『気狂いピエロ』

この週末は、ブルーレイで『気狂いピエロ』を見た。

気狂いピエロ [Blu-ray]

気狂いピエロ [Blu-ray]

ちなみに、勘違いしている人がいるかも知れないが、タイトルは「きちがいピエロ」と読む(僕も学生時代、映画研究会の先輩に聞くまでは「きぐるいピエロ」だと思っていた)。
1965年のフランス・イタリア合作映画。
書くまでもないことだが、監督はジャン=リュック・ゴダールで、彼の最高傑作とされている。
のみならず、「ヌーヴェル・ヴァーグの代表作」とか「映画史上の革命」と評する人もいて、別段それが大げさな形容とは見なされていない。
主演は、ゴダールのパートナーだったアンナ・カリーナ(という公私混同)とジャン=ポール・ベルモンド
さて、全国300人のゴダール・ファンには大変申し訳ないが、僕はこの映画を何回見ても、全然面白いと思えない。
と言うより、何が言いたいのかさっぱり分からない。
おそらく、この映画を見た大半の人がそう思うはずだ。
たまに、やたらと難しいものをありがたがる人がいて、そういう人は「この作品は難解だが、背景に何らかの思想が隠されているはずだ」とウンウンと考え込んで、その回答を無理矢理ひねり出そうとする。
あるいは、「ゴダールが分からない奴は真の映画好きではない」とばかりに、したり顔で延々と講釈を垂れる人もいる。
僕なんぞも、「『気狂いピエロ』を理解していないのに、映画について語るな」と言われてしまいそうだ。
しかしながら、僕は別に映画評論家でも何でもない。
映画は趣味で見ているだけだ。
趣味というのは、自分の好きなことだけやればいいのである。
面白くないものは面白くない、分からないものは分からない、嫌いなものは嫌いと言って、何が悪いのか。
この映画、筋書き自体は単純で、要するに、男女二人の逃避行だ。
勝手にしやがれ』とは逆に、男の方が文学かぶれで、小難しいセリフをぶつぶつと垂れ流す。
女の方は自由奔放。
二人して、車を盗み、人を殺し、カネを奪い、アメリカ兵の前でベトナム戦争もどきの芝居をして受けを取り、それも全部ひっくり返し、ボーリングをし、ギャングに襲われたりしながら、パリから南フランスへ。
移り変わるフランスの風景はとても美しい。
衣装は、ココ・シャネルが協力しているらしいので、これまた美しい。
どこで服を調達しているのか知らないが、ファッション・ショーのようにクルクルと衣装が変わる。
ゴダールは、アンナ・カリーナを可愛く撮ることしか考えていなかったのであろう。
色彩のセンスは独特で、基調はフランスの国旗と同じ、青・赤・白だ(劇中でも、フランスの国旗について言及がある)。
時々、そこに黄色と緑が混じる。
まるでペンキで塗ったかのような(いや、実際に塗っているようだが)、くっきりとした原色のオンパレードだ。
車も取っかえ引っかえコロコロ変わるねえ。
人は簡単に死ぬし。
だけど、ゴダールがそれを以て何を伝えたいのかが、全く分からない。
本当は、伝えたいことなどないのかも知れない。
だって、主人公は「き○がい」なのだから(こういうことを書いて、本物の「きち○い」の人からクレームが来ると面倒なので、伏せ字にしています。余談ですが、我が家では差し障りのないように本作を「がいきちピエロ」と呼んでいます)。
その場の思い付きで撮った映像を、単につなぎ合わせただけ。
あるいは、色のセンスと編集のリズムがいいから、何かスゴイ映画であるかのように思われているだけかも。
特に、ラスト・シーンは口あんぐりだ。
こんな訳の分からない映画について、グチャグチャと文章をこねくり回すのが映画評論なら、そんな評論はいらない。
気狂いピエロ』は、僕にとっては、何度見ても相変わらず理解に苦しむ映画である。
ただ、映画史上極めて名高い作品だから、僕のライブラリーに加えているだけなのだ。