、原典(翻訳の底本とした、1600年出版の初版本である第一・四折本)に忠実に訳したこと。
原典通り、本文中に幕場割り(第○幕第○場という区分け)をなくし、人物名の指示についても原典を尊重したそうです。
これは、ちょっと裏目に出ていて、同じ登場人物を違う呼び名で指示している箇所があり、少々読み難くなっています(もちろん、注で解説されてはいますが)。
しかしながら、訳文は分かり易く、本文中の注釈も充実していますね。
「訳者あとがき」では、本作品について簡潔に解説されています。
河合氏は、シャイロックを、単なる悪役か悲劇の主人公かといった二元論で考えるのではなく、この作品が放つ多様な問題提起を今日的に捉えようという立場です。
この部分を読むだけでも、本作を理解する上で、大いに参考になるでしょう。
光文社古典新訳文庫
初版は2007年。
翻訳は安西徹雄氏(上智大学名誉教授)。
本書の訳文は、読んでいると、一人ひとりの役者の声が聞こえて来そうな名訳です。
それもそのはず。
本書は、1990年に安西氏自身が訳・演出した舞台の上演台本を基に加筆訂正した完訳版だからです。
シェイクスピアの作品は、読むためではなく、実際に舞台で上演するために書かれました。
ですから、舞台の洗礼を受けている本書の訳が「生きて」いるのは当然です。
翻訳のテキストは新オックスフォード版。
本文中の注釈は最小限なので、流れを追い易いです。
巻末の「解題」は、特に同時代の劇作家クリストファー・マーロウの『マルタ島ユダヤ人』と本作を詳細に比較して論じています。
また、「シェイクスピア略年表」も付いていますね。
映画化作品について
ヴェニスの商人』については、現在見ることの出来る唯一の映画が下のもので、廉価版のDVDも出ています。
ヴェニスの商人 [DVD]

ヴェニスの商人 [DVD]

  • 発売日: 2011/08/22
  • メディア: DVD
2004年のアメリカ、イタリア、ルクセンブルク、イギリス合作映画。
この作品はシェイクスピアの喜劇『ヴェニスの商人』の「初映画化」なのだそうです。
人気作なのに意外ですね。
監督はマイケル・ラドフォード(『イル・ポスティーノ』)。
主要なキャストは、いずれもシェイクスピア作品と関わりの深い人たちです。
シャイロック役は我らがアル・パチーノ
彼は、『リチャード三世』を舞台化する過程を描いた異色のドキュメンタリー『リチャードを探して』を監督・主演しています。
また、アントーニオ役のジェレミー・アイアンズロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身。
バッサーニオ役のジョセフ・ファインズは『恋におちたシェイクスピア』の主演ですし、ポーシャ役のリン・コリンズも、舞台でオフィーリアやジュリエットを演じたことがあるそうです。
では、このような錚々たるキャストを揃えて、肝心の映画の出来映えはどうでしょうか。
本作の事実上の主役はシャイロック役のアル・パチーノです。
言わずと知れた現代映画界の名優中の名優であり、かつ僕の大好きな役者であります。
この映画の中でも、他の俳優を押しのけて、圧倒的な存在感です。
有名な「ユダヤ人には目がないのか」のセリフなど、この迫力は彼でなければ出せないでしょう。
逆に言うと、他の役者は、かなり印象が薄いです。
その点では、これは「失敗作」だと言えます。
まあ、通常の舞台でも、シャイロックを演じるのはベテランが多いので、どうしても他の役者と比べて存在感が強くなり過ぎてしまうのですが。
それにしても、いかに「憂鬱病」と言えども、喜劇なのに、最初から最後までずっと重苦しい表情しか見せなかったアントーニオ。
コミカルさもなく、単なる軽薄でイヤな奴にしか見えないバッサーニオ。
そして、アントーニオとバッサーニオの関係が、どうにも同性愛っぽいのです。
(原作で「友情」のことをloveと表現しているので、このような解釈の仕方もあるようですが)。
おまけに、この娘のために世界中から命を掛けて男たちが押し寄せて来るとは到底思えないポーシャ(※失礼ながら、「全然美人じゃない」という意味です)。
男装しても、全く男に見えません(これは、現代におけるシェイクスピア喜劇全体の問題ですね)。
これは、どうしたことでしょう。
ところで、『ヴェニスの商人』は、シェイクスピアの作品中、『ロミオとジュリエット』と並んで学校演劇の定番ともなっています。
僕も、前述のように、中学時代に、先輩方が文化祭で上演しているのを観ました。
