『サウンド・オブ・ミュージック』

この週末は、ブルーレイで『サウンド・オブ・ミュージック』を見た。

1965年のアメリカ映画。
監督は、『地球の静止する日』『アンドロメダ…』『スタートレック』のロバート・ワイズ
音楽は、『チキ・チキ・バン・バン』のアーウィン・コスタル
編集は、『地球の静止する日』『ゴッドファーザー』『スティング』のウィリアム・レイノルズ。
主演は、『引き裂かれたカーテン』のジュリー・アンドリュース
共演は、『ローマ帝国の滅亡』『空軍大戦略』のクリストファー・プラマー、『ヤング・フランケンシュタイン』のリチャード・ヘイデン。
20世紀フォックス
カラー、ワイド(70ミリ、トッドAO)。
ひたすら雪山や湖の空撮から始まる。
更に、ヨーロッパの田園風景。
原版が70ミリだからか、画質は非常に良い。
草原で踊りながら、例の主題歌を歌うマリア(ジュリー・アンドリュース)。
ミュージカル映画は多数あるが、本作ほど劇中歌が一般に知られている作品は他にないだろう。
僕は、『サウンド・オブ・ミュージック』の主題歌は小学校か中学の音楽の授業で習ったと思う。
そして、オープニング・タイトル。
オーストリアザルツブルグ 1930年代、最後の栄光の時」という字幕。
これが何を意味しているかは、見ている内に分かる。
修道院
賛美歌の合唱。
「マリアの姿がまた見えません」と修道女達が騒いでいる。
「マリアは風の子。修道女には向いていない。」
マリアには皆、手を焼いているようだ。
本作はミュージカルなので、歌で表現される。
なお、オーストリアが舞台なのに、セリフは英語である。
まあ、ハリウッド映画だから仕方がないが。
これが、内容にもかなり影響している。
本作は、世界史の教科書にも出て来る1938年のドイツによるオーストリア併合を舞台にしている。
まあ、神聖ローマ帝国プロイセンが現在のドイツだという事さえ知らなかった偏差値29の僕が言っても説得力がないが。
ハリウッド(=アメリカ)から見れば、「ナチス=絶対悪」なのであるが、ドイツ民族の統一を当のオーストリア人がどう考えていたかは、当事者でないと分からない。
だから、本作には、史実と違う点が多々あるらしい。
ただ、遠いヨーロッパの昔の出来事に実感がないのは、我々日本人も同じである。
本作を見る時は、史実と比較して云々というより、単純に映画として見るべきではないか。
話しを元に戻す。
マリアが修道院へ走って戻って来る。
「高原が私を呼んでいた」と言い訳。
修道院の中では歌は禁止されている(しかし、ミュージカルなので、全員が歌っている!)
マリアは修道院長から「しばらくここを出なさい」と、9月までの家庭教師の口を紹介される。
教えるのはゲオルク・フォン・トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の子供7人。
ゲオルクの家には、奥様が亡くなって以来、家庭教師がなかなか居つかないらしい。
修道院を出る。
ヨーロッパの古い町並みは、建物にものすごく趣がある。
日本の建物も、何でもかんでも味気のないコンクリート造りにしないで、もっと古い建物を保存すべきだ。
東京駅の駅舎みたいに、全面改築すればいい。
丸ビルなんか、下だけ昔の面影を残しているが、上には無機質なコンクリートのビルがニョッキリ生えていて、興ざめだ。
明治大学のリバティー・タワーも同様。
早稲田から大隈講堂がなくなったら、早稲田じゃない。
また話しが逸れてしまった。
マリアは不安を抱きながらも、前向きに。
バスに乗る。
ゲオルクの家が、これまた豪邸である。
ゲオルク・フォン・トラップ大佐というから、軍人である前に、貴族なのだろう。
マリアはゲオルクと対面。
気難しそうな人である。
