『フルメタル・ジャケット』

この週末は『フルメタル・ジャケット』をブルーレイで見た。

フルメタル・ジャケット [Blu-ray]

フルメタル・ジャケット [Blu-ray]

1987年のアメリカ映画。
僕が尊敬するスタンリー・キューブリックの最後の傑作である。
今までに何回見たか分からない。
最初は封切り時、地元・京都の映画館で。
当時、僕は中学3年生。
キューブリックの最新作が来るというので、ソワソワしていた。
友人たちの間でも話題になっていた。
僕は、父と一緒に、スナックパンとコーヒー牛乳持参で、朝から映画館に入って、3回見た。
衝撃であった。
当時、先に公開された『プラトーン』のおかげで、ベトナム戦争を描いた映画が流行っていた。
しかしながら、アカデミー賞を獲ったものの今一つピンボケな『プラトーン』や、もはや誰も覚えていない『ハンバーガー・ヒル』などを押しのけて、今でも生き残っているのは本作である。
まあ、「ファミコン・ウォーズ」のコマーシャルでパロディにされたことも多少は関係あるのだろうか(このCMを見ると、父は喜んだ)。
それだけインパクトが強かったということだろう。
そもそも、アカデミー賞なんてインチキである。
しょせんはハリウッドの業界関係者の互助会に過ぎない。
だから、ハリウッドと疎遠な、一匹狼的な監督は、まずオスカーを獲れない。
キューブリックなんか、その典型で、監督賞に4回ノミネートされたのに、一度も獲っていない。
他にも、チャップリンとかオ―ソン・ウェルズとかヒッチコックとか、非凡な監督はオスカーなど手にしていないのだ(監督賞の話。突っ込まれると面倒臭いので先に言っておく)。
スピルバーグみたいに、猟官運動の末に獲るようになった人もいるけどね。
本作も、脚色賞にノミネートされたが、結局無冠に終わった。
今年は「史上初めて」フランス映画がアカデミー作品賞を獲ったとやらで、マスコミが大騒ぎしたが、それは同作が英語を使ったからである。
アカデミー賞は、「英語」の作品だけが作品賞の対象だ(それ以外の言語を使っていると、「外国語」映画賞の対象になる。決して「外国」映画賞ではない)。
これまで、誇り高きフランス人監督は、英語なんぞで映画を撮らなかったというだけのことである。
考えてみれば分かることで、もし黒澤明アカデミー賞欲しさに、セリフが全編英語の『用心棒』や『影武者』を撮ったとしたら、そんな気色悪いモン、僕は死んでも見たくない。
原発問題でもそうだが、マスコミは肝心なことは何も言わないという見本だな。
余談だが、僕が以前勤めていた会社に、日本アカデミー賞の会員になっている人がいた。
その人は、投票のシーズンになると、「しまった。『○○』という映画、見逃したよ。おまえ見たか?」と僕に聞く。
僕が「見ましたよ」と答えると、「どうだった?」「良かったですよ」「じゃあ、それにしよう」と言って、投票する。
パクリの日本アカデミー賞と、本場のアカデミー賞を一緒にしては失礼だが、選考過程なんて、大方いい加減なものだろう。
僕が映画ネタでアカデミー賞受賞歴を一々記しているのは、それで検索してくる人がいるから、という理由だけである。
ついでに言えば、僕はアメリカ映画はあまり好きじゃない。
「ここで取り上げるのはアメリカ映画ばかりじゃないか」と言われそうだが、それはブルーレイで出ているのがアメリカ映画しかないからである。
(どうせ、こんな駄文は誰も読んでいないと思うので、好き放題に書いている。)
話が大幅にそれてしまった。
本作は、前半の海兵隊訓練シーンが特に有名である。
訓練教官ハートマン役のリー・アーメイは、実際に海兵隊で教官をやっていたそうで、彼の口から繰り出される罵詈雑言の数々は、「そりゃ、こんなことばかり四六時中言われていたら、気も狂うわな」と思わせる迫力がある。
キューブリックは、最初に日本語に翻訳された際に、「セリフの汚さが出ていない」として、あの戸田奈津子氏をクビにした。
今では、「鬼軍曹」と言えば、誰でも真っ先に本作の教官を思い浮かべるだろう。
で、この教官にしごかれて、かわいそうに気が狂ってしまうデブのゴーマー・パイル二等兵ヴィンセント・ドノフリオも、本作の印象が強過ぎて、そのあとは今一つこれと言った作品がない。
鬼教官がデブ二等兵に放つ一番強烈なセリフは「モタモタするな! ベトナムに行く前に戦争が終わっちまうぞ!」だ。
いつも、ここで不覚にも笑ってしまう。
こういう過酷な訓練を経て、普通の若者たちが、殺人マシーンに変えられてしまうのだ。
この前半のテンポは、既に言い尽くされているが、本当に素晴らしい。
その中で、主役のジョーカー(マシュー・モディーン。彼も本作を超える作品には出演していない)は、心根の優しさがまだ少し残っている。
まともな人間の感覚も多少持ち合わせているからこそ、狂言回しが務まるし、他の連中の狂気が一層浮かび上がる。
彼は結局、報道の任務に就く。
ベトナムに行って、ヘリで移動しながら、気持ち良さそうに銃を乱射して一般市民を殺しまくる兵士に向かって、「よく女子供が殺せるな」と言う。
このセリフは、ラストにつながる重要な意味を持つのだが。
狂った兵士は「女子供を殺すのは簡単さ。動きがのろいからな」と楽しそうに答える。
アメリカ人から見れば、有色人種なんて、人間じゃないんだろうな。
米軍の中には黒人もいるが、彼らは間違いなくアメリカ人だ。
作品中には、アメリカ人から見たアジア人という人種の、訳のわからなさがよく描かれている。
もちろん、それは偏見に満ち満ちたものだが、他の多くのアメリカ映画のように、我々日本人が見ていて気分の悪いものではない。
キューブリックは、非常に客観的に戦争を見ている。
本作には、反戦映画にありがちな甘っちょろいセンチメンタリズムは微塵もない。
ただ、戦争の生々しい現実が突き付けられるだけである。
後半の市街戦のシーンは、イギリスで撮影された。
飛行機が嫌いなキューブリックが、自宅のあるロンドンから離れたくなかったからだ。
首尾よくロンドン郊外に工場の跡地が見付かり、そこにヤシの木を植えて、ベトナムの雰囲気を再現した。
今見ると、東南アジアの都市特有の猥雑さは、ちょっと再現し切れていないように思うが、それでも、よく出来ている。
映画館で見ると、ステディカムがズンズンと進んで、さながら本当の戦場にいるかのようだった。
ネタバレになるので書かないけれど、ラストシーンは、ベトナム戦争の性格を象徴している。
巨大なアメリカと、それに必死で立ち向かうアジア民族という。
そして、多少の良心も残っていたかも知れない主人公ジョーカーは、とうとう本物の殺人マシーンになってしまう。
ミッキーマウス・マーチがフェード・アウトした後に、静かに流れ出すローリング・ストーンズの『黒くぬれ』が最高。
僕の友人も「天才だ!」と絶賛していた。
まだまだ書き足りないような気もするが、キリがないので、この辺で終わりにする。
見終わった後、細君が「それにしても、よくこんなに色々なジャンルの映画を撮れるな」と言った。