『トッツィー』

先の週末は、ブルーレイで『トッツィー』を見た。

1982年のアメリカ映画。
監督は、『コンドル』や『愛と哀しみの果て』などのシドニー・ポラック
本作では出演もしている。
主演は、我らがダスティン・ホフマン
『卒業』『真夜中のカーボーイ』『パピヨン』『大統領の陰謀』『クレイマー、クレイマー』『レインマン』と、作品毎に色々な顔を見せ、カメレオンぶりを発揮する名優だが、今回は何と「女装」をしている。
主人公のマイケル・ドーシー(ダスティン・ホフマン)は、実力はあるが、売れない役者。
オーディションを受けては落ちまくっている。
最初のオーディション・シーンでは、ダスティン・ホフマンの演技力が「これでもか」というほど見せ付けられる。
彼は、役を得ても、完璧主義のため周囲と衝突し、どこにも雇ってもらえなくなる。
普段は若い役者たちに演技を指導し、そこでは慕われているのだが。
余談だが、稽古場にはサミュエル・ベケットのポスターが貼ってあった。
ある日、生徒の一人サンディが、病院を舞台にした人気ドラマのオーディションを受けるのだが、見事に落選。
マイケルは、何故かそのオーディションを、女装して「ドロシー・マイケルズ」として受けるのだが、何と合格してしまった。
メイクをしているところは、まるで歌舞伎役者のよう。
声が中途半端な裏声で、かなりヘンだ。
見た目も、まるで田中真紀子
これで全国の視聴者が騙されるとは到底思えないが、まあ、そこはコメディということでご愛敬。
最初は、金のための一時的な仕事と割り切っていたのだが、彼の演じたタフな病院理事役が大受けし、マイケル(=ドロシー)は一躍人気者になる。
マイケルは、自分の実力に有頂天になる。
「オフィーリアも、マクベス夫人も出来る!」と豪語する。
マクベス夫人はともかく、オフィーリアは無理だろう。
そんな気色悪い『ハムレット』なんか見たくない。
ハムレット』と言えば、本作でマイケルの相棒ジェフ役のビル・マーレイは、2000年版の『ハムレット』でポローニアスを演じていたな。
映画自体は大失敗作であったが。
話を元に戻そう。
トッツィー(ドロシーのあだ名)の正体を知る者は、相棒のジェフやエージェント(シドニー・ポラック)など、ごくわずかしかいない。
これに色恋沙汰が絡む。
先のオーディションに落ちたサンディとマイケルとは、実は恋愛関係になってしまったのだが、彼は彼女に本当のことを言えない。
そりゃそうだろう。
彼女が欲しかった役を自分が女装して獲ってしまい、大当たりしているのだから。
マイケル(=ドロシー)は、共演者の美女ジュリー(ジェシカ・ラング)に一目惚れしてしまう。
しかし、ドロシーのことを気のいい同僚としか思っていないジュリーは、彼女(=彼)の気持ちに気付くはずもない。
ジェシカ・ラングは、『キングコング』(1976)でデビューしたので、長らく「キングコング女優」のイメージが強かった。
それが、本作でアカデミー賞助演女優賞を獲って、評価が一変する。
後年、彼女はシェイクスピア映画『タイタス』でタモラ役を演じたりもしている。
ただ、本作の演技が特別素晴らしいとも思えない。
助演としては、先週見た『華麗なるギャツビー』のカレン・ブラックの方が遥かにパンチがあった。
で、ジュリーと付き合っているディレクターが、とんでもない女性蔑視のセクハラ野郎。
最初は彼の言いなりだった彼女も、トッツィーが役を通じて繰り出すメッセージに、次第に自立した女としての意識に目覚めて行く、という筋立てなのだが。
まあ、いかにも現代アメリカ映画的なテーマとは言える。
ダスティン・ホフマンにとっても、『クレイマー、クレイマー』辺りとつながる部分はありそうだ。
ただし、本作の場合は、コメディー色が前面に出過ぎて、肝心のテーマとやらはどこかに消えてしまったような感が強い。
まあ、僕はどちらかと言うと「アンチ・フェミニスト」なので、女権拡張を声高に叫ばれるようなしんどい映画は、正直なところ、見たくないが。
この後、トッツィーは医師役のおっさんに言い寄られ、ジュリーの父親にも再婚を迫られ、ハチャメチャな展開になって行って、何が何だかもう…。
これ以上は伏せておくが、トッツィーの正体がバレるシーンは大爆笑ものだ。
が、全体としては、「女装」というアイディアとダスティン・ホフマンの演技力に寄り掛かった映画だと言える。