『猿の惑星』

この週末は、ブルーレイで『猿の惑星』を見た。

1968年のアメリカ映画。
原作はピエール・ブール(『戦場にかける橋』)。
監督はフランクリン・J・シャフナー(『パットン大戦車軍団』『パピヨン』)。
主演は、我らがチャールトン・ヘストン(『十戒』『ベン・ハー』他)。
豪華なスタッフ、キャストによるSF大作である。
1968年には、奇しくもSF映画史上に残る傑作が2本、公開された。
2001年宇宙の旅』と『猿の惑星』である。
2001年宇宙の旅』はNASAの全面協力の下、セリフを極力排し、謎めいたストーリー展開もあって大ヒットした。
今や「SF映画」どころか「映画史上の」名作とされている。
『2001年』が古びない理由は、一つにはクラシック音楽を使ったこと。
もう一つは、地上の光景をほとんど写さなかったことにあるのではないか。
昔の映画を見ていると、テーマ音楽の曲調や登場人物の服装などで、おおよその時代が推測出来てしまうが、『2001年』にはそれがない。
一方、『猿の惑星』では、出て来るのは岩だらけの自然と原始的な猿の社会である。
原作では、猿の社会は近代的なものだったらしいが、映画化する際、予算の関係で原始社会にせざるを得なかったという。
それから、本作の大ヒットにより、4本もの続編が作られ、おまけにテレビ・シリーズにもなった。
『2001年』よりも、かなり大衆的な展開を経たのだ。
後年の評価に差が付いてしまったのは、その辺りに原因があったのかとも思う。
しかし、『猿の惑星』の知名度はスゴイ。
僕が小学生の時、近所の1歳上の兄ちゃんは、既に『猿の惑星』の大ファンだった。
僕が初めて本作を見たのは、彼の家でビデオでなのか、テレビの洋画劇場でなのか、今となっては分からない。
それから中学生になって、ある年の正月、地元の「KBS京都」というローカル局で、「『猿の惑星』シリーズ全5作一挙放映」というのがあり、朝から気合を入れて全部見た。
まあ、こういったヒット・シリーズにありがちなように、後に行けば行くほど、内容はショボくなる。
最後は「これで終わりか?」というようなものだ。
大人になってから、もう一度、シリーズ全作を見る機会があったが、感想は同じ。
続編については、長くなるので、割愛する。
さらに、2001年にリメイク版が公開された。
これは封切りで観たが、コメントは控えておく。
基本的に、続編やリメイクは、オリジナルに対する冒涜だ、とまでは言わないが、オリジナルを越えるようなものは滅多にない(まあ、『ベン・ハー』はリメイクだし、『ゴッドファーザー』のようにPart.2の方が評判がいいような稀有な例もあるけれども)。
しかしながら、これほど話題になっただけあって、第1作は素晴らしい出来栄えだ。
小説とは大分違っているので、原作者は絶句したそうだが、本作の成功は、脚本のマイケル・ウィルソンによるところが大きい。
彼は「赤狩り」の対象になっただけあって、本作には政治的な意味合いが濃厚にこめられている。
ベトナム戦争真っ只中という時代背景と相まって、極めて社会派のSF映画に仕上げられた。
チャールトン・ヘストン演じるテイラーは、主役ではあるが、現代の我々の目から見ると、傲慢な植民地主義者そのものである。
到底感情移入出来るキャラクターではない。
猿が人間を支配している惑星においても、あくまで人間の方が偉いという考えを変えず、知的な猿たちのことを「汚らしい猿め!」と罵る。
原始的な暮らしをしている人間を見付けて、放った言葉は「これなら支配出来るな」。
この口が聴けない人間たちの中から、いちばん若くてきれいな娘を選んで自分の女にする。
この娘に「ノヴァ」と名付ける(ちなみに、英会話の「NOVA」は、言葉を話せない人に教えるという意味を込めて、ここから名前を取った)。
何だか、白人たちが歴史上において行なって来たことそのものだ。
ロビンソン・クルーソー』を思い出す。
そのテイラーが、有名なラスト・シーンで、当の自分たち人間に思わず「バカヤロー!」と叫んでしまう皮肉。
また、猿たちの口を借りて、人間の愚かさ、汚らしさが容赦なく語られる。
しかし、その猿たちも、自らの信仰を守るために科学を迫害する。
理不尽で一方的な裁判。
これも、かつてのキリスト教に対する批判だ。
猿たちの世界は、支配者たるオランウータン、中間層で学者のチンパンジー、頭脳が足りないため軍人になるしかないゴリラに分かれている。
これは、人種や階級に対する非難だろう。
オリジナルが持っていた、こういった理念が、続編ではないがしろにされてしまう。
「ヒット作の続編だから、当然ヒットするだろう」ということしか考えない。
だから、続編はつまらないのだ。
猿の惑星』第1作が、単なるB級SFではなく、映画史上に残る作品になったのは、やはり、こうした社会性を含んだ内容による。
本作のメイクは、当時としては画期的なものであった。
大量に出て来る猿たちは、俳優の目がそのまま見えているので、目で演技が出来る。
会話に合わせて口も動かせる。
この功績で、本作はアカデミー賞名誉賞を受賞した。
(同じように苦心の末に猿のメイクを施した『2001年』のスタッフは、この結果を大層悔しがったとか。)