学校演劇では通常、有名な「裁判のシーン」のみを切り取って上演されます。
そうすることで、「ユダヤ人差別がいかに理不尽か」という現代的なテーマを打ち出すのです。
教育現場にふさわしく、説教臭い演出になります。
ところが、シェイクスピアの時代には、ユダヤ人差別は理不尽なことでも何でもなく、むしろ「当然のこと」でした。
ハムレット』の中に次のようなフレーズがあります。
「this side of our known world」。
これは「キリスト教世界のこちら側」という意味です。
キリスト教徒にとって、異教徒であるユダヤ人は「あちら側の世界の人間」であり、しかもキリストを殺した不倶戴天の敵です。
当時のキリスト教徒は、憎きユダヤ人をコテンパンに懲らしめる芝居を観て溜飲を下げていました。
ユダヤ人め、ざまあみろ!」という訳です。
僕は、もちろんユダヤ人差別を肯定しているのではありません。
シャイロックが受けた仕打ちは、あまりにもむごいものだし、彼を気の毒だと思います。
けれども、当時の状況を正しく知らないと、きちんと作品を理解することはできないのではないでしょうか。
福田恒存氏を始め、日本の著名なシェイクスピア学者にも、そのような立場の方が多いです。
シェイクスピア自身がユダヤ人差別をどう考えていたのかは、わかりません。
ただ、作品中のシャイロックのセリフを見る限りでは、極めて客観的に捉えていたのではないかと思われます。
だからこそ、時代を超えて生き残っているのでしょう。
本来、『ヴェニスの商人』は「喜劇」として書かれています。
難しいのは、それを現代において上演する場合です。
あくまで「当時はこうだった」ということで喜劇として上演するか、それとも学校演劇で行なわれているように人種差別を批判する悲劇にするか。
映画版『ヴェニスの商人』は、後者を選びました。
冒頭に、ユダヤ人に対する当時のヨーロッパ人たちの非道な差別を克明に語るナレーションが追加されています。
さらに、原作ではセリフでしか出て来ない、アントーニオがシャイロックに唾を吐きかけるシーンも、わざわざ映像化されているのです。
正に、昨今の偽善的なハリウッド映画のように、白人が過去の悪行を反省するというパターンですね。
アル・パチーノの演技のおかげで、シャイロックの悲劇性は大きく浮かび上がっています。
一方で、本来主役であるはずのキリスト教徒たちは単なる「人権意識のないバカ」にしか見えません。
悲劇にしてしまったためか、最初から最後まで画面全体が妙に重く、暗いトーンです。
しかしながら、省略されている部分はあるものの、大筋は原作を忠実に再現しているため、喜劇的な場面が完全に整合性を欠いてしまっています。
しかも、全体としては、喜劇的なシーンの方が多いのです。
元来は「喜劇」なのですから、当たり前ですね。
彼らが喜劇として明るく振舞えば振舞うほど、ますます、その傾向に拍車が掛かります。
その結果、いったい「悲劇」なのか「喜劇」なのか、よくわからない代物に仕上がってしまいました。
僕は、中途半端に現代的なテーマを盛り込むくらいなら、いっそのことシェイクスピアの意図を尊重して、「喜劇」として作品を完成させた方が良かったのではないかと思います。
ただ、人種差別に神経質なハリウッドでは難しいかも知れませんね。
それは無理でも、喜劇を基調としつつ、シャイロックの悲劇性を浮かび上がらせるような演出も可能だったのではないでしょうか。
この映画の、ヴェネチアで撮影されたという風景は非常に美しく、セットや衣装も豪華です(ベルモントの遠景がミニチュアにしか見えないのは御愛敬)。
音楽もエキゾチックで、とても耳に心地良く聞こえます。
それだけに、切り口さえもっと違ったものにしていればと、大いに悔やまれますね。
ヴェニスの商人』の映画化の難しさを示す、残念な例となってしまいました。
本作を、原作を読むための参考として御覧になる方は、以上の点を念頭に置いておかれた方が良いでしょう。
参考図書について
シェイクスピアについて書かれた本は余りにも多過ぎて、それらを読んでいると、肝心のシェイクスピア作品そのものを読む時間がなくなってしまうと言われるほどですので、省略します。
【参考文献】
詳説世界史B 改訂版 [世B310]  文部科学省検定済教科書 【81山川/世B310】』木村靖二、岸本美緒、小松久男・著(山川出版社
イギリス文学史入門 (英語・英米文学入門シリーズ)』川崎寿彦・著(研究社)
はじめて学ぶイギリス文学史神山妙子・編著(ミネルヴァ書房
イギリス文学の歴史』芹沢栄・著(開拓社)