「用のない部屋には入るな」と怒られる。
マリアが「軍人らしくないですね」と言うと、「君は教師らしくない」とやり返される。
ヒドイ剣幕だ。
マリアは、この家の12人目の家庭教師だという。
前任者は、たった2時間で逃げ出した。
この家の規律は大変厳しい。
ゲオルクの笛一つで子供達は整列し、行進する。
マリアが「笛はお断りします」と言うも、子供達は笑っている。
マリアは、子供達から大変なもてなしを受ける。
ポケットにカエルを入れられる。
食卓の椅子に座ると、松かさが置かれている。
しかし、マリアは意に介さず、逆に子供達にお礼を言うと、子供達は泣き出す。
ゲオルクはナショナリストで、「ドイツとの併合は間違いだ!」という信念を持っている。
まあ、これが正しいのか、どうなのか、我々日本人には判断のしようもない。
ちょっと、例として適切ではないが、「日韓併合は正しかった」なんて、よくネトウヨが言うが。
これだって、当時の韓国人が本当はどう思っていたかなんて、現代の日本人には分かりようがない。
ただ、本作はあくまで大佐の目線から描かれているので、とりあえず、これを受け入れよう。
で、この時代、オーストリアでは最早、親ナチスが多数派であったようだ(と映画では描かれている)。
ゲオルクの家の執事も、ロルフも、ナチス式の敬礼をする。
夜、ゲオルクの家に、配達人のロルフが電報を届けに来る。
彼は、実はこの家の長女リーズル(シャーミアン・カー)と恋仲である。
リーズルは16歳という設定だが、妙に大人びているなと思ったら、演じたシャーミアン・カーは当時、UCLAの学生で、22歳だったらしい。
さて、電報を読み、ゲオルクは明日からしばらく留守にすると。
リーズルはいつも、ロルフが電報を届けに来ると、こっそりと家を出て、つかの間、彼とのひとときを楽しむ。
もう、この辺で歌われるのは、有名な曲ばかりである。
コマーシャルでも随分と使われていたので、誰でも耳にしたことがあるだろう。
で、運悪く、リーズルとロルフの密会中に雷雨になる。
家に戻れない。
ロルフはリーズルにキスをする。
家では、マリアが家政婦から、「旦那様が服を新調するように」と生地をもらう。
修道院では私服が必要ないから、みすぼらしい服しか持っていなかったのだ。
ゲオルクはウィーンの男爵夫人エルザ(エリノア・パーカー)と結婚を考えている。
だから、明日から、エルザに会いにウィーンに行くのだと。
家政婦が言うには、「奥様が亡くなられて以来、この家はまるで軍隊のようになってしまいました。」
まあ、軍人だからな。
で、雷雨で家に帰れず、締め出されてしまったリーズルは、窓の開いていたマリアの部屋からびしょ濡れのまま入って来る。
が、マリアは見逃す。
これで、リーズルにとってはマリアは味方となった。
更に、雷を怖がった他の子供達も、次々とマリアの部屋に入って来る。
マリアは、子供達を勇気づけるために歌い出す。
子供達も一緒に歌う。
歌うのが楽しい。
だが、そこへ、ゲオルクが部屋へ入って来る。
「就寝時間は厳守!」
子供達は、蜘蛛の子を散らすように部屋から出て行く。
「私が戻るまで規律を身に付けよ!」
マリアが厳し過ぎる方針に難色を示すと、「父親は私だ!」
翌日、子供達はカーテンの記事で作った遊び着を着て、マリアと出掛ける。
町へ散歩。
本当に素晴らしい町並み。
草原でピクニック。
マリアは、「歌でお父様を驚かすの」と、ギター片手に子供達に歌のレッスン。
「ドレミの歌」を歌う。
この歌も小学校の音楽の授業で習った。
今でも歌詞を全部覚えている。
当時、替え歌も作った。
「♪どんな時でも 連合赤軍 みんな楽しく ゲバ棒持って 国会行って ラ・ラ・乱闘だ シは死んでもいい さあ死にましょう♪」
何て不謹慎な!
