『ラストタンゴ・イン・パリ』

この週末は、ブルーレイで『ラストタンゴ・イン・パリ』を見た。

1972年のイタリア・フランス映画。
監督はベルナルド・ベルトルッチ
本作は官能映画の代表作のような扱いを受けている。
確かに、この時代としては大胆な性描写なのかも知れない。
愛のコリーダ』なんかもそうだが、いかに脱ぐかが権力に対する挑戦であった時代とも言える。
もちろん、国家権力とは断固闘うべきである。
『エマニエル夫人』のスタッフがかなりこの作品を意識していたらしいが、あちらは新人監督に無名女優、こちらは既に実績のある監督に大スター。
それに、あちらは性愛そのものがテーマだが、こちらは性愛を通じて浮かび上がる人間の孤独と、大分違う。
ベルトルッチのこれ系の映画は、学生の頃に『シェルタリング・スカイ』と『魅せられて』を劇場で観たが、ちっとも面白いと思わなかった。
ラストエンペラー』は面白かったが。
彼の作品で見ていないものはたくさんあって、『1900年』なんか是非見てみたいのだが(友人がCSで放映されたものを録画したと言っていた)。
それはさておき、『ラストタンゴ・イン・パリ』について。
大したストーリーはない。
脚本にアニエス・ヴァルダが噛んでいるようだ。
主演はマーロン・ブランド
ゴッドファーザー』と同じ頃だが、あちらよりかなり若く見える。
それでも、45歳という設定だから、僕もあと少しであんな風になるのかと思うと切なくなる。
本作の舞台はタイトル通りパリだが、マーロン・ブランドの演じるポールがアメリカ人という設定なので、セリフは英語とフランス語のチャンポンである。
流麗なテーマ音楽に乗って、パリの趣のある街並みが映し出される。
古びたアパート。
いきなりトイレで入れ歯を洗っている婆さんが出て来て驚く。
ヒロインのジャンヌ(マリア・シュナイダー)は空き室を探している。
彼女は、前田敦子を肉感的にしたようだ。
陰毛が濃くて目が引き付けられる(公開当時の日本では、ボカシが入っていて判らなかっただろうが)。
部屋には何故かポールがいて、知らない男女が出会っていきなりファック。
どうしてこうなるのか、さっぱり分からん。
分かりやすいアメリカ映画とは大分テイストが違って、なかなか状況が読めない。
彼女はどんなつもりなのか?
観客には、ポールには奥さんがいたが、自殺をしたことがほのめかされる。
「神父は自殺を認めない」と。
ハムレット』の時代からそうだな。
一方、ジャンヌにはTVディレクターのトムという恋人がいる。
彼を演じるのは、何とジャン・ピエール・レオだ。
大人は判ってくれない』の頃と比べると、大分オッサンになった。
本作には、時々こけおどしの映像が挿入される。
ウンチをしている少年が出たり。
それから、卑猥なセリフがポンポン飛び出す。
「ペニスが40センチ」って。
性描写自体は、現代の目から見ると、それほどでもない。
ジャンヌとトムとの関係も何だかよく分からない。
彼氏と付き合いながら、一方で中年のオッサンとボロ・アパートでやりまくっている。
何だかなあ。
さらに、ポールの方も、自殺した奥さんの不倫相手と会ったりしている。
この時に出て来るバーボンはジャック・ダニエル。
ポールとジャンヌの性交は次第にエスカレート。
尻穴にバターを塗ってアナル・ファック。
本作は、アナル・ファックが描写された初めての映画だそうだ。
マーロン・ブランドにとっても、マリア・シュナイダーにとっても、「ポルノまがいの映画に出た」ということで、後々のキャリアに色々と影響したようだ。
こんな関係の裏側で、ジャンヌはトムとの結婚を決める。
ポールとジャンヌのヤリ部屋のベッドの上に巨大なネズミの死骸。
心底嫌がるジャンヌ。
思えば、お互いの素性も知らず、会えば単にハメるだけだった二人の間に、この辺りから微妙な隙間が。
段々と話も見えて来る。
ジャンヌがポールに「私は今、恋をしている」と伝える。
「良かったな」と言いながら、実は嫉妬しているポール。
一人になると、奥さんの亡骸にすがって泣くポール。
確かに、世評のように、中年男の孤独と悲哀は描かれているとも言える。
最後に、タイトルの意味が明かされる。
ラストは急展開。
このラストのおかげで、映画史に残っているとも言えるだろう。
ただ、好き嫌いの分かれる作品かも知れない。