『フレンチ・コネクション』

この週末は、ブルーレイで『フレンチ・コネクション』を見た。

1971年のアメリカ映画。
監督はウィリアム・フリードキン(『エクソシスト』も撮っている)。
本作は、アカデミー賞を5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、編集賞)で受賞している。
主演は我らがジーン・ハックマン
共演はロイ・シャイダー(『ジョーズ』の警察署長)。
何と、「男臭い」組み合わせだろうか。
昨今の日本映画にはナヨナヨした兄ちゃんしか出て来ないので、少しは見習って欲しい。
それはさておき、主役の二人は麻薬課の刑事。
裏通りでヤクでラリっている黒人どもを捕まえては、ボコボコにしている。
警察を描くのに、今なら到底無理そうな描写だ。
で、彼らが麻薬密売ルートを追及して行くうちに、ニューヨークの大物マフィアと、フランスの黒幕とのつながりが浮かび上がってくる。
無能な上司を説得し、ソリの合わない役人とケンカをしながら、悪者どもを追い詰めるんだな。
まあ、この辺は『ダーティハリー』とも似ているところがあるし、後に量産された刑事ものの大半が模倣している構図だ。
ホント、役人なんてクソだよ。
画面に向かって生卵を投げ付けたくなる。
ジーン・ハックマン演じるポパイが、フランスから来ている黒幕を尾行する場面は抜き差しならない感覚を見事に映像化していて最高。
僕は何度も叫び声を挙げた。
刑事の仕事って、地道な張り込みなんだな。
一転、語り草になっている高架下のカーチェイスは、地面スレスレを這うカメラと編集のテンポがスリリングで素晴らしい。
地下鉄の運転手を脅迫したり、ラストの倉庫での決闘など、何処かで見たような気もするが、それは後から作られた映画やドラマがパクっているんだな。
正に、刑事ものの王道だ。
結末はあまり書きたくないんだが、突然終わる。
要するに、「悪は滅びない」ということである。
現在の日本でも、橋の下で生まれ、口八丁でのし上がってきた独裁者(差し障りがあるので、実名は伏せさせていただきます)が、イレズミ検査なんかを始めやがったよ。
コイツは存在自体が悪である。
全人類共通の敵だ。
このまま行けば、そのうち「卒業式で『君が代』を歌わなかった教員は強制収容所に放り込め!」とか、「共産党員はガス室送りだ!」などと言い出しかねない。
「そんなこと今の日本で起こるわけないだろ」と鼻で笑った、そこのあなた。
ヒトラーだって、最初は大衆の猛烈な喝采を浴びたんだ。
僕は共産党員ではないが、悪の芽は小さいうちに摘み取らねば。
今こそ、我々の手で狂気の独裁者を権力の座から引き摺り下ろそう。
このような極悪人は、あの世では無間地獄に落ちること必定であるが、現世でも我々民衆の手によって裁判に掛け、厳罰に処さねばならない。
大衆を扇動した罪は極めて重い。
断じて許せない。
万死に値する。
このままでは、大阪のみならず日本が危ない。
日本が滅びてしまってもいいのか。
我々の故郷が荒廃する前に、労働者よ、立ち上がれ!
と、またもや話がそれてしまった。
フレンチ・コネクション』は、アクション・シーンも素晴らしいが、最近のCG満載の能天気なアクション映画と違って、思想がある。
見ている間は、あまりにテンポが良いので、一瞬にして時間が過ぎ去って行くが、後から色々と考えさせられる。
時間を置いて、再見したい作品だ。