「ドレミの歌」も、知らない人はいないだろう。
子供達は歌い踊る。
その頃、ゲオルクは、エルザと友人のマックス(リチャード・ヘイドン)の3人でドライブをしていた。
その時、木登りをしている自分の子供達を見掛ける。
しかし、未だ確信が持てない。
つまり、ゲオルク亭には今、家族はいないということだ。
ゲオルクが家に帰ると、ロルフが2階のリーズルの部屋の窓に小石を投げている。
ゲオルクが「何をしているんだ?」と問うと、とっさに「ハイル・ヒットラー!」
もちろん、ゲオルクは激怒。
まあ、僕の前で「安倍政権万歳!」と言うようなものだからな。
一方、子供達は小舟に乗って歌っている。
鬼から解放されて、とにかく楽しそう。
だが、ゲオルクに見つかってしまう。
突然のことに驚き、マリアも子供達も全員、舟から川の中へ引っくり返ってしまう。
ゲオルクは激怒(怒ってばっかりやな)。
ゲオルクとマリアは正面切って対決するが、ゲオルクは「荷物をまとめなさい!」と命じる。
その時、部屋から子供達の歌声が。
子供達は、エルザとマックスの前でキレイなハーモニーで例の主題歌を合唱しているのであった。
ゲオルクも一緒に歌いだす。
そして、ゲオルクと子供達が抱き合う。
ゲオルクはマリアに「失礼をお詫びします」と。
「この家に留まるように。お願いだ。」
ご都合的な展開だと言えなくもない。
ただ、昨今の紅白歌合戦なんか見てもどうしようもないが、この映画を見ると、本当に「歌の力」を感じる。
その点だけでも、本作は偉大だ。
今度は、子供達がマリオネットを披露する。
ゲオルクも大喜び。
マックスが子供達に、音楽祭に出るようにと勧める。
今度は、ゲオルクがギターの弾き語りで「エーデルワイス」を。
これも有名な曲だ。
夜、パーティー
地元のナチの指導者が、ゲオルク邸に掲げられているオーストリア国旗を見て激怒。
もう既に、国中に不穏な空気が漂っているということだが。
これが冒頭の字幕の「1930年代、最後の栄光の時」の意味だが。
これを日本に当てはめるのは難しい。
日の丸を見て怒るか、赤旗を見て怒るかで、全く意味が違ってしまう。
僕自身はどちらか。
それは、差し障りがあるので、ここでは言わない。
ただ、天皇制には反対だ。
マリアは子供達に踊りを教える。
ゲオルクとも踊る。
それを見たエルザは面白くない。
この辺の嫉妬の応酬も、うまく描かれている。
「お休みなさい」の歌は、オーストリアなのに、歌詞が「アデュー」だ。
まあ、どうでもいいが。
パーティーでは、子供達の音楽が絶賛された。
マリアは立派な指導者として、このパーティーに出席していた面々から食事に誘われる。
マリアは衣装を持っていない。
現代日本と違って、下層階級の娘でも成人式のために「はれのひ」が高い晴れ着をレンタルするなんて制度はないのだろう。
僕は成人式には行かなかった。
国家権力に対する、ささやかな抵抗だ。
ざまあみろ!
で、マリアが部屋で着替えていると、エルザがやって来て、「彼はあなたに恋している」と告げる。
うわ、イヤらしい女だな!
マリアはショックを受ける。
神に仕える身ということもあるし、身分が違うということもあるだろう。
それで、彼女は家を出る決心をし、置き手紙をして出て行く。
ここで、「Intermission」。
さあ、これからどうなる?
後半は、ラブ・ストーリーから一転して、戦争の足音が響いて来る。
ものすごくトーンが重くなる。
史実と違うとか、色んな意見はあるだろうが、スゴイ反戦映画だと思う。
僕もミュージカル映画は色々と見たが、その中でも、別格の名作だ。
アカデミー賞作品賞、監督賞、編集賞、音楽賞、録音賞受賞。
1965年洋画興行収入3位(ちなみに、1位は『007/ゴールドフィンガー』。邦画の1位は『赤ひげ』)。