『天地創造』

この週末は、ブルーレイで『天地創造』を見た。

本作を見るのは多分、3回目だと思う。
数年前にDVDで見て以来だが、その前に何かで一度見たことがあったような気がする。
黒田龍之助先生が「聖書の内容を手っ取り早く理解するには、『天地創造』と『十戒』を見ればいい」と仰っていたので、再見。
1966年のアメリカ・イタリア合作映画。
いわゆる歴史スペクタクル系の大作としては、この辺が最後ではないか(ただし、本作を「歴史」と言うのは無理がある)。
70年代になると、カネの掛かった映画はみんなパニック映画になる(カネの掛かっていないのもたくさんあるが)。
監督はジョン・ヒューストン
古典期からの名監督だが、僕が見たことがあるのは情けないことに本作のみである。
製作は、イタリアの大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティス
『道』や『カビリアの夜』等、初期のフェリーニ作品のプロデューサーとしても有名だが、僕の中では、何故か「カネに糸目を付けない」というイメージがある。
何でだろう。
まあ、『天地創造』は確かに大金を投入しているように見える。
彼の他の製作作品は『バラキ』『セルピコ』『キングコング』…。
多分、『キングコング』の(大失敗した)リメイクと、『デューン砂の惑星』辺りから、そんなイメージを抱いたのだろう。
で、本作は旧約聖書の「創世記」の内容を順番に描いているので、取り立てて「主演」というのはいない。
主な出演者は、ほとんどセリフのないアダムを演じたマイケル・パークス。
カインを演じたリチャード・ハリス
僕は『カサンドラ・クロス』くらいしか印象がないのだが、『許されざる者』や『グラディエーター』にも出ていたんだな。
それから、神の使いを演じたピーター・オトゥール
代表作は、言うまでもなく『アラビアのロレンス』。
更に、ジョージ・C・スコット
渋い役者だ。
ハスラー』『博士の異常な愛情』『パットン大戦車軍団』等が有名。
エヴァ・ガードナー
往年の大女優だが、僕には『大地震』と『カサンドラ・クロス』の怖いオバちゃんというイメージしかない。
あと、スティーヴン・ボイド。
当たり役は多分、『ベン・ハー』のメッサラ。
他に『ローマ帝国の滅亡』『ミクロの決死圏』等。
そして、監督本人がノアの役で出演している。
これが、なかなかの名演。
ジョン・ヒューストンは、『チャイナ・タウン』でもインパクトのある役柄を演じていたな。
と言う訳で、オール・スター・キャストである。
あまり活かし切れていないような気もするが。
音楽は、我らが日本から黛敏郎
昔、日曜の朝に『題名のない音楽会』というクラシックの番組があって、彼は司会を務めていた。
僕は小学生の頃、毎週この番組を見ていた(何と高尚な!)。
本作では、全編に渡って壮大な音楽が流れる。
彼は、佐村河内と違って、本物の音楽家だ!
