『愛と哀しみの果て』

この週末は、ブルーレイで『愛と哀しみの果て』を見た。

1985年のアメリカ映画。
本作を見るのは、多分2回目。
この時代は、「愛と○○の××」という邦題の映画がやたらとあって、区別が付かない。
監督は、『追憶』『コンドル』『トッツィー』のシドニー・ポラック
主演は、『ディア・ハンター』『マンハッタン』『クレイマー、クレイマー』のメリル・ストリープと、『明日に向かって撃て!』『スティング』『追憶』『華麗なるギャツビー』『コンドル』『大統領の陰謀』『遠すぎた橋』のロバート・レッドフォード
しかし、ロバート・レッドフォードは70年代の映画に出まくっているね。
しかも、どれも同じような役ばかり。
まあ、いいや。
音楽は、「007シリーズ」『真夜中のカーボーイ』『キングコング(1976)』『ザ・ディープ』のジョン・バリー
この間、「ワニを殺すな」と騒いで話題になったジェーン・バーキンの元旦那。
僕は高校生の頃、ジェーン・バーキンの歌をよく聴いていたが(作ったのは2番目の旦那のセルジュ・ゲンズブール)、どうも今回の騒動は白人の(エセ)環境派のエゴだと思う。
エルメスが、たかがカバンに何百万という値段を付けてボッタくっているのはさておき、カバンの皮には、ワニだけじゃなくて、牛や馬だって使われている。
それは残酷じゃないのか?
大昔から人間は色んな動物の皮を使って道具を作って来たんだよ。
いや、それだけじゃなく、もっと多くの種類の動物を食用にしている。
「クジラを食うな!」とかいう白人の環境団体には反吐が出る。
何故、牛や豚は食べても良くて、クジラはダメなのか?
人間は、色んな動物の犠牲にして生きているんだ。
もちろん、よく考えれば残酷なことだけど、生きて行くためには仕方がない。
だから、無駄に殺さず、動物達には感謝することが必要だ。
単に、ワニを殺さなきゃ済む問題じゃない。
って、話しがズレた。
さて、最初はアフリカの大地が映し出される。
本作は、まるで『野性の王国』のようで、アフリカの大自然は素晴らしい。
主人公カレン(メリル・ストリープ)の回想の形で物語は始まる。
1913年のデンマーク
裕福だが未婚のカレン・ブリクセンは、友人のブロア・ブリクセン男爵(クラウス・マリア・ブランダウアー)に「便宜上の結婚」を申し入れる。
ブロアは貴族だが、経済的に不安定になっていたため、結婚に同意する。
彼らはアフリカに移住して酪農場を始めることを計画する。
カレンとブレアが語り合う場面は、明らかに背景が合成なのだが、追加撮影だろうか。
舞台はアフリカ・ケニアへ。
カレンを乗せて移動中の列車が、大地のド真ん中で突然停まる。
象牙を持ったハンターのデニス・フィンチ・ハットン(ロバート・レッドフォード)との出会い。
レッドフォードというのは、どうもこういつも謎のハンサムみたいな役どころばっかりだ。
本作には、多数の現地人(黒人)が出て来る。
当時、ケニアはイギリス領だったからなのか、彼らの扱いは非常に差別的である。
まあ、見ていて気分が悪くなるね。
ロビンソン・クルーソー』に露骨に表れている有色人種蔑視が、つい100年前には未だ残っていたということか(いや、今でも)。
カレンは、デンマークから偉そうな大きな愛犬を連れて来て、現地でブロアと簡単な結婚式を挙げる。
僕の大好きな映画『バリー・リンドン』でも描かれていたけれど、貴族の社会というのは、どうにも排他的でイヤな世界である。
カレンは、女人禁制のクラブに入ろうとして追い出される。
結婚式の後、馬車で2時間も掛かる自宅へ。
先程偶然出会ったデニスは、ここにも象牙を持って出入りしていることが分かった。
何だか、この後もデニスは要所要所に「偶然」現れる。
どうも、話しが出来過ぎているような気がする。
ブロアという男は、身分は高いかも知れないが、何もかも行き当たりばったりだった(身分は低いが、僕も他人のことは言えない)。
彼は、今度は酪農ではなく、コーヒー農場を始めたいと言い出す。
しかも、そのためにカレンの持参金を使ってしまった。
貴族と言っても、内情は火の車で、カレンは金ヅルでしかなかったのである。
夫と険悪になるカレン。
そして、ブロアはとっとと狩りに出掛けてしまう。
コーヒー豆を栽培して収穫するまでには、4年は掛かる。
コーヒー栽培は難しい。
しかも旦那は、面倒なことは全てカレンに押し付ける。
現地人を労働力として雇おうとしても、英語が通じない。
まあ、世界のどこでも英語が通じると思っているイギリス人(アメリカ人)が傲慢なのだが。
カレンは途方に暮れた。
確かに、「大変だなあ」とは思うのだが、どうも彼女に感情移入し切れない。
ある日、ライオンに襲われかけたカレンを、デニスが助ける。
この、レッドフォードの都合の良いヒーローっぷりが白ける。
で、カレンは物語りをするのが得意だった。
まあ、日本で言えば、紫式部みたいなものなんだろう(適当)。
デニスは、カレンの物語りに夢中になる。
彼は、彼女に金の万年筆を贈る。
はっきり言って、本作はメロドラマなので、この後の展開は言うまでもないのだが、自由人であるデニスがカレンに惚れた理由は、この最初の「物語り」しかない。
これが、どうにも弱いんじゃないか。
