『エレファント・マン』

この週末は、ブルーレイで『エレファント・マン』を見た。

1980年のイギリス・アメリカ合作映画。
監督はデヴィッド・リンチ
本作が公開された頃、僕は小学生だったが、大変な話題になっていたことは覚えている。
覗き穴が1ヵ所だけ開いた覆いを頭からすっぽりかぶり、黒い大きなマントを着た人物の姿を写し出したポスター。
母は「あんた、『エレファント・マン』って怖いらしいで。象みたいな人間やて。なあ、怖いなあ」と言って僕を脅していた。
(つまり当時は、新作でも、大の大人が観たいと思うような映画がまだあったということだ。)
結局、公開時には観に行かず、最初に見たのは、後のテレビ放送だったような気がする。
本作のアマゾンのレビューなどを読むと「人間の美しさを知って、感動しました」といった類の、まるで中学生の作文のような薄っぺらい文章を書いている人が多い。
一方で、「ヒューマン・ドラマのふりをしたホラー映画で、吐き気がする」という厳しい感想もある。
僕の見たところでは、実在の人物をモデルにしているので、『イレイザーヘッド』などとは違い、監督自身、真面目な映画を作ろうとしているのは伺える。
舞台は19世紀のロンドン。
モノクロの画面に、当時のゴミゴミした雰囲気が非常によく再現されている。
見世物小屋で興行主に虐待されていた「エレファント・マン」こと青年ジョン・メリック(ジョン・ハート)。
彼に興味を持った医師トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は、研究対象として連れ帰り、学会で発表する。
伝説のカルト映画『フリークス』を思い起こさせるような見世物小屋は、既に問題視されていて、警察の指導を受ける場面も出て来る。
今日の観点からすれば、「障害者を食い物にするとはけしからん」ということになるだろうが、世間の差別の中で、生まれながらの奇形を背負った人達は、このようにして生きて行くしか仕方がなかったという側面もあるのではないだろうか。
メリックは原因不明の奇病で、全身が腫瘍に覆われ、頭部が肥大している。
看護婦ですら一目見て逃げ出すほどの醜悪な姿だ。
しかし、トリーブスは彼と付き合って行くうちに、彼が実は優しい心根の、聖書を愛読する知的な青年であることを知る。
最初は「不治の病の人間を囲っておく訳にはいかない」と、突き放した態度だった病院長(ジョン・ギ―ルグッド)も、ついに考えを改め、彼の窮状を新聞に投稿する。
それを読んだ舞台女優ケンドール夫人(アン・バンクロフト)は、彼のもとを訪れ、優しく励ます。
この時に彼女がプレゼントした本は『ロミオとジュリエット』。
やはり、聖書の次はシェイクスピアなのか。
二人でセリフの掛け合いが繰り広げられる(失礼ながら、アン・バンクロフトがこの年齢でジュリエットを演じるのは、野村玲子のオフィーリアと同じくらい違和感がある)。
生まれて初めて人間らしい扱いを受けた彼は感激する。
それから、彼は夫人の招待を受けて舞台を観劇したり、王室の妃の訪問を受けたりするようになった。
だが、病院で働いている者の中には、彼の存在を蔑み、こっそり見世物にして小遣い稼ぎをしようとする輩もいた。
この行為自体は許し難いことだ。
概ね、観客はメリックの人間性に感情移入し、「人は見かけによらない」と思いながら本作を見るだろう。
ホプキンスを始め、シェイクスピア俳優の大御所ジョン・ギ―ルグッドや、ミセス・ロビンソン(『卒業』)のアン・バンクロフトなど、舞台畑の役者を揃えているので、演技は安心して見ていられる。
演出も過剰な所はなく、手堅い。
それでも、複雑な思いが拭えないのは、「人は見た目が9割」(いつか流行った本のタイトルのようだが)という現実があるからだろう。
我々がこの映画を見るのは、見世物小屋の観客と同様、怖いもの見たさからに違いない。
だからこそ大ヒットしたのである。
トリーブス自身も悩むように、善意を持っている人たちも、結局は学会で発表したり、新聞に投稿したりして、彼をさらしものにしているだけなのかも知れない。
対照的に描かれている見世物小屋の興行主とトリーブス医師は、実は同じことをしているのかも知れないのだ。
そして、病院長も言うように「彼の人生は、誰にも想像のつかないものだろう」と思う。
周りの人たちが彼のことを受け入れようとするのも、所詮同情に過ぎないのかも知れない。
社交界の仲間入りをすることは、本当にメリックが望んでいることなのか。
上流階級の人たちにとって、彼と交流することは、一種のファッションなのではないか。
などと、この映画を見ていると、色々な疑問が湧いて来て、とても「人間の美しさを知って感動しました」などという一面的な感想は吐けない。
メリックを見るために病室に忍び込んできた女性が、周りの酔っ払いの男どもにけしかけられて、無理矢理キスさせられるシーンがある。
僕は、本作の中で、この場面にいちばんショックを受けた。
いくら表面ではキレイ事を言っていても、生理的嫌悪感には絶対に勝てないのだ。
病気の遺伝子を、人間は本能的に排除するように出来ているのだろう。
彼のことを見て「かわいそう」などと言う人は、全くの他人事だと思っているに違いない。
まあ、百何十年も前の外国にいた人のことを自分のことのように思うのも無理な話だが。
彼が実在の人物であったことを思うと、ますます何とも言えなくなる。
この映画を作ること自体が、彼を食い物にした偽善なのかも知れない。
映画の中では、最終的には、彼はいい人生を送ったような描き方がされている。
そうでなければ、救いが無さ過ぎて見ていられないだろう。
色々書いたが、もちろん、人間には良い面もあるということを否定はしない。
ただ、それは悪い面とも表裏一体なのではないかと思う。
本作は、映画としてはよく出来ていると思う。
今、新作で公開されているのを観に行ったら、間違いなく「良かったよ」と言うだろう。
エレファント・マン』は、アカデミー賞に8部門でノミネートされたが、一つもオスカーを獲得することは出来なかった。
受賞したのがアボリアッツ国際ファンタスティック映画祭グランプリというところが、いかにもデヴィッド・リンチらしい。
ちなみに、本作のDVDは、僕の近所にある調布市立中央図書館にも置かれている。
ここは、本は充実しているのだが、視聴覚ソフトについては寂しい品揃えになっている。
VHSやレーザーディスクはそれなりに揃っているのだが、今となっては、誰が利用するだろうか。
数年前からDVDを少しずつ入れ始めたが、到底充実しているとは言えない。
メディアが切り替わる度に、一々ソフトを買い替えることは、予算の関係で出来ないのだろう。
そうこうする間に、ブルーレイが出て来た。
DVDソフトは、古い日本映画のシリーズなど、TSUTAYAなどではなかなか借りられないようなものもあるのだが。
技術の進歩はいいけれども、あまりに不毛なメディアの切り替えは、もう終わりにして欲しいものである。
もしも僕に万一のことがあったら、僕のブルーレイ・ライブラリーは調布市立図書館に寄贈しよう。
また話がそれてしまった。