『フランケンシュタインの花嫁』

この週末は、ブルーレイで『フランケンシュタインの花嫁』を再見した。

1935年のアメリカ映画。
監督は、『フランケンシュタイン(1931)』『透明人間(1933)』のジェイムズ・ホエール。
音楽は、『レベッカ』『サンセット大通り』『裏窓』のフランツ・ワックスマン
主演(怪物役)は、『フランケンシュタイン』のボリス・カーロフ
前作の主役は、あくまでフランケンシュタイン博士(怪物ではない)であったが、今回は、堂々とトップにクレジットされている。
共演はエルザ・ランチェスター
あの『スパルタカス』(スタンリー・キューブリック監督)でグラッカスを演じたチャールズ・ロートンの妻である。
ユニバーサル映画。
モノクロ、スタンダード・サイズ。
画質は良い。
それにしても、80年以上前の映画が、こんな高画質で見られるとは信じられない。
不安気なテーマ音楽。
クレジットでは、「The Monster's Mate」は「?」になっている。
嵐の夜、城の中。
バイロンが詩を朗読している。
余談だが、ジョージ・ゴードン・バイロンはイギリス・ロマン派の詩人である。
有名な『チャイルド・ハロルドの巡礼』は、かつて英文学のテキストとして日本でもよく読まれた。
夏目漱石が学生だった頃の東京帝国大学英文科でもテキストとして使われているし、漱石自身も、東京専門学校(現・早稲田大学)で講読のテキストとして使った。
が、今ではほとんど顧みられることがないようだ。
九州大学からハードカバーの重厚な本が出ているが、未完である。
ただ、高校の世界史の教科書(『詳説世界史』)にタイトルだけは載っている。
まあ、それはいい。
バイロンが詩を朗々とした、ものすごい巻き舌の発音で読んでいる時、隣りにいるのは、『フランケンシュタイン』の原作者メアリー・シェリー(エルザ・ランチェスター)と、その夫パーシー・シェリーである。
実際に、この3人はレマン湖畔で過ごしたことがあったようだ。
で、この3人は、私生活も色々とただれていたようだが、それはいいや。
バイロンの提案をきっかけに、メアリー・シェリーは小説『フランケンシュタイン』を書いたらしい。
まあ、バイロンはイギリス文学史上の偉人だが、メアリー・シェリーはちょっと異端扱いかな。
僕の手元のイギリス文学史入門のテキストにも載っていない。
バイロンは、メアリー・シェリーのことを、「こんな可愛い顔をして、あんな恐ろしい話しを書く」と言う。
で、バイロンは前作(『フランケンシュタイン』)のあらすじを語る。
それから、メアリー・シェリーが続きを語り始める。
続編なので、最初に前作のおさらいをするのはよくあるが、原作者を出して来るとは、上手いやり方だ。
前作では、フランケンシュタインの怪物は風車小屋の火事で死んだことになっていた。
怪物は丸焼けになり、彼を生み出したヘンリー・フランケンシュタイン博士は虫の息で運び出される。
しかし、怪物は生きていた。
床下の水穴に落ちて、助かったのである。
火事場の様子を見に来ていた野次馬の老夫婦は、怪物に殺されてしまう。
ヘンリーは自宅の城に運び込まれ、婚約者エリザベスが迎える。
火事場の様子を見に行っていた家政婦の婆さん(この人は、『透明人間』にも出ていた)は、「怪物は生きている!」と、あの独特のキイキイ声で大騒ぎする。
エリザベスの必死の介抱で、ヘンリーは意識を取り戻した。
当たり前だが、ヘンリーは前作よりもかなり老けた(作中では1日しか経っていないが)。
彼は、「オレは人間をこの手で作った!」と興奮している。
それに対して、エリザベスは「それは神に対する冒涜よ」と言う。
まあ、キリスト教の価値観ではそうなのだろうが。
そんなことを言ったら、現在の医学なんて、既に冒涜だらけだ。
今回の新型コロナの流行は、現代医学の限界を露呈した。
そこへ、プレトリアス博士が訪ねて来る。
彼は大学で哲学を教えていたが、クビになった。
一方、彼は医者でもある。
哲学と医学を両立するというのは、現在の日本では、なかなか考え難い。
プレトリアス博士はヘンリーに「私と手を組もう」と迫る。
実は、彼も生命体を創り上げたのだという。
ヘンリーはプレトリアス博士の家へ行った。
彼は小人を創っていた。
このシーンは、当時としては驚愕の特殊技術だろう。
おそらく、『モスラ』の小美人のように、大きなセットを使って撮影し、合成したのだろうが。
ヘンリーはプレトリアス博士に「これは科学ではなく黒魔術だ」と言う。
そうかなあ。
死人をよみがえらせる方が、余程黒魔術っぽいが。
プレトリアス博士は「私は種から作った」と言う。
どうだろう。
現代の感覚からすれば、死人をよみがえらせるより、小人を創る方が遥かに難しいと思うが。
プレトリアス博士は、あろうことか聖書まで持ち出して、フランケンシュタインの女版を創りたいと言う。
アダムにイヴが必要だったように。
一方、怪物は森の中をさまよっていた。
池で水を飲もうとして、水面に映った自分の形相に驚き、嫌悪する。
本作は、この怪物のコンプレックスが全編を貫く一つのテーマになっている。
怪物は滝から落ちた若い女性を助けようとするが、逆に女性に恐怖の叫び声を上げられ、漁師に発泡される。
怪物発見の知らせを聞いて、森へ捜索隊が派遣された。
怪物はついに捕まり、縛り上げられる。
そのまま地下牢へ放り込まれ、鎖につながれる。
だが、怪物は鎖を引きちぎる。
見張りの者が銃で撃っても、怪物には効かない。
脱走。
怪物が通った後には、あちこち被害が出ていた。
前作と違い、今度の怪物は実にすばしこく走る。
怪物は、盲目のバイオリン弾きの小屋へやって来た。
ジーン・ワイルダー主演のパロディ『ヤング・フランケンシュタイン』(メル・ブルックス監督)では、ジーン・ハックマンが演じていた役だ。
盲目の男は人間的に実によく出来ていて、怪物に対して、「誰であれ歓迎する。一人はさびしい」と語る。
それどころか、この巡り合わせに対して、「神に感謝する」とまで。
これまで、自分の異形の見た目から散々な仕打ちを受けて来た怪物は、この盲目の男に触れて、初めて涙を流す。
何という美しいシーンだろうか。
ここから、怪物は彼に対して心を開き、言葉を教わる。
まあ、しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
後半は、またも怪物の聞くも涙、語るも涙の苦難の日々が始まる。
で、肝心の「フランケンシュタインの花嫁」は、最後の最後にようやく登場する。
オープニングで原作者メアリー・シェリーを演じたエルザ・ランチェスターの二役である。
前作の「It's alive!」に対応する「She's alive!」というセリフ。
だが、怪物には悲惨な結末が待ち受けているのであった。
怪物の無念さは痛いほど伝わって来るよ。
本作が「名作」とされるのも分かる。

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