『ハスラー』

この週末は、ブルーレイで『ハスラー』を見た。

1961年のアメリカ映画。
極めて有名な作品であるが、未見であった。
オシャレな遊びにはとんと縁のない僕なので、ビリヤードを実際にやったのは、学生時代に友人に連れられて行った一度きりしかない。
その時は、彼が色々と基礎的なことを教えてくれたが、もう十数年も前のことなので、すっかり忘れてしまった。
ビリヤードと言えば、今は亡き正月の「かくし芸大会」で、堺正章が見事なテクニックで球を突いていたことが思い出される。
今にして思えば、あれも、この映画『ハスラー』の影響なのだろう。
僕はてっきり「ハスラー」というのは「ビリヤードをする人」のことだと思っていたのだが、実は「賭博で勝負をする人」を差す言葉らしい。
ちょっと『スティング』を思い出した。
とにかく、「ハスラー」と聞けば即ビリヤードを連想するくらい、本作はよく知られているということだ。
監督はロバート・ロッセン
『オール・ザ・キングスメン』と、この『ハスラー』が代表作だろう。
本作は、原作のウォルター・テヴィスの自伝的な要素も含まれているようだ(彼は他に、デヴィッド・ボウイ主演で映画化された『地球に落ちてきた男』も書いている)。
主演はポール・ニューマン
彼は既にスターだったようだが、やはり本作が最大の出世作だと言えるだろう。
彼の演じる若きハスラー、エディ・フェルソンは、自分こそが最強のハスラーと信じている。
アル中なのだが、ビリヤードの腕は確かだ。
フラフラになりながらも、正確に球を突く。
地元では誰もかなうものがない。
ある日、彼は相棒チャーリーと共に立ち寄ったプール・ホールで、伝説のビリヤード・プレーヤー、ミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)と勝負をする。
これが、40時間に及ぶ大勝負となった。
最初は順調に勝っていたエディも、さすがに疲れを見せ、アルコールの影響もあって、ついに敗北する。
この場面のカメラワークとリズミカルな編集が素晴らしい。
30分にも及ぶ長いシーンなのだが、緊迫感であっと言う間に進む。
ビリヤードは、ほとんど役者が実際に行なっているとか。
ファッツ役のジャッキー・グリーソンは、本職はコメディ役者らしいが、本作では寡黙な勝負師を見事に演じている。
彼のたたずまいには品格が感じられる。
大柄だが、スリーピースのスーツがよく似合う紳士に見える。
この長いビリヤードのシーンの中で、自分を過信しているエディの弱さ、彼に気を遣う相棒、常に冷静なファッツといった、登場人物の性格もきちんと描かれている。
二人の試合を見つめるプロの賭博師、バート(ジョージ・C・スコット)は、まだ勝負が決する前からエディのことを「負け犬」と呼ぶ。
バートはエディの弱さを見透かしていたのだろう。
このバートが本作の中で一番の悪役なのだが、こういう憎々しい役を演じさせたらジョージ・C・スコットは天下一品だ。
エディは有り金をすっかり賭けにつぎ込んでしまった。
彼は相棒とも決別し、小金を稼ぎながら、いつかファッツともう一度対戦したいと願う。
そんな中、彼は自称「女子大生」のサラ(パイパー・ローリー)と出会う。
彼女は足が不自由で、しかもアル中である。
エディはサラと魅かれ合うが、これがよくあるようなラブ・ロマンスとはかなり違う。
お互い破滅的で弱いところを持っているが、次第に相手のことを認めるようになるのだ。
エディは勝負師であるが、人間的な面も持っている。
勝負で勝つには、人間性を押し殺さなければならない。
サラはエディにまともな人間として生きて欲しいと願っている。
この葛藤が、立派な人間ドラマを生み出している。
賭博師バートは、ファッツに再び勝負を挑みたいと願いつつも、軍資金を持たないエディに「スポンサーになろうか」と持ち掛ける。
何としてもファッツに勝ちたいエディは、この提案に乗る。
バートの邪悪な人間性を見抜いているサラは、エディを引き留める。
カネでどうにでもなる汚い世界。
それに対し、エディは純過ぎる。
しかし、エディは言うことを聞かない。
サラは自分が孤独になることを恐れている。
そして、恋人にいつか裏切られてしまうのではないかと。
彼女の思いには胸が詰まりそうになる。
これ以上書くとネタバレになるので、この辺で止めておこう。
前半の勝負シーンは長かったが、後半はさくさくと進む。
モノクロのスタイリッシュな映像。
全編を彩るジャズ調の音楽もいい。
幕切れには、色々と意見はあるかも知れない。
でも、単なるビリヤードの映画ではなく、人間性を深く掘り下げ、役者たちがそれを演じ切ったからこそ、本作は映画史に残る傑作になったのだろう。
アカデミー賞撮影賞、美術監督賞受賞。