雨期になって、ブロアが家に帰って来た。
カレンは、現地の人達のケガを見たりしていたので、病人が家に集まって来る。
この時代の、発展途上地域と豊かなイギリスとの落差は、見ていると胸が痛くなる。
第一次世界大戦が始まり、イギリスとドイツとの戦争が迫っていた。
ブロアは、今度は戦争に志願する。
こういうところは、一応「ノブレス・オブリージュ」なのだろうか。
「女子供は町へ避難するように」との命令も出される。
町までは遠い。
戦地のブロアから、「300人分の缶詰を白人に届けさせてくれ」という手紙が来る。
しかし、誰も届ける者はいない。
仕方がないので、カレンは、何人かの現地人のお供を連れて、馬で何日も掛かる戦地へ向かう。
ところが、道に迷ってしまった。
そこで、運良くデニスと出会い、磁石をもらう。
もう、どうにも話しが出来過ぎと言うか何と言うか。
近所に行くのでも目印がなければ迷うのに、アフリカのとてつもなく広い大地を、磁石も持たずに出発するとは、アホだ。
で、そこにうまいことヒーローが登場って…。
夜はライオンが現れて、牛を襲ったりするんだよ。
煌々と街灯がともる都内とは違うんだ。
まあ、いいや。
彼女は、苦労して戦地にたどり着いた。
そして、旦那に怒られる。
そりゃそうなんだけど、勝手な旦那だな。
ブロアはコーヒー農園を手伝う気はなかった。
確かに、こんな旦那で、近くにいい男がいれば、気を引かれるのも分からんではないが。
そんな折、カレンは重い梅毒に罹ってしまった。
要するに、旦那に移されたんだな。
つまり、旦那は浮気をしているということだ。
当時、梅毒は命に関わる病気だったが、新薬も出始めていた。
彼女は医者から、故郷に帰って治療することを勧められる。
とか言ってたら、またデニスと出会ったよ。
それから、(当たり前だが)彼女は旦那に文句を言った。
ブロアは、しぶしぶカレンがいない間、農場の世話をすることに同意する。
彼女はデンマークの実家へ帰った。
第一次大戦が終わりを迎えようとした頃、カレンは回復してアフリカへ戻って来た。
ブロアは、今度はサファリで生計を立てようと言い出す。
何と行き当たりばったりな旦那。
カレンは、Victoryパレードで、またもデニスと出会う。
近所に住んでいる人じゃないんだから。
彼は神出鬼没だ。
要するに、自由人なんだな。
これが、後のカレンとの関係に決定的な影響を与える。
カレンは、読み書き・算数・多少のヨーロッパ式の習慣を現地の子供達に教えるため、学校を作ることにした。
時は1919年になっていた。
イギリスの偉いサンは、現地の人達について、「連中に家など必要ない」と、またもや差別的な発言をする。
許し難いね。
カレンは、学校を作って、良いことをしているつもりになっていた。
しかし、デニスが彼女に言う。
「彼らに字を教えて、ディケンズでも読ませるのか? 英国の文化を押し付けるな。」
その通り!
全く共感出来ないデニスに、ここだけは全面的に賛同する。
ロビンソン・クルーソーがフライデイに英語を教えた頃から、イギリス人の本質は何ら変わっていない。
デニスは「ここは彼らの土地なんだ」と言う。
我々が良かれと思っている文化が、他の民族にとっても良いとは限らない。
どうするか決めるのは彼らだ。
本当に、全く、その通りだよ。
で、やっぱり『蛍の光』は年が明けてから歌うんだな。
新年のパーティーで、何故かカレンとデニスはキスをする。
まあ、予想通りの展開だが。
それにしても、幾らヒドイ旦那とは言え、カレンは未だ既婚者である。
デニスも、そんな人に手を出しちゃイカン。
どうにも、彼らに感情移入が出来ない。
一方、ブロアは浮気三昧で、とうとうカレンは彼に別居を宣言する(でも、あんたもお互い様だ)。
いよいよ、カレンの農場のコーヒーが収穫の時を迎えた。
だが、戦争が終わったら、コーヒー豆の値段も下がっていた。
農場は経済的困難に陥り、やりくりするために銀行の融資に頼らざるを得なくなる。
カレンは、デニスと一緒に旅行に行く。
ところが、大地の中で車が止まってしまった。
さあ、どうする?
この後、ネタバレになるので、あまり書けないが、カレンとデニスの恋も、コーヒー農場も、うまく行かない。
でも、ちょっと取って付けたような悲劇なんだよなあ。
全編を通して、アフリカの猛獣が多数登場する。
動物達によくぞ言うことを聞かせたとは思う。
役者と猛獣が一緒に出て来るところは、おそらくスタントを使って、編集で見せているが。
撮影は素直にスゴイと思う。
以前は、ブラウン管テレビにDVDで見たが、こういう作品は、高画質の大画面で見ないと。
本当は大スクリーンで見るべき。
ただ、メロドラマ調はどうにかならないかなあ。
どうでもいいが、ロバート・レッドフォードの肌荒れが気になる。
アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、作曲賞、美術賞、音響賞受賞。
いかにもアカデミー賞が好きそうな作品だが、そんなに価値があるとも思えないな。
1986年洋画興行収入7位(1位は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。邦画の1位は『子猫物語』)。