『去年マリエンバートで』

この週末は、ブルーレイで『去年マリエンバートで』を見た。

去年マリエンバートで [Blu-ray]

去年マリエンバートで [Blu-ray]

1961年のフランス・イタリア合作映画。
監督はアラン・レネ
アラン・レネの映画を見るのは、これが3本目である。
これまでに見たのは『夜と霧』『二十四時間の情事ヒロシマ・モナムール)』。
『夜と霧』は凄い映画だと思うが、『ヒロシマ・モナムール』はよく分からなかった。
で、本作だが、結論から言うと、さっぱり分からない。
モチーフは黒澤明の『羅生門』らしい。
しかし、『羅生門』は、もっと直線的で分かりやすく作ってあった。
事件にも非日常性があった。
だが、本作は、男が女に「去年ここであなたと会ったはずなのだが」と言い、女が「いや、覚えていない」と言う。
「いや、そんなはずはない」と、男がボソボソと去年の情景を語りながら、その映像を見せるだけである。
同じような場面が延々と繰り返される。
ストーリーも何もない。
登場人物の名前すらない。
場所は、広大な庭園のある城だ。
内部は迷路のように入り組んでいる。
衣装は、ココ・シャネルが協力しているらしく、クルクル変わる。
ただ、時間軸も何もかも全く無視しているので、何のことだかさっぱり分からない。
これまでの映画の文法をことごとくひっくり返した、という意味では、確かに革新的な作品なのだろうが、ただひっくり返しただけでいいのだろうか。
単なる監督のマスターベーションではないのか。
わざわざ訳の分からない映画を撮って、観客が混乱しているのを見て楽しんでいるとしか思えない。
何より、本作は面白くない。
ものすごく計算して撮っているのは確かだし、映像が美しいとか、音楽がいいとか、ほめるところもない訳ではないが。
映画なんて、いくら理屈をこねても、結局は「面白いか否か」だ。
羅生門』は、間違いなく面白かった。
アマゾンのDVDのレビューを見ると、ほとんどの人が本作を絶賛している。
けれども、本当に分かって書いているのだろうか。
僕には、とてもそうは思えない。
賞賛している人の文章も、適当な装飾語句はつなげられているが、その人の「心」が見えない。
だって、面白くないんだもの。
内容のない映像を、実験的な表現を連ねるだけで1時間半の長さにつなげた。
その意味を解き明かして、グダグダと分析するのは、批評家に任せておけばいい。
我々素人の仕事ではない。
この映画を見た大半の人の本音は「何じゃこりゃ? 意味が分からん。でも、有名な映画だし、賞も獲っているらしいしな。自分だけ分からないというのも格好悪いな。とりあえずほめておこう」くらいのものだろう。
「裸の王様」か。
と思ったので、僕の本音を書いてみた。
ちなみに、本作はヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞している。