『勝手にしやがれ』

昔から、僕はアメリカ映画よりもヨーロッパ映画の方が好きだった。
にもかかわらず、本ブログでアメリカ映画ばかり紹介して来たのは、単にブルーレイで発売されているのがそれしかないからだ。
が、ようやくヨーロッパ映画も出始めたようである(しかも廉価で)。
と言う訳で、これからは出来る限りヨーロッパ映画も取り上げてゆきたい。
(同様に、日本映画にも好きな作品はたくさんあるのだが、まだまだブルーレイでは出ていないものが多い。)
記念すべきヨーロッパ映画の第一弾は『勝手にしやがれ』。

当たり前だが、沢田研二の歌ではない。
1959年のフランス映画。
監督はジャン=リュック・ゴダール、原案はフランソワ・トリュフォー、監修はクロード・シャブロルという恐ろしく豪華な取り合わせだ(怪獣に例えるなら、ゴジラキングギドラメカゴジラが共演するようなもの)。
言うまでもなくヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品である。
初めて見たのは学生時代、確か友人と高田馬場名画座で。
気狂いピエロ』との二本立てであった。
フランス映画と言えばヌーヴェルヴァーグヌーヴェルヴァーグと言えばゴダールゴダールと言えばこの2作ということで、勢い勇んで映画館に行ったものの、観終わった後、友人と顔を見合わせてしまったことを覚えている。
どうにも、自称「映画通」の人たちにとって、ゴダールというのは神格化されているようで、「ゴダールが分かるかどうか」を、真の映画好きかどうかの踏み絵のようにしている。
(まあ、それも二昔くらい前の話で、今は違うのかも知れない。だが、最近のトレンドはよく分からん。)
僕が大学で一時期顔を出していた映画サークルにも、ゴダールについて熱く語る先輩がいたような気がする。
しかし、ゴダールについて能書きを垂れる人たちは、本当に理解して言っているのだろうか。
単なる批評家の受け売りではないのかという感が、未だに拭えない。
それほど、ゴダールの作品は難解だ(と言うよりも、「訳が分からない」と言った方が良い)。
おそらく、本人もあまりよく考えないで作ったのだろうが、世の中には、やたらと分からない物をありがたがる人も多いので。
それでも、『勝手にしやがれ』は、まだマシな方だ。
筋書き自体は恐ろしく単純である(これが、後のアメリカン・ニューシネマにもつながるのだろう)。
主人公のミシェルは自動車泥棒で、逃走中に警官を撃ち殺してしまい、追われる羽目になる。
それに、パトリシアというアメリカ人のインテリのガールフレンドが絡む。
大学に行っていて、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』の駆け出し記者でもある。
シェイクスピアやフォークナーを愛読している。
ハンフリー・ボガートを気取るミシェルとは全く会話が噛み合わない。
彼女は、フランス語の知らない単語の意味をいつも尋ねる。
二人はよろしくやっていたのだが、なぜか彼女がミシェルを裏切って警察に通報する。
最後に、ミシェルが「君は最低だ」と言うと、「『最低』って何のこと?」(僕が以前見た時はこの訳だったのだが、今度のブルーレイでは、「君にはうんざりだ」「『うんざり』って何?」に変わってしまっていた。前の訳の方が良かった)。
このセリフは、極めて印象的だ。
思い切りネタばらしをしてしまったが、あまりにも有名な作品なので、皆さんご存知だろうから、まあいいだろう。
主役のミシェルを演じるのは、本作で大スターとなったジャン=ポール・ベルモンドだ。
実は、僕には一生の後悔があって、浪人して新聞奨学生をしていた19歳の時、ベルモンド主演の舞台『シラノ・ド・ベルジュラック』が東京芸術劇場に来るということで、月給7万円だったのに、2万円のS席を予約した。
けれども、生活費に困って、結局キャンセルしてしまったのである。
若い頃はカネがないから仕方がないが、もう二度と観る機会はないだろうから、今なら万難を排してでも行くところだ。
悔やんでも悔やみ切れない。
パトリシアを演じるのはジーン・セバーグ
悲しみよこんにちは』ですな。
ショートカットがとてもよく似合っている。
本作はモノクロなのだが、パリの街並みが大変趣があって素晴らしい。
建物が歴史を感じさせる。
ホテルの狭い部屋。
石畳の道路。
並木道。
凱旋門エッフェル塔
この景色がアメリカ映画との大きな違いだ。
パトリシアがディオールで買うドレスも可愛らしい。
大体、フランス映画というのはオシャレだな。
今の日本ならPTAが目くじら立てて怒り狂いそうだが、みんなタバコをスパスパ吸っている。
「♪ジャンガジャンジャーンジャン」というジャズ風の音楽も、頭の中でリフレインする。
で、いつものと同じくまとまらない文章だが。
本作が映画史に残ったのは、即興的な演出と、畳み掛けるようなカットによるのだろうか。
当時は斬新だったのだろうが、このカットはチカチカして見づらいとも言える。
どうも、僕はゴダールをきちんと理解しているとは言い難い。
僕はヌーヴェルヴァーグなら、『勝手にしやがれ』よりもトリュフォーの『大人は判ってくれない』の方が好きだ。
ゴダールの映画は形式(それも、偶然性の美学による)に重視だが、トリュフォーは内容に重きがある。
僕の尊敬するスタンリー・キューブリックは、こんなことを言っている。
エイゼンシュテインは形式があって内容がない。チャップリンは内容があって形式がない。どちらを取るかと聞かれれば、私は内容だ。」
でも、『勝手にしやがれ』も、雰囲気を楽しむにはいい映画。
という辺りで、今回は締めておく。
ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。