『クォ・ヴァディス』

この週末は、ブルーレイで『クォ・ヴァディス』を見た。

クォ・ヴァディス [Blu-ray]

クォ・ヴァディス [Blu-ray]

1951年のアメリカ映画。
監督はマーヴィン・ルロイ。
古い映画なので、画面はスタンダード・サイズである(シネマスコープの第一号は1953年の『聖衣』)。
でも、テクニカラー
冒頭のMGMのマークが違う(ライオンも)。
当時としては観客の度肝を抜くスケールだったろう。
日本での公開は1953年だが、外国映画の興行収入で3位を記録している。
僕の亡くなった母が大好きだった、古代ローマ帝国を舞台にしたスペクタクルである。
出演はロバート・テイラー、デボラ・カー、ピーター・ユスティノフ、レオ・ゲン。
音楽は『ベン・ハー』も手掛けたミクロス・ローザ
多数のエキストラに巨大なセット。
後のスペクタクル映画が模倣したと思われるシーンもたくさんある。
ベン・ハー』のような、走る戦車から隣の戦車にムチを打つシーンもあった(アップになると合成丸出しなのが、ちょっと興醒めだが)。
いわば「元祖」的な作品と言えるだろう。
ストーリーは極めて単純である。
遠征からローマへ戻って来たマーカス部隊長(ロバート・テイラー)が、人質に取られていたリジアの王女リジア(デボラ・カー)に惹かれる。
しかし、彼女はクリスチャンであった。
当時のローマでは、キリスト教は当然認められておらず、信者たちは仲間と連絡を取りながら秘かに信仰を保っていた。
帝政、多神教のローマと、一神教キリスト教は全く相容れなかったのである(高校世界史程度の基礎知識)。
ローマとキリスト教の対立の構図だ。
この二人のロマンスが話の一つの柱だが、正直なところ、これは月並みで面白くない。
特に、これまで拒んでいたリジアが突然マーカスを受け入れるところは、唐突過ぎて訳が分からない。
彼女のことを探るために後を付けてキリスト教徒の会合に行ったマーカスが次第に信仰に目覚めて行く様もお約束。
まあ、この時代のローマを舞台にした映画は結局、「キリスト万歳!」なのである。
ここのところは、日本人にはなかなか理解し難いところであろう。
一方で、皇帝ネロ(ピーター・ユスティノフ)がいる。
教科書にも登場する歴史上有名な暴君だ。
だが、本作のネロは、暴君と言うより単なる「アホ」である。
このネロを演じているピーター・ユスティノフが素晴らしい!
本作の主役は彼だと言っても良い。
それほどの見事な存在感だ。
彼は後に『スパルタカス』(スタンリー・キューブリック監督)でアカデミー賞助演男優賞を獲るが、本作のネロの方が遥かに良い。
ネロの後見役であるペトロニウス(レオ・ゲン)とのやり取りが絶妙だ。
ペトロニウスは聡明な皮肉屋なのだが、彼の皮肉交じりの助言を、ネロはまるで皮肉とは気付かない。
レオ・ゲンはシェイクスピア役者だそうだ。
あのローレンス・オリヴィエの『ヘンリー五世』にも出ていた。
それにしても、当時の貴族は奴隷を愛人にして、それを更に自由人にしたりする権限があったのか。
スパルタカス』にもそんなのがあったな。
ネロには好色な妻がいる。
この妻が宮殿の中でヒョウを飼っている。
彼女はマーカスにも色目を使うが、彼はリジアに夢中で意に介さない。
ネロは無茶苦茶な皇帝で、これまでも気まぐれで自分の母親や先の妻を殺したりして来た。
今度は、ローマを自らの名前を冠した新しい首都に作り替えるために、燃やしてしまえと命令する。
このローマの大火は『風と共に去りぬ』のようだ。
ただし、あちらが炎の街を通り過ぎるだけで一瞬で終わるのに対し、こちらは、なかなかのスケールで逃げ惑う市民たちを見せてくれる。
市民たちは下水道の中に逃げ込む。
彼らは、理不尽な火災に怒り心頭だ。
全くもって、愚かな皇帝である。
さて、ネロは、自分が世界の中心のはずなのに、それを認めようとしないキリスト教を許せない。
もっとも、信者でない者にとっては、キリスト教の教えはオカルトに過ぎないというのも事実だが。
キリストが出現するシーンのまばゆい光などは、まるで丹波哲郎の『大霊界』である。
ペテロは、キリストの光に向かって「クォ・ヴァディス(あなたはどこへ行くのか)」と尋ねる。
これがタイトルの由来。
ネロは、民衆の怒りを他に向けさせるために、「火を放ったのはキリスト教徒だ」として、彼らを弾圧しようとする。
何と、コロッセウムに信者を集め、ライオンの餌食にしようというのだ。
この辺は『グラディエーター』だな。
鞭打たれる奴隷は、またも『ベン・ハー』。
キリストの弟子ペテロが駆けつけ、信者たちの前で演説する。
すると、讃美歌の合唱が始まる。
我々が見ても異様だが、当然、ネロも怒り狂う。
彼は、信者たちにライオンの群れを放つ。
このライオンは、もちろん本物である。
ただ、さすがにライオンと人間とを絡ませるのは無理だったようで、ここはカメラワークと編集でうまくごまかされている。
もちろん、『グラディエーター』のようなCGはない時代だ。
ネロは、ライオンが喰った信者たちの死骸を見て、みんな笑顔で死んでいるのが理解出来ない。
ここに捕えられていたマーカスとリジアは、ペテロの下で結婚式を挙げる。
結局、オレもキリスト教徒になった訳だ。
ペテロは逆さ磔にされ、別の信徒は火あぶりにされる。
最後に、マーカスの目の前で、リジアは縛られ、彼女の用心棒の大男が殺気立った牡牛と素手で闘わされる。
この場面は、すごい迫力だ。
スタントマンなのだろうが、どうやって撮影したのだろうか。
今では到底無理な場面である。
何でもCGを使えばいいってもんじゃない。
この作品は、3時間もあるのに、途中休憩がない。
この時代としては、珍しいことではなかろうか。
本作の価値は、ハリウッド・スペクタクルの原点を見ることが出来ること。
そして、ネロを演じたピーター・ユスティノフの名演。
これに尽きる。
いつの時代も、愚かな支配者は民衆を不幸にする。
現在の日本でも、下痢ピーや橋の下やチン太郎を見れば、そのことは痛感出来るだろう。