さて、本編。
「始めに光ありき」で始まる。
誰でも知っている旧約聖書のエピソード。
海や火山の記録フィルムの貼り合わせとナレーションで描いており、長くて退屈。
6日目にやっと人間が現れる。
アダム(マイケル・パークス)が出現するシーンは、彼を土の中に埋めて撮影したらしい。
CGのない時代は体当たりだ。
どうでもいいが、局部を隠して撮影するのは大変だったろう。
イヴがヘビにそそのかされて禁断の果実を食べ、アダムと共に楽園を追われる。
誰でも知っている話なので、今回はストーリーを細かく書かない。
アダムとイヴの間にカイン(リチャード・ハリス)とアベルフランコ・ネロ)が生まれる。
人類最初の殺人。
しかし、弟殺しの原因を作ったのは、兄の供物を受けなかった神ではないのか。
どうも、この神は理不尽な偏った行動で、人間を困らせてばかりいるように思える。
やたらと「呪い」が出て来るし。
まあ、こんなことを言っても、僕はキリスト教徒ではないので、罰せらっれることはない。
で、アダムとイヴの遠い子孫(どうでもいいが、子供達の嫁はどこから見付けて来たのか)がノア(ジョン・ヒューストン)。
晴れているのに、「大雨が降る」と言って巨大な舟を作るノアをバカにする人達の格好は、土人もどきで差別的。
方舟は巨大である。
ノアの家族だけで、こんなデカイ舟を作るのは無理だと思うが。
この方舟は、実物大のセットを作って撮影したらしい。
これはスゴイ。
動物がたくさん出て来る。
撮影は大変だっただろうが、非常に画になる。
カメを最後に舟に乗せるところがユーモラスである。
舟の中は、さながら動物園のようだ。
監督は動物好きなのだろうか。
嬉々として動物達の世話をしている。
聖書に、ここまで詳しく動物の飼育について書かれているとは思えないしね(読んだことなくて、スミマセン)。
どうでもいいが、鶏は光を見て卵を産むので、暗闇なのに「鶏が卵を産むから日にちが分かる」というのはウソだと思う。
それにしても、動物の出て来るシーンだけは本当に生き生きとしている。
動物の表情も豊かだ。
それ以外のシーンは、妙にシンボリックで、退屈なのに。
舟はアララテ山に着いた。
小学生の頃、学研かどこかのオカルト雑誌で、「アララテ山からノアの方舟の残骸が見付かった」という記事を読んだことがあるが、本当だったのだろうか。
神は、自分で作ったものを自分で滅ぼす。
何と気紛れな。
ノアの家族と動物達だけが大洪水から生き延びて、ここで「INTERMISSION」。
後編の最初はバベルの塔のエピソード。
ノアの子孫のニムロデ王(スティーヴン・ボイド)は民を駆使して天にも届くバベルの塔を作った。
ニムロデ王はメイクがキツくて、スティーヴン・ボイドだとは気付かなかった。
このバベルの塔のは、高さ121メートルのセットを作ったらしい。
確かにデカイ。
頂上から下々の民を見下ろすと、まるでアリンコの群れのようである。
ただ、このエピソードは短くて、塔の全景も一瞬しか映らないので、果たして、こんなに巨大なセットを作る必要があったのかどうか。
ニムロデ王から更に10代後、アブラム(ジョージ・C・スコット)と妻サライエヴァ・ガードナー)がカナンの地へ行く。
これが後編のメイン。
ジョージ・C・スコットは明らかにヅラ。
そして、このエピソードはちょっとメロドラマ調である。
要するに、アブラムは妻を愛してはいるが、子供が生まれないので、侍女に子を産ませ、妻は嫉妬し、侍女はつけ上がるという、現代でもよくありそうな話だ。
合戦シーンもあるが、ここは人間ドラマが中心。
神はまた勝手なことを言う。
子供が出来るはずのない年齢であるサラに子供を与え、その上、生まれた子供を生け贄として捧げよとか。
何じゃそりゃ。
宗教映画はよく分からん。
子供を生け贄にしたりしたら、現代なら間違いなくタイホされるだろう。
3人の神の使いとして、ピーター・オトゥールが出て来る。
3人を一人で演じているが、何の意味があるのか。
神はソドムとゴモラの街を滅ぼす。
ノアの方舟の時に、「もう滅ぼしたりしない」と言っていたのに。
爆発する街の方を振り向くと、石になってしまう。
この爆発シーンの特撮は投げやり。
他で予算を使い切ってしまったのか。
どうでもいいが、ユダヤ系の名前がいっぱい出て来て、混乱する。
総じて、大金を投じたものの冗長で、立派な役者を使っている割には活かし切れていない。
宗教観は日本人には理解出来ないし、なかなか残念な超大作である。
この後、この手のテーマの映画が下火になったのも、うなずける。